資料576 元号「令和」の出典・『万葉集 巻第五』梅花の歌三十二首 序を并せたり の序



           万葉集巻第五「梅花謌卅二首 幷序」の序


   梅花謌卅二首 幷序  (815~846 の32首の序) 万葉集巻第五所収

天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾蓋、夕岫結霧、鳥封縠而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是蓋天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外。淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以攄情。請紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。

    


  次に、上記の序の書き下し文を、日本古典文学大系 5 『万葉集二』によって示します。一部、引用者が表記を変えた個所があります。  


   梅花の歌三十二首  序を幷せたり

天平二年正月十三日に、帥(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴會を申(ひら)きき。時に、初春の令月にして、氣淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(かう)を薫(くん)ず。加以(しかのみにあらず)、曙の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾け、夕(ゆふべ)の岫(くき)に霧結び、鳥は縠(うすもの)に封(こ)めらえて林に迷(まと)ふ。庭には新蝶舞ひ、空には故鴈歸る。是(ここ)に天を蓋(きぬがさ)とし地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばす。言(こと)を一室の裏(うち)に忘れ、衿(ころものくび)を煙霞の外に開く。淡然に自(みづか)ら放(ほしきまま)にし、快然に自(みづか)ら足る。若(も)し翰苑(かんゑん)あらぬときには、何を以(も)ちてか情(こころ)を攄(の)べむ。請ふ落梅の篇を紀(しる)さむ。古と今と夫(そ)れ何そ異ならむ。園の梅を賦して聊(いささ)かに短詠を成す宜(べ)し。

  〔注〕「請紀落梅之篇」の「請」について 
日本古典文学大系5『萬葉集二』(岩波書店、1959年発行)では、底本「西本願寺本」にある「詩紀落梅之篇」を、細井本によって「請紀落梅之篇」と直して「請ふ落梅の篇を紀(しる)さむ」と読んでいますが、
新日本古典文学大系1『萬葉集一』(岩波書店、1999年5月20日第1刷発行)では、「ここで「落梅の篇を作れ」というのは前触れのない唐突な表現となる。また「篇」はもとより文章や詩について言う語であって、歌を指す例は万葉集には見られない。古楽府「梅花落」を例示した上で、梅を愛するのは古今に変わらぬ情だから、今は梅を詠む歌を作ろうと説くのである」として、本文を底本「西本願寺本」にある通り「詩紀落梅之篇」のままにして、「詩に落梅の篇を紀(しる)す」と読み、「詩には落梅の篇を作るが」と訳してあります。
 
  

 

  (注) 1. 上記の原文の本文は、日本古典文学大系 5 『万葉集二』(高木市之助・五味智英・大野晋 校注、岩波書店・昭和34年初版)に拠りました。    
    2.  これは、2019年の新元号「令和」の出典です。元号は、「初春月、氣淑風、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香(初春の令月にして、氣淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(かう)を薫ず)」の部分から採られています。
   資料578に、「梅花の歌三十二首 并序(『万葉集 巻五』所収)」の原文があり、ここに序と32首の歌が原文で挙げてあります。
   → 資料578 梅花の歌三十二首 并序(『万葉集 巻五』所収

日本古典文学大系 5 『万葉集二』の頭注に、「令月はよい月。初春正月をほめていう」とあります。『万葉集』では、令月は正月をさして言っています。
令月(れいげつ)=①万事をなすのによい月。めでたい月。和漢朗詠集「嘉辰─」②陰暦二月の異称。(『広辞苑』第7版による。)
   
    3.  天平二年正月十三日に、大宰府の帥・大伴旅人(当時66歳)が邸宅で宴会を開いた時に詠まれた32首の梅の花の歌の序です。

日本古典文学大系『万葉集二』の頭注に、「この序の作者については、大伴旅人説、山上憶良説、某官人説などがある。序の文章構成は、王羲之の蘭亭集序のほかに唐詩の詩序をもまねている」とあります。
中西進氏は、その著『万葉集 全訳注 原文付』(一)(講談社文庫、昭和53年8月15日第1刷発行)の脚注に、「序の筆者は旅人」と書いておられます。
新日本古典文学大系1『万葉集一』(佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之 校注、岩波書店・1999年5月20日第1刷発行)の脚注には、「「帥老」は当時66歳であった大宰帥大伴旅人の自称。旅人自身が、序を作り、歌を配列したものであろう。旅人以外の人の作だとすると、822の旅人の歌の作者名注記が「主人」であって「主人卿」でないことの説明が難しい。序の作者を山上憶良とする説があるが、818の憶良の歌の作者名「筑前守山上大夫」は他称である」とあり、序の作者は大伴旅人だとしてあります。

また、万葉集「梅花謌卅二首幷序」の序の「初春令月、氣淑風和」の部分について、後漢の張衡(張平子)の「歸田賦」(『文選』巻十五所収)に、「於是仲春令月、時和氣清。」(是(ここ)に於て仲春令月、時和し氣清し。)とある由です。  (引用者注:「歸田賦」には、「仲春令月」とあって、この「令月」は陰暦二月のことです。)
この「歸田賦」のことは、伊藤博著『萬葉集釋注』三(集英社、1996年5月20日発行)や新日本古典文学大系1『萬葉集一』(佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之 校注、岩波書店・1999年5月20日第1刷発行)などにも触れてあります。
   伊藤博著『萬葉集釋注』三  ──  令月にして…「令月」は善き月。ここは正月をほめていったもの。『文選』巻十五帰田賦にも「是(ここ)ニ仲春ノ令月ニシテ、時和(やわら)カニ気清(す)メリ。」(於是仲春令月、時和気清)とある。また、「蘭亭集序」にも、「是ノ日ヤ、天朗カニ気清(す)ミ、恵風和暢(けいふうわちょう)セリ」(是日也、天朗気清、恵風和暢)とある。(同書、85頁)
  新日本古典文学大系1『萬葉集一』 ──  「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦」・文選十五)とある。(同書、529頁)


資料577に「歸田賦」(『文選』所収)があります。
   → 資料577 「歸田賦」(『文選』所収)
   
    4. 「令」には、「①命じる。②命令。「軍令」③教え。戒め。④法律。「法令」⑤長官。「県令」⑥善い。清らかで美しい。「令名」▽他人の妻・兄弟姉妹・子女に対する敬称としても用いられる。「令室」「令兄」「令妹」「令嬢」。⑦使役の助字。」などの意味があります。
元号に用いられた「令」は、勿論「善い」「清らかで美しい」の意味です。
〔「令」については、『角川 新字源』(昭和43年初版発行、昭和55年149版発行)・『改訂新版 漢字源』(学研・2002年改訂新版発行)などを参考に記述しました。〕
   
    5. 参考までに、中西進氏の『万葉集 全訳注 原文付』(一)(講談社文庫)の「于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」の部分の訳を引いておきます。
「時あたかも新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている。」(同文庫、376頁)
なお、「蘭」について、「蘭はフジバカマだが、広くキク科の香草をいう。ここでは梅と対にして香草をあげた文飾で実在のものではない」という脚注がついています。(同文庫、377頁)

   
         

         

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