資料537 野内太春著「浮石詩稿」 注 (暫定)



      野内太春著「浮石詩稿」 注    (暫定)


    資料531の「野内太春著「浮石詩稿」」の注を、分かる範囲で記して行きたいと思います。
お分かりのところをご教示願えるとありがたいです。
(算用数字は、資料531 野内太春著「浮石詩稿」の番号です。)
       修正:2017年9月8日現在
 





1.〇赤水長子玉……長久保赤水(1717~1801)。水戸藩の地理・農政学者。名は玄珠(はるたか)。 赤水は号。子玉は字(あざな)長子玉は、長久保子玉を漢風に言ったもの。多賀郡赤浜村(現・高萩市)の農家に生まれる。明和5年(1768)、郷士となる。1770年代に完成した「改正日本輿地路程全図」は、経緯線を記入した最初の日本地図として知られる。
 赤水がそれまでの守道
(もりみち)の名を玄珠(はるたか)伯義という字(あざな)を子玉(しぎょく)と改めたのは、赤水が学問の功により水戸藩の郷士格に取り立てられた明和5年(1768)のことだと、『地政学者 長久保赤水伝』(長久保片雲著、暁印書館・昭和53年9月15日初版発行)の巻末の略年表にある。
 参考:→『ウィキペディア』の「長久保赤水」 
 
 〇兒敎……兄以孝の子、敎か。11.13.16.151.155.158.175.190.にも出ている。
 〇肺膓……肺と腸。転じて、心をいう。


2.〇赤濱長君……多賀郡赤浜村の長久保君の意。
 〇巖阿……
阿は、おか。くま。山や川の曲がって入りこんだ所。山阿。水阿。

3.鱸先生……鈴木先生。鈴木玄淳(松江)(1703~1784)のこと。鈴木玄淳は、字を子林、号を松江(しょうこう)といった。多賀郡友部村の人。同郡下手綱村に医を開業。詩文をよくした。 松岡七賢人の盟主。 著に『詩語考』『唐詩平仄考』『百姓日用訓』等がある。(秋山高志著『在郷之文人達 近代之予兆』による。)
  参考: → 『ウィキペディア』の「鈴木玄淳」
 〇杏林
……医者のこと。 『神仙伝』に、三国時代、呉の医師、董奉が治療代をとるかわりに患者に杏(あんず)を植えさせ、数年で杏の林ができた、という話が出ている。

4.〇鶴子森君……不詳。後の詩に、「森秀才」「杜秀才」とある。森鶴子とは誰か。
 〇大田監鋳銭
……藤井典子氏の「明和期水戸鋳銭座における「吹方職人」の雇用事情」(『史学』第72巻第3・4号、平成15年12月発行に掲載)に、「本稿では、(中略)転換期の銭座における運営資源の調達事例として、明和五年(1768)から安永六年(1777)までの間、水戸藩久慈郡太田村木崎下に開設された銭座(以下「水戸鋳銭座(いせんざ)と称す)を取りあげる」とある。ここの「大田監鋳銭」の「大田」は、この太田村を指すか。
 藤井典子氏のこの論文を読むには、次のURLによってダウンロードする必要があります。
     → 藤井典子「明和期水戸鋳銭座における「吹方職人」の雇用事情」
   
 〇王生……王衍
(おうえん)
 〇分曹……不詳
 〇阿堵……1.これ。この。このもの。 2.銭(ぜに)の別名。晋の王衍(おうえん)が銭を口にするのもけがらわしいと思い、このものと言った故事に基づく。〔晋書、王衍傳〕妻郭氏、…聚斂無厭。…衍疾郭之貪鄙。故口未嘗言錢。郭欲試之、令婢以錢繞床、使不得行。衍晨起、見錢謂婢曰、擧阿堵物却。

5.〇廣澤謙禅師……90.の詩に、大子町上金沢にある曹洞宗の寺院、常明寺に、「安(謙禅師の)霊骨」とある。「廣澤」は、常陸太田市瑞竜町にある曹洞宗の寺院、廣澤山耕山寺のことか。  90.に「故耕山謙禅師」とある。なお、謙禅師は、6.74.75.77.90.に出ている。
 〇月照本師……不詳。
 〇蕙(けい)……1.かおりぐさ(香草)。 2.香草の通称。 3.蘭の一種。

6. 〇廣澤謙禅師……5.に注あり。常陸太田市瑞竜町にある曹洞宗の寺院、廣澤山耕山寺の僧か。
 〇蒿…………
1.よもぎ。 2.乱れ茂る草のたとえ。
 〇譬喩車……不詳。法華経の「三車火宅の譬喩」のことか。

7. 藏六菴……蔵六庵。蔵六は、斉藤以孝(元禄13年1700~明和7年1770)。浮石太春の兄。以孝は蔵六主、夢中翁と号した。

11. 兒敎……1.に既出。13.16.151.155.158.175.190.にも出ている。
 〇比屋……のきなみ。家を並べる。

13.
〇兒敎……1.に既出。11.16.151.155.158.175.190.にも出ている。
 〇將徹……
不詳。
 〇罍(ライ) ……たる。さかだる。 (ルイ)たらい。

15.〇藏六菴……前出。蔵六庵。蔵六は、斉藤以孝。浮石太春の兄。
 〇丈人……1.老人。丈はつえで、老人は杖を使うからいう。 2.妻の父。祖父。

16.〇兒敎……1.に既出。11.13.151.155.158.175.190.にも出ている。
 〇慁(こん)
……うれえる。みだす。けがす。はずかしめる。
 〇陸生……漢代初期の政治家、陸賈(りくか)のこと。「「生」は、学問のある人に対する呼称」と、新釈漢文大系の『史記十(列伝三)』(水沢利忠著)にある。『史記』巻97、「酈生れきせい)陸賈(りくか)列伝第37」に、「謂其子曰、「與汝約。過汝、汝給吾人馬酒食。極欲十日而更。……」(其子に謂ひて曰く、「汝と約す。汝に過(よぎ)らば、汝吾が人馬に酒食(しゅし)を給せよ。欲を極むること十日にして更(か)へん。)とある。
 〇極欲十日而更……十分満足したら、十日で別の所に移る。
 〇
極欲……
欲望の限りを尽くす意。

17.〇罍(ライ) ……たる。さかだる。 (ルイ)たらい。
 〇友于(ゆうう)……
1.兄弟が仲よくすること。▽孔子が「論語」の為政篇に引用した「書経」のことば、「友于兄弟」(兄弟(けいてい)に友(ゆう)に)の上の二字をとって四字の意味を表したもの。 2.仲のよい兄弟。

18.〇維寶……不詳。
 〇韋賢……
不詳。韋は、中唐の詩人、韋応物か。

19.〇所生……1.生みの親。父母。  2.生んだ子。

21.〇蹇(けん)……あしなえ。なやむ。とどまる。
 〇潘子……潘岳(はんがく)のこと。中国、晋の詩人。悼亡詩・秋興詩などで知られる。また、美男であったことでも知られる。悼亡詩とは、妻の死をいたみ悲しむ詩のこと。
  浮石の妻の墓碑に、「刻家君悼亡詩」として、次の七言律詩が刻してある。
   憶昨紅顔操作前 腐儒苟愧伯鸞賢
   奉吾空駐隠居服 和對還憐偃蹇年
   浮世送春花涙 何郷此日承生渙
   夢魂不似招□□  望罷長歌叙缶篇
  この「家君」は、他人に対して自分の父をいう、と辞書にある。この墓石を建てた浮石の息子が「わが父の悼亡詩をここに刻した」と書いたのであろうか。浮石の妻は、浮石50歳の時の宝暦12年4月11日に亡くなっている。

 〇落帽……落帽之辰は、陰暦九月九日の節句。晋の桓温が九月九日に竜山で宴した時、風が吹いて孟嘉の帽子を吹き落としたので、人に命じて文を作らせて嘉を嘲笑したところ、これに答えた嘉の文が非常に美しかった、という故事に基づく。(晋書、孟嘉伝) 辰は、とき、時刻や日。
 〇交態……交際のありさま。交際のしかた。
 〇遮莫……さもあらばあれ。どんなに……でも。しかたがない。ままよ。
 〇兒曹……子どもたち。曹は、人の複数を表す。(185.にも)

22.〇賢麟禅師……不詳。賢麟禅師の住む烏山の天性精舎は、曹洞宗の南台山曹源院天性寺。
 〇天性精舎……天性寺。曹洞宗の寺院。南台山曹源院天性寺。
 〇九皋(きゅうこう)……奥深いさわ。奥深く遠い所のたとえ。詩経(小雅、鶴鳴)に、鶴鳴于九皋、聲聞于野。
 〇九皋ノ鳴鶴……沼沢地で鳴いている鶴。身を隠していても有名になるたとえ。また、画題の一。

23.〇日光山松慶精舎……馬頭町(現・那須郡那珂川町)谷川にある日光山東光院松慶寺。真言宗智山派。那須三十三観音三十二番札所。
 〇尊壽上人
……馬頭町(現・那珂川町)谷川の日光山松慶寺の住職。

24〇小口森秀才……小口は、馬頭町(現・那珂川町)の小口か。森秀才は、不詳。前に「鶴子森君」とあったのと同一人物か。
 〇満籝……籝
(えい)は、物を入れておく竹で作ったかご。漢書・韋賢に、「遺子黄金満籝、不如一經」とある。

25.〇小口……馬頭町(現・那珂川町)の小口か。
 〇河西の藤秀才……不詳。
 〇山光精舎……不詳。


26.
杜秀才……前出の森秀才か。
 〇寶泉寺……不詳。

27.河西の藤君……25に「西の藤秀才」とあった。不詳。
 〇……こみち。ただちに。まっすぐに。送り仮名に「チニ」とある。ここは「こみちに」か、あるいは「ただちに」か。
 〇琳琅……美玉の名。玉が触れ合って鳴る音の形容。美しい詩文のたとえ。

29.丹楓(たんぷう)……紅葉したかえで。

30.郢中友……不詳。
 〇離群……1.仲間から離れる。 2.非常にすぐれていて、仲間にぬきんでること。=抜群。

31.窮陰……陰気のきわまったとき。冬の末のこと。 

32.……天下。世界。ちまた。

33.赤水長君……前に「赤水長子玉」「赤濱長君」とあった。長久保赤水。水戸藩の地理・農政学者。赤水は、明和5年(1768)に郷士に列せられた。
 〇郷曲
……かたいなか。曲は、かたよった所。
 〇升平
……穀物がよくみのって、その値段が平らかで適切なこと。一説に、昇平と同じく、太陽がのぼるように豊かに栄える世。太平の世。


35.
〇尊壽上人……前出。馬頭町(現・那珂川町)谷川の日光山松慶寺の住職。
 〇躋攀(せいはん)……よじのぼる。

36.〇蟠木(はんぼく)……蟠は、まがる。わだかまる。とぐろを巻く。わらじむし。
 〇輪囷(りんきん)……まがりくねっているさま。囷は、まるい穀物ぐら。

37.仁里……仁風のある村里。風俗の美しい村里。
 〇源秀才
……不詳。
 〇杏林青先生……
医師の青先生。不詳。 杏林は医者のこと。 『神仙伝』に、三国時代、呉の医師、董奉が治療代をとるかわりに患者に杏(あんず)を植えさせ、数年で杏の林ができた、という話が出ている。杏林は、 3に既出。
 〇鶡羽冠(かつうのかんむり)
……(かつ)は、やまどり。雉に似た野鳥。勇猛で好戦的であり、死んでも退かない。昔、武人はその勇気にあやかり、隠者は勇退の意を示すため、その羽を冠の飾りとした。
 〇蕙(けい)……5に既出。 1.かおりぐさ(香草)。 2.香草の通称。 3.蘭の一種。


38.源秀才……不詳。37に既出。
 〇雲巖禅寺
……大田原市にある臨済宗妙心寺派の寺院。『奥の細道』の旅で、芭蕉が立ち寄った寺院として知られている。
  → 『ウイキペディア』の「雲巖寺」
 〇去前歯
……不詳。

39.(げき)……はきもの。下駄のようなもので、木または革や帛(はく・きぬ)でつくる。
 〇鹿門期……鹿門は、湖北省にある鹿門山か。鹿門山は、唐の詩人、孟浩然が隠居した所。


40.〇東山三佛堂
……東山は、雲巖寺の山号。
 〇謝公……南朝、宋の詩人・謝霊運のことか。

41.〇羅浮夢……隋の趙師雄が羅浮の梅花村に宿泊し、夢で梅の精と会った故事。羅浮は山名。広東省増城県の東にある。東晋の葛洪(かっこう)が仙術を修得した所と伝える。山麓は梅の名所として有名。

42.
天巖老師……不詳。

43.己丑冬……己丑は、明和6年(1769)。
 〇壽松享禅師……壽松は、栃木県真岡市高田にある寿松寺のことか。不詳。
 〇氤氳
(いんうん)……気がたちこめるさま。気の和らぐさま。声の調子がよいさま。おだやかにこもるさま。

44.〇吾止叟……浮石太春の称。 野太春の「浮石」という号の由来を詠んだ詩。

45. 〇歳杪(さいびょう)……歳末。
 〇楝公……不詳。楝は、おうち、せんだん。
 〇方外……浮世の外。世俗を超越した世界。方外友は、世俗の外の交わりを結ぶ友。浮世から超然とし名利にとらわれぬ友。

46. 吉成氏……吉成玄意のことか。吉成玄意は、名は元恭、字は子譲。
 〇……わたしば。きし。
 〇臥遊(がゆう)……寝ながら絵を見て、その地に行った気持ちになって楽しむこと。旅行記や地図などを見て旅行気分を味わうこと。


49. 〇龍華役先生……不詳。
 〇鳳穴(ほうけつ)……詩文の才能のある者があつまっている所。
 〇解頤(かいい)……いをとく・おとがいをとく。下あごを外す。感服のあまり、あいた口がふさがらないこと。非常に感心すること。また、あごのはずれるほど大口をあいて笑うこと。

50.藤秀才……不詳。25に「河西の藤秀才」、27 に「河西の藤君」とある。
 〇過訪
(かほう)……通りすがりに人の家を訪問すること。

51.
〇藤生……不詳。藤秀才と同じ人物か。
 〇済勝(さいしょう)……済勝之具は、景色のよい所を歩きまわる道具。丈夫な足をいう。健脚。

52.〇藤秀才……不詳。25に「河西の藤秀才」、27に「河西の藤君」、51に「藤生」とある。
 〇投轄(とうかつ)……客を引きとめてもてなすたとえ。轄は、車のくさび。漢の陳遵(ちんじゅん)が、客の車のくさびを取って井戸の中に投げ込み、急用があっても帰らせなかった故事。(漢書)
 〇傍……はべる。よる。よりそう。送り仮名が「フ」とあるので、「傍(そ)ふ」「傍(よりそ)ふ」か。

54.〇玄珠……1.道家でいう道味体。道の真面目をいう。 2.黒い玉。

55. 〇藏六菴……7.と 15.に既出。蔵六庵。蔵六は、斉藤以孝。浮石太春の兄。以孝は蔵六主、夢中翁と号した。野内家は、太春のとき斉藤姓から野内姓に復姓している。
 〇休吾居士……兄以孝の子、野内以敬(太春の甥)のことか。不詳。
 〇浮名実際に過ぎた評判・明生名声・名誉。過分のほまれ。虚名。
 〇尚平……前(33.)に出た「升平」と同じか。

56.〇鷲栖山……大子町下金沢にある真言宗智山派の寺院、鷲栖山法光院性徳寺。『新編常陸国誌』久慈郡下金沢のところに、「《性徳寺》真言宗、町付慈雲寺末、鷲巣山寶光院ト号ス〕除地七石九斗八升九合」とある。山号は、「わしゅうざん」と読むか。
 〇蘭臺……
1.地名。春秋時代、楚王が宋玉と遊んだ所。 2.春秋時代、楚王の宮殿の名。 3.漢代、宮中の蔵書所のこと。 4.史官のこと。ここは、1.の意か。
 〇河朔歡……河朔は、黄河以北の地。河北。朔は、北。河朔飲は、後漢の劉松が袁昭の子弟と河朔で夏のさ中に酒を飲んで避暑した故事から、避暑の酒盛りをいう。


57.〇泉州董仙子……不詳。

58.高鳳(こうほう)……後漢の人。
 〇流麥
……読書に夢中になること。後漢の高鳳が、庭にさらしてあった麦が強い雨に流されるのも知らずに読書していたことから。(後漢書)

59.薝葡(たんぷく・せんぷく)……くちなしの花。
 〇躋攀(せいはん)……
よじのぼる。 35.に既出。
 〇荀家子……不詳。


60.冥搜……はるか奥深いところまで捜し求める。
 〇……仙人。
 〇降神篇
……不詳

61.菊君……不詳

62.……あつまる。

63.〇小澤君……不詳
 〇胡床……1.背に寄りかかりのある、不用の時は畳んでおけるいす。 2.しょうぎ。 3.あぐら。
 〇熏灼(くんしゃく)……1.煙をたててもやす。 2.勢力が盛んになることのたとえ。
 〇朱門……高官の人の家。
 〇當路……重要な地位にいて権力を握っていること。また、その人。当局。
 〇賓筵(ひんえん)……客をもてなす宴席。


66.〇父逝已三十有三年……父は、浮石太春の父、斉藤方英。方英の没年は元文3年(1738)。  したがって、33年後は明和8年(1771)年か。
 〇昊(こう)……なつぞら。大空。 昊天は、空。大空。

67.龍泰英禅師……不詳

68.〇小口森君……小口は、馬頭町(現・那珂川町)の小口か。24.に、小口森秀才とある。
 〇過訪(かほう)……50.に既出。通りすがりに人の家を訪問すること。
 〇舃
せき・しゃく)……くつ。二重底のくつ。かささぎ(鳥の名)。


69.狩氏……不詳
 〇妝(しょう)
……女がすらりと姿を整えること。

70.蘇子、賈生……不詳。

71.有皮……詩経に「相(み)」という詩あり。「鼠を相(み)るに皮有り。人にして儀無し。」
 〇危坐……物に寄りかからず、きちんと背を伸ばして座坐る。危は、高くそそり立つさま。


72.過訪(かほう)……50.68.に既出。通りすがりに人の家を訪問すること。

73.顧盻(こけい)……顧は、かえりみる。盻は、にらむ。憎しみをこめて見ること。「顧眄(こべん)」ならば、後ろを流し目で見る。「顧盼」ならば、かえりみる。気を ひかれる。
   眄(べん)は、見る、流し目で見る。盼
(はん・へん)ならば1.(形容詞)目の黒めと白めとが、はっきりわかれたさま。目つきが涼しそうである。2.(動詞)のぞむ。目を輝かして待ちのぞむ。
 〇薜蘿(へいら)……1.かずら、と、つた。 2.隠者の服。
 〇青蠅(せいよう)
……腹部が青黒色の大形のはえ。読書をする小人のたとえ。
 〇曲肱(きょくこう)……ひじをまげる。「 曲肱之楽」は、寝るのに肱を曲げて枕とするような清貧の中でも、たえず正しい道を行う楽しみ。(論語)


74.廣澤謙老禅師……5.6.前出。75.77.90.にも出ている。

75.謙禅師……5.6.に前出。74.77.90.にも出ている。
 〇示寂……仏・菩薩・僧が死ぬこと。
 〇趺坐
(ふざ)……僧が足を組み、足の甲を反対側のももの上にのせて坐ること。円満安楽の相とされる。
 〇隻履
……隻履西帰(せきりせいき)とは、達磨の死後、西域で、片方の革の草履をはいて西方に行く姿を魏の宋雲が見、墓を掘ったところ、片方の草履しかなかったという伝説。

76.老萊……萊は、あかざ。雑草の名。つまらないもののたとえに用いる。老萊子は、周代、楚の人。非常に親孝行で、70歳の時に、五色の衣服を着て幼児の遊びのまねをしたり、幼児の泣き声をしてみせたりして、親を楽しませたという。一説に、この人が老子だという。

77.廣澤謙禅師……5.6.74.75.90.にも出ている。
 〇隻履……75.
に前出。
 〇
反哭(はんこく)……喪礼の儀式の一。死者を埋葬してから、帰って正寝(表御殿)で哭すること。哭は、大声で悲しみ泣く礼。


78.〇鷲栖山……56.に既出。大子町下金沢にある性徳寺。
 〇佳辰……佳日に同じ。1.よい日。寒暖のほどよい晴れた日。 2.めでたい日。吉日。


79.孀娥……やもめの寡婦。
 〇紈扇
(がんせん)……白い練りぎぬで作ったうちわ。紈は、しろぎぬ。ぜいたくな衣料。

80.(がん・かん・げん)……=銜(かん・がん)。くつわ。はみ。ふくむ。はむ。くわえる。

81.金砂龍上人……不詳。
 〇苦……はなはだ。
 〇岧嶤
(ちょうぎょう)……山の高いさま。
 〇耆闍崛(きとくつ・きじゃくつ)……耆(き)は、おいる。老人。
60歳あるいは80歳をいう。闍(と。じゃ)は、うてな。二階になった城門。また、城の外ぐるわの内側の門の上につくったものみ台。崛は、いわや。山のほら穴。
 〇雁塔……雁を供養するために建てた塔。


83.塩原妙雲寺……塩原の妙雲寺は、清盛の妹妙雲禅尼が開祖と言われる臨済宗の寺院。ぼたん祭りで有名。

84.〇金壺山……常陸太田市にある金壺神社のことか。不詳。

86.〇眞龍上人……大子町町付にある金剛山千手院慈雲寺の住職。慈雲寺は、真言宗智山派の寺院。
    秋山高志著『在郷之文人達 近代の予兆』(那珂書房、2011年6月1日初版第1刷発行)に、次のようにある。
 「大雲上人(享保9~天明6/1724~1786)は名を梁天、字を真龍、号を大雲、十喩庵といった。常陸国小木津の人、久慈郡町付村金剛山慈雲寺の住職で、詩文を善くし、七弦琴の名手でもあった。「十喩庵遺稿」は高野世龍・木村謙が編修したが、版になったか否かは判らない。ちなみに大雲上人の墓表は立原翠軒の撰で、墓碑は水戸の郊外六地蔵寺にある。」
  なお、「十喩庵遺稿」は北海道大学附属図書館蔵。画像で全文を見ることができます。

  北海道大学附属図書館
   
→ 上方の帯の左方にある「資料を探す」にカーソルを当て、そこに出て来た「北方資料データベース」をクリック
  → そこの検索欄に「十喩庵遺稿」と入力して検索 。
  
→  「1.十喩庵遺稿/十喩梁天著(日本北辺関係旧記目録)全」をクリック
     →  下の「全文データ」の「あり。全文を見る」をクリック。
     →  
十喩庵遺稿

  
「十喩庵遺稿」の中に、「寄賀浮石翁六十初度」(4,27/37)、「訪埜浮石翁」(19/37)、「和浮石翁席上見贈之韻」(20、27/37)という詩が出ています。
   * 数字は、北海道大学附属図書館蔵の画像番号。

  〇金剛山……慈雲寺。
  〇慈雲寺……大子町町付にある真言宗智山派の寺院、金剛山千手院慈雲寺。 『新編常陸国誌』仏寺、真言宗のところに、「【慈雲寺〔久慈郡町付村、本寺醍醐報恩院〕】朱印地十石六斗餘、金剛山千手院ト號ス、末寺廿四ヶ寺〔補・内一ヶ寺ハ下野、十八ヶ寺ハ陸奥ニアリ〕、門徒九ヶ寺〔補・内二ヶ寺ハ下野、七ヶ寺ハ陸奥ニアリ〕、又末寺十四ヶ寺〔補・内一ヶ寺ハ下野、十一ヶ寺ハ陸奥ニアリ〕、又門徒三十四ヶ寺〔補・内九ヶ寺ハ下野、二十五ヶ寺ハ陸奥ニアリ〕、曾孫門徒三ヶ寺〔幷下野ニアリ〕、地中二ヶ寺〔養福院、泉藏院ト云フ〕アリ、血脈云、宥尊宥印〔澤村觀音寺〕、宥心宥意黒澤慈雲寺開山祖」とある。

87.〇羽黒山……どこの羽黒山のことか。
 〇葛山道士……不詳。

89.木秀才……木村謙(1752~1811)のこと。木村謙次ともいう。
    →
Wikipedia 木村謙次 

90.常明寺(じょうめいじ)……大子町上金沢にある曹洞宗の寺院。
 〇謙禅師……5.6.
74.75.77.に前出。どこの住職か不詳。


91.金剛龍上人……86.に既出。大子町町付にある金剛山慈雲寺の住職、真龍上人。

92.眞龍上人……86.91.に既出。慈雲寺の住職。(→ 86.を参照)

93.木秀才……89.に既出。木村謙(1752~1811)のこと。木村謙次ともいう。

94.櫻先生……不詳。櫻井龍淵(1755~1805)は、没年が合わない。
 〇杏林……杏の林。医者のこと。 3.の注に『神仙伝』の故事が出ている。


96.〇性徳寺……56.の注参照。大子町下金沢にある真言宗智山派の寺院、鷲栖山法光院性徳寺。
 〇金剛山主龍上人
……慈雲寺の僧侶、真龍上人。大子町町付にある。既出。(86.を参照)

102.〇田秀才……不詳。

110.〇夢想瀧……矢祭町にある。

116.〇眞龍上人……86.91.92.に既出。慈雲寺の住職。(86.を参照)

117.〇吉君……46.に出ている「吉成氏」のことか。

122.〇龍上人……86.91.92.116.に既出。慈雲寺の住職。(86.を参照)


126.恭覺生……不詳。

128.紋孺……不詳。

129.義享禅師……大子町頃藤の長福寺の住職。
 〇長福精舎……大子町頃藤にある曹洞宗の寺院、長福寺。号は東勝山。長元2年1029梅閑が律宗の寺として開基。文明元年(1469 )、曹洞宗に改めた。本尊は十一面観音像。

130.鞠君……不詳。

133.丹道師……不詳。

136.河堯山……高萩市安良川にある曹洞宗の寺、川堯山玖台寺のことか。
 〇方禅師
……安良川の川堯山玖台寺の住職か。不詳。

138.〇會澤君……不詳。

139.〇常安寺……不詳。

141.〇眞龍上人……86.91.92.116.に既出。慈雲寺の住職。(86.を参照)

142.〇慈雲精舎……大子町町付にある真言宗智山派の寺院、金剛山千手院慈雲寺。86.に既出。

144.〇眞龍上人……86.91.92.116.141.に既出。慈雲寺の僧侶。(86.を参照)

147.〇丹道師……不詳。133.に既出。

149.〇……頭が変になってたおれる。気が狂う。
 〇我篇……不詳。(の漢字は、島根県立大学の“e漢字”を利用させていただきました。)

150.〇杜君……不詳。前出の「森秀才」「杜秀才」のことか。
 〇駿州浮山師……不詳。

151.〇兒敎……1.に既出。11.13.16.155.158.175.190.にも出ている。

152.〇田君、田氏……102.に前出の「田秀才」のことか。不詳。



154.吉家令郎君……不詳。

155.兒敎……1.に既出。11.13.16.151.158.175.190.にも出ている。

156.〇姪藤生……不詳。

157.〇水鏡菴……不詳。
 〇傳和尚……不詳。 
 〇彌天
(びてん)……1.空一面に満ちる。 2.志が高遠で、徳の大きいことのたとえ。

161.〇杜子敏……不詳。前出の「森秀才」「杜秀才」のことか。
 〇三笞橋梓……さんちきょうし。「三笞」とは、三たび鞭うたれること。「橋梓」は、「喬梓」に同じ。ともに木の名。転じて、父子の道。また、父子。
 『世説新語』排調第二十五に、
 尚書大傳曰、伯禽與康叔見周公、三見而三笞。康叔有駭色、謂伯禽曰、有商子者、賢人也。與子見之。乃見商子而問焉。商子曰、南山之陽有木焉、名喬。二三子往觀之。見喬、實高高然而上。反以告商子。商子曰、喬者、父道也。南山之陰有木焉、名曰梓。二三子復往觀焉。見梓、實晉晉然而俯。反以告商子。商子曰、梓者、子道也。二三子、明日見周公。入門而趨、登堂而跪。周公拂其首、勞而食之、曰、爾安見君子乎。禮記曰、成王有罪、周公則撻伯禽。亦其義也。
 とある。(成王……成王は、文王の子。周公は成王に、文王の世子としての道を教えるため、 代りに子の伯禽を鞭打った。) 〔『世説新語』の項は、新釈漢文大系78『世説新語 下』目加田誠著による。〕

 〇蔚……イ。ウツ(慣用音)。草の名。おとこよもぎ。
 〇蓼……
リク。蓼蓼(リクリク)とは、長く大きいさま。
 〇莪……よもぎの一種。つのよもぎ。
 〇蓼莪之詩(りくがのし)……「蓼莪」は、『詩経』小雅にある詩の名。親が死んで孝養をつくせなかった悲しみをうたったもの。
        蓼莪
 蓼蓼者莪 匪莪伊蒿 (蓼蓼たる莪(が) 莪に匪ずして伊(こ)蒿(かう)
 哀哀父母 生我劬勞 (哀哀たり父母  我を生みて劬勞せしむ)
 蓼蓼者莪 匪莪伊蔚 (蓼蓼たる莪(が) 莪に匪ずして伊(こ)れ蔚(ゐ)
 哀哀父母 生我勞瘁 (哀哀たり父母  我を生みて勞瘁せしむ)
  (以下、略)
 莪(が)
は、若葉のころは香りも高く味もいいが、秋になって丈高く伸びると、とても食べられないものとなる、という。

162.〇金剛主人
……金剛山千手院慈雲寺の住職。86.91.92.116.141.に既出。(86.を参照)

163.〇吉醫伯……不詳。

164.〇長生……不詳。

167.〇乾餱
……=乾飯。ほした飯。ほしいい。
 〇愆(けん)
……1.あやまつ。たがう。 2.ふとしたことから、病気にかかる。

170.乾餱主人……不詳。 乾餱は、167.の注参照。

171.藤田氏……不詳。

172.役氏……不詳。

173.凉州道人……不詳。
 〇關子洲……不詳。

174.小平山、…小平精舎…不詳。

175.兒敎
……1.に既出。11.13.16.151.155.158.190.にも出ている。

176.善量師……不詳。

 177.辛卯……明和8年(1771年)。
 〇弥平次……不詳。

178.南陽……今の河南省南陽市。諸葛亮の故郷。また、後漢の光武帝の育った所。

181.梅里先君……梅里先生。徳川光圀。

183.正念寺主人尊者……正念寺は、常陸太田市久米町にある浄土真宗本願寺派の寺院のことか。

184.印覚禅師……那須郡武茂村松野にある白龍山松林寺の住職。

185.児曹……子どもたち。曹は、人の複数を表す。(21.に既出。)
 〇明和壬辰
……明和壬辰は、明和九年(1772年)。この年11月16日に改元、安永元年となる。太春浮石は、正徳3年(1713)の生まれなので、明和九年(1772年)に還暦を迎えた。

187.
原憲……孔子の弟子。字は子思。貧窮を苦にせず、寡欲で清貧の生活を送った。

188.己亥……安永八年(1779年)。

189.
華厳存公……不詳。
  〇遐棄(かき)……遠ざけて見捨てる。
  〇丘師……不詳。
  〇方外……区域の外。俗世間の外。仏教をいう。
  〇藻思……詩文を作る才能。藻は、詩歌・文章の美しいことば。
  〇澥……1.陸地に大きく分け入った海。特に渤海をいう。2.海。

190.
兒敎……兄以孝の子、敎か。1.11.13.16.151.155.158.175.に既出。
 〇壬辰……明和九年(1772年)。
 〇阿爺(あや)
……父を親しんで呼ぶ語。

191.跫然(きょうぜん)
……足音が遠くからさえてひびくさま。
 〇
連璧……一対の美しい玉。一対の美しいものや、すぐれた二人の友人にたとえることもある。
 〇聲咳……謦咳の誤写だと考えられる。

192.
遮莫(しゃばく)……さもあらばあれ。どんなに……であろうとも。しかたがない。ままよ。

193.
鷲栖山……56.に既出。大子町下金沢にある性徳寺。山号は、「わしゅうざん」と読むか。
 〇香臺……香炉をのせる台。仏殿の別名。
 〇曹……ともがら。なかま。


194.中務山……不詳。

195.田先生……102.152.に前出の「田秀才」のことか。不詳。
 〇鞠君……130.に前出、不詳。
 〇環堵……家の周囲のかきね。狭い家。貧しい家。季孫賜……魯の大夫の季孫から贈られたもの。季孫は、魯の大夫の家の氏。
 〇易簀(えきさく)……病床をとりかえることで、人の死をいう。簀は、床の上に敷くすのこ。孔子の門人の曾參が臨終の時、今まで敷いていた大夫用の簀を、身分にふさわしくないといって取りかえさせた故事。〔礼記〕檀弓上。曾子曰、然。斯乃季孫賜也。我未之能易也。元起易簀。

196.霞……赤い色。美しい色どり。
 〇絶……ぬきんでている。すぐれる。卓絶。

197.益君……不詳。
 〇顧廬……顧は、たずねる。おとずれる。

198.東都河君保壽……不詳。
 〇墨妙……文章の巧みなこと。書法の巧みなこと。絵画の巧みなこと。
 〇
彌天(びてん)……1.空一面に満ちる。 2.志が高遠で、徳の大きいことのたとえ。



  (注) 1.  上記の野内太春著「浮石詩稿」注(暫定)は、資料531  野内太春著「浮石詩稿」の注です。    
    2.  上記の注を記入するにあたっては、主として次の辞書を参照しました。
 〇『廣漢和辭典』(大修館書店、昭和56年~57年初版発行)
 〇『改訂新版 漢字源』(学習研究社、1988年11月10日初版発行、2002年4月1日改訂新版発行)
 〇『旺文社漢和辞典 改訂新版』(旺文社、1964年3月15日初版発行、 1986年10月20日改訂新版発行)
   
    3.  野内太春については、資料269 「野内浮石の寿蔵碑について」をご覧ください。    
           

 





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