資料509 国民学校暫定教科書『初等科国語一』(本文)





(暫定教科書)

  『初等科國語 一』(昭和21年度 第三學年前期用) 文部省

 
            もくろく
    一 光は空から
    二 おたまじゃくし
    三 かひこ
    四 おさかな
    五 ふなつり
    六 川をくだる
    七 田  植
    八 電  車
    九 子ども八百屋
    十 夏の午後
   十一 夏やすみ
   十二 日  記
   十三 月 と 雲
   十四 つりばりの行くへ
   十五 田道間守
(たぢまもり)
   十六 映  畫
   十七 聖德
(しやうとく)太子
   十八 養  老
   十九 ぼくの望遠鏡
   二十 秋
  二十一 火  事
  二十二 菅原道真(すがはらのみちざね)
  二十三 梅
  二十四 小さな温床
  二十五 雪  舟
  二十六 春 の 雨
  二十七 大 れ ふ

 
(注)教科書には、第一分冊にだけ「もくろく」がついています。その「もく
   ろく」には、「十一 夏やすみ」までしか出ていません。


    一 光は空から

 光は空から 若葉から、
 明かるい、明かるい 若葉から。
  天長節は うれしいな。

 花から花へ てふがまひ、
 花から花へ はちがとぶ。
  天長節は うれしいな。

 小鳥のおんがく ほうほけきょ、
 ちいちい、ぴぴい、ほうほけきょ、
  天長節は うれしいな。

 川が流れる、野がつづく、
 ふもとの町は 旗のなみ。  
  天長節は うれしいな。 

最終行の「天長節は うれしいな。」が、暫定教科書には印刷されていないのですが、
 これは脱落したものとみて、引用者が補いました。
 


    
二 おたまじゃくし

 おたまじやくしは、毎日、大勢の兄弟や仲間といつしょに、池の中を泳いでゐました。まるで、ありの行列のやうに、あとからあとから、ぞろぞろとつづいて行きました。どれも、これも、まるい頭をふり、長い尾をふつて、元氣よく泳いでゐました。
 おたまじやくしは、手も足もなくて泳げるのですから、自分たちの親が、あの四本足の蛙だらうとは、思つてゐませんでした。それよりも、ときどき池の中で見かける鯉やふなが、親ではないかと思つたことがありました。また、小さなめだかを見ると、これも、自分たちの仲間ではないかと、思つたこともありました。
 しかし、おたまじやくしには、たくさんの兄弟があるのですから、親のそばにゐなくても、ちつともさびしくはありませんでした。また、めだかや、どぢやうなどといつしょに、遊ばなくてもよいのでした。春の日は、だんだん過ぎて行きました。水草が靑々とのび、水の上には、ときどきとんぼがとんで來て、かげをうつすことがありました。
 このころになると、おたまじやくしは、尾のつけ根のところが、少しふくれて來ました。初めは、それと氣がつかないほどでしたが、のちには、だんだんふくれ出して、とうとう、それが二本のかはいらしい足になりました。
 おたまじやくしは、何だかおそろしいやうな、うれしいやうな氣がして、わいわいさわいでゐました。さうして、ときどき、水の上へ、顔を出してみたりしました。
 それから、また何日かたちました。今度は、胸の兩わきが破れて、そこからも二本の足が出ました。
 四本足になつたおたまじやくしは、尾が、だんだん短くなつて行きました。さうして、水の中にゐるのが、いやになつて來ました。水の中にゐると、何だか息がつまるやうな氣がしました。水の上へ顔を出すと、氣がせいせいするやうに思ひました。
 ある日、岸の草につかまつて、池の外へ出てみました。もう夏の初めでした。草が、靑々と茂つてゐました。空には、お日樣が、ぎらぎら光つてゐました。
 あと足を曲げて、前足をついてすわつたかつかうは、これまでのおたまじやくしではありませんでした。かうして、陸へあがつたたくさんの子蛙は、草のかげのあちらこちらを、うれしさうにとびまはりました。


      三 かひこ

 をばさんのうちから、二眠をすましたかひこを、二十匹もらつて來ました。それを箱に入れて、ねえさんに見せると、
「まあ、かはいいかひこね。でも、桑の葉をどうしたらいいかしら。」
といひました。私は、かひこがほしくてたまらないので、もらつて來ましたが、さういはれてみると、うちには、桑の木がないことに氣がつきました。
 二十匹のかひこは、桑の葉をほしさうにして、動いてゐます。私は、竹田さんのところへ走つて行きました。あそこの畠に、桑の木があることを思ひ出したからです。
 さつそく、桑の葉をもらつて來て、箱の中へ入れてやりますと、ねえさんは、
「葉が大きくて、たべにくいから、きざんでやりませう。」
といひました。小刀で、葉を切つてやりました。かひこは上手にたべました。
 ある朝、大雨が降りました。風も吹いてゐましたが、私は、いつものやうに、桑をもらつてかへつて來ました。
「ぬれた葉を、かひこにやつてはいけませんよ。」
と、ねえさんにいはれたので、私は、桑の葉を一枚一枚ていねいにふいて、かわかしてから、かひこにやりました。
 二日ほどたつと、かひこは眠りだしました。私たちなら、横になつてねるのに、かひこは、頭をちやんとあげて眠ります。それも、一日中、そのまま眠りとほすので、首がつかれないだらうかと思ひました。
 私は、早くまゆを作るところが見たいので、ねえさんに、
「いつごろまゆを作るでせう。」
と聞くと、
「今、三眠ですから、もうあと一度眠つたら、まゆを作りますよ。」
といひました。
 むしあつい日がつづいて、かが出るやうになりました。ある夜、私が本を讀んでゐますと、あまりかが多いので、かとり線香をつけました。
 そのあくる日の朝、箱をのぞいて見ると、どうしたことでせう、あんなに元氣のよかつたかひこが、みんな弱つてゐるではありませんか。
 私はおどろいて、ねえさんを呼びました。
「ゆうべ、桑をやるのを忘れませんでしたか。」
「いいえ、新しいのをたくさんやつておきました。」
「どうしたのでせうね。」
ねえさんも考へてゐましたが、
「このへやで、かとり線香をつけませんでしたか。」
とたづねられて、私は、はつとしました。
「ええ、ゆうべ、つけました。」
「あ、それですよ。かひこは、あれが大きらひですからね。」
「ねえさん、助かるでせうか。」
「さあ。」
 私は、あわてて窓をあけました。桑をもらひに行く途中も、心の中で、「どうぞ、元氣になりますやうに。」といのりました。
 つみたての桑の葉をやると、かひこは、どうやらからだをのばすやうにして、そろそろたべ始めましたので、私はほつとしました。
 けれども、どうしても桑をたべようとしないのが、五匹ゐました。そののち、だんだんやせて行つて、三日めには、五匹とも死んでしまひました。
 四度めの眠りをすましたかひこは、二日三日すると、からだもずつと大きくなつて、桑の葉を、おいしさうに、たくさんたべました。
 そのうちに、靑白かつたからだが、だんだんすきとほつて見えるやうになりました。ねえさんは、
「さあ、もうぢき、まゆを作りますよ。」
といひました。
 ねえさんに、こしらへてもらつたわらのおうちを、箱の中へ入れてやると、かひこは、靜かにはひあがつて來て、「さて、どこにまゆを作らうかな。」といふやうなやうすをしました。
 かひこは、糸をはき出しました。目に見えないやうな細い糸を、さかんに口から出して、自分のからだのまはりを包んで行きました。
「あんな靑い桑の葉をたべて、よく、こんな白い糸が出て來るものですね。」
と、ふしぎに思つていひますと、ねえさんも、
「ほんたうにね。」
といひました。
 初めは、うすい、うすい紙のやうなまゆでしたが、それが、だんだんあつみをもつて來て、かひこは、まゆの中に、かくれて見えなくなりました。
 ある日、竹田さんが遊びに來ました。私が、かひこの箱を見せますと、
「あら、きれいなまゆができましたね。」
と、感心したやうにいひました。

初めの方にある、「といひました。小刀で、葉を切つてやりました。」の「といひました。」の句点は
 原文では読点になっているのを、句点の誤植と考えられるますので、引用者が句点に改めました。
 
 
  

    
四 おさかな

 皿のおさかな、
 どこから來たの。
 皿のおさかな、
 海から來たの。

 海はひろびろ
 なみの底、
 たひやかつをが
 ゐたでせう。

 こんぶの林が
 あるでせう。
 わかめの野原が
 あるでせう。

 皿のおさかな、
 もう一度、
 泳ぐところが
 見たいなあ。


    
五 ふなつり

「このへんが、つれさうだね。」
と、にいさんが、小川をのぞきこんでいひました。
 水草が、たくさん生えてゐました。きつと、魚がかくれてゐるにちがひありません。私たちは、急いでつりのしたくをしました。
 にいさんが、ひゆつと、つり竿をふると、つり糸が、空に大きなわをゑがきました。ぽんと音をたてて、うきが水の上へ落ちると、波のわが、だんだん大きくひろがりました。にいさんと並んで、私もつり始めました。
 二人は、じつと、うきを見つめました。
 あたりは靜かで、ときどき、川かみの板橋の上を通る荷車のひびきだけが、聞えて來ます。
 ぴく、ぴく、ぴく──にいさんのうきが動きました。にいさんは、あわてて引きあげました。
「なんだ、ゑさを取られたのか。」
と、つまらなさうに笑ひました。
 空の雲が水にうつつて、うきのそばを、ゆつくり流れて行きます。
 ぐぐ、ぐぐつと、今度は私のうきが、水の中へ引きこまれました。強い手ごたへが、つり竿をつたはつて來ました。はつと思つて引きあげようとすると、重くてなかなかあがりません。つり糸がぴんとはつて、つり竿の先が、おじぎをするやうに、しきりに動いてゐます。
「五郎、おちついてあげるんだよ。」
と、にいさんがいひました。
 にいさんと二人で、氣をつけながら引きあげると、大きなふなが、水ぎはでぴちぴちはねて、うろこがきらきらと光りました。


    
六 川をくだる

 私は、一度、川にそつて川口まで行つてみたいと思つてゐました。
 おとうさんが、許してくださつたので、きのふの日曜日に、にいさんと二人で出かけました。
 朝つゆにしめつた小道を通つて行くと、川の岸へ出ました。
 流れが急で、白い波が、石と石との間にわき返つてゐました。
 岸は、靑葉でおほはれてゐますが、ところどころに、つつじの赤い花が咲いてゐました。にいさんといつしょに、唱歌を歌ひました。すると、川の音も、同じ唱歌を歌つてゐるやうに聞えました。
 茂つた竹やぶがあつて、しばらく川が見えなくなりましたが、「ド、ド、ド、ド。」といふ水の音が聞えて來ました。川が、たきになつて落ちてゐるのでした。
 ときどき、流れがゆるやかになつて、靑々と水をたたへてゐました。川原の石の上を、せきれいがとんでゐました。
 しばらく行くと、向かふの岸から、小川が流れこんで來ました。こちらの岸からも、小川がそそぎこんでゐます。ちやうど親の手に、子どもがすがりつくやうでした。
 まもなく、川の近くにある停車場に着きました。汽車が來たので、それに乘りました。汽車が走り出すと、すぐトンネルにはいりました。出ると、高いところを走つてゐるので、川は、ずつと下の方に見えました。
 だんだん兩岸が開けて來て、川はばが廣くなりました。ところどころに中洲があつて、小さな木が生えてゐました。川はおだやかになつて、音もなく流れてゐます。
 汽車が鐵橋を渡ると、今まで左手に流れてゐた川が、右手を流れて、日の光をあびて、まぶしいほど光りました。
 村のふみきりを通る時、子どもがこちらを見て、ばんざいをしてゐました。
 渡し場がありました。船頭さんが、舟をこいでゐました。舟には、子牛も乘つてゐました。
 汽車が止つたので、私たちはおりました。
 今度は、そこから馬車に乘つて、川口の町まで行くことにしました。
 「ポポー。」と、ラッパを鳴らしながら、川岸の道を走つて行きました。そのへんは麥畠で、麥のほが出そろつて、一めん黄色くなつてゐました。
 川の向かふ側に、工場があつて、高いえんとつから、茶色な煙が出てゐました。川の水は、すんではゐませんが、靑い空をうつしながら、ゆつくりと流れて行きます。
 町の入口で、私たちは馬車をおりました。あみを干してあるのが、あちこちに見えました。車にかつををたくさんつんで、ゐせいよく引いて行くのに出あひました。
 町を通りぬけて、川口に近い岸に立つと、海が見えました。舟が、何ざうもつながれてゐました。川の水は、ここで海へ流れこんでゐます。
 頭のすぐ上を、かもめが、五六羽とんで行きました。いその香をふくんだ風が、そよそよと吹いてゐました。
 その夜、私は、次のやうなことを書いて、おとうさんにお目にかけました。
 川は初め走つて流れてゐました。
 白い波をたてて、走つてゐました。
 つかれると、ときどき木かげに休んだり、さうかと思ふと、急に高いところか
 らとびおちたりします。
 小さな川と、仲よく手をつないで、川は、いつのまにか大きくなります。
 きらきらと光つて笑つたり、靑くすんで、じつと考へこんだりします。
 川にも、いろいろな心持があるやうに思ひました。



    七 田 植

 そろた、出そろた、
 さなへが、そろた。
 植ゑよう、植ゑましょ、
 み國のために。
  米はたからだ、たからの草を、
  植ゑりや、こがねの花が咲く。

 そろた、出そろた、
 植ゑ手も そろた。
 植ゑよう、植ゑましょ、
 み國のために。
  ことしやほう年、穗に穗が咲いて、
  みちの小草も 米がなる。


   八 電 車

 にいさんと、電車に乘りました。
 人がいつぱい乘つてゐて、あいてゐる席は、一つもありませんでした。私が、にいさんと並んで立つてゐますと、すぐ前に掛けてゐたよそのをぢさんが、私の顔を見ながら、
「ぼつちやん、ここへお掛けなさい。」
といつて、立つてくださいました。私は、
「いいんです。ぼく、立つてゐますから。」
といひましたが、をぢさんは、
「いや、わたしは、もうぢきおりますから、かまはずに、お掛けなさい。」
といひながら、あつちへ行きかけました。
「どうも、ありがたう。」
と、にいさんがいひました。
「ありがたう。」
と、私もいひました。
「せつかく、あけてくださつたのだ。おまへ、お掛け。」
と、にいさんがいひましたから、私は掛けました。
 次の停留場へ來た時、をぢさんは、そこでおりるのかと思つたら、おりませんでした。
 それから、二つ三つ停留場を過ぎて、表町まで來ますと、人がたくさんおりて、席があきました。をぢさんも、ここでおりました。にいさんは、私のそばへ掛けました。
 しかし、入れ代りに、大勢の人が、どやどやとはいつて來ました。席はみんなふさがつた上に、立つてゐる人も、たくさんありました。
 いちばんあとからはいつて來たのは、七十ぐらゐのおばあさんと、赤ちやんをおぶつたをばさんとでした。
すると、にいさんが、小さな聲で、
「立たう。」
といひました。
おばあさんとをばさんが、ちやうど私たちの前へ來た時、私たちは、すぐ立つて、席をゆづりました。二人は喜んで、
「どうも、ありがたうございます。」
といひながら、ていねいにおじぎをして、掛けました。
 電車は、また動きだしました。
 

    九 子ども八百屋
(やほや)

 
子どもの車だ、
 八百屋の車だ、
 子どもの買出し。
  押せ押せ、車を、
  よいしよ、よいしよ。

 おとうさんは病氣、
 おかあさんと四人で、
 八百屋だ、毎日。
  押せ押せ、車を、
  よいしよ、よいしよ。

 くに子も、ひさ子も、
 あと押し頼むぞ。
 にいさん、しつかり。
  押せ押せ、車を、
  よいしよ、よいしよ。

 きうりも、おなすも、
 かぼちやも、トマトも、
 にこにこしてます。
  押せ押せ、車を、
  よいしよ、よいしよ。

 おかあさんが待つてる。
 お客も待つてる。
      
 急いで、かへらう。
  押せ押せ、車を、
  よいしよ、よいしよ。 


     十 夏の午後

「ジーッ。」と、せみが鳴きだした。
 ぼくは、はだしで庭へ出た。せみは、桐の木で鳴いてゐる。そつと行つて見ると、一メートル半ぐらゐの高さのところに、あぶらぜみが一匹止つてゐる。せいのびして、手をのばしてみたが、だめだ。ぼくの手先より二十センチも高い。取れないと思ふと、くやしくなつて、木の幹をとんとたたく。せみは、びつくりしたやうに、「ジジ。」と聲をたてて、とんで行つた。
 井戸ばたへ行つて、足を洗つた。ざあつと、つめたい水をかけると、いい氣持だ。げたをはいて、うらの畠へ行つてみる。
 なすも、きうりも、みんな暑さうにぐつたりしてゐる。きうりにそへて立ててある竹に、とんぼが止つたり、はなれたりしてゐる。
 畠のすみの日まはりは、暑い日をいつぱい受けて、金のお皿のやうなのが、三つ咲いてゐる。今では、ぼくよりもずつとせいが高いが、これもぼくが植ゑたのだと思ふと、何だかかはいい氣がする。
 暑い、暑い。うちへかへつて、えんがはに腰を掛けてゐると、川で、だれか遊んでゐるらしい。樂しさうな聲が聞えて來る。さうだ、ぼくも行つてみよう。
「おかあさん、川へ行つてもようございますか。」
と大きな聲で聞いてみると、
「あぶないから、よく氣をおつけなさい。」
と、あちらでおかあさんの聲がした。
 ぼくは、帽子をかぶつて、いちもくさんに走つて行つた。


   十一 夏やすみ


 あすからうれしい夏やすみ、
 まぶしく晴れた大空に、
 ま白な雲が浮いてゐる。

 あすからうれしい夏やすみ、
 山べに野べに白ゆりが、
 ゆめ見るやうに咲いてゐる。

 あすからうれしい夏やすみ、
 まき場のこまが朝風に、
 いななきながら呼んでゐる。

 あすからうれしい夏やすみ、
 大波小波うち寄せて、
 海がわたしを待つてゐる。


    十二 日記

  七月十六日 月曜日 晴
 朝起きると、おとうさんは、もう庭の朝顔のせわをしてゐられた。
「ほうら、こんな大きな、赤い花が二つ咲いた。」
と、にこにこ顔。
 學校では、三時間めに、三年生以上の合同體操があった。暑い夏の日が、かんかんてりつける中で、行進をしたり、かけ足をしたり、體操をしたりした。
  七月十七日 火曜日 晴
 けさは、朝顔が三つ咲いてゐた。水色が二つに、赤が一つ。
 學校では、四時間めに、共同作業をした。ぼくたちは、校舎のうらの草をむしった。先週の金曜日に拔いたのに、もうのびた草がだいぶある。一本一本きれいに拔いた。とし子さんが「きゃっ。」といったので、見ると大きなみみずがゐる。先生が、
「みみずぐらゐに、どうしてそんな聲をたてるのです。」
とお笑ひになった。
  七月十八日 水曜日 くもり
 くもってゐたせゐか、朝からむし暑かった。朝顔は、二つ咲いてゐた。赤一つ、白一つ。
 三時間めの合同體操の時は、汗でべとべとした。夏は、かんかんとてった方が、氣持がいいと思った。
 夕はんがすんでから、おかあさんと、ねえさんと、ぼくと三人で、えん日へ行って、すず虫を買ってかへった。ねる時には、涼しさうな聲で鳴いてゐた。
  七月十九日 木曜日 晴
 朝起きると、すぐすず虫を見た。元氣なので、安心した。きうりを少しやった。
 學校からかへってみると、山へ行かれたをぢさんから、はがきが來てゐた。この前、手紙と小包をお送りしたので、そのへんじであった。送ってもらったつりだうぐで、魚をつるのが樂しみだと書いてあった。
  七月二十日 金曜日 晴
 今日は、海の記念日である。
 朝禮の時間に、ラジオでも、そのお話があった。敎室で、先生から、
「今日が、どうして海の記念日になったのでせう。」
と聞かれた時、
「明治九年の今日、明治天皇が、明治丸といふ船で、函館(はこだて)から、横濱(よこ
 はま)
へおかへりになったからです。」
と、朝ごはんの時、ねえさんから聞いたことをお答へした。
 ラジオは、一日中、海のお話や、音樂で、にぎやかであった。


    十三 月と雲

月夜の晩、子どもたちが五六人集って、かげふみをして遊んでゐました。
 そのうちに、月に雲がかかりました。月は、雲にはいったかと思ふと、すぐ出、出たかと思ふと、すぐまたはいります。かうなっては、かげふみもできません。子どもたちは遊ぶことをやめて、しばらく月を見てゐました。
 すると、一人の子どもがいひました。
「あれは、お月樣が走ってゐるのだらうか、雲が走ってゐるのだらうか。」
 月は、今、雲から出て、大急ぎではなれて行きます。さうして、次の雲の方へ、どんどん走って行きます。
「お月樣が走ってゐるのだよ。」
と、一人の子どもがいひました。
 しかし、じっと月をみつめてゐますと、月は動かないで、雲が大急ぎで飛んで行くやうに見えます。
「お月樣ではない。走ってゐるのは雲だ。」
といふ子どもがありました。
 しばらくは、「月が走る。」「雲が走る。」と、たがひにいひはってゐました。
 みんながわいわいいふのを、初めからだまって聞いてゐた一人の子どもがありました。その子どもは、この時、みんなからはなれて、前の方にある木のそばへ行きました。さうして、しばらく枝ごしに月を見てゐましたが、
「ここへ來たまへ。雲が走るか、お月樣が走るか、よくわかるよ。」
と、いひました。
 みんなは、木のそばへ來ました。
「ここに立って、お月樣を、枝の間から見たまへ。」
と、その子どもがいひました。
 そのとほりに、みんながしてみました。すると、月は枝の間にじっとしてゐますが、雲はさっさと走って行きます。
「わかった、わかった。走ってゐるのは雲だ、雲だ。」
と、みんながいひました。


     十四 つりばりの行くへ

        一
 ほでりの命(みこと)は おにいさま、
 ほをりの命は おとうとご。
 
 あに神さまは つりのため、
 おとうと神は かりのため、

 毎日まいにち 海と山、
 おいでになって をりました。
    
ところで、ある日のことです。
ほをりの命「にいさん、お願ひがあります。」
ほでりの命「何だ。」
ほをりの命「にいさんは、毎日海へ出て、魚を取っていらっしゃる。私
     は、毎日山へ行って、鳥や、けものを取ってゐますね。」
ほでりの命「さうだ。」
ほをりの命「そこで、お願ひがあるのですがね。」
ほでりの命「どういふことだ。」
ほをりの命「今日一日だけ、私に海へ行かせてくださいませんか、にい
     さんは、山へいらっしゃって。」
ほでりの命「そんなことは、いやだよ。」
ほをりの命「たった、一日だけでいいのです。」
ほでりの命「いくら一日でも、いやだ。」
ほをりの命「さうおっしゃらないで、今日だけ、私につりをさせてくだ
     さい。」
ほでりの命「そんなに、つりがしたいのか。」
ほをりの命「さうです。私も、一度、あの大きな鯛をつってみたいので
     す。」
ほでりの命「では、つりをしてみるがいいさ。しかたがない、わたしは
     山へ行かう。」
ほをりの命「ほんたうですか。」
ほでりの命「ほんたうだ。このつり竿を持って行け。」
ほをりの命「ありがたうございます。にいさんは、この弓と矢を持って、
     山へいらっしゃい。」
        二
ほをりの命「どうして、つれないのだらう。朝から、一匹もつれない。
     
その時、何かが糸を引く。
     おや、引く、引く。ぐいぐい、引くぞ。しめた、大きな魚
     だ。引きあげてやらう。よいしょ。」
      
ほをりの命が、つり竿をお引きあげになる。糸がぷつり
      と切れて、魚が逃げる。

ほをりの命「しまった。大きいのをした。
     
殘念さうに、つり糸をいぢっていらっしゃったが、ふと、
      つりばりのないのに氣がついて、

     つりばりがない。どうしよう、困ったな。ああ、しかたが
     ない。にいさんにあやまらう。にいさんはおおこりになる
     だらうな。」
        三
ほでりの命「山へ行っても、小鳥一羽取れなかった。おもしろくもない。
     さ、弓矢を返すよ。」
ほをりの命「まことにすみません。」
ほでりの命「何かつれたか。」
ほをりの命「ちっとも、つれなかったんです。つれないどころか、申し
     わけのないことをしてしまひました。」
ほでりの命「どうしたのだ。」
ほをりの命「つりばりを、魚に取られてしまひました。」
ほでりの命「取られたって。」
ほをりの命「さうです。」
ほでりの命「──」
ほをりの命「どんなことでもして、おわびいたします。」
ほでりの命「おまへからいひ出しておいて、だいじなつりばりをなくして
     しまふなんて。あんまりだ。」
ほをりの命「ほんたうに、申しわけがありません。どうぞ、お許しくだ
     さい。」
ほでりの命「いや、許すことはできない。」
        四
     
ほをりの命は、海べで泣いていらっしゃる。そこへ、一人
      の年取つた神樣がおいでになる。

神樣   「もしもし、あなたは、どうしてそんなに泣いていらっしゃ
     るのですか。」
ほをりの命「にいさんのだいじなつりばりを、魚に取られて、困ってゐる
     ところです。」
神樣   「それは、おきのどくな。私が、いいことを敎へてあげませ
     う。そこに舟があるでせう。あれに、すぐお乘りなさい。私
     が、その舟を押してあげますから、しばらく、目をつぶって
     いらっしゃい。すると、まもなく、きれいな御殿へお着きに
     なるでせう。」
ほをりの命「きれいな御殿。何の御殿ですか。」
神樣   「海の神樣の御殿です。その御殿の門のそばに、井戸があっ
     て、井戸のそばには、大きな木が立ってゐます。あなたは、
     その大きな木にのぼって、待っていらっしゃい。」
ほをりの命「さうすると。」
神樣   「海の神樣が、きっといいことを敎へてくださるでせう。さ
     あ、舟にお乘りなさい。押してあげますから。」      
        五
     
海の御殿の門の前に、大きな木が立つてゐる。ほをりの
      命は木を見あげながら、

ほをりの命「ははあ、この木のことだな。のぼってゐよう。
      木にのぼつて、下をごらんになる。   
    あ、井戸がある。きれいな水だな。」
      
女が出て來る。井戸の水をくまうとして、
    「まあ、りっぱな神様が、水にうつっていらっしゃる。」
     
木の上を見あげて、女は、うやうやしくおじぎをする。
ほをりの命「水を一ぱいください。」
    「かしこまりました。」
     
女は、井戸から水をくんで、ほをりの命にさしあげる。ほ
      をりの命は、ぐつとお飲みになつて、
ほをりの命「ああ、うまい水だ。ごちそうさま。」
        六
      正面に、海の神樣が腰を掛けていらっしゃる。そこへ、
      女が出て來る。

    「海の神樣。」
海の神樣 「何だ。」
    「門の前の木に、りっぱな神樣がいらっしゃいます。」
海の神樣 「りっぱな神樣が。」
    「さやうでございます。」
海の神樣 「それでは、お迎へしませう。」
      海の神様が、ほをりの命をおつれ申して、出ておいでに
      なる。

海の神樣 「どうぞこちらへ。
      ほをりの命は、腰をお掛けになる。
    
よくおいでくださいました。何か御用でございませうか。」
ほをりの命「じつは、海でつりをしてゐたら、つりばりがなくなってしま
     ひました。」
海の神樣 「つりばりが。」
ほをりの命「さうです。それは、兄のだいじなつりばりで、私も困ってし
     まひました。すると、年取った神樣が、私に、海の御殿へ行
     くやうに敎へてくれました。それで今ここへやって來たので
     す。」
海の神樣 「それは、ほんたうにお困りでございませう。さっそく、さ
     がさせてみませう。
      女に向かつて、
    
魚たちを、みんなここへ呼び集めるやうに。」
    「はい。
      女は、魚たちをたくさん呼んで來る。
     呼んでまゐりました。」
海の神樣 「これでみんなか。」
    「はい。鯛だけは病氣でねてゐますので、ここへまゐってゐ
     ません。」
海の神樣 「さうか。みんなの者
にたづねるが、だれか、日の神のお
     子樣のつりばりを、取って行ったものはないか。」
魚たち  「ぞんじません。」
海の神樣 「いや、たしかにあるはずだ。だれか、知ってゐるものはゐ
     ないか。」
魚たち  「少しもぞんじません。」
海の神樣 「をかしいな。
      海の神樣は、しばらくお考へになつて、女に、
    
では、鯛をちょっとここへ呼んで來てくれないか。」
    「はい。」
      
女は、鯛をつれて出て來る。
    「何か御用でございませうか。」
海の神樣 「おまへは、日の神のお子樣のつりばりを知ってゐないか。」
    「じつは、この間、つりばりをのどにかけまして、たいへん
     苦しんでゐるところでございます。」
海の神樣 「あ、それだ。
      
女に向かつて、
     鯛
ののどから、そのつりばりを取ってやれ。」
    「はい。」
      
つりばりをとる。
    「あ、これで、すっかりらくになりました。」
      
女は、つりばりを水で洗つて、海の神樣にさしあげる。
海の神樣 「なるほどつりばりだ。」
      
海の神樣は、ほをりの命の前にひざまづいて、
海の神樣 「このつりばりでございますか。」
ほをりの命「あ、これだ。たしかにこれです。」      
      
ほをりの命は、思はずにつこりなさる。
海の神樣 「見つかって、ほんたうによろしうございました。

  だいじな、だいじな つりばりが、
  出て來て神さま およろこび。

  いたい、いたいと 泣いてゐた、
  鯛もよろこび おめでたい。

  めでた、めでたと さかなたち、
  みんなまふやら 歌ふやら。

 ※  本文中のト書きの部分に、促音の「つ」が大きく表記されている個所
  と小さく表記されている個所とがありますが、この不統一はもとのまま
  です。



    
五 田道間守(たぢまもり)

 
垂仁(すゐにん)天皇の仰せを受けた田道間守は、船に乘って、遠い、遠い外國へ行きました。
 遠い外國に、たちばなといって、みかんに似た、たいそうかをりの高いくだものがあることを、天皇は、お聞きになっていらっしゃいました。田道間守は、それをさがしに行くことになったのです。
 遠い外國といふだけで、それが、どこの國であるかは、わかりません。田道間守は、あの國この島と、たづねてまはりました。いつのまにか、十年といふ長い月日が、たってしまひました。
 やっと、あるところで、美しいたちばなが生ってゐるのを見つけました。
 田道間守は、大喜びでそれを船に積みました。枝についたままで、たくさん船に積みました。さうして、大急ぎで、日本をさして歸って來ました。
「さだめて、お待ちになっていらっしゃるであらう。」
さう思ふと、田道間守には、風を帆にいっぱいはらんで走る船が、おそくておそくて、しかたがありませんでした。
 日本へ歸って見ますと、思ひがけなく、その前の年に、天皇は、おかくれになっていらっしゃいました。
 田道間守は、持って歸ったたちばなの半分を、皇后にけん上しました。あとの半分を持って、天皇のみささぎにお參りしました。枝についたままの、美しい、かをりの高いたちばなを、みささぎの前に供へて、田道間守は、ひざまづきました。
「遠い、遠い國のたちばなを、仰せによって、持ってまゐりました。」
かう申しあげると、今まで、おさへにおさへてゐた悲しさが、一度にこみあげて、胸は、はりさけるばかりになりました。田道間守は、聲をたてて泣きました。
 田道間守は、昔、朝鮮
(てうせん)から日本へ渡って來た人の子孫でした。しかし、だれにも負けない忠義の心を持ってゐました。
 泣いて泣いて、泣きとほした田道間守は、みささぎの前にひれふしたまま、いつのまにか、つめたくなってゐました。


     十六   映畫

 映畫の幕は、
 たったあれだけなのに、
  山がうつる、川がうつる。

 映畫の幕は、
 たったあれだけなのに、
  五階、六階、家が出て來る。

 映畫の幕は、
 たったあれだけなのに、
  何十臺の自動車が通る。

 映畫の幕は、
 たったあれだけなのに、
  何萬トンの、ほら、貨物船だ。 


     十七 聖德

(しやうとく)太子

 聖德太子は、お生まれつき、たいそう賢いお方でありました。
 ある日、太子は、御兄弟のかたがたと、お庭で遊んでいらっしゃいました。みんな、お小さいかたがたのことですから、初めは、仲よくしていらっしゃいましたが、そのうちに、何か、ちょっとしたことで、つい、けんくゎが始りました。
 太子の御父君を、橘豐日尊
(たちばなのとよひのみこと)と申しあげました。のちに、御位におつきになって、用明天皇と申しあげるお方であります。尊は、お子樣たちが、何か大きな聲をして、さわいでいらっしゃるのをお聞きになって、お庭へ出てごらんになりました。
 すると、お子樣たちは、
「きっと、おとう樣にしかられるにちがひない。」
とお思ひになって、みんな逃げておしまひになりました。
 しかし、聖德太子だけは、お逃げになりませんでした。お逃げにならないばかりか、つつしんで御父君の前へお進みになりました。
 尊は、
「なぜ、あなたは逃げないのですか。」
とおたづねになりました。
 太子は、
「おとう樣のお心にそむいて、けんくゎをいたしました私たちでございます。橋をかけて、天へ逃げることもできません。穴をほって、地にかくれることもできません。不孝のおとがめを、つつしんでお受けいたすばかりでございます。」
とおっしゃいました。
 橘豐日尊は、太子のこのおことばを、お聞きになって、たいそうお喜びになりました。
 これは、聖德太子が、四歳の御時のことであったと申します。

 
    十八  養老
(やうらう)

     
村の人が、二人で話をしてゐる
村の人一 「もみぢが、きれいになりましたね。」
村の人二 「たきのあたりは、ずゐぶんみごとでせう。」
村の人一 「ときに、あなたは、あの感心な子どものうはさを、お聞きですか。」 
村の人二 「ああ、あのいつも、たきぎをせおって歩く子どものことでせう。毎日
     山へ行って働いて、歸りには、年取ったおとうさんのおすきなものを、
     いろいろ買って來るといふことですね。」
村の人一 「さうです。その子です。その子について、このごろ、ふしぎな話があ
     るのです。」
村の人二 「どういふ話ですか。」
村の人一 「なんでも、その子が、山で酒の流れてゐるところを、見つけたといふ
     のです。」

村の人二 
「なるほど、それはふしぎな話ですね。」
村の人一 「きっと、子どもの孝心が、神樣にとどいたのだらうと、みんながいっ
     てゐます。」
村の人二 「それにちがひありますまい。」
村の人一 「おや、うはさをすればかげとやら、向かふから、あの子がやって來ま
     したよ。」
     
そこへ、たきぎをせおった子どもが、出て來る。
子ども  
「こんにちは。」
村の人一二「こんにちは。」
村の人一 「よくせいが出ますね。」
子ども  「いや、まだいっかう役にたちません。」
村の人二 「おとうさんは、元氣になられましたか。」
子ども  「おかげさまで、どうやら、うちで仕事をしてをります。」
村の人一 「それは何よりです。聞けば、あなたは、山で酒を見つけたといふこと
     ですが、ほんたうですか。」
子ども  「はい、ほんたうでございます。この間、私が、山でたきぎを拾ってゐ
    ますと、つい、足がすべってころびました。起きようとすると、その
     へんに、酒の香がいたします。ふしぎなことだと思って、あたりを見
    ますと、石の間から、水が流れ出てをります。それが酒でございまし
     たので、父のみやげに持って歸りました。」
村の人一 「それは、めでたい話だ。あなたの孝行のせゐですよ。まあ、おとうさ
     んをだいじにしておあげなさい。」
子ども  「ありがたうございます。では、ごめんください。」
     
子どもは、おじぎをして歸る。
村の人一 「感心な子どもですね。」
村の人二 「ほんたうに。」
     
二人の村の人は、子どもの後姿をじっと見てゐる。

 
そののち、この親孝行な子どもの話が、都にも傳はりました。
 おそれ多くも、時の天皇が、それをお聞きになって、わざわざ、そのところへ
 お出ましになりました。さうして、子どもの孝行をおほめになって、年號を、
「養老」とお改めになりました。


    十九  ぼくの望遠鏡
 
 机の引出しを、かたづけてゐると、いつか、おぢいさんにいただいた、古いめがねの玉と、おとうさんに買っていただいた、小さな虫めがねが出て來た。
「これは、いいものが見つかった。」と思ひながら、ぼくは、この二つを、重ねたり、別々にしたりして、机の上を見たり、外のけしきを、のぞいたりしてゐた。
 そのうちに、ふと、おもしろいことを發見した。
 左の手に、めがねの玉を持って、目から遠くはなした。すると、向かふのけしきが、小さく、さかさまに見えた。そのさかさまに見えるけしきを、大きくして見ようと思って、右手に虫めがねを持って、のぞいて見た。ぼくはおどろいた。どこかの屋根が、めがねの玉いっぱいにひろがって、つい、そこにあるやうに見えるではないか。それは、ここから百メートルもはなれてゐる、向かふの家の屋根であった。
「おもしろい。これで、いつか、おとうさんのお話に聞いた望遠鏡が、できるかもしれない。」かう思ひつくと、ぼくは、もう、じっとしてゐられなくなった。
 ぼくは、畫用紙を取り出した。さうして、その一枚をぐるぐると巻いた。ちゃうど、めがねの玉が、はまるくらゐの大きさに巻いて、その一方のはしに、めがねの玉をはめた。きちんとはまった時、巻いた紙を、糸できりきりと巻いて、動かないやうにした。これで、一本の筒
(つつ)ができあがった。
 次に、もう一枚の畫用紙を、ぐるぐると巻いた。さうして、さっきの筒の中へ、ちゃうど、するするとはいるくらゐの大きさに作って、そのはしに、虫めがねをとりつけた。
 かうしてできた二本の筒は、うまくはまり合って、長く延したり、ちぢめたりすることができる。
 さあ、できたぞと思ふと、うれしくてたまらない。うまく見えるか、どうか。
 外をのぞいて見た。長い物が、ぼんやり見える。二つの筒を、延したり、ちぢめたり、かげんしてゐるうちに、はっきりした。電柱だ。針金が、六本あることまでわかる。
 もっと下を見る。屋根だ。しゃうじだ。おや、だれかが、しゃうじの間から顔を出してゐる。ぼくは、もう、むちゅうだった。急いで、おかあさんのところへ行った。
「おかあさん、來てごらんなさい。早く早く。」
 おかあさんは、目をまるくして、
「何です。正男さん、大きな聲をして。」
「何でもいいから、來てください。」
ぼくは、おかあさんを引っぱるやうにして、つれて來た。さうして、ぼくの望遠鏡をのぞいてもらった。
「まあ、よく見えるね。でも、すっかりさかさまぢゃないの。」
「さかさまでも、よく見えるでせう。」
「なるほどね。向かふの家のせんたく物が見えます。あ、人がこっちを見てゐる。
 森の木がきれいですね。」
 しばらく見てゐられたおかあさんは、おっしゃった。
「おまへはえらいね。だれに敎へてもらったの。」
ぼくは、とくいだった。
「だれにも敎へてもらはないのです。ぼくが考へて作ったのです。」


   二十 秋

 ちんちろ松虫、
 虫の聲、
 庭の畠で
 鳴きました。

 ぎんぎら葉の露、
 草の露、
 月の光が
 ぬれました。

 とろとろもえる火、
 ゐろりの火、
 栗がはぜます、
 にほひます。
    


    二十一 火事

 日がくれてまもなく、けたたましく、半鐘
(はんしよう)が鳴りだしました。
 窓をあけて見ると、西の方の空が、まっかにそまってゐます。火事は、少しはなれた川向かふの町だと、すぐわかりました。おとうさんは、夜業をやめて、急いでしたくをして、家を出られました。おとうさんは、消防員なのです。
 おとうさんを送り出してから、おかあさんは、
「火事は、をぢさんのうちの方角だから、わたしは見まひに行きます。おとうさんは、消防の役目でお働きになるのだから。」
といって、出て行かれました。
 をぢさんのうちの方角と聞いて、私は、恐しくなりました。おばあさんもしんぱいさうです。
 家の前を、消防團の人たちが、ポンプを引いて、勢よくかけて行きました。遠く走るポンプ自動車のサイレンの音も聞えます。
 向かふの空に、ぱっと火の粉があがったり、また、少し暗くなったりします。半鐘の音、サイレンの音、人の聲などが入りまじって、遠くの方で聞えます。
「だいぶ大きいらしいぞ。」
と、道を通る人が、話し合ってゐました。
 火事は、なかなか消えさうに見えません。
「さよ子、おまへは、あした、學校があるのだから、しんぱいしないで、もうおやすみ。」
と、おばあさんにいはれて、私は、ねどこの中へはいりましたが、火事が氣になって、なかなか眠れませんでした。
 朝、おかあさんに呼び起されて、目をさますと、をぢさんや、をばさんが、うちへ來てゐられます。私はびっくりしました。ゆうべの火事で、をぢさんのうちも、燒けたさうです。火もとからは、だいぶはなれてゐましたが、風しもになってゐたので、一度運び出した荷物まで燒けてしまったのださうです。
 私は、
「をばさん、猫はどうしました。」
と聞きました。をばさんは、
「どうしたかわかりません。荷物をかたづける時、どこにもゐませんでした。何べんも呼んでみたけれど。燒け死んだのかも知れません。」
「かはいさうに。」
と、私はいひました。
 やがて、おとうさんが、歸って來られました。
 おとうさんは、をぢさんやをばさんに、
「ほんたうにきのどくだったが、けがのないのが、まあ、何よりのしあはせだ。
 わたしは、消防にばかり働いてゐて、手傳ひもできず、まことにすまなかっ
 た。」
といはれました。すると、をぢさんは、
「いや、手傳ひは、ねえさんに十分してもらひました。それよりも、あの風に、四
 つつじで、火事を消しとめたのは、えらいてがらです。町のめぬきの場所が助っ
 たの
は、まったく消防團のかたがたのおかげです。」
 みんな、つかれきってゐます。平生は元氣なをばさんが、今日は、いちばんしょんぼりとして、さびしさうに見えます。
「をばさん、これから、ずっと私のうちにいらっしゃいね。」
といひますと、をばさんは、
「ああ、たうぶん、やっかいになりますよ。」
といって涙をこぼされました。
 あとで聞けば、この火事には、燒け死んだ人もあったさうです。さうして、こんな大火事の起ったのも、ある家の子どもが、マッチをすって、そのもえがらを捨てたのが、もとだといふことです。
「子どもの火あそびが、いちばんいけない。やめることだ、やめることだ。」
おとうさんは、ひとりごとのやうに、かういはれました。


    二十二 菅原道眞(すがはらのみちざね)

 天神樣にまつられてゐる菅原道眞といふかたは、生まれつき賢い人でありました。その上、小さい時から、よく勉強しましたので、のちには、すぐれた、りっぱな人になりました。學問では、道眞の上に出る人はないと思はれてゐました。
 ある時、都良香
(みやこのよしか)といふ人の家で、弓の會がありました。若い人たちが、大勢その家に集って、かはるがはる、的をめがけて弓を引いてゐるところへ、道眞もやって來ました。すると、人々は、
「あの人は學問はできるが、弓はどうだらう。」
「さあ、どうだらうな。」
「だめ、だめ。机の上の勉強ばかりで、腕は線香より細いんだ。」
などと、小さな聲で、ささやき合ひました。
 平生から、學問では、とてもかなはない道眞を、今日はひとつ、弓でいぢめてやらうと思ったのでせう、一人の若い男が、つかつかと進み出て、
「どうです。あなたも、弓をおやりになりませんか。」
といひながら、弓と矢を、道眞につきつけました。
 おそらく、しりごみするだらうと思はれた道眞は、その弓矢を靜かに受け取り、前へ進んで、きっと身がまへました。すると、今まで、やさしさうに見えた道眞が、急にがっしりと二王樣か何かのやうに、強さうに見えだしました。
 あたりはしんとして、せき一つするものもありません。
「ひゅう。」と、音高くつるからはなれた矢は、「ぽん。」と、的のまん中の星を、射拔いて立ちました。
 道眞は、つづいて、第二の矢を引きしぼりました。
 これも、みごとに、ちゃうど第一の矢とすれすれに並んで、まん中を射拔きました。
 第三、第四、第五と、道眞は、目にもとまらぬ手早さで、矢をつがへ、矢を放ちました。的をはづれる矢は、一本もありませんでした。
 みんなは、ただ、よったやうになって、大きなため息をつくばかりでありました。


    二十三 梅

 「あ、梅だ。
  梅が咲いてゐる。」と、
   勇さんがいひました。

 「まあ、うれしい。
  春が來たのね。」と、
   花子さんがいひました。

 「まだ、寒いのに、
  感心な花だこと。」と、
   ゆり子さんがいひました。

 「花もきれいだけれど、
  にほひがいいのね。」と、
   春枝さんがいひました。

 「梅は、花よりも
  にほひが咲くのです。」と、
   正男さんがいひました。

  みんなは、
  正男さんのいったことが、
   おもしろいと思ひました。


    二十四 小さな温床

「春子、チューリップが咲いたよ。來てごらん。」
と、にいさんが、外から窓ごしにいったので、私は、急いで庭へ出ました。
 いつか、にいさんが作った小さな温床に、今日も、おだやかな冬の日が、いっぱいにさしこんでゐます。見ると、まん中の鉢に、美しいチューリップの花が一つ、にっこり笑ったやうに咲いてゐます。
「まあ、きれいね。」
と、私は思はずいひました。ふっくらとした花びらがだきあって、まだ十分咲ききらない花は、ちゃうど、おひな樣のぼんぼりのやうなかっかうです。下の方は白で、花の口もとのところに、こい紅
(べに)をさしてゐます。ほんたうに、手に取って、さはってみたいやうな氣がします。
 すみれも、一週間ばかり前から咲きだしました。それこそ、ほんたうのすみれ色をした花が、暖い日を受けて、びろうどのやうに、つやつやしてゐます。すゐせんの花が四つ、かはいらしいさくらさうや、ひなぎくも、咲いてゐます。きうりの芽生えも、目だって大きくなりました。
 たった一メートル四方ぐらゐの廣さですが、ここばかりは、寒い冬も知らないやうに、みどりの葉が生き生きして、赤や、白や、むらさきの花が、美しく咲いてゐます。
「わたしのお人形さんを、ここへ入れてやりたいなあ。」
と、ひとりごとのやうに、私はいひました。
「どうして。」
「中は暖い春ですもの。」
 にいさんは笑って、
「お人形さんが、汗をかくだらう。このガラスのふたをすると、少しすかしておいても、日中は、二十四五度ぐらゐになるから、春といふよりは夏だよ。」
「でも、夜は寒いでせうね。」
「地の下には、枯れた葉などが入れてあるから、夜もぽかぽか暖いよ。」
と、にいさんはいひました。


    二十五 雪 舟

 雪舟が、子どもの時の話です。
 お寺の小僧になってまもないころ、ある日、和尚
(をしやう)さんにたいそうしかられました。
「おまへは、また繪をかいてゐるのか。いくらいっても、繪ばかりかいて、ちっと
 もお經をおぼえない。おまへは、口でいって聞かせるだけでは、だめだ。」
かういひながら、和尚さんは、雪舟を引っぱって、本堂へ行きました。
 ぶるぶる、ふるへてゐた雪舟は、大きな柱にくくりつけられました。
 初めは、ただ恐しさでいっぱいでしたが、さびしい本堂の柱にくくりつけられて、じっとしてゐる間に、雪舟は、いろいろと考へつづけました。
「いつも、お經を讀まうと思ふのだけれど、机に向かふと、つい、繪がかきたくて
 たまらなくなる。あすからは、きっと、一生けんめいにお經を習はう。わたし
 が、ここで、こんなにしかられてゐようなどとは、おとうさんも、おかあさん  
 も、ゆめにもお知りにならないだらう。」
こんなことを考へてゐると、雪舟は、何だか悲しくなって、とうとう、しくしく泣きだしました。
 涙が、とめどなくこぼれました。ぽたり、ぽたりと落ちて、本堂の板の間をぬらしました。
 少し泣きつかれて、ぼんやり、足もとを見てゐた雪舟は、何氣なく、足の親指で、板の間に落ちた涙をいぢってみました。
 すると、今まで悲しさうだった雪舟の顔は、急に明かるくなって來ました。雪舟は、足の親指を使ひながら、涙で、板の間に繪をかき始めたのでした。
 自分の部屋へ歸ってゐた和尚さんは、しばらくすると、雪舟がかはいさうになりました。もう許してやらうと思って、また本堂へ行きました。
 夕方に近い本堂は、少し暗くなってゐました。和尚さんは、どんなに、さびしかったらうと思って、急いで行って見ると、びっくりしました。大きなねずみが一匹、雪舟の足もとにゐて、今にもとびつきさうなやうすです。かまれては、かはいさうだと思って、和尚さんは、「しっ、しっ。」と追ひましたが、ふしぎに、ねずみは、じっとして動きません。近づいて見ると、それは、生きたねずみではありませんでした。雪舟が、板の間に、涙でかいたねずみでした。
 和尚さんはおどろきました。急いでなはを解いてやりながら、
「わたしがわるかった。おまへは、繪かきになるがよい。これほど、おまへが上手
 だとは、今まで知らなかった。」
といひました。雪舟は、にっこりしました。
 そののち、雪舟は、一心に繪を習ひました。學問もしました。
 雪舟は、とうとう、日本一の繪かきになりました。


    二十六 春 の 雨

 もえて明かるい若草に、
 しとしと、細い雨が降る。
 雨はこぬかか、糸のやう。

 ここは川ばた、やなぎの芽、
 ぬれて、しづくが落ちるたび、
 ひろがる波のわがまるい。

 春は春でも、まだはじめ、
 村から町へゆるやかに、
 少しにごって行く水よ。

 卵のからを浮かべたり、
 わらの切れはし浮かべたり。
 えびやめだかも、泳がせて。 


    二十七 大れふ

 ぼくらは、はしけに乘って、ぐんぐん沖へ出ました。
 おだやかな海です。文治と、へさきにすわって、船があがると、からだを浮かすやうに、船がさがると、からだを沈めるやうにしてゐました。
「にいさん、はま屋の船だよ。」
文治が指さしたので、見ると、船が一さう走ってゐます。屋號を染めぬいた小旗も見えます。子どもが、船のまん中にゐます。
「あれは、きっとはま屋の正治くんだよ。正治くん、正治くん。」
と大聲に呼びながら、文治が立ちあがりかけると、ともにゐた船方が、
「あぶない。」
といひました。
 あとをふり返ると、もう矢島の岬
(みさき)も見えません。目のとどくかぎりはまっさをな水です。
 やがて網場へ來ました。何十さうといふ船が、今、思ひ思ひに網を張ってゐるところです。白波を立てながら、行ったり來たりして、目のまはるやうないそがしさです。ぼくらの網船は、もう網をたぐり始めました。
「さあ、のう。」
と、一人がおんどを取ると、大勢の船方が、みんなこれに合はせて、
「やっさ、やっさ。」
と網をたぐります。だれもかれも、日に燒けたからだから、玉の汗を流してゐます。
 網が、せばまって來た時、網船は、ぼくらの乘ってゐる船を呼びました。
 網船二さうの間へ、まっすぐに乘り入れました。大きなたもで、網から、いわしをどんどんぼくらの船へあげます。見るまに、船の中には、いわしの山が築かれます。いわしの重みで、船がぐっと傾くほどです。
 ぼくらの船は、左右の網船から、竿で押されながら、しだいに網の外へ出ます。出ると、機械をいっぱいに掛けて、もとの海岸へ急ぎました。
 いつのまに立てたのか、へさきには、大れふを知らせるまっかな吹流しが二本、威勢よく風にひるがへってゐました。


 [奥付] 

 
 (「十一 夏やすみ」までが「第三學年前期用(第一分冊)」)

 [第一分冊の奥付] 
  
昭和21年3月 13日 飜刻印刷  
   昭和21年3月22日 飜刻發行
  (昭和21年3月13日文部省檢査濟) 
    初等科國語一  第三學年前期用(第一分冊)
       (新) 
定 價 金五拾錢 
    著作權所有  著作兼發行者    
文   部   省  
  
                     東京都王子區堀船町一丁目857番地  
    飜刻發行兼印刷者      東 京 書 籍 株 式 會 社                                         
                 代表者  井 上 源 之 丞
       
              東京都王子區堀船町一丁目857番地  
    印刷所                       東 京 書 籍 株 式 會 社 
         ───────────────────────────
        東京都王子區堀船町一丁目857番地
            發行所      東  京  書  籍  株  式  會  社

 

Approved by Ministry
of Education
(Date Mar.  13, 1946) 

            ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※

 
(「十九 ぼくの望遠鏡」までが「第三學年前期用(第二分冊)」)

 [第二分冊の奥付]
  
昭和21年4月 20日 飜刻印刷  
    昭和21年5月25日  飜刻發行
  (昭和21年4月20日文部省檢査濟) 
     初等科國語一  第三學年前期用(第二分冊)
     (新)  
定 價  金參拾五錢 
               著作權所有   著作兼發行者  文 部 省 

                          東京都小石川區久堅町108番地
           飜刻發行兼印刷者       日本書籍株式會社
                   代表者  大  橋   光   吉

               東京都小石川區久堅町108番地
       印刷所                     日本書籍株式會社 
          ───────────────────────────
                   東京都小石川區久堅町108番地
      發行所  日 本 書 籍 株 式 會 社             
                    

 

Approved by Ministry
of Education
(Date Apr. 20, 1946)
 

       ※  ※  ※  ※  ※ 
 
 [第三分冊の奥付]
   
昭和21年7月 29日 飜刻印刷  
     昭和21年8月20日  飜刻發行
   (昭和21年7月29日文部省檢査濟) 
     初等科國語一  第三學年前期用(第三分冊)
       (新)  定 價  金貳拾五錢 
      著作權所有    著作兼發行者     文 部 省
 
                 東京都王子區堀船町1丁目857番地
      飜刻發行兼印刷者      東京書籍株式會社
                     代表者  井上源之丞

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      印刷所              東京書籍株式會社
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      發行所    東 京 書 籍 株 式 會 社  
  

 

Approved by Ministry
of Education
(Date July. 29 , 1946)

 

 

  
  (注) 1.  上記の「国民学校暫定教科書『初等科国語一』(本文)」は、『文部省著作 暫定教科書(国民学校用)第三巻』(監修者 中村紀久二。大空社、昭和59年5月26日発行)によりました。  
    2.  この教科書は、昭和21年に国民学校の3年生になった生徒たちが使った国語教科書(前期用)です。今までのものとは違って、暫定的に作られた教科書で、翌昭和22年度には新しい教科書が作られたため、昭和21年のこの教科書は、1年間だけしか使われませんでした。  
    3.  第二分冊の「十二 日記」 以下、促音(「っ」)の表記が、これまでは全角(大文字)だったのが、小文字になっています。
 ただし、「十四 つりばりの行くへ」のト書きだけは、初めは促音が小文字になっていますが、途中から、促音が全角(大文字)になっています。これは、促音の「つ」を小文字に直し忘れたものと思われます。
 
    4.  『初等科国語一、二』ではありませんが、昭和21年11月に発行された暫定教科書の『初等科國語 五』第五学年前期用(第一、二、三分用)の教科書画像が、次のサイトで見られます。
 
(表紙が厚手のものでないのは、この教科書が新聞紙のように印刷された紙を生徒が各自切り揃えて、思い思いの表紙をつけて製本して使ったためだと思われます。)
 『広島大学図書館 教科書コレクション画像データベース』 
 → 
『初等科国語 五   第五学年前期用(第一、二、三分用)』

 この教科書の画像を見るには、ダウンロードする必要があります。
 
    5.  『CiNii』(論文情報ナビゲータ 国立情報学研究所)というサイトの『國學院女子短期大学紀要 Vol.2』掲載の「昭和21年度暫定教科書目録等一覧─国民学校 用─」(谷口一弘・谷内 鴻)という論文に、暫定期の教科書についての詳しい解説が見られます。
 
『CiNii』(論文情報ナビゲーター 国立情報学研究所)のTOPページの「簡易検索」で「昭和21年度暫定教科書」と入力して検索 
 → 「昭和21年度暫定教科書目録等一覧─国民学校用─」の下の「この論文にアクセスする」の
Ci ciNii 論文PDF オープンアクセスをクリック
 →  PDFの本文がダウンロードされます 
 
    6.  昭和20年度までに使われた『初等科國語一』『初等科國語二』の教科書本文は、資料154国民学校国語教科書『初等科國語一』(3年生前期用本文)、資料156 国民学校国語教科書『初等科國語二』(3年生後期用本文)にあります。
 両者を比べて見ると、前期用の敎科書は、従前の敎科書から戦争に関係のない教材を選んで作られていることが分かります。部分的に語句を書き改めた個所もあります。後期用の敎科書(暫定教科書『初等科国語二』)は、新しい教材を集めているようです。
 
         
         
         
         

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