資料90 斎藤茂吉「死にたまふ母」(初出誌『アララギ』・初版『赤光』・改選版『赤光』による) 
                   

 

  齋藤茂吉「死にたまふ母」 
 

 

 

資料90    齋藤茂吉「死にたまふ母」(初出誌『アララギ』による)   
資料90a    齋藤茂吉「死にたまふ母」(初版『赤光』による
資料90b  齋藤茂吉「死にたまふ母」(改選版『赤光』による

 




                ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆


資料90  斎藤茂吉「死にたまふ母」(初出誌『アララギ』による)

 

                 齋藤茂吉「死にたまふ母」(初出誌『アララギ』による)
 

 

  死にたまふ母

 

 

                齋 藤 茂 吉

 

 

   其の一

 

 

ひろき葉は樹にひるがへり光りつつ隱(かく)ろひにつ
つしづ心なけれ

 

 

白ふぢの垂花(たりはな)ちればしみじみと今はその實の見
えそめしかも

 

 

みちのくの母のいのちを一目(ひとめ)見む一目(ひとめ)見むとぞ
いそぐなりけれ

 

 

うち日さす都の夜(よる)に灯(ひ)はともりあかかりければ
急ぐなりけり

 

 

ははが目を一目を見んと急ぎたるわが額(ぬか)のへに
汗いでにけり

 

 

(ともし)あかき都をいでてゆく姿かりそめ旅と人見る
らんか

 

 

たまゆらに眠りしかなや走りたる汽車ぬちにし
て眠りしかなや

 

 

吾妻山(あづまやま)に雪かがやけばみちのくの我(あ)が母の國に
汽車入りにけり

 

 

朝さむみ桑の木の葉に霜ふれど母にちかづく汽
車走るなり

 

 

沼の上にかぎろふ靑き光よりわれの愁(うれひ)の來(こ)むと
いふかや

 

 

(かみ)の山(やま)の停車場に下り若(わか)くしていまは鰥夫(やもを)の弟
見たり

 

 

   其の二

 

 

はるばると藥(くすり)をもちて來(こ)しわれを目守(まも)りたまへ
りわれは子
(こ)なれば

 

 

寄り添へる吾を目守(まも)りて言ひたまふ何か云ひ給
ふわれは子なれば

 

 

長押(なげし)なる丹(に)ぬりの槍に塵は見ゆ母の邊の吾が朝
目には見ゆ

 

 

山いづる太陽光(たいやうくわう)を拜みたりをだまきの花咲きつ
づきたり

 

 

死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほた)のかはづ天(てん)
にきこゆる

 

 

桑の香(か)の靑くただよふ朝明(あさあけ)に堪へがたければ母
呼びにけり 

 

 

死に近き母が目に寄りをだまきの花咲きたりと
いひにけるかな

 

 

春なればひかり流れてうらがなし今は野(ぬ)のべに
蟆子
(ぶと)も生(あ)れしか

 

 

死に近き母が額(ひたひ)を撫(さす)りつつ涙ながれて居たりけ
るかな

 

 

母が目をしまし離(か)れ來て目守(まも)りたりあな悲しも
よ蠺
(かふこ)のねむり

 

 

我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生(う)まし乳(ち)
(た)らひし母よ

 

 

のど赤き玄鳥(つばくろめ)ふたつ梁(はり)にゐて足乳根の母は死に
たまふなり

 

 

いのちある人あつまりて我が母のいのち死行(しゆ)
を見たり死ゆくを

 

 

ひとり來て蠺(かふこ)のへやに立ちたれば我が寂しさは
極まりにけり

 

 

   其の三

 

 

(なら)わか葉照りひるがへるうつつなに山蠺(やまこ)は靑く
(あ)れぬ山蠺は

 

 

日のひかり斑(はだ)らに漏(も)りてうら悲し山蠺はいまだ
小さかりけり

 

 

(はふ)り道すかんぼの華(はな)ほほけつつり道べに散り
にけらずや

 

 

おきな草口(くち)あかく咲く野の道に光ながれて我ら
行きつも

 

 

わが母をかねばならぬ火を持てり天(あま)つ空には
見るものもなし

 

 

星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は
燃えゆきにけり

 

 

ふかく母を葬(はふ)りの火を見ればただ赤くもぞ
燃えにけるかも

 

 

はふり火を守(まも)りこよひは更けにけり今夜(こよひ)の天(てん)
いつくしきかも
   

 

 

火を守(も)さ夜ふけぬれば弟は現(うつ)し身の歌うた
ふ悲しく

 

 

ひた心目守(まも)らんものかほの赤くのぼるけむりの
その煙
(けむり)はや

 

 

灰のなかに母ひろへり朝日子(あさひこ)ののぼるが中に
ひろへり

 

 

蕗の葉に丁寧に集めし骨くづもみな骨瓶(こつがめ)に入れ
仕舞ひけり

 

 

うらうらと天(てん)に雲雀は啼きのぼり雪(はだ)らなる山
に雲ゐず

 

 

どくだみも薊(あざみ)の花も燒けゐたり人葬所(ひとはふりど)の天(あめ)(あ)
ぬれば

 

 

   其の四

 

 

かぎろひの春なりければ木の芽みな吹きいづる
山べ行きゆくわれよ

 

 

ほのかにも通草の花の散りぬれば山鳩のこゑ現(うつつ)
なるかな

 

 

山かげに雉子が啼きたり山かげの酸(す)つぱき湯こ
そかなしかりけれ

 

 

(さん)に身はすつぽりと浸りゐて空にかがやく
光を見たり

 

 

山かげに消のこる雪のかなしさに笹かき分けて
いそぐなりけり

 

 

笹はらをただかき分けて行きゆけど母をたづね
ん我ならなくに

 

 

火の山麓にいづる酸(さん)の湯に一夜(ひとよ)ひたりて悲し
みにけり

 

 

はるけくも峽(はざま)の山に燃ゆる火のくれなゐと我が
母と悲しき

 

 

山腹(やまはら)に燃ゆる火なれば赤赤とけむりは動く悲し
かれども

 

 

たらの芽摘みつつ行けり寂しさはわれよりほ
かのものとかはしる

 

 

寂しさ堪へて分け入る我が目には黑ぐろと
草の花ちりにけり

 

 

見はるかす山腹なだり咲きてゐる辛夷(こぶし)の花はほ
のかなるかも

 

 

蔵王山に斑ら雪かもかがやくと夕さりくれば岨
ゆきにけり

 

 

しみじみと雨降りゐたり山のべの土赤くしてあ
はれなるかも

 

 

やま(かひ)に日はとつぷりと暮れたれば今は湯の香
の深かりしかも
 

 

 

湯どころ二夜(ふたよ)ねぶりて蓴菜(じゆんさい)を食へばさらさら
に悲しみにけれ

 

 

ゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よ
ははそはの母よ        
五月作

 

 

 

 


 

 

 

 

   (注) 1. 『アララギ』大正2年9月号(第6巻第8号)掲載の「死にたまふ母」を
        掲載しました。
       2. 上記の『アララギ』は、教育出版センター発行の復刻版によりました。
       3. 「死にたまふ母」は、2ページから4ページにわたって、2段組みで掲
        載されています。
       4. 歌の改行は、雑誌の通りにしてあります。
       5. 振り仮名(ルビ)は、括弧 ( )に入れて示しました。
       6. 初出の「死にたまふ母」は、「其の一」 11首、「其の二」 14首、「其の
        三」  14首、「其の四」 17首の、合計56首です。(歌集『赤光』の「死に
        たまふ母」には、59首収められています。)
       7. 歌集『赤光』で増えたのは、「其の四」の次の3首です。
           ふるさとのわぎへの里にかへり來て白ふぢの花ひでて食ひけり
           ほのかなる花の散りにし山のべを霞ながれて行きにけるかも
           遠天
(をんてん)を流らふ雲にたまきはる命は無しと云へばかなしき
         「ふるさとの」の歌は、「酸
(さん)の湯に」の歌の次に、「ほのかなる」の
        歌は、「火の山の」の歌の次に、「遠天
(をんてん)を」の歌は、「しみじみと」
        の歌の次に置かれています。
       8. 資料91に「死にたまふ母」(初版『赤光』による)があります。
         資料89に「死にたまふ母」(改選版『赤光』による)があります。
       9. 『アララギ』掲載の「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に
         きこゆる」という歌の「遠田」には、「とほた」と振り仮名がついているよう
        です。また、歌集『赤光』の初版(大正2年10月15日発行)にも「とほた」
        となっているようです。(「きこゆる」は「聞ゆる」という表記になっていま
        すが。)
         「とほた」が「とほだ」という振り仮名になったのは、改選版『赤光』以後
        でしょうか?
           10. 山形県立図書館のホームページの中に『山形県関係文献目録』があって、
        その中の
「斎藤茂吉」に、茂吉の略歴の紹介茂吉関係の文献目録が紹介
        されています。
            
山形県立図書館 → 「山形の情報」 → 「縣人文庫」 → 「斎藤茂吉」をクリック
              
→  茂吉の経歴  (ここで「文献目録はこちら」をクリックすると)
                  
→  「茂吉の紹介」と「茂吉関係の文献目録」が出て来ます。
        11.
『山形県上山市』のホームページ中に、「郷土を愛した歌人 斎藤茂吉」
        というページがあります。ダウンロード版もあります。ダウンロード版を見る
        には、
  →  「雪月花人 かみのやま細見」の「郷土を愛した歌人 斎藤茂吉」をダウンロード 
          
 お断り:  残念ながら現在は見られないようです。(2016年9月29日)      
        12. (株)上山タクシーのホームページ『春夏秋冬 山形の旅』の中に、「斎藤
         茂吉」と「斎藤茂吉記念館」というページがあって、それぞれ写真とその説明
         が見られます。
 お断り: 現在はこちらも見られないようです。(2016年9月29日)
        13. 以前、中日新聞のホームページに「文学館への招待」のコーナーがあり、そ
        こに「12 斎藤茂吉記念館」(愛用の品々が伝える “人間茂吉”)のページが
        ありましたが、現在は、削除されてしまっているようです。

    

 



                ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆

 

 




資料90a 斎藤茂吉「死にたまふ母」(初版『赤光』による)


          
齋藤茂吉「死にたまふ母」(初版『赤光』による)  
     

 

  死にたまふ母
                
斎 藤 茂 吉  

 

 

 

 

   其の一

 

 

 

 

ひろき葉は樹にひるがへり光りつつかくろひにつつしづ心なけれ

 

 

 

 

白ふぢの垂花(たりはな)ちればしみじみと今はその實(み)の見えそめしかも

 

 

 

 

みちのくの母のいのちを一目(ひとめ)見ん一目みんとぞいそぐなりけれ

 

 

 

 

うち日さす都の夜(よる)に灯(ひ)はともりあかかりければいそぐなりけり

 

 

 

 

ははが目を一目を見んと急ぎたるわが額(ぬか)のへに汗いでにけり

 

 

 

 

(ともし)あかき都をいでてゆく姿(すがた)かりそめ旅とひと見るらんか

 

 

 

 

たまゆらに眠(ねむ)りしかなや走りたる汽車ぬちにして眠りしかなや

 

 

 

 

吾妻(あづま)やまに雪かがやけばみちのくの我(わ)が母の國に汽車入りにけり

 

 

 

 

朝さむみ桑の木の葉に霜ふれど母にちかづく汽車走るなり

 

 

 

 

沼の上にかぎろふ靑き光よりわれの愁(うれへ)の來むと云(い)ふかや 

 

 

 

 

(かみ)の山(やま)の停車場に下り若(わか)くしていまは鰥夫(やもを)のおとうと見たり

 

 

 

 

   其の二

 

 

 

 

はるばると藥(くすり)をもちて來(こ)しわれを目守(まも)りたまへりわれは子(こ)なれば

 

 

 

 

寄り添へる吾を目守(まも)りて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば

 

 

 

 

長押(なげし)なる丹(に)ぬりの槍に塵は見ゆ母の邊(べ)の我(わ)が朝目(あさめ)には見ゆ

 

 

 

 

山いづる太陽光(たいやうくわう)を拜みたりをだまきの花咲きつづきたり

 

 

 

 

死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほた)のかはづ天(てん)に聞(きこ)ゆる

 

 

 

 

桑の香の靑くただよふ朝明(あさあけ)に堪(た)へがたければ母呼びにけり

 

 

 

 

死に近き母が目(め)に寄(よ)りをだまきの花咲きたりといひにけるかな

 

 

 

 

春なればひかり流れてうらがなし今は野(ぬ)のべに蟆子(ぶと)も生(あ)れしか

 

 

 

 

死に近き母が額(ひたひ)を撫(さす)りつつ涙ながれて居たりけるかな

 

 

 

 

母が目をしまし離(か)れ來て目守(まも)りたりあな悲しもよ蠺(かふこ)のねむり

 

 

 

 

我が母よ死にたまひゆく我(わ)が母よ我(わ)を生(う)まし乳足(ちた)らひし母よ

 

 

 

 

のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳(たらち)ねの母は死にたまふなり

 

 

 

 

いのちある人あつまりて我が母のいのち死行(しゆ)くを見たり死ゆくを

 

 

 

 

ひとり來て蠺(かふこ)のへやに立ちたれば我(わ)が寂しさは極まりにけり

 

 

 

 

   其の三

 

 

 

 

(なら)わか葉照りひるがへるうつつなに山蠺(やまこ)は靑(あを)く生(あ)れぬ山蠺は

 

 

 

 

日のひかり斑(はだ)らに漏りてうら悲(がな)し山蠺は未(いま)だ小さかりけり

 

 

 

 

(はふ)り道(みち)すかんぼの華(はな)ほほけつつり道べに散りにけらずや

 

 

 

 

おきな草口(くち)あかく咲く野の道に光ながれて我(われ)ら行きつも

 

 

 

 

わが母を(や)かねばならぬ火を持てり天(あま)つ空(そら)には見るものもなし

 

 

 

 

星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり

 

 

 

 

ふかく母を葬(はふ)りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも

 

 

 

 

はふり火を守(まも)りこよひは更けにけり今夜(こよひ)の天(てん)のいつくしきかも

 

 

 

 

火を守(も)さ夜ふけぬれば弟は現身(うつしみ)のうた歌ふかなしく

 

 

 

 

ひた心目守(まも)らんものかほの赤くのぼるけむりのその煙(けむり)はや

 

 

 

 

灰のなかに母ひろへり朝日子(あさひこ)ののぼるがなかに母ひろへり

 

 

 

 

蕗の葉に丁寧に集めし骨くづもみな骨瓶(こつがめ)に入れ仕舞ひけり

 

 

 

 

うらうらと天(てん)に雲雀は啼きのぼり雪(はだ)らなる山に雲ゐず

 

 

 

 

どくだみも薊(あざみ)の花も燒けゐたり人葬所(ひとはふりど)の天(あめ)(あ)けぬれば

 

 

 

 

   其の四

 

 

 

 

かぎろひの春なりければ木の芽みな吹き出(いづ)る山べ行きゆくわれよ

 

 

 

 

ほのかにも通草(あけび)の花の散りぬれば山鳩のこゑ現(うつつ)なるかな

 

 

 

 

山かげに雉子が啼きたり山かげの(す)つぱき湯こそかなしかりけれ

 

 

 

 

(さん)の湯に身はすつぽりと浸りゐて空にかがやく光を見たり

 

 

 

 

ふるさとのわぎへの里にかへり來て白ふぢの花ひでて食ひけり

 

 

 

 

山かげに消(け)のこる雪のかなしさに笹かき分けて急ぐなりけり

 

 

 

 

笹はらをただかき分けて行きゆけど母を尋ねんわれならなくに

 

 

 

 

火のやま麓にいづる酸(さん)の温泉(ゆ)に一夜(ひとよ)ひたりてかなしみにけり

 

 

 

 

ほのかなる花散りにし山のべを霞ながれて行きにけるはも

 

 

 

 

はるけくも峽(はざま)のやまに燃ゆる火のくれなゐと我(あ)が母と悲しき

 

 

 

 

山腹(やまはら)に燃ゆる火なれば赤赤とけむりはうごくかなしかれども

 

 

 

 

たらの芽摘みつつ行けり寂しさはわれよりほかのものとかはしる

 

 

 

 

寂しさ堪へて分け入る我が目には黑ぐろと通草の花ちりにけり

 

 

 

 

見はるかす山腹なだり咲きてゐる辛夷(こぶし)の花はほのかなるかも

 

 

 

 

蔵王山(ざわうさん)に斑(はだ)ら雪かもかがやくと夕さりくれば岨(そば)ゆきにけり

 

 

 

 

しみじみと雨降りゐたり山のべの土赤くしてあはれなるかも

 

 

 

 

遠天(をんてん)を流らふ雲にたまきはる命(いのち)は無しと云へばかなしき

 

 

 

 

やま(かひ)に日はとつぷりと暮れたれば今は湯の香(か)の深かりしかも

 

 

 

 

湯どころ二夜(ふたよ)ねぶりて蓴菜(じゆんさい)を食へばさらさらに悲しみにけれ

 

 

 

 

ゑに笹竹の子を食(く)ひにけりははそはの母よははそはの母よ  (五月作)

 

 

 


 

      (注) 1. 連作「死にたまふ母」は、大正2年9月号の『アララギ』誌上に発表され、
         同年10月15日東雲堂書店発行の第一歌集『赤光』に収められました。
        2.大正2年10月15日発行の歌集『赤光』には、明治38年から大正2年8月まで
         の歌834首を、逆年代順に並べてあります。(大正10年11月に改選『赤光』が
         発行された際、歌を改作したり削除したりして、760首を今度は制作年代順に
         並べ換えました。)
        3.上記の「死にたまふ母」は、東雲堂書店発行の第一歌集『赤光』(初版)に
         よっています。(財)日本近代文学館刊行の「名著復刻全集近代文学館」
         (昭和43年9月10日発行)によりました。
           「大正二年(七月迄)  6 死にたまふ母」として出ており、「其の一」11首、
         「其の二」14首、「其の三」14首、「其の四」20首の、合計59首です。
          (初出誌の『アララギ』に掲載されているのは、「其の一」11首、「其の二」
          14首、「其の三」14首、「其の四」17首の、合計56首です。)
        4. 資料90に「死にたまふ母」(初出誌『アララギ』による)があります。
          資料89に「死にたまふ母」(改選版『赤光』による)があります。
        5
振り仮名(ルビ)は、括弧 ( )に入れて示しました。
        6. 大正2年5月16日、茂吉は母 ・守谷いく危篤の報に接し急遽帰省、23
         日その死を見送りました。その後、酢川温泉(今の蔵王温泉)に2泊して
         母を偲び、30日帰京しました。茂吉31歳(満年齢)、東京帝国大学医科大
         学の助手として附属病院(東京府巣鴨病院)に勤務していたときのことです。
           「死にたまふ母」其の一は、母危篤の報を受けて上山停車場に着くまで
         を、其の二は母の傍らにあっての看護とその死、其の三は母の火葬、其の
         四は酢川温泉行を歌っています。
        7. 歌集『赤光』の名前について、作者は『赤光』初版跋で、次のように書いて
          います。
            〇本書の「赤光」といふ名は佛説阿彌陀經から採つたのである。彼の經
            典には「池中蓮華大如車輪靑色靑光黄色黄光赤色赤光白色白光微妙
            香潔」といふところがある。予が未だ童子の時分に遊び仲間に雛法師が
            居て切りに御經を諳誦して居た。梅の實をひろふにも水を浴びるにも「し
            やくしき、しやくくわう、びやくしき、びやくくわう」と誦して居た。「しやくくわ
            う」とは「赤い光」の事であると知つたのは東京に來て、新刻訓點淨土三
            部妙典といふ赤い表紙の本を買つた時分であつて、あたかも露伴の「日
            輪すでに赤し」の句を發見して嬉しく思つたころであつた。それから繰つて
            見ると明治三十八年は予の廿四歳のときである。大正二年九月二十四日
            よるしるす。
              
○参考までに、いくつか注を付けておきます。   
               
 <読み>  彼の=かの  未だ=いまだ  雛法師=ひなほうし    
                           切りに=しきりに  誦して=ずして
                  <「池中蓮華……」の読み>
 池中の蓮華は、大きさ車輪の如し。青色には青光、
                        黄色には黄光、赤色には赤光、白色には白光ありて、微妙香潔なり。
                  <「池中蓮華……」の通釈> 池の中の蓮の花は、大きさが車輪のように大きい。
                        青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い
                        花は白い光を放っていて、言いようもなく美しく、その香りは気高く清ら
                        かである。
         8
斎藤茂吉に関しては、 『斎藤茂吉「死にたまふ母」(初出誌『アララギ』による)』
         の注を参照してください。

 

 


 

 

 

               ☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆☆ ☆ ☆ ☆

 

 


 

 

 

資料90b 斎藤茂吉「死にたまふ母」(改選版『赤光』による)

 

 


 
           
齋藤茂吉「死にたまふ母」(改選版『赤光』による) 
 

 

  死にたまふ母
                
斎 藤 茂 吉  

 

 

 

 

   其の一

 

 

 

 

ひろき葉は樹にひるがへり光りつつかくろひにつつしづ心なけれ(イなし)

 

 

 

 

白ふぢの垂花(たりはな)ちればしみじみと今はその實の見えそめしかも

 

 

 

 

みちのくの母のいのちを一目(ひとめ)見ん一目見んとぞただにいそげる

 

 

 

 

うちひさす都の夜(よる)にともる灯(ひ)のあかきを見つつこころ落ちゐず

 

 

 

 

ははが目を一目を見んと急ぎたるわが額(ぬか)のへに汗いでにけり

 

 

 

 

(ともし)あかき都をいでてゆく姿かりそめの旅と人見るらんか

 

 

 

 

たまゆらに眠りしかなや走りたる汽車ぬちにして眠りしかなや

 

 

 

 

吾妻(あづま)やまに雪かがやけばみちのくの我が母の國に汽車入りにけり

 

 

 

 

朝さむみ桑の木の葉に霜ふりて母にちかづく汽車走るなり

 

 

 

 

沼の上にかぎろふ靑き光よりわれの愁(うれへ)の來(こ)むと云ふかや 白龍湖

 

 

 

 

(かみ)の山(やま)の停車場に下り若くしていまは鰥夫(やもを)のおとうとを見たり

 

 

 

 

   其の二

 

 

 

 

はるばると藥(くすり)をもちて來(こ)しわれを目守(まも)りたまへりわれは子なれば

 

 

 

 

寄り添へる吾を目守りて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば

 

 

 

 

長押(なげし)なる丹(に)ぬりの槍に塵は見ゆ母の邊(べ)の我が朝目(あさめ)には見ゆ

 

 

 

 

山いづる太陽光(たいやうくわう)を拜みたりをだまきの花咲きつづきたり

 

 

 

 

死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天に聞ゆる

 

 

 

 

桑の香の靑くただよふ朝明(あさあけ)に堪へがたければ母呼びにけり

 

 

 

 

死に近き母が目に寄りをだまきの花咲きたりといひにけるかな

 

 

 

 

春なればひかり流れてうらがなし今は野(ぬ)のべに蟆子(ぶと)も生(あ)れしか

 

 

 

 

死に近き母が額(ひたひ)を撫(さす)りつつ涙ながれて居たりけるかな

 

 

 

 

母が目をしまし離(か)れ來て目守(まも)りたりあな悲しもよ蠺(かふこ)のねむり

 

 

 

 

我が母よ死にたまひゆく我が母よ我(わ)を生まし乳足(ちた)らひし母よ

 

 

 

 

のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり

 

 

 

 

いのちある人あつまりて我が母のいのち死行(しゆ)くを見たり死ゆくを

 

 

 

 

ひとり來て蠺(かふこ)のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり

 

 

 

 

   其の三

 

 

 

 

楢若葉(ならわかば)てりひるがへるうつつなに山蠺(やまこ)は靑く生(あ)れぬ山蠺は

 

 

 

 

日のひかり斑(はだ)らに漏りてうら悲し山蠺は未(いま)だ小さかりけり

 

 

 

 

(はふ)り道すかんぼの華(はな)ほほけつつり道べに散りにけらずや

 

 

 

 

おきな草口あかく咲く野の道に光ながれて我(われ)ら行きつも

 

 

 

 

わが母をかねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし

 

 

 

 

星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり

 

 

 

 

ふかく母を葬(はふ)りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも

 

 

 

 

はふり火を守りこよひは更けにけり今夜(こよひ)の天(てん)のいつくしきかも

 

 

 

 

火を守(も)さ夜ふけぬれば弟は現身(うつしみ)のうたかなしく歌ふ

 

 

 

 

ひた心目守(まも)らんものかほの赤くのぼるけむりのその煙はや

 

 

 

 

灰のなかに母ひろへり朝日子(あさひこ)ののぼるがなかに母ひろへり

 

 

 

 

蕗の葉に丁寧あつめし骨くづもみな骨瓶(こつがめ)に入れしまひけり

 

 

 

 

うらうらと天(てん)に雲雀は啼きのぼり雪(はだ)らなる山に雲ゐず

 

 

 

 

どくだみも薊(あざみ)の花も燒けゐたり人葬所(ひとはふりど)の天(あめ)(あ)けぬれば

 

 

 

 

   其の四

 

 

 

 

かぎろひの春なりければ木の芽みな吹き出づる山べ行きゆくわれよ

 

 

 

 

ほのかなる通草(あけび)の花の散るやまに啼く山鳩のこゑの寂しさ

 

 

 

 

山かげに雉子が啼きたり山かげに湧きづる湯こそかなしかりけれ

 

 

 

 

(すゆ)に身はかなしくも浸(ひた)りゐて空にかがやく光を見たり

 

 

 

 

ふるさとのわぎへの里にかへり來て白ふぢの花ひでて食ひけり

 

 

 

 

山かげに消(け)のこる雪のかなしさに笹かき分けて急ぐなりけり

 

 

 

 

笹原をただかき分けて行き行けど母を尋ねんわれならなくに

 

 

 

 

火のやま麓にいづる酸(さん)の湯に一夜(ひとよ)ひたりてかなしみにけり

 

 

 

 

ほのかなる花散りにし山のべを霞ながれて行きにけるかも

 

 

 

 

はるけくも峽(はざま)のやまに燃ゆる火のくれなゐと我(あ)が母と悲しき

 

 

 

 

山腹にとほく燃ゆる火あかあか煙はうごくかなしかれども

 

 

 

 

たらの芽摘みつつ行けり山かげの道ほそりつつ寂しく行けり

 

 

 

 

寂しさ堪へて分け入る山かげに黑々(くろぐろ)通草(あけび)の花ちりにけり

 

 

 

 

見はるかす山腹なだり咲きてゐる辛夷(こぶし)の花はほのかなるかも

 

 

 

 

蔵王山(ざわうさん)に斑(はだ)ら雪かもかがやくと夕さりくれば岨(そば)ゆきにけり

 

 

 

 

しみじみと雨降りゐたり山のべの土赤くしてあはれなるかも

 

 

 

 

遠天(をんてん)を流らふ雲にたまきはる命は無しと云へばかなしき

 

 

 

 

やま(かひ)に日はとつぷりと暮れゆきて今は湯の香(か)の深くただよふ

 

 

 

 

湯どころ二夜(ふたよ)ねむりて蓴菜(じゆんさい)を食へばさらさらに悲しみにけり

 

 

 

 

ゑに笹竹の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よ  (五月作)

 

 

 


 

      (注) 1. 連作「死にたまふ母」は、大正2年9月号の『アララギ』誌上に発表され、
         同年10月15日東雲堂書店発行の第一歌集『赤光』に収められました。
        2.大正2年10月15日発行の『赤光』には、明治38年から大正2年8月まで
         の歌834首を、逆年代順に並べてあります。大正10年11月に改選『赤光』
         が発行された際、歌を改作したり削除したりして、760首を今度は制作年代
         順に並べ換えました。
        3.上記の「死にたまふ母」は、改選『赤光』版によっています。「大正十二年
         7 死にたまふ母」として出ており、「其の一」11首、「其の二」14首、「其の
         三」14首、「其の四」20首の、合計59首です。
          初出誌の『アララギ』に掲載されているのは、「其の一」11首、「其の二」
         14首、「其の三」14首、「其の四」17首の、合計56首です。
        4. 資料90に「死にたまふ母」(初出誌『アララギ』による)があります。
          資料91に「死にたまふ母」(初版『赤光』による)があります。          
        5. 初版『赤光』所収の 「火を守
(も)りてさ夜ふけぬれば弟は現身(うつしみ)のう
         た歌ふかなしく」の歌は、改選『赤光』 第三版(大正14年)で、「火を守
(も)
         てさ夜ふけぬれば弟は現身
(うつしみ)のうたかなしく歌ふ」と改められました。          
        6. 大正2年5月16日、茂吉は母 ・守谷いく危篤の報に接し急遽帰省、23
         日その死を見送りました。その後、酢川温泉(今の蔵王温泉)に2泊して
         母を偲び、30日帰京しました。茂吉31歳(満年齢)、東京帝国大学医科大
         学の助手として附属病院(東京府巣鴨病院)に勤務していたときのことです。
           「死にたまふ母」其の一は、母危篤の報を受けて上山停車場に着くまで
         を、其の二は母の傍らにあっての看護とその死、其の三は母の火葬、其の
         四は酢川温泉行を歌っています。
        7. 歌集『赤光』の名前について、作者は『赤光』初版跋で、次のように書いて
          います。
            〇本書の「赤光」といふ名は佛説阿彌陀經から採つたのである。彼の經
            典には「池中蓮華大如車輪靑色靑光黄色黄光赤色赤光白色白光微妙
            香潔」といふところがある。予が未だ童子の時分に遊び仲間に雛法師が
            居て切りに御經を諳誦して居た。梅の實をひろふにも水を浴びるにも「し
            やくしき、しやくくわう、びやくしき、びやくくわう」と誦して居た。「しやくくわ
            う」とは「赤い光」の事であると知つたのは東京に來て、新刻訓點淨土三
            部妙典といふ赤い表紙の本を買つた時分であつて、あたかも露伴の「日
            輪すでに赤し」の句を發見して嬉しく思つたころであつた。それから繰つて
            見ると明治三十八年は予の廿四歳のときである。大正二年九月二十四日
            よるしるす。
              
○参考までに、いくつか注を付けておきます。   
               
 <読み>  彼の=かの  未だ=いまだ  雛法師=ひなほうし    
                           切りに=しきりに  誦して=ずして
                  <「池中蓮華……」の読み>
 池中の蓮華は、大きさ車輪の如し。青色には青光、
                        黄色には黄光、赤色には赤光、白色には白光ありて、微妙香潔なり。
                  <「池中蓮華……」の通釈> 池の中の蓮の花は、大きさが車輪のように大きい。
                        青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い
                        花は白い光を放っていて、言いようもなく美しく、その香りは気高く清ら
                        かである。
         8
斎藤茂吉に関しては、一番上の 『斎藤茂吉「死にたまふ母」(初出誌『アララギ』
         による)』の注を参照してください。
                    

 

 


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