資料304 『風雅和歌集』序(真字序・仮名序)




         
『風雅和歌集』序      

                                                       

 

夫和歌者氣象充塞乾坤意想範圍宇宙渾沌未割其理自存人物既生其製遂著風雲草木之赴於機感也萬彙入雅興之端思慮哀樂之發於景趣也一心爲諷諭之本吟詠性情美刺政各馭板吐圭瑳堙兄卩嫌也聖人之風始被一朝淺香山之辭者采女之戯也賢者之化已及四方倩憶吾朝之元由自諧二南之餘裕者乎而世迄澆漓人趣浮華不知和歌之實義偏以爲好色之媒近代之弊至於益巧益密惟以綺麗彫刻爲事竊古語假艶詞修飾而成之還暗乎大本或以鄙俚庸俗之語直述拙意不知風躰所在並以不足觀者也淳風質朴情理之本孰不拠此而暗於態度而猥取之者非述作之意閑情巧辭華麗之美何以加旃而牽於興味而苟好之者失雅正之躰又風采倣高古難兼含蓄之情句法欲揚易入細碎之失勁直則成怒張之氣妖艶亦有懦弱之病論其躰裁不遑毛擧乃如文質互備意句共到者宜忘言得旨豈假筆舌盡乎惣而謂之不達其本源者多溺彼末流焉只須染志於古風不可假歩於邪徑者耶三代集以後得其意者僅不過數輩其或有昇堂不入室況頃年以來哉歎息有餘爲救此頽風迥温元久故事適合風雅者鳩集而成編天下無可棄之言故博采遍訪自上古至當世集而録之命曰風雅和歌集茲惟握圖自推運數脱蹤不爲胆舁炎有萬機渉諮詢既而得三漏多間暇矧復煙氣早收春馬徒逸華山之風霜刑不用秋荼空朽草野之露衆功已興庶績方熙雖片善而必擧傷一物之失所故嗟此道久廢俗流不分痾禄螳瞥此撰非偏採華詞麗藻兮壯一時之觀專欲擧正風雅訓兮遺千載之美者也于時貞和二年十一月九日概立警策因記大綱云爾

 

 

 

 

 

   ※ 「澆漓」は、原文はサンズイが酉(酉+堯、酉+離−隹)になっています。

    

 

 

やまとうたは、あめつちいまだひらけざるよりそのことわりおのづからあり、人のしわざさだまりてのち、このみちつひにあらはれたり、世をほめ時をそしる、雲風につけてこころざしをのぶ、よろこびにあひうれへにむかふ、花鳥をもてあそびておもひをうごかす、ことばかすかにしてむねふかし、まことに人の心をただしつべし、下ををしへ上をいさむ、すなはちまつりごとのもととなる、難波津の君にそへし歌はあめのしたの風をかけ、あさか山のうねめのたはぶれはよものたみの心をやはらぐ、やまとことばのあさはかなるににたれども、周雅のふかきみちにひとしかるべし、かるがゆゑに代代のひじりのみかどもこれをすてたまはず、めに見えぬおに辰里海海蹐砲發よふは此歌なり、しかるを、世くだりみちおとろへゆきしより、いたづらに色をこのむなかだちとなりて國ををさむるわざをしらず、いはむや又ちかき世となりてよものことわざすたれ、まことすくなくいつはりおほくなりにければ、ひとへにかざれるすがたたくみなる心ばせをむねとして、いにしへの風は殘らず、或はふるきことばをぬすみいつはれるさまをつくろひなして、さらにそのもとにまどふ、又こころをさきとすとのみしりて、ひなびたるすがただみたることのはにておもひえたる心ばかりをいひあらはす、ただしき心すなほなることばはいにしへのみちなり、まことにこれをとるべしといへども、ことわりにまよひてしひてまなばば、すなはちいやしきすがたとなりなむ、艶なる躰、たくみなる心、優ならざるにあらず、もし本意をわすれてみだりにこのまば、このみちひとへにすたれぬべし、かれもこれもたがひにまよひて、いにしへのみちにはあらず、あるいはすがたたかからんとすればその心たらず、ことばこまやかなればそのさまいやし、えんなるはたはれすぎ、つよきはなつかしからず、すべてこれをいふに、そのことわりしげきことのはにてのべつくしがたし、むねをえてみづからさとりなむ、おほよそ出雲八雲の色にこころざしをそめ、和歌の浦なみに名をかくる人人、ながれての世にたえずして、おのおのおもひの露ひかりをみがきて玉をつらね、ことばの花にほひをそへてにしきをおるとのみおもひあへるうちに、まことの心をえて歌のみちをしれる人はなほかずすくなくなむありける、なにはのあしのあしよしわけがたく、かたいとのひきひきにのみあらそひあひて、みだりがはしくなりにけり、たれかこれをいたまざらんや、ただふるきすがたをしたひ、ただしきみちをまなばば、おのづからそのさかひに入りぬべし、そもそもむかしはあまつ日つぎをうけて、ももしきのうちしげきことわざにまぎれすぐししを、いまはちりのほかはこやの山しづかなるすまひをしめながら、なほ天のしたよろづのまつりごとをききて、つとにおきよはにいぬるいとまなし、しかるをこのごろ八のみだれしちりもをさまりて、野がひのこまもとりつながず、よもの海あらかりし浪もしづまりて、ふなわたしするみつぎ物たえずなりにければ、よろづのみちのおとろへ、よものことわざのすたるるをなげく、これによりて元久のむかしのあとを尋ねて、ふるきあたらしきことば、めにつき心にかなふをえらびあつめてはたまきとせり、なづけて風雅和歌集といふ、これ、色にそみなさけにひかれてめのまへの興をのみおもふにあらず、ただしき風いにしへのみちすゑの世にたえずして、人のまどひをすくはむがためなり、時に貞和二年十一月九日になむしるしをはりぬる、このたびかくえらびおきぬれば、はまちどりひさしきあとをとどめ、うらのたまもみがけるひかりをのこして、あしはらやみだれぬかぜ代代にふきつたへ、しきしまのただしきみちをたづねむのちのともがら、まよはぬしるべとならざらめかも

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     (注) 1. 上記の『風雅和歌集』序(真字序・仮名序)は、『新編国歌大観』第1巻・勅撰集
           編 歌集(角川書店、昭和58年2月初版、昭和60年6月15日3版発行)の『風雅
           和歌集』によりました。ただし、文中の常用漢字を旧漢字に改めてありますが、旧
           漢字が正しく原本(底本)の元の字になっているかどうかは確認してありませんの
           で、厳密を要する場合は、直接原本(底本)に当たってくださるようお願いいたしま
           す。また、真字序に施してあった読点は、ここでは省略してあります。
          2. 真字序にある「脱蹤不爲胆隋廚痢幎А廚蓮◆
」が正しいと、岩佐美代子著『風
           雅和歌集全注釈 上巻』
(風間書院、2002年12月25日初版第1刷発行)にあります。
            (上の「
」と、仮名序の中の「」の文字は、“島根県立大学e漢字フォント”
           を利用させていただきました。)           
          3. 『新編国歌大観』の解題によれば、底本は九州大学附属図書館蔵細川文庫
           本(544・フ・28)。宇土細川家に伝存した写本で、上下2冊、歌数2210首。
           歌数2211首のものに比べると、秋歌上478の永福門院の1首を欠いている
           そうです。
(478 真萩ちる庭の秋風身にしみて夕日の影ぞ壁に消えゆく 永福門院)
            『風雅和歌集』の伝本は、序文の位置、歌数等によっておよそ3系統に大別
           されるとのことです。
             1類=正保板本以下の諸板本に代表される流布本系統本で、仮名序を巻頭、
               真名序を本文末尾に置き、歌数は2211首。
             2類=巻頭に真名序・仮名序があり、恋歌四・神祇歌にそれぞれ1首多く、総
               歌数は2213首。書陵部蔵桂宮本などがこれに属する。
             3類=巻頭に真名序・仮名序があり、歌数が2211首のもの。書陵部蔵兼右
               筆本などがこれに属する。       
 (『新編国歌大観』の解題による。)
          4. 『新編国歌大観』の凡例には、表記について、読みやすさへの配慮から、変
           体仮名を普通の仮名に改め、仮名遣いは歴史的仮名遣いに統一し、活用語
           の漢字に必要に応じて送り仮名を加え、漢字表記の助詞・助動詞を平仮名に
           改め、反復記号は用いず、清濁を区別して示し、序・詞書に適宜読点を打つな
           どの処置をとった、とあります。(詳しくは同書の「凡例」を参照のこと。)
          5. 『風雅和歌集』序(真字序・仮名序)は、花園院が撰者光厳院の立場で起草
           したものだそうです。序についての詳しい注釈は、岩佐美代子著『風雅和歌集
           全注釈 上巻』
(風間書院、2002年12月25日初版第1刷発行)をご覧ください。
          5. 風雅和歌集(ふうがわかしゅう)=勅撰和歌集。二十一代集の一つ。20巻。
                 和漢両序がある。花園法皇の監修、光厳上皇が1344年(康永3)
                 着手し、49年(貞和5)頃完成。歌数約2200首。玉葉集を受け京
                 極派歌風を発展。風雅集。         
(『広辞苑』第6版による。)
          6. フリー百科事典『ウィキペディア』に、「風雅和歌集」の項目があります。  
          7. 光厳天皇(こうごん・てんのう)=鎌倉末期の天皇。後伏見天皇の皇子。名は
                  量仁
かずひと。元弘の乱で後醍醐天皇の笠置落ち後、鎌倉幕府の申
                  入れをうけ、後伏見上皇の院宣により践祚。建武新政で廃されたが、
                  1336年(建武3)足利尊氏の奏請で弟の光明天皇を即位させ、院
                  政を開始。のち出家。(在位
1331−1333)(1313〜1364
                                            
(『広辞苑』第6版による。)
            光厳天皇(こうごんてんのう)=1313−64(正和2−貞治3) 北朝第1代。
                 在位1331−33。後伏見天皇の第1皇子。母は藤原寧子。名は量
                 仁、法名勝光智・無範和尚。1326(嘉暦1)後醍醐天皇の皇太子
                 となり、31(元弘1)9月北条高時に擁立されて践祚。33(元弘3)
                 5月北条氏の滅亡により退位し太上天皇となる。36(建武3)足利
                 尊氏の奏請で弟光明天皇が即位し、上皇は院政を開き、51(観応
                 2)に至る。52(文和1)後村上天皇の行宮に移り落飾、禅道にはい
                 る。和漢儒仏の学に詳しく宸記などをのこした。陵墓は京都府北桑
                 田郡山国陵。
              光厳院宸記(こうごんいんしんき)=現存3巻。光厳天皇の日記。1332(元弘
                  2・正慶1) 1・2・3・5・6月の記事の断簡で、正月の朝儀、即位、琵
                 琶の名器玄象・牧馬の弾奏のことなどが記されている。
                                   
(以上、『角川日本史辞典』第2版による。)   
          8. フリー百科事典『ウィキペディア』に、「光厳天皇」という項目があります。
          9. 『風雅和歌集全注釈(上・中・下巻)』(岩佐美代子著、笠間書院刊、2002〜
           2004年)があります。
              
『風雅和歌集全注釈 上巻 』 笠間注釈叢刊34  2002年12月初版発行
              『風雅和歌集全注釈 中巻 』 笠間注釈叢刊35  2003年 9月初版発行
              『風雅和歌集全注釈 下巻 』 笠間注釈叢刊36  2004年 3月初版発行
          10. 資料302に『光厳院御集』があります。

 

 


 
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