(注) | 1. |
本文は、日本古典文学大系81『正法眼蔵 正法眼蔵随聞記』(西尾實、鏡島元隆、酒井得元、水野彌穗子・校注、岩波書店・昭和40年12月6日第1刷発行)によりました。 「香厳撃竹(きょうげんぎゃくちく)」「霊雲桃花(れいうんとうか)」の見出しは、原文にはついていません。 |
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2. |
なお、ここでは本文を引用するだけにして、大系本の頭注にある語句の解説や巻末の補注は引きませんでした。ただ、「香厳撃竹」の本文にある「かわ〔は〕ら」について、頭注に、 「小石。「礫 カハラ」(名義抄)」 とあるのと、「霊雲志勤」について、補注に、 「志勤は、通例シゴンと読むが、底本は「志覲」とあり、シキンと読んだと推測される」 とあるのと、「香厳撃竹」について、辦道話の頭注に、 「香厳(きょうげん)撃竹(ぎゃくちく)」 とあるのだけ、ここに引いておきます。「撃竹」は、「げきちく」とも読まれているようです。 また、この二つの話については、『正法眼蔵』辦道話の終わり近くに、 とふていはく、乾唐(カムタウ)の古今(ココム)をきくに、あるいはたけのこゑをきゝて道(ダウ)をさとり、あるいははなのいろをみてこゝろお〔を〕あきらむる物あり(以下、略)。 (「物は者に同じ」と頭注にあり。) とあります。 |
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3. | 「渓声山色」の底本については、日本古典文学大系の巻頭の「解説」に次のようにあります。
洞雲寺本を底本とし、七十五巻の諸本を参考とした。ふりがなは梵清本にあるものをカタカナでつけた。 |
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4. |
「香厳撃竹」の本文中の「陪饌役送」の「役」は、原文では人偏(にんべん)になっています。
また、「沐浴し、潔齊して」とある「潔齊」は、大系本のままです。 なお、大系本に「燒香禮拜(せうかうらいはい)して、大潙にむかひてまふす」とある「まふす」に、「まふ〔う〕す」と、引用者が〔う〕を補いました。大系本では前に出ている「まふす」に〔う〕を補ったので、二度目のここには補わなかったものと思われます。 |
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5. |
凡例から、参考になると思われる部分を引いておきます。 ○ 各巻の底本を忠実に再現することにつとめた。 ○ ふりがなは(中略)採用した古写本のかなはカタカナでつけ、校訂者のつけたふりがなはひらがなでつけた。 ○ かなづかいも原文の通りとした。但し、読みにくいものには、その字の右側に( )に入れて、歴史的かなづかいを注記した。校訂者のつけたふりがなは、歴史的かなづかいとした。(お断り:ここでは、歴史的仮名遣いの注記を〔 〕に入れて全角で示しました。) ○ 正法眼蔵の中に引用されている漢文は、原則として棒読みにするのが望ましいので、白文のままあげたが、読解を助けるため、白文の次に《 》をつけて訓読文を示した。 ○ 原文は、礼拝得髄巻の後半を除いてすべて本文・ふりがなとも濁音はない。濁音符号はすべて校訂者においてつけたものである。 ○ 句読点・引用符も、校訂者においてつけた。 ○ 原文改行の行頭は第一字から始め、校訂者において行なう改行は行頭第二字から始めて区別をつけた。 |
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6. |
〇正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)=(1)宋の大慧宗杲だいえそうこうが編んだ公案集。三巻。1147年成る。
(2)道元が仏法の真髄を和文で説いた書。75
巻本・12巻本・95巻本などがある。永平えいへい正法眼蔵。また、ほかに真字正法眼蔵(漢文体、正法眼蔵三百則)もある。 〇道元(どうげん)=鎌倉初期の禅僧。日本曹洞宗の開祖。京都の人。内大臣源(土御門)通親の子か。号は希玄。比叡山で学び、のち栄西の法嗣に師事。1223年(貞応2)入宋、如浄より法を受け、27年(安貞1)帰国後、京都深草の興聖寺を開いて法を弘めた。44年(寛元2)越前に曹洞禅の専修道場永平寺を開く。著「正法眼蔵」「永平広録」など。諡号しごうは承陽大師。(1200~1252) (『広辞苑』第6版による) |
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7. |
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