石 川 啄 木
(一) 數日前本欄(東京朝日新聞の文藝欄)に出た「自己主張の思想としての自然主義」と題する魚住(うをずみ)氏の論文は、今日に於ける我々日本の靑年の思索的生活の半面──閑却されてゐる半面を比較的明瞭に指摘した點に於て、注意に値(あたひ)するものであつた。蓋し我々が一概に自然主義といふ名の下(もと)に呼んで來た所の思潮には、最初からして幾多の矛盾が雜然として混在してゐたに拘(かゝは)らず、今日まで未だ何等の嚴密なる檢覈(けんかく)がそれに對して加(くは)へられずにゐるのである。彼等の兩方──所謂自然主義者も又所謂非自然主義者も、早くから此矛盾を或程度までは感知してゐたに拘(かゝ)はらず、共に其「自然主義」といふ名を最初から餘りにオオソライズして考へてゐた爲(ため)に、此矛盾を根底まで深く解剖し、檢覈する事を、さうしてそれが彼等の確執(かくしつ)を最も早く解決するものなる事を忘れてゐたのである。斯くて此「主義」は既に五年の間(あひだ)間斷(かんだん)なき論爭を續けられて來たに拘(かゝは)らず、今日(こんにち)猶其最も一般的なる定義をさへ與へられずにゐる。のみならず、事實に於て既に純粹自然主義が其理論上の最後を告げてゐるに拘(かゝは)らず、同じ名の下(もと)に繰返さるゝ全く別(べつ)な主張と、それに對する無用の反駁とが、其熱心を失つた狀態を以て何時(いつ)までも繼續されてゐる。さうして凡て此等の混亂の渦中に在つて、今や我々の多くは其心内(しんない)に於て自己分裂(じこぶんれつ)のいたましき悲劇に際會してゐるのである。思想の中心を失つてゐるのである。 自己主張的傾向が、數年前我々が其新しき思索的生活を始めた當初からして、一方それと矛盾する科學的、運命論的、自己否定的傾向(純粹自然主義)と結合してゐた事は事實である。さうしてこれは屢(しばしば)後者(こうしや)の一つの屬性(ぞくせい)の如く取扱(とりあつか)はれて來たに拘(かゝは)らず、近來(純粹自然主義が彼の觀照論に於て實人生に對する態度を一決して以來)の傾向は、漸く兩者の間に溝渠の遂に越ゆべからざるを示してゐる。此(この)意味に於て、魚住氏(うをずみし)の指摘は能(よ)く其時(そのとき)を得たものといふべきである。然し我々は、それと共に或重大なる誤謬が彼(か)の論文に含まれてゐるのを看過することが出來ない。それは、論者が其指摘を一(いつ)の議論として發表する爲(ため)に──「自己主張の思想としての自然主義」を説く爲(ため)に、我々に向つて一(いつ)の虚僞を強要してゐる事である。相(あひ)矛盾せる兩傾向の不思議なる五年間の共棲(きやうせい)を我々に理解させる爲(ため)に、其處に論者が自分勝手に一つの動機を捏造してゐる事である。即ち、其共棲(きやうせい)が全く兩者共通の怨敵(をんてき)たるオオソリテイ──國家といふものに對抗する爲に政略的に行(おこな)はれた結婚であるとしてゐる事である。 それが明白なる誤謬、寧ろ明白なる虚僞(きよぎ)である事は、此處に詳(くは)しく述べるまでもない。我々日本の靑年は未だ甞て彼(か)の強權(きやうけん)に對して何等の確執をも釀(かも)した事が無いのである。從つて國家が我々に取つて怨敵(をんてき)となるべき機會も未だ甞て無かつたのである。さうして此處に我々が論者の不注意に對して是正(ぜせい)を試(こゝろ)みるのは、蓋し、今日の我々にとつて一つの新しい悲しみでなければならぬ。何故なれば、それは實に、我々自身が現在に於て有(も)つてゐる理解の猶(なほ)極めて不徹底の狀態に在る事、及び我々の今日及び今日までの境遇が彼の強權を敵とし得る境遇の不幸よりも更に一層不幸なものである事を自(みづか)ら承認する所以であるからである。 今日(こんにち)我々の中(うち)誰でも先づ心を鎭めて、彼(か)の強權と我々自身との關係を考へて見るならば、必ず其處に豫想外に大(おほ)きい疎隔(そかく)(不和ではない)の横(よこ)たはつてゐる事を發見して驚くに違ひない。實に彼(か)の日本の總(すべ)ての女子が、明治新社會の形成(けいせい)を全く男子の手に委(ゆだ)ねた結果として、過去四十年の間一に男子の奴隷として規定、訓練され(法規の上にも、敎育の上にも、將又(はたまた)實際の家庭の上にも)、しかもそれに滿足──少くともそれに抗辯する理由を知らずにゐる如く、我々靑年も亦同じ理由によつて、總て國家に就いての問題に於ては(それが今日の問題であらうと、我々自身の時代たる明日の問題であらうと)、全く父兄の手に一任してゐるのである。これ我々自身の希望、若くは便宜によるか、父兄の希望、便宜によるか、或は又兩者の共に意識せざる他の原因によるかは別として、兎も角も以上の狀態は事實である。國家てふ問題が我々の腦裡(なうり)に入(はい)つて來るのは、たゞそれが我々の個人的利害に關係する時だけである。さうしてそれが過ぎてしまへば、再び他人同志になるのである。
(二) 無論思想上の事は、必ずしも特殊の接觸、特殊の機會によつてのみ發生するものではない。我々靑年は誰しも其或時期に於て徴兵檢査の爲(ため)に非常な危惧を感じてゐる。又總(すべ)ての靑年の權利たる敎育が其一部分──富有なる父兄を有(も)つた一部分だけの特權となり、更にそれが無法なる試驗制度の爲に更に又約三分の一だけに限られてゐる事實や、國民の最大多數の食事を制限してゐる高率の租税の費途なども目撃してゐる。凡(およ)そ此等の極(ご)く普通な現象も、我々をして彼(か)の強權に對する自由討究を始めしむる動機たる性質は有(も)つてゐるに違ひない。然り、寧ろ本來に於ては我々は已(すで)に業(すで)に其自由討究を始めてゐるべき筈なのである。にも拘(かゝは)らず實際に於ては、幸か不幸か我々の理解はまだ其處まで進んでゐない。さうして其處には日本人特有の或論理(ろんり)が常に働いてゐる。 しかも今日我々が父兄に對して注意せねばならぬ點が其處に存するのである。蓋し其論理は我々の父兄の手に在る間は其國家を保護し、發達さする最(さい)重要の武器なるに拘(かゝは)らず、一度(ど)我々靑年の手に移されるに及んで、全く何人も豫期しなかつた結論に到達してゐるのである。「國家は強大でなければならぬ。我々は夫(それ)を阻害すべき何等の理由も有(も)つてゐない。但し我々だけはそれにお手傳(てつだひ)するのは御免(ごめん)だ!」これ實に今日比較的敎養ある殆ど總(すべ)ての靑年が國家と他人たる境遇に於て有ち得る愛國心の全體ではないか。さうして此結論は、特に實業界などに志す一部の靑年の間には、更に一層明晰になつてゐる。曰く、「國家は帝國主義で以て日に増(ま)し強大になつて行く。誠に結構な事だ。だから我々もよろしくその眞似をしなければならぬ。正義だの、人道だのといふ事にはお構ひなしに一生懸命儲けなければならぬ。國(くに)の爲(ため)なんて考へる暇があるものか!」 彼(か)の早くから我々の間に竄入(ざんにふ)してゐる哲學的虚無主義の如きも、亦此愛國心の一歩だけ進歩したものである事は言ふまでもない。それは一見彼(か)の強權を敵としてゐるやうであるけれども、さうではない。寧ろ當然敵とすべき者に服從した結果なのである。彼等は實に一切の人間の活動を白眼を以て見る如く、強權の存在に對しても亦全く沒交渉なのである──それだけ絶望的なのである。 かくて魚住(うをずみ)氏の所謂共通の怨敵が實際に於て存在しない事は明らかになつた。無論それは、彼(か)の敵が敵たる性質を有(も)つてゐないといふ事でない。我々がそれを敵にしてゐないといふ事である。さうして此結合(矛盾せる兩思想の)は、寧ろさういふ外部的原因からではなく、實に此兩思想の對立が認められた最初から今日に至る迄の間、兩者が共に敵を有(も)たなかつたといふ事に原因してゐるのである。(後段參照) 魚住氏は更に同じ誤謬から、自然主義者の或人々が甞て其主義と國家主義との間に或妥協を試みたのを見て、「不徹底」だと咎(とが)めてゐる。私は今論者の心持だけは充分了解することが出來る。然し既に國家が今日まで我々の敵ではなかつた以上、また自然主義といふ言葉の内容たる思想の中心が何處にあるか解らない狀態にある以上、何を標準として我々はしかく輕々しく不徹底呼ばゝりをする事が出來よう。さうして又其不徹底が、たとひ論者の所謂自己主張の思想から言つては不徹底であるにしても、自然主義としての不徹底では必ずしも無いのである。 すべて此等の誤謬は、論者が既に自然主義といふ名に含まるゝ相矛盾する傾向を指摘して置きながら、猶且それに對して嚴密なる檢覈(けんかく)を加へずにゐる所から來てゐるのである。一切の近代的傾向を自然主義といふ名によつて呼ばうとする笑ふべき「羅馬(ローマ)帝國」的妄想(ばうさう)から來てゐるのである。さうして此無定見は、實は、今日自然主義といふ名を口(くち)にする殆んど總(すべ)ての人の無定見なのである。
(三) 無論自然主義の定義は、少くとも日本に於ては、未だ定まつてゐない。從つて我々は各々其欲する時、欲する處に勝手に此名を使用しても、何處からも咎(とが)められる心配は無い。然しそれにしても思慮ある人はさう言ふ事はしない筈である。同じ町内(ちやうない)に同じ名の人が五人も十人も有つた時、それによつて我々の感ずる不便は何れだけであるか。其不便からだけでも、我々は今我々の思想其者を統一すると共に、又其名(な)にも整理を加へる必要があるのである。 見よ、花袋(くわたい)氏、藤村(とうそん)氏、天溪(てんけい)氏、抱月(はうげつ)氏、泡鳴(はうめい)氏、白鳥(はくてう)氏、今(いま)は忘られてゐるが風葉氏、靑果(せいくわ)氏、其他──すべて此等の人は皆齊(ひと)しく自然主義者なのである。さうして其各々の間には、今日既に其肩書(かたがき)以外には殆ど全く共通した點が見出(みいだ)し難いのである。無論同主義者だからと言つて、必ずしも同じ事を書き、同じ事を論じなければならぬといふ理由はない。それならば我々は、白鳥氏對(たい)藤村氏、泡鳴氏對抱月氏の如く、人生に對する態度までが全く相違してゐる事實を如何に説明すればよいのであるか。尤(もつと)も此等の人の名は既に半ば歴史的に固定してゐるのであるから仕方が無いとしても、我々は更に、現實暴露、無解決、平面描寫(べうしや)、劃(くわく)一線(せん)の態度等の言葉によつて表(あらは)された科學的、運命論的、靜止的、自己否定的の内容が、其後漸く、第一義慾とか、人生批評とか、主觀の權威とか、自然主義中の浪漫的(らうまんてき)分子とかいふ言葉によつて表(あらは)さるゝ活動的、自己主張的の内容に變つて來た事や、荷風(かふう)氏が自然主義者によつて推讃(すゐさん)の辭(じ)を贈(おく)られた事や、今度また「自己主張の思想としての自然主義」といふ論文を讀まされた事などを、どういふ手續(てつゞき)を以て承認すれば可いのであるか。其等の矛盾は、啻に一見して矛盾に見える許りでなく、見れば見る程何處迄も矛盾してゐるのである。かくて今や「自然主義」といふ言葉は、刻一刻に身體(からだ)も顔(かほ)も變つて來て、全く一箇のスフインクスに成つてゐる。「自然主義とは何ぞや?其中心は何處(いづこ)に在りや?」斯く我々が問(とひ)を發する時、彼等の中(うち)の一人でも起(た)つてそれに答へ得る者があるか。否、彼等は一樣に起つて答へるに違(ちが)ひない、全く別々な答(こたへ)を。 更に此混雜は彼等の間のみに止(とゞ)まらないのである。今日の文壇には彼等の外に別に、自然主義者といふ名を肯(がへん)じない人達がある。然し其等の人達と彼等との間には抑も何(ど)れだけの相違が有るのか。一例を擧げるならば、近き過去に於て自然主義者から攻撃を享(う)けた享樂主義と觀照論(くわんせうろん)當時の自然主義との間に、一方が稍(やゝ)贅澤(ぜいたく)で他方が稍(やゝ)つゝましやかだといふ以外に、何(ど)れだけの間隔が有るだらうか。新浪漫主義(しんらうまんしゆぎ)を唱(とな)へる人と主觀の苦悶を説く自然主義者との心境に何(ど)れだけの扞格が有るだらうか。淫賣屋から出て來る自然主義者の顔(かほ)と女郎屋から出て來る藝術至上主義者の顔と、其表(あらは)れてゐる醜惡の表情に何等かの高下(かうげ)が有るだらうか。少し例は違ふが、小説『放浪』に描(ゑが)かれたる肉靈合致の全我的活動なるものは、其論理と表象の方法が新しくなつた外に、甞て本能滿足主義といふ名の下(もと)に考量されたものと何(ど)れだけ違つてゐるだらうか。 魚住(うをずみ)氏は此一見收攬し難き混亂の狀態に對して、極めて都合の好(よ)い解釋を與へてゐる。曰く、「此の奇なる結合(自己主張の思想とデターミニスチツクの思想の)名が自然主義である」と。蓋しこれ此狀態に對する最も都合の好い、且(かつ)最も氣の利(き)いた解釋である。然し我々は覺悟しなければならぬ、此解釋を承認する上は、更に或驚く可き大罪を犯さねばならぬといふ事を。何故なれば、人間の思想は、それが人間自體に關するものなる限り、必ず何等かの意味に於て自己主張的、自己否定的の二者を出づることが出來ないのである。即ち、若し我々が今(いま)論者の言を承認すれば、今後永久に一切の人間の思想に對して、「自然主義」といふ冠詞(くわんし)を付けて呼ばねばならなくなるのである。 此論者の誤謬は、自然主義發生當時に立歸つて考へれば一層明瞭である。自然主義と稱(とな)へらるゝ自己否定的の傾向は、誰も知る如く日露戰爭以後に於て初めて徐々に起つて來たものであるに拘(かゝは)らず、一方はそれよりずつと以前──十年以前から在つたのである。新しき名は新しく起つた者に與へらるべきであらうか、果又(はたまた)それと前から在つた者との結合に與へらるべきであらうか。さうして此結合は、前にも言つた如く、兩者共(りやうしやとも)敵(てき)を有(も)たなかつた(一方は敵を有つべき性質のものでなく、一方は敵を有つてゐなかつた)事に起因してゐたのである。別の見方(みかた)をすれば、兩者の經濟的狀態の一時的共通(一方は理想を有つべき性質のものでなく、一方は理想を失つてゐた)に起因してゐるのである。さうして更に詳しく言へば、純粹自然主義は實に反省(はんせい)の形(かたち)に於て他の一方から分化したものであつたのである。 かくて此結合の結果は我々の今日迄見て來た如くである。初めは兩者共仲好(なかよ)く暮(くら)してゐた。それが、純粹自然主義にあつては單に見(み)、而(しか)して承認するだけの事を、其同棲者が無遠慮にも、行(おこな)ひ、且(か)つ主張せんとするやうになつて、其處に此不思議なる夫婦は最初の、而して最終の夫婦喧嘩を始めたのである。實行と觀照との問題がそれである。さうして其論爭によつて、純粹自然主義が其最初から限定されてゐる劃(くわく)一線(せん)の態度を正確に決定し、其理論上の最後を告げて、此處に此結合は全くFF部に於て斷絶してしまつてゐるのである。
(四) 斯くて今や我々には、自己主張の強烈な欲求が殘つてゐるのみである。自然主義發生當時と同じく、今猶理想を失ひ、方向を失ひ、出口(でくち)を失つた狀態に於て、長い間鬱積して來た其(それ)自身の力を獨りで持餘(もてあま)してゐるのである。既に斷絶してゐる純粹自然主義との結合を今猶意識しかねてゐる事や、其他すべて今日の我々靑年が有(も)つてゐる内的、自滅的傾向は、この理想喪失の悲しむべき狀態を極めて明瞭に語つてゐる。──さうしてこれは實に「時代閉塞」の結果なのである。 見よ、我々は今何處に我々の進むべき路を見出し得るか。此處に一人の靑年が有つて敎育家たらむとしてゐるとする。彼(かれ)は敎育とは、時代が其一切の所有(しよいう)を提供(ていきよう)して次の時代の爲にする犧牲だといふ事を知つてゐる。然(しか)も今日に於ては敎育はたゞ其「今日」に必要なる人物を養成する所以に過ぎない。さうして彼(かれ)が敎育家として爲(な)し得る仕事は、リーダーの一から五までを一生繰返すか、或は其他の學科の何(いづ)れも極(ご)く初歩のところを毎日々々死ぬまで講義する丈の事である。若しそれ以外の事をなさむとすれば、彼はもう敎育界にゐる事が出來ないのである。又一人の靑年があつて何等か重要なる發明を爲(な)さむとしてゐるとする。しかも今日に於ては、一切の發明は實に一切の勞力と共に全く無價値である──資本といふ不思議な勢力の援助を得ない限りは。 時代閉塞の現狀は啻にそれら個々の問題に止(とゞ)まらないのである。今日我々の父兄は、大體に於て一般學生の氣風が着實になつたと言つて喜んでゐる。しかも其着實とは單に今日の學生のすべてが其在學時代から奉職口(ほうしよくゞち)の心配をしなければならなくなったといふ事ではないか。さうしてさう着實になつてゐるに拘(かゝは)らず、毎年何百といふ官私大學卒業生が、其半分は職を得かねて下宿屋にごろごろしてゐるではないか。しかも彼等はまだまだ幸福な方(はう)である。前にも言つた如く、彼等に何十倍、何百倍する多數の靑年は、其敎育を享(う)ける權利を中途半端(ちうとはんぱ)で奪(うば)はれてしまふではないか。中途半端(ちうとはんぱ)の敎育は其人の一生を中途半端にする。彼等は實に其生涯の勤勉努力を以てしても猶且三十圓以上の月給を取る事が許されないのである。無論彼等はそれに滿足する筈がない。かくて日本には今「遊民」といふ不思議な階級が漸次其數を増しつつある。今やどんな僻村へ行つても三人か五人の中學卒業生がゐる。さうして彼等の事業は、實に、父兄の財産を食ひ滅(へら)す事と無駄話(むだばなし)をする事だけである。 我々靑年を圍繞する空氣は、今やもう少しも流動しなくなつた。強權の勢力は普(あまね)く國内に行亘(ゆきわた)つてゐる。現代社會組織(そしき)は其隅々(すみずみ)まで發達してゐる。──さうして其發達が最早(もはや)完成に近い程度まで進んでゐる事は、其制度の有する缺陷の日(ひ)一日(にち)明白になつてゐる事によつて知ることが出來る。戰爭とか豐作とか饑饉とか、すべて或偶然の出來事の發生するでなければ振興する見込の無い一般經濟界の狀態は何を語るか。財産と共に道德心をも失つた貧民と賣淫婦との急激なる増加は何を語るか。果又(はたまた)今日我邦に於て、其法律の規定してゐる罪人の數が驚くべき勢ひを以て増して來た結果、遂に見す見す其國法の適用を一部に於て中止せねばならなくなつてゐる事實(微罪不檢擧の事實、東京並びに各都市に於ける無數の賣淫婦が拘禁する場所が無い爲に半公認の狀態にある事實)は何を語るか。 斯くの如き時代閉塞の現狀に於て、我々の中最も急進的な人達が、如何なる方面に其「自己」を主張してゐるかは既に讀者の知る如くである。實に彼等は、抑(おさ)へても抑へても抑へきれぬ自己其者の壓迫に堪へかねて、彼等の入れられてゐる箱の最も板の薄い處、若くは空隙(現代社會組織の缺陷)に向つて全く盲目的に突進してゐる。今日の小説や詩や歌(うた)の殆どすべてが女郎買、淫賣買、乃至野合、姦通の記録であるのは決して偶然ではない。しかも我々の父兄にはこれを攻撃する權利はないのである。何故なれば、すべて此等は國法によつて公認、若くは半(なか)ば公認されてゐる所ではないか。 さうして又我々の一部は、「未來」を奪はれたる現狀に對して、不思議なる方法によつて其敬意と服從とを表してゐる。元祿(げんろく)時代に對する回顧がそれである。見よ、彼等の亡國的感情が、其祖先が一度遭遇した時代閉塞の狀態に對する同感と思慕とによつて、如何に遺憾なく其美(うつく)しさを發揮してゐるかを。 斯くて今や我々靑年は、此自滅の狀態から脱出する爲に、遂に其「敵」の存在を意識しなければならぬ時期に到達してゐるのである。それは我々の希望や乃至其他の理由によるのではない、實に必至である。我々は一齊(せい)に起(た)つて先づ此時代閉塞の現狀に宣戰しなければならぬ。自然主義を捨て、盲目的反抗と元祿の回顧とを罷(や)めて全精神を明日の考察──我々自身の時代に對する組織的考察に傾注しなければならぬのである。
(五) 明日の考察! これ實に我々が今日に於て爲(な)すべき唯一(ゆゐいつ)である、さうして又總(すべ)てゞある。 その考察が、如何なる方面に如何にして始めらるべきであるか。それは無論人々(にんにん)各自の自由である。然し此際に於て、我々靑年が過去に於て如何に其「自己」を主張し、如何にそれを失敗して來たかを考へて見れば、大體に於て我々の今後の方向が豫測されぬでもない。 蓋し、我々明治の靑年が、全く其父兄の手によつて造り出された明治新社會の完成の爲に有用な人物となるべく敎育されて來た間に、別に靑年自體の權利を認識し、自發的に自己を主張し始めたのは、誰も知る如く、日淸戰爭の結果によつて國民全體が其國民的自覺の勃興を示してから間(ま)もなくの事であつた。既に自然主義運動の先蹤として一部の間に認められてゐる如く、樗牛(ちよぎう)の個人主義が即ち其第一聲であつた。(さうして其際に於ても、我々はまだ彼(か)の既成(きせい)強權に對して第(だい)二者(しや)たる意識を持ち得なかつた。樗牛(ちよぎう)は後年(こうねん)彼(かれ)の友人が自然主義と國家的觀念との間に妥協を試みた如く、其日蓮論(にちれんろん)の中(なか)に彼(かれ)の主義對(たい)既成強權の壓制結婚を企てゝゐる。) 樗牛の個人主義の破滅の原因は、彼(かれ)の思想それ自身の中(うち)にあつた事は言ふまでもない。即ち彼(かれ)には、人間の偉大に關する傳習的迷信が極めて多量に含(ふく)まれてゐたと共に、一切の「既成」と靑年との間の關係に對する理解が遙かに局限的(日露戰爭以前に於(おけ)る日本人の精神的活動があらゆる方面に於て局限的であつた如く)であつた。さうして其思想が魔語(まご)の如く(彼(かれ)がニイチエを評した言葉を借りて言へば)當時の靑年を動かしたに拘(かゝは)らず、彼(かれ)が未來の一設計者たるニイチエから分(わか)れて、其迷信の偶像を日蓮といふ過去の人間に發見した時、「未來の權利」たる靑年の心は、彼の永眠を待つまでもなく、早く既に彼(かれ)を離れ始めたのである。 この失敗は何を我々に語つてゐるか。一切の「既成(きせい)」を其儘にして置いて、其中(そのなか)に、自力(じりき)を以て我々が我々の天地を新(あらた)に建設するといふ事は全く不可能だといふ事である。斯くて我々は期せずして第二の經驗──宗敎的欲求(よくきう)の時代に移つた。それは其當時に於ては前者の反動として認められた。個人意識の勃興が自(みづか)ら其跳梁に堪へられなくなつたのだと批評された。然しそれは正鵠を得てゐない。何故なれば其處にはたゞ方法と目的の場所との差違が有るのみである。自力によつて既成(きせい)の中(なか)に自己を主張せむとしたのが、他力(たりき)によつて既成(きせい)の外(そと)に同じ事を成さんとしたまでゞある。さうして此第二の經驗も見事に失敗した。我々は彼(か)の純粹にて且つ美しき感情を以て語られた梁川(りやうせん)の異常なる宗敎的實驗の報告を讀んで、其遠神淸淨(ゑんしんしやうぜう)なる心境に對して限りなき希求憧憬(きゝうしやうけい)の情を走らせながらも、又常に、彼が一個の肺病患者であるといふ事實を忘れなかつた。何時(いつ)からとなく我々の心にまぎれ込(こ)んでゐた「科學」の石(いし)の重(おも)みは、遂に我々をして九皐(きうかう)の天(てん)に飛翔する事を許さなかつたのである。 第三の經驗は言ふまでもなく純粹自然主義との結合時代である。此時代には、前の時代に於て我々の敵であつた科學は却つて我々の味方であつた。さうして此經驗は、前の二つの經驗にも増して重大なる敎訓を我々に與へてゐる。それは外ではない。「一切の美しき理想は皆虚僞である!」 かくて我々の今後の方針は、以上三次(じ)の經驗によつて略(ほゞ)限定されてゐるのである。即ち我々の理想は最早(もはや)「善」や「美」に對する空想である譯はない。一切の空想を峻拒して、其處に殘る唯(たゞ)一つの眞實──「必要」! これ實に我々が未來に向つて求むべき一切である。我々は今最も嚴密に、大膽に、自由に「今日」を硏究して、其處に我々自身にとつての「明日」の必要を發見しなければならぬ。必要は最も確實なる理想である。 更に、既に我々が我々の理想を發見した時に於て、それを如何にして如何なる處に求むべきか。「既成」の内(うち)にか、外(そと)にか。「既成」を其儘にしてか、しないでか。或は又自力によつてか、他力によつてか。それはもう言ふまでもない。今日の我々は過去の我々ではないのである。從つて過去に於ける失敗を再びする筈はないのである。 文學──彼(か)の自然主義運動の前半(ぜんぱん)、彼等の「眞實(しんじつ)」の發見と承認とが、「批評」としての刺戟を有(も)つてゐた時期が過ぎて以來、漸くたゞの記述、たゞの説話に傾いて來てゐる文學も、斯くて復(ま)た其(その)眠れる精神が目を覺して來るのではあるまいか。何故なれば、我々全靑年の心が「明日」を占領した時、其時、「今日」の一切が初めて最も適切なる批評を享(う)くるからである。時代に沒頭(ぼつとう)してゐては時代を批評する事が出來ない。私の文學に求むる所は批評である。(完)
|