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詩の本文は、『日本近代文学大系23 石川啄木集』(解説:岩城之徳、注釈:今井泰子。角川書店・昭和44年12月10日初版発行、平成元年11月10日6版発行)によりました。死の前年、明治44年(1911年)6月27日の作です。
講談社版『日本現代文学全集』39「石川啄木集」(昭和39年2月19日発行)巻末の岩城之徳氏作製の年譜によれば、「六月十五日から十七日にかけて、「はてしなき議論の後」他九編の長詩を作る。この中、一、八、九の詩を除く六編を推敲して翌月の「創作」(二巻七号)に発表した。六月二十五日「家」、二十七日「飛行機」の詩二編を追加して詩集「呼子と口笛」を計画。」とあります。
詩集『呼子と口笛』は、啄木が翌明治45年(1912年)4月13日、26歳の若さで死んだため出版されず、翌年、東雲堂書店・大正2年(1913年)5月25日発行の『啄木遺稿』に収められました。
計画された詩集『呼子と口笛』の8編の詩の題名は、次の通りです。 「はてしなき議論の後」「ココアのひと匙」「激論」「書斎の午後」「墓碑銘」「古びたる鞄をあけて」「家」「飛行機」
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『群像
日本の作家7 石川啄木』(高井有一・外著、小学館・1991年9月10日初版第1刷発行)に、『呼子と口笛』の詩稿ノート(明治44年6月下旬に作成・日本近代文学館蔵)の画像が出ています。(扉の「石川啄木アルバム」に自筆扉絵と口絵がカラーで、本文74〜89頁にモノクロ写真で詩の本文が。) |
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『日本近代文学大系23 石川啄木集』(解説:岩城之徳、注釈:今井泰子。角川書店昭和44年12月10日初版発行、平成元年11月10日6版発行)の注釈(頭注及び補注)から、この「飛行機」という詩の鑑賞の参考に、一部を引用させていただきます。
詩「飛行機」は、「作者の分身である貧しい少年の夢を飛行機に仮託して歌」ったもので、飛行機は「啄木自身を含めた人類の可能性への期待の表象」である。(同書、417頁)
この詩には、少年が「飛行機」に仮託した夢と、少年の暗い現実が意味する作者の絶望感との両者が並行して提示されている。つまり一編の主題はどちらか一方のみをいうことにはなく、両者の関係をいうことにあったのだろう。すなわちこれは、脱出しようもない人生の暗さを自覚するがゆえに、いっそうそこからの跳躍を願い、また願わなければならないと思う作者の心情を表白した詩で」ある。(同書、556頁)
なお、詳しくは同書を参照してください。 |
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資料419に、「石川啄木の詩「はてしなき議論の後」」があります。
資料417に、「石川啄木「時代閉塞の現状」(旧字・旧かな)」があります。 |
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〇石川啄木(いしかわ・たくぼく)=歌人。名は一(はじめ)。岩手県生れ。与謝野寛夫妻に師事。社会思想にめざめ、和歌の革新を志し、口語をまじえた三行書きで生活感情をゆたかに盛る。歌集「一握の砂」「悲しき玩具」のほか詩・小説・評論など。(1886〜1912)(『広辞苑』第6版による)
〇石川啄木(いしかわ・たくぼく)=(1886-1912) 歌人・詩人。岩手県生まれ。本名、一(はじめ)。与謝野鉄幹の知遇を得て明星派の詩人として出発。貧困と孤独にさいなまれながら明治末の「時代閉塞」に鋭く感応し、社会主義的傾向へ進むが、肺結核で夭折(ようせつ)。歌集「一握の砂」「悲しき玩具」、詩集「呼子と口笛」、評論「時代閉塞の現状」など。(『大辞林』第2版による) |
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6. |
岩手県盛岡市渋民に『石川啄木記念館』があります。 |
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中央大学文学部教授・渡部芳紀先生の『渡部芳紀研究室』というホームページに『石川啄木を歩く(石川啄木文学散歩)とエッセイ』というページがあります。 現在は見られないようです。(2023年10月7日) |
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8. |
『国際啄木学会』のホームページがあります。 |
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9. |
『ぶらり重兵衛の歴史探訪2』というホームページの中に、「石川啄木」が取り上げてあります。 |
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