なまよみの此の甲斐國(かひのくに)の此の酒折宮(さかをりのみや)はもよ。 纏向(まきむく)の日代宮(ひしろのみや)の天下(あめのした)しろしめしし天皇命(すめらみこと)の大御代(おほみよ)に、倭男具那(やまとをぐな)倭建男(やまとたけを)の天下(あめのした)のu荒建男(ますらたけを)~建男(かみたけを)と皇子(みこ)のいたるところ選(えら)び賜ひて、千引石(ちびきのいは)の重き難(かた)き 大命(おほみこと)を重浪(しきなみ)の頻蒙(しきかがふ)らして、西國(にしのくに)の无禮(いやなき)熊曾(くまそ)を言向(ことむ)け賜ひ東國(ひがしのくに)の荒振(あらぶ)る蝦夷(えみし)を和(やは)し賜ひて、~とも~と、うつそみの世に無比(たぐひな)き建(たけ)き由々(ゆゆ)しき 大御稜威(おほみいつ)の天下(あめのした)に萬代(よろづよ)に天津日(あまつひ)と照り耀(かがや)かす 宇豆(うづ)の大御子(おほみこ)倭男具那(やまとをぐな)倭建~命(やまとたけるのかみのみこと)の、事訖(を)へて 大事(おほごと)竟(を)へて 蜻蛉嶋(あきつしま)倭國(やまとのくに)に還(かへ)ります時、衣手(ころもで)の常陸(ひたち)を過ぎ、足柄の御坂(みさか)を越えて、御篶刈(みすずか)る科野國(しなののくに)の御坂(みさか)の~を平らげむと過(よぎ)りませる其の道の其の行宮(かりみや)と、~(かむ)ながら逗(とどま)りまして、後の世に片歌(かたうた)の續き歌の事の始めと仰(あふ)ぐなる新治(にひばり)筑波(つくは)の大御歌(おほみうた)を讀まし賜へる其の宮所(みやどころ)蹟處(あとどころ)と、百繼(ももつぎ)十嗣(とつぎ)御世(みよ)は移れど千年(ちとせ)五百年(いほとせ)歳(とし)は經(へ)ぬれど、宜(よろ)しなへ宮は失(う)せせず跡は絶えせず、今行(ゆ)く前(さき)も、ひさかたの天津日(あまつひ)と天津日嗣(あまつひつぎ)と、倭男具那(やまとをぐな)倭建~命((やまとたけるのかみのみこと)の無比(たぐひな)き建(たけ)き御稜威(みいつ)の大御名(おほみな)と共々(ともども)に諸共(もろとも)に長らへて傳はりて、萬代(よろづよ)に常(とこ)とはに弥高(いやたか)に弥廣(いやひろ)に照り行(ゆ)かむ榮(さか)え往(ゆ)かむ宮處(みやどころ)蹟處(あとどころ)。 寛政の三年といふ歳(とし)の正月 |