資料343 大門村枕石寺・日野左衛門の事(佐竹智応編『御開山聖人御伝記絵鈔』より)

 

 

       大門村枕石寺 日野左衛門の事 
       (おほかどむらちんせきじ  ひのさゑもんのこと)  

                  (佐竹智應編『御開山聖人御傳記繪鈔』より)
 

 

 


 江州
(がうしう)日野左近將監(ひの・さこんしやうげん)頼秀の後胄(ごちう)、日野左衛門尉(ひの・さゑもんのじよう)頼秋、時に遇はず流浪して常陸國(ひだちのくに)に至り、久慈郡大門村(くじごほり・おほかどむら)に住(ぢう)す、建保四年の十一月、聖人同國御巡下化(ごじゆんけ)の折柄(をりから)、一日二人(にん)の御弟子(おんでし)を連れ此村を經回(けいくわい)したまふに、日既に暮れ、雪降積(ふりつも)り寒風烈しく前路程遠くして近邊に宿もなし、如何(いかゞ)はせんと歩ませたまふに、幸に一軒の家ありければ、左衛門が家に立寄り、我は行脚の僧なり、道より吹雪にて難澁致し、行暮(ゆきくれ)ていかんとも詮方なし、あはれ一夜(いちや)を明(あか)させ玉へと、慇懃に一宿(しゆく)を需(もと)めたまふに。
 左衛門は勿體なくも、乞食坊主の穢
(けがら)はしき、左樣なものゝ宿は借(かさ)ぬとあらけなく言罵(いひのゝしる)、さればとて外(ほか)に求むべき家もなく、降り積る雪に東西も分(わか)ねば、何卒(なにとぞ)内に入(い)ること叶はねば、せめて椽端(えんばた)になりと今霄(こよひ)を休ませたまへと、ひたすら頼む、強(しひ)て之(これ)を乞(こは)せらるゝに、左衛門怒(いか)り、くどひとて棒を以て振上げて叩きければ、聖人は止(やむ)を得ず、外面(そとも)に出(いで)たまひしが、折惡(をりあし)く眞の闇夜にて、行先(ゆくさき)とても見へわかねば詮方なく、また立戻り、そが門前にありし石をば借りの枕とし、夜寒をわびて臥(ふし)たまふ。
 御供
(おんとも)の弟子西佛房(さいぶつばう)、此御姿(このおすがた)を見て、泣(なき)ながら己の笠を以て聖人の御身を覆ひ、御(おん)いたはしさ云(いは)んかたなく、聖人も都に御座ありたなら、かゝる御難儀(ごなんぎ)はなさらぬものをと、情を知らぬ邪見(じやけん)を恨み、涙と共に御介抱(ごかいはう)をなし參(まゐら)せけるに。
        大門村枕石寺日野左衛門の事(画像1)
 聖人少しも恨
(うらみ)たまはず、我(わ)れたとへ寒天に凍(こゞ)へ果(はつ)るとも、衆生の爲の行(ぎやう)と思へば、苦とも思はねども、主(あるじ)の慳貪(けんどん)生涯あの儘過ぎ果(はて)なば、未來の程恐ろしや、縁なき衆生は度し難し、無宿善(むしゆくぜん)力及(ちからおよ)ばず、夫(それ)に付(つけ)ても、彌陀如來五劫永劫(ごごふえうごふ)の御苦勞を思へば、今此の軒端(のきばた)の假寢も物の數かは、大悲の御辛勞(ごしんらう)の御念力で、漸(やうや)く今は我身に辨(わきま)へ知る、今夜の憂目は其(その)萬分(まんぶん)一にもあらず、樹下石上(じゆげせきじやう)は釋氏(しやくし)の敎へなりとのたまひて、寒(さむさ)に御目も合(あは)ぬゆへ、共々に報謝の稱名(しようみやう)を歡び玉ふに、夜(よ)も既に更(ふけ)にけり。
 扨
(さて)も左衛門は、其夜聖人を追出(おひだ)して、間もなく臥所(ふしど)に入(い)り休みけるが、夜半に至り夢に一人(にん)の化僧(けそう)あらはれ、汝(なん)ぢ凡夫のあさましさ、前(さき)に來(きた)りたまふは只人(たゞびと)ならぬ御僧(ごそう)ぞや、幸に今(い)ま門前に石を枕に臥したまふ、とくとく起(おき)て屈請(くつしやう)せよと、宣ふかと見て、夢はさめはてぬ。
 夫婦一度に目を覺し、互に其
(その)夢を語り合ひ、驚きて戸外(こがい)に出(いで)て見れば、尊くも聖人の稱名(しようみやう)の御聲(おんこゑ)、ありありと聞(きこ)へければ、身の毛與奪(よだち)て有(あり)がたく、左衛門手早く松明(たいまつ)(てら)し、門(かど)を開(ひらき)て見廻せば、霄(よひ)に追出(おひいだ)せし旅僧の雪にまみれて、墨染も只白妙(しろたへ)となるばかり、御姿(おすがた)も見へ分(わか)ねども、念佛の御聲(みこゑ)によくよく見れば、御勞敷(おんいたはし)や聖人は石を枕に休らへたまふ、鬼を欺く左衛門も、あら勿體なやと抱(いだ)き上げ、雪を拂(はらつ)て坐敷に招じ、上座(かみざ)に進め、ずつと下(しも)にさがりて平伏し、霄(よひ)に荒く當りし罪を詫び、前(まへ)の無禮を悔ひ、邪見(じやけん)の角(つの)を折りて、泣き出(いだ)せしかば。
 聖人も大
(おほい)に喜ばせられ、噫(あゝ)時節到來せしか、一樹の蔭(かげ)、一河(が)の流(ながれ)、皆これ他生(たしやう)の縁なれば、今更心おく事なかれと、終夜(よもすがら)隨機説法(ずいきせつぱふ)の善巧(ぜんぎやう)、他力本願の奥旨(あうし)、凡夫直入(ぢきにふ)の敎法を、念頃(ねんごろ)に示し給ひたりけるに、左衛門夫婦立所(たちどころ)に信心發得(ほつとく)して、無二の信者となり、速(すみやか)に御弟子(おんでし)となり、法名を道圓と授けたまふ、後(の)ち道圓一寺を建立し聖人に願ひ枕石寺と稱す、二十四輩第十五番目の御舊跡(ごきうせき)(これ)なり。
 聖人を杖で打
(うち)し時、笈(おひ)に當(あた)りて、笈の内なる本尊左の指折(おれ)たり、其如來を此寺の本尊とす。
又左衛門が一子
(し)も御弟子(おんでし)となり、入西房唯圓(にふさいばう・ゆゐゑん)と申す、年立(たち)て後(のち)、聖人の御供まうし上京して、御臨終の夕(ゆふべ)まで、都にて御給仕(おきふじ)申上(まうしあげ)たる唯圓房(ゆゐゑんばう)は、是(これ)なり。巡拝圖繪、御化導實記


 大門村枕石寺日野左衛門の事(画像2の左)大門村枕石寺日野左衛門の事(画像2の右)
                   
  (大門山枕石寺)
 
 

 

 

 

 

    (注) 1. 上記の「大門村枕石寺・日野左衛門の事」(おほかどむらちんせきじ・ひのさゑもんのこと)
         本文及び画像は、佐竹智応編『御開山聖人御伝記絵鈔』(京都:興教書院、明治44
         年2月15日発行)によりました。
          上記の本には、「第五十二 大門村枕石寺/日野左衛門の事」とあります(258~
         265頁。264~265頁は枕石寺の絵図)。        
         2. この佐竹智応編『御開山聖人御伝記絵鈔』は、
『国立国会図書館デジタルコレクショ
         
ン』所収のものによりました。
          → 『国立国会図書館デジタルコレクション』
『御開山聖人御伝記絵鈔』 149~151/256
         3. 上記の『御開山聖人御伝記絵鈔』の本文には、漢数字を除いてすべての漢字にルビ
         が振ってありますが、ここでは引用者が必要と思うものだけに読み仮名をつけ、あとは
         省略しました。
(読み仮名は、原文のままつけてあります。)
         4. 文中の、平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、普通の仮名に直してあ
         ります(「とくとく」「よくよく」)。
         5. 本文文末の「巡拝圖繪、御化導實記」の文字は、小さく2行に分かち書きされていま
         す。
         6. 「大門山枕石寺」の画像は、右側の部分が、資料342の「枕石寺(大峰貫道編『親鸞
         聖人二十四輩巡拝記』より)」に、より鮮明な画像として出ています。
         7. 本文冒頭に、「日野左近將監頼秀の後胄」とありますが、この「後胄」の「胄」は、「冑」
         (かぶと)という字に似ていますが、これとは別字で、「子孫」という意味だそうです。
            
 冑=(冂 けいがまえ・7画)  音、チュウ(漢音)。ジュウ(呉音)。かぶと。頭を包み隠すもの。
                 「かぶと」の意では「兜」、「よろい」の意では「鎧」とも書く。▽
胄(跡継ぎ)とは別字。
                「甲冑
カッチュウ」の甲はかぶと、冑は胴巻き、よろいのこと。後に、かぶとを
                 という。

              
胄=(月(にくづき)・5画) 音、チュウ(漢音)。ジュウ(呉音)。親からぬけ出てきた子。跡を
                 継ぐ子。また、子孫。▽冑
(かぶと)とは別字。
                                    
   (学習研究社『改訂新版漢字源』による。)
         8. 枕石寺の所在地は、次のとおりです。
            茨城県常陸太田市上河合町1102-1  電話:0294-72-2652
         9. 資料340 に「枕石寺について」がありますので、ご覧ください。
        10. 資料342に、「枕石寺(大峰貫道編『親鸞聖人二十四輩巡拝記』より)」があります。
        11. 枕石寺は、倉田百三の戲曲『出家とその弟子』でも知られているお寺です。
           
『出家とその弟子』は、岩波文庫で読むことができます。また、これはワイド版岩波文庫にも入っ
           ています。    

            参考: 岩波書店による岩波文庫『出家とその弟子』についての紹介文
                 苦境にあって『聖書』と『歎異抄』を熟読した倉田の代表作。「今日のアジアにおいて
                これほど純粋な宗教的芸術作品をわたしは知らない」(ロマン・ロラン)

            
岩波文庫の『出家とその弟子』は、青空文庫に入っていますので、そこで読むことも
           できます。  → 青空文庫の『出家とその弟子』

  






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