資料518 香厳撃竹・霊雲桃花 (『正法眼蔵』溪声山色)




         香嚴撃竹   (『正法眼藏』溪聲山色)
               
          
 又香嚴智閑(きやうげんしかん)禪師、かつて大潙大圓(だいゐだいゑん)禪師の會(ゑ)に學道せしとき、大潙いはく、「なんぢ聰明博解(そうみやうはくげ)なり。章疏(しやうしよ)のなかより記持(きぢ)せず、父母未生已前(ぶもみしやういぜん)にあたりて、わがために一句を道取(だうしゆ)しきたるべし。」
 香嚴、いはんことをもとむること數番(スバン)すれども不得(ふて)なり。ふかく身心をうらみ、年來たくわ〔は〕ふるところの書籍(しよジヤク)を披尋(ひじん)するに、なを〔ほ〕茫然(ばうぜん)なり。つゐ〔ひ〕に火をもちて年來あつむる書をやきていはく、「畫(ゑ)にかけるもちい〔ひ〕は、うゑをふさぐにたらず。われちかふ、此生(ししやう)に佛法を會(ゑ)せむことをのぞまじ、たゞ行粥飯僧(あんしゆくはんぞう)とならん。」といゝ〔ひ〕て、行粥飯(あんしゆくはん)して年月をふるなり。行粥飯僧といふは、衆僧(しゆぞう)に粥飯を行益(あんいつ)するなり。このくにの陪饌役送(ばいせんやくそう)のごときなり。
 かくのごとくして大潙にまふ〔う〕す、「智閑(しかん)は心神昏昧(しんしんこんまい)にして道不得(だうふて)なり。和尚わがためにいふべし。」
 大潙のいはく、「われ、なんぢがためにいはんことを辭せず。おそらくはのちになんぢわれをうらみん。」
 かくて年月をふるに、大證國師の蹤跡をたづねて武當山にいりて、國師の庵のあとにくさをむすびて爲庵(ゐあん)す。竹をうゑてともとしけり。あるとき、道路を併淨(ヒンジヤウ)するちなみに、かわ〔は〕らほどばしりて竹にあたりて、ひゞきをなすをきくに、豁然(くわつねん)として大悟(だいご)す。沐浴し、潔齊して、大潙山にむかひて燒香禮拜(せうかうらいはい)して、大潙にむかひてまふ〔う〕す、「大潙大和尚、むかしわがためにとくことあらば、いかでかいまこの事あらん。恩のふかきこと、父母(ぶも)よりもすぐれたり。」つゐ〔ひ〕に偈をつくりていはく、
 「一撃亡所知、 《一撃(いちぎやく)に所知を亡ず、
  更不自修治。 更に自ら修治(しゆぢ)せず。
  動容揚古路、 動容古路を揚ぐ、
  不墮悄然機。 悄然の機に墮(お)ちず。
  處々無蹤跡、 處々蹤跡無し、
  聲色外威儀。 聲色外(しやうしきぐわい)の威儀(ゐぎ)なり。
  諸方達道者、 諸方達道の者、
  咸言上々機。 咸(ことごと)く上々の機と言ふ》。」
 この偈(げ)を大潙に呈す。大潙いはく、「此子徹也(ししてつや)。」



      靈雲桃花    (『正法眼藏』溪聲山色)

 又靈雲志勤(しきん)禪師は、三十年の辦道なり。あるとき、遊山(ゆさん)するに、山脚(さんきやく)に休息して、はるかに人里(にんり)を望見(ばうけん)す。ときに春なり。桃花(たうくわ)のさかりなるをみて、忽然(こつねん)として悟道す。偈をつくりて大潙(だいゐ)に呈するにいはく、 
「三十年來尋劒客、 《三十年來尋劒の客、
  幾囘葉落又抽枝。  幾囘(いくたび)か葉落ち又枝を抽(ぬき)んづる。
  自從一見桃花後、  一(ひと)たび桃花を見てより後(のち)
  直至如今更不疑。  直(ぢき)に如今(いま)に至るまで更(さら)に疑はず》。」
 大潙いはく、「從縁入者(じゆうえんにつしや)、永不退失(えうふたいしつ)。」
 すなはち許可するなり。いづれの入者(につしや)か從縁せざらん、いづれの入者(につしや)か退失あらん。ひとり勤(きん)をいふにあらず。つゐに大潙に嗣法す。山色の淸淨身にあらざらん、いかでか恁麼(いんも)ならん。


  (注) 1.  本文は、日本古典文学大系81『正法眼蔵 正法眼蔵随聞記』(西尾實、鏡島元隆、酒井得元、水野彌穗子・校注、岩波書店・昭和40年12月6日第1刷発行)によりました。
 「香厳撃竹(きょうげんぎゃくちく)」「霊雲桃花(れいうんとうか)」の見出しは、原文にはついていません。
   
    2.  なお、ここでは本文を引用するだけにして、大系本の頭注にある語句の解説や巻末の補注は引きませんでした。ただ、「香厳撃竹」の本文にある「かわ〔は〕ら」について、頭注に、
 「小石。「礫 カハラ」(名義抄)」
とあるのと、「霊雲志勤」について、補注に、
 「志勤は、通例シゴンと読むが、底本は「志覲」とあり、シキンと読んだと推測される」
とあるのと、「香厳撃竹」について、辦道話の頭注に、
 「香厳(きょうげん)撃竹(ぎゃくちく)」
とあるのだけ、ここに引いておきます。「撃竹」は、「げきちく」とも読まれているようです。

 また、この二つの話については、『正法眼蔵』辦道話の終わり近くに、
 とふていはく、乾唐(カムタウ)の古今(ココム)をきくに、あるいはたけのこゑをきゝて道(ダウ)をさとり、あるいははなのいろをみてこゝろお〔を〕あきらむる物あり(以下、略)。 (「物は者に同じ」と頭注にあり。)
とあります。        
   
    3.   「渓声山色」の底本については、日本古典文学大系の巻頭の「解説」に次のようにあります。
 洞雲寺本を底本とし、七十五巻の諸本を参考とした。ふりがなは梵清本にあるものをカタカナでつけた。
   
    4.  「香厳撃竹」の本文中の「陪饌役送」の「役」は、原文では人偏(にんべん)になっています。 また、「沐浴し、潔齊して」とある「潔齊」は、大系本のままです。
 なお、大系本に「燒香禮拜(せうかうらいはい)して、大潙にむかひてまふす」とある「まふす」に、「まふ〔う〕す」と、引用者が〔う〕を補いました。大系本では前に出ている「まふす」に〔う〕を補ったので、二度目のここには補わなかったものと思われます。
   
    5.  凡例から、参考になると思われる部分を引いておきます。
 ○ 各巻の底本を忠実に再現することにつとめた。
 ○ ふりがなは(中略)採用した古写本のかなはカタカナでつけ、校訂者のつけたふりがなはひらがなでつけた。
 ○  かなづかいも原文の通りとした。但し、読みにくいものには、その字の右側に(  )に入れて、歴史的かなづかいを注記した。校訂者のつけたふりがなは、歴史的かなづかいとした。(お断り:ここでは、歴史的仮名遣いの注記を〔 〕に入れて全角で示しました。)
 ○ 正法眼蔵の中に引用されている漢文は、原則として棒読みにするのが望ましいので、白文のままあげたが、読解を助けるため、白文の次に《 》をつけて訓読文を示した。
 ○ 原文は、礼拝得髄巻の後半を除いてすべて本文・ふりがなとも濁音はない。濁音符号はすべて校訂者においてつけたものである。
 ○ 句読点・引用符も、校訂者においてつけた。
 ○ 原文改行の行頭は第一字から始め、校訂者において行なう改行は行頭第二字から始めて区別をつけた。
   
    6.  〇正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)=(1)宋の大慧宗杲だいえそうこうが編んだ公案集。三巻。1147年成る。 (2)道元が仏法の真髄を和文で説いた書。75 巻本・12巻本・95巻本などがある。永平えいへい正法眼蔵。また、ほかに真字正法眼蔵(漢文体、正法眼蔵三百則)もある。
 〇道元(どうげん)=鎌倉初期の禅僧。日本曹洞宗の開祖。京都の人。内大臣源(土御門)通親の子か。号は希玄。比叡山で学び、のち栄西の法嗣に師事。1223年(貞応2)入宋、如浄より法を受け、27年(安貞1)帰国後、京都深草の興聖寺を開いて法を弘めた。44年(寛元2)越前に曹洞禅の専修道場永平寺を開く。著「正法眼蔵」「永平広録」など。諡号しごうは承陽大師。(1200~1252) (『広辞苑』第6版による)
   
    7.  フリー百科事典『ウィキペディア』に『正法眼蔵』「道元」の項があります。 
  『ウィキペディア』
    → 『正法眼蔵』
    → 「道元」     
   






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