資料564 野内浮石の「悼亡詩」 



    野内浮石(太春)が50歳の時に、妻が亡くなりました。江戸時代中期の宝暦12年(1762)4月11日のことです。
太春は詩を作って妻の死を悼みました。いわゆる悼亡詩と言われるものです。その詩が妻の石に刻んであります          
 
       


        野内浮石の「悼亡詩」 



       
刻 家 君 悼 亡 詩

憶 昨 紅 顔 操 作 前 腐 儒 自 愧 伯 鸞 賢
奉 吾 空 駐 隱 居 服 擇 對 還 憐 偃 蹇 年
浮 世 送 春 花 濺 涙 何 郷 此 日 永 生 蓮
夢 魂 不 似 招 魂 切 望 罷 長 歌 鼓 缶 篇




   これを普通の七言律詩の形に直しておきます。

           刻家君悼亡詩

        憶 昨 紅 顔 操 作 前
        腐 儒 自 愧 伯 鸞 賢
        奉 吾 空 駐 隱 居 服
        擇 對 還 憐 偃 蹇 年
        浮 世 送 春 花 濺 涙
        何 郷 此 日 永 生 蓮
        夢 魂 不 似 招 魂 切
        望 罷 長 歌 鼓 缶 篇


  (注) 1.  「悼亡」という言葉について、『旺文社漢和辞典』(赤塚忠・阿部吉雄編。改訂新版、1986年10月20日発行)には、「【悼亡】 妻の死をいたみ悲しむ。晋の潘岳(はんがく)が亡妻のために「悼亡詩」を作ったことによる。」と出ています。             
    2.  野内浮石については、資料269「野内浮石の寿蔵碑について」を参照してください。     
 →
 資料269「野内浮石の寿蔵碑について」 
   
    3.   晋の詩人・潘岳(はんがく)は、悼亡詩や秋興賦などで知られ、また美男としても有名で、潘岳が弾き弓を持って洛陽の道を歩くと、彼に出会った女性はみな手を取り合って彼を取り囲み、彼が車に乗って出かけると、女性達が果物を投げ入れ、帰る頃には車いっぱいになっていたといいます。 
 → フリー百科事典『ウィキペディア』「潘岳」の項を参照。
   
    4.  『晋書』潘岳伝(『晋書』巻55 列伝第25 夏侯湛、潘岳、張載)に、次のようにあります。 

岳美姿儀、辭藻絶麗、尤善爲哀誄之文。少時常挾彈出洛陽道、婦人遇之者、皆聯手縈繞、投之以果、遂滿車而歸。時張載甚醜、毎行、小兒以瓦石擲之、委頓而反。
 
   
    5.  潘岳の「悼亡詩」が、資料565にあります。
  → 資料565 潘岳の「悼亡詩」

  
   
           

 






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