資料344 三浦吉兵衛(白水)について





 

 
三浦吉兵衛
(みうら・きちべえ) 1877-1939
  
  
ドイツ文学者。初め、白水と号した。明治10年2月18日、宮城県桃生郡小野
  村に三浦功の長男として生まれる。小野尋常小学校に入学、3年時に古川尋常小学
   校(現在の古川第一小学校)に転校。そこで吉野作造と同級になり、以後二人は生
   涯の友となった。宮城県尋常中学校、第二高等学校を経て、同33年、東京帝国大
   学に入学(独逸文学科)。36年、東京帝国大学を卒業。山口高等学校教授となる。
   37年、第七高等学校造士館教授。40年、第五高等学校教授。45年から大正
   15年まで、第一高等学校教授。大正15年、第一高等学校を退職、以後同校講師
   として勤務した。昭和14年12月31日、東京小石川の自宅で逝去。享年62。
   翻訳『夢の湖』
は、シュトルムの小説“Immensee”のわが国最初の翻訳とされ
  る。(訳は「降誕祭」「帰郷」「思はぬ文」の3章のみ。)それを発表した明治38年
  当時は、大学卒業後間もない鹿児島の第七高等学校造士館教授時代であった。大正
  3年の『湖畔』(全訳)刊行時は、第一高等学校教授の任にあった。



  ○ シュトルムの小説“Immensee”の翻訳について
   わが国で最初にシュトルムの“Immensee”を翻訳したのは、三浦吉兵衛氏だ
  といわれる。
   1.明治38(1905)年
    三浦白水訳『夢の湖』(明治38(1905)年8月1日発行の雑誌『神泉』
            創刊号所収)
      ただし、全訳ではなく、「降誕祭」「帰郷」「思はぬ文」の3章のみの訳。
     したがって、「幼なじみで相思相愛の男女二人が、母親の言いつけに従って
     他に嫁がされたために起こった悲恋物語だけであ」って、「初めて日本に紹
    介された『みずうみ』は、決して牧歌的叙情、感傷と甘さ、哀愁と諦念とい
    ったものではなく、極めて現実的で生々しい作品として像を結んでいたと想
    像される」(清水賢一郎氏)。

     次に、大正3年に、同じく三浦白水(吉兵衛)によって全訳が出された。

   2.大正3(1914)年
    三浦白水訳『湖畔』(大正3(1914)年6月発行)。独逸叢書の1冊。
    独和対訳方式で、巻末に詳細な「註解」を付す。


  ○ 三浦吉兵衛(白水)氏の死亡記事(東京朝日新聞、昭和15年1月1日付け。
                   『朝日新聞縮刷版』による。)

   
三浦元一高教授  元一高教授三浦吉兵衛氏は予て肺炎で療養中旧臘卅一日
   午後六時死去した享年六十三、告別式は四日午後一時から二時まで小石川区
   駕籠町一四六の自宅で執行する、氏は宮城県人、東大独文科卒業後山口、七
   高、五高、一高各高等学校の教授となりドイツ文学及びドイツ語学会の大先
   輩だつた




 


      (注) 1. ブログ『老人(としより)の目』に、「翻訳について(シュトルムの『みずうみ』の訳のこと)」
         (1)~(3) がありますので、ご覧ください。
          2. 清水賢一郎氏の「明治の『みずうみ』、民国の『茵夢湖』─日中両国におけるシュトルム
         の受容」(『日本中国学会報』第44集
(1992年10月1日発行)所収)に、三浦白水(吉兵衛)
         氏の『みずうみ』の翻訳についての解説があります。
          3. 『国立国会図書館デジタルコレクション』に、三浦吉兵衛(白水)関係の次の書籍が入っ
         ていて、見る(読む)ことができます。
(2010年10月22日現在)
          (1) 『西詩余韻』(三浦白水(吉兵衛)訳、仙台・佐藤養治・明治35年8月5日発行)
          (2) 『ニイチエの人格及哲学』(メエビウス原著、三浦白水抄訳、警醒社書店、大正
                          2年9月11日発行)
          (3) 『散文詩 
独和対訳』(三浦白水著、南山堂書店、
                         大正2年12月20日初版発行、大正14年9月25日第5版発行)
          (4) 『近代名家短篇集 第3巻』(三浦吉兵衛編、郁文堂書店、大正12年4月1日発行)
          (5) 『独逸六大家文抄』(三浦吉兵衛編、郁文堂書店、大正14年4月25日発行)
          (6) 『ゲーテ「小曲」 巻1』(ゲーテ著、三浦吉兵衛訳、郁文堂書店、
                        大正15年2月5日第1版発行;郁文堂独和対訳叢書第17編)       
          4. 「熊本大学学術リポジトリ」の中に、上村直己氏の「明治末の五高の独語教師たち」とい
         う文章が掲載されていて、そこに「明治四十五年六月プラウト氏送別記念」という写真が
         載っていますが、その中に三浦吉兵衛氏も写っています。写真に写っている人物を紹介
         した上村氏の文章の中から、 三浦吉兵衛氏の紹介部分を引用させていただきます。
            日本人教師の中で唯一人洋服姿の三浦吉兵衛は旧仙台藩の人で明治10年2月
           18日生まれ。東大独文科在学中に訳詩集『西詩余韻』を上梓。明治36年卒業後、
           直ちに山口高等学校教授に任命された。その後七高造士館教授を経て五高教授と
           なったのは、明治40年3月のこと。だが同45年7月には一高教授に転任した。

          なお、「明治末の五高の独語教師たち」が収められている『九州の日独文化交流人物
         誌』
訂正第2版(上村直己著、熊本大学文学部地域科学科 2005年2月20日発行)は、非
         売品の由です。
          参考までに、上記の写真に写っている先生方のお名前を記しておくと、プラウト、白川
         精一、多久安美、小島伊佐美、山田鉦太郎、宇佐美全腎、椎名十三、三浦吉兵衛、菊
         地行蔵の9人の先生で、留学中の長江藤次郎先生は写っていない、とのことです。
          5. シュトルムの『みずうみ』については、成城大学法学部の『教養論集』第8号(安田一
         郎敎授退官記念号、1990年12月)に、小松博氏の「シュトルム・ハイネ・民謡」という
         論文があって参考になります。






  
                   トップページ(目次)  前の資料へ  次の資料へ