(注) | 1. |
上記の本文(上総屋今助カ事)は、国立国会図書館デジタルコレクション所収の『未刊甲子夜話 第一』巻之三(松浦静山著、坂田勝校訂、有光書房・昭和39年3月10日刊)によりました。ただし、この資料を見るには国立国会図書館の「利用者登録」をする必要があります。 → 国立国会図書館デジタルコレクション → 『未刊甲子夜話 第一』 → 巻之三 今助カ事(43~44/283) |
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2. |
資料690に、上総屋今助(大久保今助) 『甲子夜話』より があります。 → 資料690 上総屋今助(大久保今助) 『甲子夜話』より |
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3. |
資料692に、うなぎ飯の始並に蒲焼の事(『俗事百工起源』より)があります。 → 資料692 うなぎ飯の始並に蒲焼の事(『俗事百工起源』より) |
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4. |
龍ケ崎市観光物産協会のホームページに、「うな丼発祥の地 龍ケ崎市の牛久沼(市内うな丼専門店一覧)」のページがあり、そこに「うな丼誕生の秘密」「龍ケ崎は、うな丼発祥の地」という紹介が出ています。 → 龍ケ崎市観光物産協会 →「うな丼発祥の地 龍ケ崎市の牛久沼(市内うな丼専門店一覧)」 |
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5. |
歌舞伎座のホームページに、「四季で楽しむ江戸グルメ」の一つとして「うな丼の誕生と芝居町」があって、そこで大久保今助が紹介されています。 → 歌舞伎座「四季で楽しむ江戸グルメ」 →「うな丼の誕生と芝居町」 |
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6. |
『レファレンス協同データベース』に、「うな丼の発祥の地はどこか知りたい」という質問とその回答がでていて参考になります。 →『レファレンス協同データベース』 →「うな丼の発祥の地はどこか知りたい」 |
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7. |
Wikipedia(ウィキペディア)に「大久保今助」の項があります。 → Wikipedia(ウィキペディア) →「大久保今助」 |
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8. |
2025年(令和7年)6月17日の茨城新聞の「時論」の欄に、長山靖生氏が「「文化資産」の再評価を」という題で「鰻丼を生んだ大久保今助」のことを紹介しておられます。 そこに、「暑い盛りに鰻を食べる習慣が一般化したのは安永・天明(1772~89年)の頃、(中略)安永・天明年間の蒲焼は、皿に盛られて単品で出されていた。御飯と同じ器に盛る鰻丼・鰻重が生まれたのは文化年間で、そこには常陸国出身の大久保今助(1757~1834)が大きく関わっている。」とあって、以下、大久保今助のことが紹介されています。 |
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