資料432 ④与謝野鉄幹「友を恋ふる歌」(詩歌集『紫紅集』による) 



      与謝野鉄幹「友を恋ふる歌」(詩歌集『紫紅集』による) 



    友を戀ふるの歌                 
                    與謝野 鐵 幹

  妻(つま)をめとらば才(さい)(た)けて
  顔(かほ)うるはしくなさけある
  友(とも)をもとめば書(しよ)をよんで
  八分(ぶ)の俠氣(けふき)二分(ぶ)の熱(ねつ)

  戀(こひ)のいのちをたづぬれば
  名(な)を惜(をし)むかな男(をとこ)ゆゑ。
  友(とも)のなさけをたづぬれば
  義(ぎ)のあるところ火(ひ)をも踏(ふ)む。

  斟(く)めやうま酒(さけ)(うた)ひ女(め)
  をとめの知(し)らぬ意氣地(いきぢ)あり
  簿記(ぼき)の筆(ふで)とるわか者(もの)
  まことのをのこ君(きみ)を見(み)る。

  嗚呼(あゝ)われコレッチの奇才(きさい)なく
  バイロンハイネの熱(ねつ)なきも
  石(いし)を抱(いだ)きて野(の)にうたふ
  芭蕉(ばせう)の寂(さび)をよろこばす。

  人(ひと)やわらはむ業平(なりひら)
  小野(をの)のやま里(さと)(ゆき)をわけ
  夢(ゆめ)かと泣(な)きて齒(は)がみせし
  むかしを慕(した)ふむらこゞろ

  見(み)よ西北にバルカンの
  それにも似(に)たる國(くに)のさま
  あやふからずや雲(くも)(さ)けて
  天火(てんくわ)ひとたびふらん時。

  妻子(さいし)をわすれ家(いへ)を捨(す)
  義(ぎ)のため耻(はぢ)を忍(しの)ぶとや。
  遠(とほ)くのがれて腕(うで)を摩(ま)
  ガリバルヂーやいま如何(いかん)

  四たび玄海(げんかい)の浪(なみ)を踰(こ)
  韓(から)のみやこに來(き)て見(み)れば
  秋(あき)の日(ひ)かなし王城(わうじやう)
  むかしにかはる雲(くも)の色(いろ)

  玉(たま)をかざれる大官(たいくわん)
  みな北道(ほくだう)の訛音(なまり)あり。
  慷慨(こうぐわい)よく飲(の)む三南(さむなむ)
  健兒(けんじ)は散(さん)じてかげもなし。


  嗚呼(あゝ)われいかにふところの
  つるぎは鳴(なり)をしのぶとも。
  むせぶ涙(なみだ)を手(て)にうけて
  悲(かな)しき歌(うた)の無(な)からめや。

  わが歌(うた)ごゑの高(たか)ければ
  酒(さけ)にくるふと人(ひと)は云(い)へ。
  われに過(す)ぎたる希望(のぞみ)をば
  君(きみ)ならではた誰(たれ)か知(し)る。

「おなじ憂(うれ)への世(よ)にすめば
  千里(り)の空(そら)も一つ家(いへ)
  おのが袂(たもと)といふなかれ
  やがてふたりの涙(なみだ)ぞや。」

  はるばる寄(よ)せしますらをの
  うれしき筆(ふで)を袖(そで)にして
  けふ北漢(ほくくわん)の山(やま)の上(うへ)
  駒(こま)(た)てゝ觀(み)る日(ひ)の出(い)づる方(かた)


  (注) 1. 上記の「友を戀ふるの歌」の本文は、『紫紅集』(栗島山之助(狹衣)編、盛文堂・勉強堂・高岡書店、明治33年10月12日発行)によるものです。これは、早稲田大学図書館の『古典籍総合データベース』に収録されている同書の映像によりました。
 『古典籍総合データベース』 →  『紫紅集』(明治33年発行)
「友を恋ふる歌」(43/111) (44/111)45/111) (46/111)
           
   
    2. 詩の題名は、本文には「友を戀ふるの歌」となっていますが、目次には「友を戀ふる歌」となっており、明治32年発行の雑誌『伽羅文庫』にも「友を戀ふる歌」となっていますので、「友を戀ふるの歌」の「の」は、衍字であると思われますが、どうでしょうか。
また、「それにも似(に)たる國(くに)のさま」の「似(に)」のルビが、原文では「似(ほ)」となっているようですが、ここでは「似(に)」と直してあることをお断りしておきます。
   
3.  『紫紅集』の編者・栗島山之助(狹衣)は、雑誌『伽羅文庫』の発刊者の一人だということです。(フリー百科事典『ウィキペディア』「栗島狭衣」の項があります。)
    4. 詩中のふりがな(ルビ)は、ここでは括弧に入れて示しました。    
    5. 詩句の「芭蕉の寂をよろこばす」「むかしを慕ふむらこゞろ」は、それぞれ「芭蕉の寂をよろこばず」「むかしを慕ふむらごゝろ」とあるべきところですが、原文のままに引用してあります。
また、「むかしを慕ふむらごゝろ」の後に句点があるべきですが、原文のまま句点なしにしてあります。
   
    6.  この「友を恋ふる歌」という詩は、明治32年12月5日発行の雑誌『伽羅文庫』に掲載された詩です。この詩は、この後、明治32年12月25日発行の雑誌『国文学』(国文学雑誌社発行)に「人を恋ふる歌」という題で再録され、更に、明治33年2月20日発行の雑誌『よしあし草』にも同じ「人を恋ふる歌」という題で掲載されました。その後、明治33年10月12日発行の詩歌集『紫紅集』に、『伽羅文庫』と同じ「友を恋ふる歌」(『紫紅集』の目次には「友を恋ふる歌」、本文は「友を恋ふるの歌」)という題で掲載されたわけです。この詩は、明治34年3月15日発行の詩歌集『鐵幹子』には、「人を恋ふる歌」という題で収められています。
 ただし、雑誌『伽羅文庫』と詩歌集『紫紅集』に掲載された「友を恋ふる歌」という題の詩は全13節で、「「あやまらずやは眞ごころを……」「おのづからなる天地を……」「口をひらけば嫉みあり……」の3節がなく、「人を恋ふる歌」になって全16節になりました。
 また、「四たび玄海の浪を声踰え……」と「玉をかざれる大官は……」の位置が、雑誌『国文学』以後の「人を恋ふる歌」では逆になっています(つまり、「玉をかざれる大官は……」「四たび玄海の浪を声踰え……」の順)。
   
    7. 雑誌『伽羅文庫』、雑誌『国文学』、雑誌『よしあし草』、詩歌集『鉄幹子』による本文が次の資料にあります。
資料430:①与謝野鉄幹「友を恋ふる歌」(雑誌『伽羅文庫』による)
資料431:②与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」(雑誌『国文学』による)
資料429:③与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」(雑誌『よしあし草』による)
資料428:⑤与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」(詩歌集『鉄幹子』による)  
   
    8. 語句の読みを補っておきます。( )内は、歴史的仮名づかいです。

 顔(かほ)うるはしく……「顔」に「かほ」とルビがあるのは、この『紫紅集』だけですので、貴重ですが、これが果して鉄幹自身による振り仮名であるかどうかが、はっきりしません。普通には「みめ」と読まれているところです。
 松村緑氏は「鉄幹詩「人を恋ふる歌」の成立と発表誌について」という論文(『解釈』昭和43年1月号)で、「作者自身にみめとよませる意図はなかったものと考えるべきであろう」と言っておられます。(注9を参照のこと)
 八分(ぶ)の俠氣(けふき)二分(ぶ)の熱(ねつ)……他の本では「六分の俠氣四分の熱」となっているところです。「(けふき)」は、「きょうき」。
 見(み)よ西北に……『鉄幹子』には、「西北」に「にしきた」とルビがあります。
 妻子(さいし)……『鉄幹子』には、「つまこ」とルビがあります。
 誰(たれ)か知(し)る……文語なので、「誰」は「たれ」と清音に読んでいます。 
 北漢(ほくくわん)……北漢の振り仮名は「ほくかん」が正しいと思われますが、原文のままにしてあります。
   
    9.  「顔うるはしくなさけある」の「顔」の読みについて
 松村緑氏は「鉄幹詩「人を恋ふる歌」の成立と発表誌について」という論文(『解釈』昭和43年1月号)の中で、「この詩の「顔うるはしく」は俗間にはみめうるわしくと歌われているが、初出本文にも『鉄幹子』所収本文にも顔の文字にはルビはついていない。(総ルビになっている『紫紅集』の「友を恋ふる歌」にはかほとルビがついている) そこで、これはやはり作者自身にみめとよませる意図はなかったものと考えるべきであろう」と書いておられます。(太字の「みめ」「かほ」は、原文には傍点がついているものです。) 
 鉄幹の詩として読む場合は、やはり「かお」と読むのが正しいのではないか、と思われます。
   
    10. 講談社文庫『日本の唱歌 〔上〕明治篇』(金田一春彦・安西愛子編、昭和52年10月15日第1刷発行)の「人を恋うるの歌」の解説に、次のようにあります。
 → これについては、資料429  ③与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」(雑誌『よしあし草』による)注11をご覧ください。
   
    11. 若井勲夫氏の論文「旧制高校寮歌の言葉と表現」(『京都産業大学論集〔人文科学系列〕』第37号(2007年)所収)に、次のようにあります。この論文を読むのには、ファイルをダウンロードする必要があるようです。)
 → これについては、資料429  ③与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」(雑誌『よしあし草』による)注12をご覧ください。
   
    12.  『東洋女子短期大学紀要』4巻(1971年9月30日発行)に、丸野弥高氏の「与謝野鉄幹作「人を恋ふる歌」について」という論文があります。この論文にこの詩についての詳しい考察がなされていますが、これによれば、「人を恋ふる歌」の発表誌は、次のようになっています。

雑誌『伽羅文庫』第1巻第2号(明治32年12月5日発行)……本文引用あり
雑誌『國文學』第12号(明治32年12月25日発行)……本文引用あり
雑誌『よしあし草』23号(明治33年2月20日発行)……本文引用あり
単行本『紫紅集』(明治33年10月12日発行)
単行本『鐵幹子』初版(明治34年3月15日発行)……本文引用あり

『伽羅文庫』の本文も、同論文に出ていますが、題名が「友を戀ふる歌」となっており、長さも16節でなく、13節になっています(第12節「あやまらずやは真心を…」、第13節「おのづからなる天地を…」、第14節「口をひらけば嫉みあり…」がない)。『國文學』は、『伽羅文庫』の僅か20日後の発行ですが、題名は「人を戀ふる歌」となっています。また、「六分の俠氣四分の熱」が「八分の俠氣二分の熱」となっており、最後の行は「駒立てゝ觀る、日の出づる方。」となっています。
この詩の初出について筆者の丸野弥高氏は、「制作年代を31年3月以降と見るにしても、その初出原型を「伽羅文庫」本と決定するにはまだ不安が残る」としておられます。詳しくは同論文を参照してください。
なお、「石をいだきて野にうたふ芭蕉のさびをよろこばず」について、丸野氏は、「冷たい血の気のないものを相手に人の世と離れて野に歌う芭蕉の枯れた世界を退けて、憂国慨世という、なまなましい熱血の世界を追求しようというのである」としておられます。
また、「口をひらけば嫉みあり/筆をにぎれば譏りあり/友を諌めに泣かせても/猶ゆくべきや絞首臺」については、「今の世では、何か物を言っても書いても非難される。君の表現は激越だ。私がこんなに泣いてもなおやめずに国事犯に問われ絞首台にのぼる気かというのである」としておられます。
意味の取りにくいところなので、特に引用させていただきました。
   
    13.  時雨音羽著『日本歌謡集』(現代教養文庫443、昭和38年11月30日初版第1刷発行)には、次の3番までの形で歌詞が示され、「明治41年(1908)頃から学生間に歌われ、現在もつづけられている歌で、作者は明星派の詩人」と記されています。

    人を恋ふる歌  与謝野 寛 作詞

(1)妻をめとらば 才たけて
     みめうるはしく 情ある
     友をえらばば 書を読みて
     六分の俠気 四分の熱
 
(2)恋のいのちを たづぬれば
     名を惜しむかな 男の子ゆゑ
     友の情を たづぬれば
     義のあるところ 火をも踏む
 
(3)ああわれコレッジの 奇才なく
     バイロン ハイネの 熱なきも
     石をいだきて 野にうたふ
     芭蕉のさびを 喜ばず
 
引用者注:
1)歌詞の仮名づかいを、歴史的仮名づかいに改めてあります。
2)語句の読みを、現代仮名遣いで記しておきます。
 六分(りくぶ) 俠氣(きょうき) 四分(しぶ) 男の子(おのこ)
3)3番の「コレッジ」は、今は普通「ダンテ」として歌っていると思います。
4)鉄幹の詩と違うところ
 「顔うるはしく」→「みめうるはしく」
 「書を読んで」→「書を読みて」
 「をとこゆゑ」→「男の子(をのこ)ゆゑ」   
   
    14. 参考書を挙げておきます。
関良一『近代文学注釈大系 近代詩』(有精堂、昭和38年9月10日発行)
関良一「人を恋ふる歌(与謝野鉄幹『鉄幹子』)」(一)(『国文学』解釈と教材の研究、昭和39年2月号、學燈社・昭和39年2月1日発行)
関良一「人を恋ふる歌(与謝野鉄幹『鉄幹子』)」(二)(『国文学』解釈と教材の研究、昭和39年3月号、學燈社・昭和39年3月1日発行)
松村緑「鉄幹詩「人を恋ふる歌」の成立と発表誌について」(『解釈』1968年1月号、昭和43年1月1日発行)
丸野弥高「与謝野鉄幹作「人を恋ふる歌」について」(『東洋女子短期大学紀要』4巻所収、1971年9月30日発行)
   
    15.  明治32年発行の『伽羅文庫』と、明治33年発行の『紫紅集』の「友を戀ふる歌」の本文の異同を、次に示しておきます。『伽羅文庫』は部分的なルビですが、『紫紅集』は総ルビになっています。ここでは、ルビに関しては、主なものだけを取り上げてあります。
(明治32年発行の『伽羅文庫』)(明治33年発行の『紫紅集』)
  才たけて           才(さい)長(た)けて
  顔うるはしく         顔(かほ)うるはしく
  書を讀んで          書をよんで
  斟めや、うまざけ。      斟めやうま酒(さけ)
  まことのをとこ君を見る。   まことのをのこ君を見る。
  コレッヂ           コレッチ (誤植ならん)
  野に歌ふ           野にうたふ
  よろこばず          よろこばす (誤植ならん)
  小野のやまざと        小野のやま里(さと)
  むらごころ。         むらこゞろ (誤植ならん)
  それにもにたる        それにも似たる
  妻子をわすれ         妻子(さいし)をわすれ
  希望をば           希望(のぞみ)をば

 これを見れば、両者には表記と句読点の有無に違いが見られるだけで、詩句は全く同じといってよいでしょう。
 つまり、『紫紅集』の本文は、『伽羅文庫』の本文に総ルビを施し、一部、句読点を省き、表記に手を加えたもので、内容的には全く同じもの、と言えます。
 ただ、何といっても、「顔(かほ)うるはしく」と、「顔」に「かほ」というルビの付いていることが、他の本文にない特異な点と言えるでしょう。
   







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