(碑表) | 櫻川遺蹟碑 侯爵 德川圀順 | |
(碑陰) | 淸流蜿蜒自北來東入仙湖此曰櫻川其過河和田見川也濚 洄於樹石之間頗有趣致元禄九年源義公相此處移植櫻樹 數百於岸上矣櫻川之稱始于此云嘗聞西茨城郡磯部神社 境内有櫻樹以珍種見稱葩微而色素所謂山小櫻者義公所 移植即是也義公已來藩侯屢枉駕士庶曳筇者亦多享保元 文間名冣著香雲十里與碧水相暎發花時淸賞可追想諸家 諷詠傳于今者不鮮歳月漸移風物亦哀及廢藩後官編入此 地於國有原野益委荒廢老櫻僅存數株耳河和田靑年會諸 人慨之披荊榛増植櫻樹謀復舊觀同村吏員贊之請地域移 管於官大正四年四月一日有命改爲名勝舊蹟地移河和田 村所管而靑年會東組專掌修理嗟乎義公之雅懷得復伸往 時盛觀亦可期乃喜爲之記時大正丁巳春三月也 |
水戸 菊池謙二郎撰 | ||
(注) | 1. | この「櫻川遺蹟碑」(桜川遺跡碑)は、水戸市の桜川団地と桜川西団地の間を流れる桜川の傍らにある桜川団地橋児童公園に建っています。碑文が書かれた大正丁巳年とは、大正6年(1917)のことです。 | |||||||||
2. | 撰文者の菊池謙二郎については、資料1「正岡子規の『水戸紀行』(全)」の注12をご覧ください。 | ||||||||||
3. | 碑は、表に「櫻川遺蹟碑 侯爵
德川圀順」とあり、裏面に「水戸 菊池謙二郎撰」として碑文が記されています。従って、碑表の「櫻川遺蹟碑」の文字は侯爵德川圀順の揮毫によるもの、碑陰の撰文は菊池謙二郎によるものです。 碑文は1行24字、全12行で、最終行は20字なので、碑文の字数は284字ということになります(24×12-4=284)。「水戸 菊池謙二郎撰」の8字を加えると、総字数292字となります。 上に掲げた碑文の改行は、碑文の通りにしてあります。 なお、碑文の「冣」の漢字は「最」の異体字で、碑文には「ウ冠+取」という形になっています。また、「暎」は「映」の異体字です。 |
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4. | この「桜川遺蹟碑」の桜川は、謡曲で有名な岩瀬(現・桜川市)の桜川ではなく、水戸市を流れる桜川のことです。この川が桜川と名づけられたのは、碑文にあるように、徳川光圀が岩瀬の磯部神社からここに桜の木を移植して、もとの桜川に因んで同じく桜川と命名したことによります。 | ||||||||||
5. |
ここに出てくる桜は、水戸藩第2代藩主徳川光圀(義公)ゆかりの桜ですが、第9代藩主徳川斉昭(烈公)夫人ゆかりの山桜が、偕楽園の見晴らし広場の先にあります。 「左近の桜」といわれるこの山桜は、京都御所の左近の桜を貰い受けた桜だそうで、平成20年現在、樹齢40年を超える見事な桜です。山桜なので、開花の時期がソメイヨシノより少し遅れますので、見に行かれる時はご注意下さい。 |
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6. | 試みに、碑文を訓読してみます。(よく読めないところがありますので、教えて頂けるとありがたいです。 2008.5.18) | ||||||||||
櫻川遺蹟碑 | |||||||||||
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7. | 碑の傍らに、碑の解説文が立っています。 | ||||||||||
桜川遺蹟 | |||||||||||
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河和田十勝 天保年間選定(千八百三十年頃) 桜川の春風(さくらがわのしゅんぷう) |
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8. | 『常陸野散策…いしぶみは何処』というサイトにも、この櫻川遺蹟碑が取り上げられています。ここには解説のほかに、碑の本文や碑全体の写真、碑のある場所の航空写真が出ています。 また、この『常陸野散策…いしぶみは何処』というサイトには、このほか水戸周辺の多くの碑が取り上げられていて、参考になります。 |
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9. | 資料56に、「謡曲『桜川』(観世流)」があります。 |