資料151 道元禅師「普勧坐禅儀」(原文と訓読文)




 

普勸坐禪儀            觀音導利興聖寶林寺沙門道元 撰


原夫道本圓通、爭假修證。宗乘自在、何費功夫。況乎全體逈出塵埃兮、孰信拂拭之手段。大都不離當處兮、豈用修行之脚頭者乎。然而毫釐有差天地懸隔、違順纔起紛然失心。直饒誇會豐悟兮、獲瞥地之智通、得道明心兮、擧衝天之志氣、雖逍遙於入頭之邊量、幾虧闕於出身之活路。矧彼祇薗之爲生知兮、端坐六年之蹤跡可見。少林之傳心印兮、面壁九歳之聲名尚聞。古聖既然、今人盍辦。所以須休尋言逐語之解行、須學囘光返照之退歩。身心自然脱落、本來面目現前。欲得恁麼事、急務恁麼事。夫參禪者、靜室宜焉、飲飡節矣。放捨諸縁、休息萬事。不思善惡、莫管是非。停心意識之運轉、止念想觀之測量。莫圖作佛、豈拘坐臥乎。尋常坐處、厚敷坐物、上用蒲團。或結跏趺坐、或半跏趺坐。謂、結跏趺坐、先以右足安左上、左足安右上。半跏趺坐、但以左足壓右矣。寛繋衣帶、可令齊整。次右手安左足上、左掌安右掌上。兩大拇指、面相拄矣。乃正身端坐、不得左側右傾、前躬後仰。要令耳與肩對、鼻與臍對。舌掛上腭、脣齒相著。目須常開。鼻息微通。身相既調、欠氣一息、左右搖振。兀兀坐定、思量箇不思量底。不思量底、如何思量、非思量、此乃坐禪之要術也。所謂、坐禪非習禪也、唯是安樂之法門也、究盡菩提之修證也。公案現成、籮籠未到。若得此意、如龍得水、似虎靠山。當知、正法自現前、昏散先撲落。若從坐起、徐徐動身、安祥而起、不應卒暴。嘗觀、超凡越聖、坐脱立亡、一任此力矣。況復拈指竿針鎚之轉機、擧拂拳棒喝之證契、未是思量分別之所能解也、豈爲神通修證之所能知也。可爲聲色之外威儀、那非知見前軌則者歟。然則不論上智下愚、莫簡利人鈍者。專一功夫、正是辦道。修證自不染汙、趣向更是平常者也。凡夫自界他方、西天東地、等持佛印、一擅宗風。唯務打坐、被礙兀地。雖謂萬別千差、祗管參禪辦道。何抛卻自家之坐牀、謾去來他國之塵境。若錯一歩、當面蹉過。既得人身之機要、莫虚度光陰。保任佛道之要機、誰浪樂石火。加以、形質如草露、運命似電光。倐忽便空、須臾即失。冀其參學高流、久習摸象勿怪眞龍。精進直指端的之道、尊貴絶學無爲之人。合沓佛佛之菩提、嫡嗣祖祖之三昧。久爲恁麼、須是恁麼、寶藏自開、受用如意。

 


 

 

普勧坐禅儀 訓読文

(たず)ぬるに、夫(そ)れ道本円通(どうもとえんづう)、争(いか)でか修証(しゅしょう)を仮(か)らん。宗乗(しゅうじょう)自在、何ぞ功夫(くふう)を費(ついや)さん。況んや全体逈(はる)かに塵埃(じんない)を出(い)づ、孰(たれ)か払拭(ほっしき)の手段を信ぜん。大都(おおよそ)当処(とうじょ)を離れず、豈に修行の脚頭(きゃくとう)を用ふる者ならんや。然(しか)れども、毫釐(ごうり)も差(しゃ)有れば、天地懸(はるか)に隔り、違順(いじゅん)(わず)かに起れば、紛然として心(しん)(の)失す。直饒(たとい)、会(え)に誇り、悟(ご)に豊かに、瞥地(べつち)の智通(ちつう)を獲(え)、道(どう)を得、心(しん)(の)明らめて、衝天の志気(しいき)を挙(こ)し、入頭(にっとう)の辺量に逍遥すと雖も、幾(ほと)んど出身の活路を虧闕(きけつ)す。矧(いわ)んや彼(か)の祇薗(ぎおん)の生知(しょうち)たる、端坐六年の蹤跡(しょうせき)見つべし。少林の心印を伝(つた)ふる、面壁九歳(めんぺきくさい)の声名(しょうみょう)、尚ほ聞こゆ。古聖(こしょう)、既に然り。今人(こんじん)(なん)ぞ辦ぜざる。所以(ゆえ)に須(すべか)らく言(こと)を尋ね語を逐ふの解行(げぎょう)を休すべし。須らく囘光返照(えこうへんしょう)の退歩を学すべし。身心(しんじん)自然(じねん)に脱落して、本来の面目(めんもく)現前(げんぜん)せん。恁麼(いんも)の事(じ)を得んと欲せば、急に恁麼の事(じ)を務(つと)めよ。
夫れ参禅は静室
(じょうしつ)宜しく、飲飡(おんさん)[飲食(おんじき)]節あり、諸縁を放捨し、万事を休息して、善悪(ぜんなく)を思はず、是非を管すること莫(なか)れ。心意識の運転を停(や)め、念想観の測量(しきりょう)を止(や)めて、作仏を(と)図ること莫(なか)れ。豈に坐臥に拘(かか)はらんや。尋常(よのつね)、坐処には厚く坐物(ざもつ)(と)敷き、上に蒲団を用ふ。或(あるい)は結跏趺坐、或は半跏趺坐。謂はく、結跏趺坐は、先づ右の足を以て左の(もも)の上に安じ、左の足を右の(もも)の上に安ず。半跏趺坐は、但(ただ)左の足を以て右の(もも)を圧(お)すなり。寛(ゆる)く衣帯(えたい)を繋(か)けて、斉整(せいせい)ならしむべし。次に、右の手を左の足の上に安(あん)じ、左の掌(たなごころ)を右の掌の上に安ず。兩(りょう)の大拇指(だいぼし)、面(むか)ひて相(あい)(さそ)ふ。乃(すなわ)ち、正身端坐(しょうしんたんざ)して、左に側(そばだ)ち右に傾き、前に躬(くぐま)り後(しりえ)に仰ぐことを得ざれ。耳と肩と対し、鼻と臍(ほぞ)と対せしめんことを要す。舌、上の腭(あぎと)に掛けて、脣歯(しんし)(あい)著け、目は須らく常に開くべし。鼻息(びそく)、微かに通じ、身相(しんそう)既に調へて、欠気一息(かんきいっそく)し、左右搖振(ようしん)して、兀兀(ごつごつ)として坐定(ざじょう)して、箇(こ)の不思量底を思量せよ。不思量底(ふしりょうてい)、如何(いかん)が思量せん。非思量。此れ乃ち坐禅の要術なり。
所謂
(いわゆる)坐禅は、習禅には非ず。唯、是れ安楽の法門なり。菩提を究尽(ぐうじん)するの修證(しゅしょう)なり。公案現成(こうあんげんじょう)、籮籠(らろう)未だ到らず。若(も)し此の意を得ば、龍の水を得たるが如く、虎の山に靠(よ)るに似たり。當(まさ)に知るべし、正法(しょうぼう)(おのずか)ら現前し、昏散(こんさん)先づ撲落(ぼくらく)することを。若し坐より起(た)たば、徐々として身を動かし、安祥(あんしょう)として起つべし。卒暴(そつぼう)なるべからず。嘗て観る、超凡越聖(ちょうぼんおつしょう)、坐脱立亡(ざだつりゅうぼう)も、此の力に一任することを。況んや復た指竿針鎚(しかんしんつい)を拈(ねん)ずるの転機、払拳棒喝(ほっけんぼうかつ)を挙(こ)するの証契(しょうかい)も、未(いま)だ是れ思量分別の能く解(げ)する所にあらず。豈に神通修証(じんずうしゅしょう)の能く知る所とせんや。声色(しょうしき)の外(ほか)の威儀たるべし。那(なん)ぞ知見の前(さき)の軌則(きそく)に非ざる者ならんや。然(しか)れば則ち、上智下愚を論ぜず、利人鈍者を簡(えら)ぶこと莫(な)かれ。専一(せんいつ)に功夫(くふう)せば、正に是れ辦道なり。修証(しゅしょう)は自(おの)づから染汙(せんな)せず、趣向更に是れ平常(びょうじょう)なる者なり。
(およ)そ夫れ、自界他方、西天東地(さいてんとうち)、等しく仏印(ぶつちん)を持(じ)し、一(もっぱ)ら宗風(しゅうふう)を擅(ほしいまま)にす。唯、打坐(たざ)を務めて、兀地(ごっち)に礙(さ)へらる。万別千差(ばんべつせんしゃ)と謂ふと雖も、祗管(しかん)に参禅辦道すべし。何ぞ自家(じけ)の坐牀(ざしょう)を抛卻(ほうきゃく)して、謾(みだ)りに他国の塵境に去来せん。若し一歩を錯(あやま)らば、当面に蹉過(しゃか)す。既に人身(にんしん)の機要を得たり、虚しく光陰を度(わた)ること莫(な)かれ。仏道の要機を保任(ほにん)す、誰(たれ)か浪(みだ)り石火を楽しまん。加以(しかのみならず)、形質(ぎょうしつ)(た)草露の如く、運命は電光に似たり。倐忽(しくこつ)として便(すなわ)ち空(くう)じ、須臾(しゅゆ)に即ち失(しっ)す。冀(こいねが)はくは其れ参学の高流(こうる)、久しく摸象(もぞう)に習つて、真龍を怪しむこと勿(なか)れ。直指(じきし)端的の道(どう)に精進し、絶学無為の人を尊貴し、仏々(ぶつぶつ)の菩提に合沓(がっとう)し、祖々の三昧(ざんまい)を嫡嗣(てきし)せよ。久しく恁麼(いんも)なることを為さば、須(すべか)らく是れ恁麼なるべし。宝蔵自(おのずか)ら開けて、受用(じゅよう)如意(にょい)ならん。

 

 

 

    (注) 1. 上記の本文(原文)は、『永平広録 下巻』(道元著、石井恭二・訓読・注釈・現
           代文訳、
河出書房新社、2005年7月30日初版発行)によりました。
           また、訓読文は、『道元禪師全集 第五巻』(1989年、春秋社刊)その他を参
          照して記載しました。訓読文の漢字は常用漢字に改め、読み仮名は現代仮名
          遣いにしてあります。
         2. 本文中及び訓読文中の 「」の漢字は、「島根県立大学e漢字フォント」を使用
          させていただきました。 「
月(肉づき)+「坒」)は、音ヒ、 もも(股)の意です。
        3. 本文(原文)中に「飲飡節矣」とある「飲飡
(オンサン)」は、通常「飲食(オンジキ)
          と読誦している由です。訓読文中には「飲飡
(おんさん)[飲食(おんじき)]節あり」
          としてあります。
        4.「道元禅師 『普勧坐禅儀』(訓読と現代語訳)」資料235にあります。これは、
         ルビつきです。「ルビつきの本文」がうまく表示できない場合は、「括弧入り読み」
         の本文(資料235.5)をご覧下さい。  
          「ルビつきの本文」:資料235「道元禅師 『普勧坐禅儀』(訓読と現代語訳)」の
          文字を少し大きくした本文が、資料235.111にありますので、ご利用下さい。
        5. 『仏教悩み相談室』というホームページの中に、「普勧坐禅儀」の書き下し文と
         現代語訳がありますので、ご覧ください。
        6. 『坐禅(沙門 尾崎正覚のホームページ)』の中に「普勧坐禅儀」についてのペー
         ジがあり、『普勧坐禅儀(流布本─訓み下し文)』『普勧坐禅儀の本文解説』など
         があって参考になります。
        7. 講談社学術文庫に『道元「小参・法語・普勧坐禅儀」』(大谷哲夫・全訳注、2006
         年6月10日発行)があります。ここに、「普勧坐禅儀」の「本文」・「訓読文」
(『祖山本
          
(そざんぼん)永平広録』による訓読)・「現代語訳」・「語義」・「解説」が出ています。
         8. 曹洞宗公式サイト『曹洞宗』の中に、「一仏両祖」のページがあり、そこで道元
           禅師の肖像画と解説が見られます。 
          
           
 『曹洞宗』TOPページの「曹洞宗とは」にカーソルを当てて、「一仏両祖」をクリック
                                 →  「一仏両祖」
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. 曹洞宗第二道場といわれる福井県大野市にある宝慶寺の寺宝の一つに、「道元
         禅師図像」という画像があります。この画像上部に観月の自賛があるところから「観
         月の像」とも称される画像です。ネットで「道元禅師観月の像」で検索すると幾つか
         出
て来ますが、ここには『福井の文化財』というサイトに出ている画像を挙げておき
         ます。(画面が小さく、暗いのが気になりますが。)

 
                『福井の文化財』 → 「道元禅師図像」(道元禅師観月の像)

 



                                   
                                            
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