資料303『風雅和歌集』所収の光厳院の和歌




      『風雅和歌集』所収の    光厳院の和歌      

新国歌大観番号        和      歌  
       霞を                   太上天皇  
  1      20  あまの原おほふ霞ののどけきに春なる色のこもるなりけり  (春上)
       春の御歌の中に  
     89 我がながめなににゆづりて梅の花さくらもまたでちらんとすらむ (春上)
       百首歌中に  
   129 つばくらめすだれの外にあまたみえて春日のどけみ人かげもせず (春中)
        百首歌に  
   176 かをりにほひのどけき色を花にもて春にかなへるさくらなりけり  (春中)
        百首御歌の中に  
   266 みな底のかはづの聲も物ふりて木ぶかき池の春のくれがた (春下)
        百首歌の中に  
   293 このごろの藤やまぶきの花ざかりわかるるはるもおもひおくらん  (春下)
        夏御歌に  
   356 風わたるたのものさなへ色さめて入日のこれるをかの松原   (夏)
        百首歌の中に  
   471 ふけぬなりほしあひの空に月は入りて秋風うごく庭のともし火 (秋上)
        百首歌の中に  
   511 川とほき夕日の柳きしはれてさぎのつばさに秋かぜぞふく  (秋上)
        百首歌の中に  
10    579 草むらの虫のこゑよりくれそめてま砂のうへぞ月になりぬる  (秋中)
        秋野に       
11    646 ぬれておつるきりのかれ葉は音おもみ嵐はかろき秋のむらさめ  (秋下)
        時雨を  
12    730 夕日さすおち葉がうへにしぐれすぎて庭にみだるるうき雲のかげ (冬)
        冬歌の中に  
13    880 さむからし民のわらやをおもふにはふすまの中の我もはづかし (冬)
        戀歌の中に  
14   1025 我はおもひ人にはしひていとはるるこれをこの世のちぎりなれとや (恋一)
        百首歌の中に  
15   1121 たまさかの夜をさへわくるかたのあれや鳥のねをだにきかぬわかれぢ (恋ニ)
        百首歌に  
16   1179 それまでは思ひいれずやとおもふ人のうらむるふしぞさてはうれしき (恋三)
        百首歌の中に  
17   1190 世世のちぎりいかがむすびしとおもふたびにはじめてさらに人のかなしき  (恋三)
        戀御歌の中に  
18   1240 まちすぐす月日のほどをあぢきなみたえなんとてもたけからじ身を (恋四)
        戀歌とてよませ給ひける  
19   1252 いふきははおよばぬうさのそこふかみあまるなみだをことのはにして (恋四)
        百首歌に  
20   1328 戀しともなにかいまはとおもへどもただこのくれをしらせてしかな (恋五)
        百首歌の中に  
21   1376 しらざりしふかきかぎりはうつりはつる人にて人のみえけるものを (恋五)
        冬歌の中に   
22   1608 ふりうづむ雪に日かずはすぎのいほたるひぞしげき山かげの軒  (雑上)
        雜歌の中に    
23   1629 夜がらすはたかき木ずゑになきおちて月しづかなるあかつきの山 (雑中)
24   1630 鐘のおとに夢はさめぬる後にしも更にさびしきあかつきの床 (雑中)
        雜御歌に    
25   1645 夕日かげたのもはるかにとぶさぎのつばさのほかに山ぞくれぬる (雑中)
        五首歌合に、雜遠江  
26   1690 雲かかるとほ山まつはみえずなりてまがきの竹に雨こぼるなり (雑中)
    雜歌の中に 
27   1797 てりくもりさむきあつきも時として民にこころのやすむ間もなし (雑下)
        百首歌の中に  
28   1807 をさまらぬ世のための身ぞうれはしき身のための世はさもあらばあれ (雑下)
        川を  
29   2112 よどみしも又たちかへるいすず川ながれのすゑは神のまにまに (神祇)
        神祇を  
30   2134 たのむまこと二なければいはし水ひとつながれにすむかとぞ思ふ (神祇)
        百首歌に  
31   2135 いのる事わたくしにてはいはし水にごりゆく世をすませとぞおもふ (神祇)


  (注) 1.  上記の『風雅和歌集』所収の光厳院の和歌31首は、『新編国歌大観』第1巻・勅撰集編 歌集(角川書店、昭和58年2月初版、昭和60年6月15日3版発行) の『風雅和歌集』によりました。ただし、和歌の常用漢字を旧漢字に改めてあります。           
    2.   『新編国歌大観』の解題によれば、底本は九州大学附属図書館蔵細川文庫本(544・フ・28)。宇土細川家に伝存した写本で、上下2冊、歌数2210首。歌数2211首のものに比べると、秋歌上478の永福門院の1首を欠いているそうです。(478 真萩ちる庭の秋風身にしみて夕日の影ぞ壁に消えゆく 永福門院)
 『風雅和歌集』の伝本は、序文の位置、歌数等によっておよそ3系統に大別されるとのことです。
 1類=正保板本以下の諸板本に代表される流布本系統本で、仮名序を巻頭、真名序を本文末尾に置き、歌数は2211首。
 2類=巻頭に真名序・仮名序があり、恋歌四・神祇歌にそれぞれ1首多く、総歌数は2213首。書陵部蔵桂宮本などがこれに属する。  
 3類=巻頭に真名序・仮名序があり、歌数が2211首のもの。書陵部蔵兼右筆本などがこれに属する。(『新編国歌大観』の解題による。)
   
    3.   『新編国歌大観』の凡例には、表記について、読みやすさへの配慮から、変体仮名を普通の仮名に改め、仮名遣いは歴史的仮名遣いに統一し、活用語の漢字に必要に応じて送り仮名を加え、漢字表記の助詞・助動詞を平仮名に改め、反復記号は用いず、清濁を区別して示し、序・詞書に適宜読点を打つなどの処置をとった、とあります。(詳しくは同書の「凡例」を参照のこと。)    
    4.   〇風雅和歌集(ふうがわかしゅう)=勅撰和歌集。二十一代集の一つ。20巻。和漢両序がある。花園法皇の監修、光厳上皇が1344年(康永3)着手し、49年(貞和5)頃完成。歌数約2200首。玉葉集を受け京極派歌風を発展。風雅集。 (『広辞苑』第6版による。)    
    5.  フリー百科事典『ウィキペディア』に、「風雅和歌集」の項目があります。    
6.   〇光厳天皇(こうごん・てんのう)=鎌倉末期の天皇。後伏見天皇の皇子。名は量仁かずひと。元弘の乱で後醍醐天皇の笠置落ち後、鎌倉幕府の申入れをうけ、後伏見上皇の院宣により践祚。建武新政で廃されたが、1336年(建武3)足利尊氏の奏請で弟の光明天皇を即位させ、院政を開始。のち出家。(在位1331-1333)(1313~1364)(『広辞苑』第6版による。)
 〇光厳天皇(こうごんてんのう)=1313-64(正和2-貞治3) 北朝第1代。在位1331-33。後伏見天皇の第1皇子。母は藤原寧子。名は量仁、法名勝光智・無範和尚。1326(嘉暦1)後醍醐天皇の皇太子となり、31(元弘1)9月北条高時に擁立されて践祚。33(元弘3)5月北条氏の滅亡により退位し太上天皇となる。36(建武3)足利尊氏の奏請で弟光明天皇が即位し、上皇は院政を開き、51(観応2)に至る。52(文和1)後村上天皇の行宮に移り落飾、禅道にはいる。和漢儒仏の学に詳しく宸記などをのこした。陵墓は京都府北桑田郡山国陵。
 〇光厳院宸記(こうごんいんしんき)=現存3巻。光厳天皇の日記。1332(元弘2・正慶1) 1・2・3・5・6月の記事の断簡で、正月の朝儀、即位、琵琶の名器玄象・牧馬の弾奏のことなどが記されている。(以上、『角川日本史辞典』第2版による。)
    7.   フリー百科事典『ウィキペディア』に、「光厳天皇」という項目があります。    
    8.  〇『風雅和歌集全注釈(上・中・下巻)』(岩佐美代子著、笠間書院刊、2002~2004年)があります。
 『風雅和歌集全注釈 上巻 』 笠間注釈叢刊34  2002年12月初版発行
 『風雅和歌集全注釈 中巻 』 笠間注釈叢刊35  2003年 9月初版発行
 『風雅和歌集全注釈 下巻 』 笠間注釈叢刊36  2004年 3月初版発行
   
    9.   資料302に『光厳院御集』があります。    
    10.  資料304に『風雅和歌集』序(真字序・仮名序)があります。    








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