資料342 枕石寺(大峰貫道編『親鸞聖人二十四輩巡拝記』より)


 

 

       枕 石 寺      (大峰貫道編『親鸞聖人二十四輩巡拝記』より)
       

◎枕石寺 
(大派)  同国久慈郡河合村にあり、
           
額田より半里河合驛あり

 

 

 

 

 

入 西 御 房。 雪中枕石、大慈放光、鑑察肖像、無上法皇。
   
(十五番)    惠みふかき雪をしとねの御法(みのり)のみ
          朽ちぬためしの枕石
(まくらいし)かな。
高祖聖人上足二十四輩第十五、道圓坊の遺蹟
(ゆゐせき)也。
道圓法師は、舊
(もと)江州(ごうしう)蒲生郡(がまふごほり)日野の産にして、俗姓(ぞくしやう)は日野左近將監(さこんしやうげん)頼秀が後胄(こうちう)、日野左衛門(ひの・さゑもん)の尉(じよう)頼秋と云へる士(さむらひ)なり、當時不遇にして世をあぢきなく思ふ心より、自(おのづ)と人の交(まじはり)も疎く、終に流浪して當國久慈郡(くじごほり)大門(おほかど)と云ふ地に逼塞(ひつそく)してありけるが。頃は建保五年の秋、聖人當國御敎化の折から、一日(あるひ)(この)大門を經回(けいくわい)し給ふに、思ひの外に日暮れて、前路(ゆくて)程遠ければ、即(すなはち)佐衛門が家に立寄り、宿りを需(もと)め給ひしに。左衛門性質(うまれつき)むくつけき男にて、御覽のごとく我だに住(すみ)うき貧家なれば、いかでか旅人を宿すべき、とくとく歸り給へと、愛想(あいさう)なく申けるが、さればとて外(ほか)に求むべき家居もなければ、聖人強(しひ)てこれを乞はせ給ひしかば。左衛門以(もつて)の外に立腹し、こはくどくどしき法師かな、さらずばさらぬまでよ、先(まづ)(わが)棒を受(うく)べしと、有合(ありあふ)(しもと)おつ取り、既にこれを打たんとす。聖人此形勢(ありさま)を見給ふより、矢庭に外面(そとも)に出(いで)給ひしが、日ははやとく暮(くれ)はてゝ、行先とても見へわかねば、詮方なく又立もどらせ給ひ、彼が軒端にて、折柄降りしきる雪をしとねに、石を假の枕とし夜寒をわびて臥(ふし)給ふに。相隨ふ二三の御弟子(おでし)、此御姿(おすがた)を見るよりも御(お)いたはしさ云はん方なく、涙とゝもに御介抱をなし參らせけるに。聖人少しも憂ひ給ふけしきなく、夫(それ)彌陀因位(いんゐ)の御修行に、肉の山を築き血の海をながし、焦熱冱寒(せうねつごかん)の苦惱を凌ぎ、超載永劫(てうさいえうごふ)身命(しんみやう)を惜(をし)み給はず、菩薩無量の德行(とくがう)を積植(しやくじき)し給ふ、御艱難(ごかんなん)を思ひめぐらせば、今此軒端の假寢は物の數かは、元より樹下石上(じゆげせきじやう)は我(わが)釋氏(しやくし)の敎(をしへ)なれば、何(な)にしにこれを厭(いとは)んや。是(これ)に付(つけ)ても唯仰ぐべきは、彌陀の御恩德なれば彌(いよいよ)報謝の稱名(しようみやう)を歓ぶべしと、念佛の御聲(みこゑ)(いと)殊勝に、既に其夜も更(ふけ)にけり。
(さて)も左衛門は前(さき)に聖人を追出し奉り、臥所(ふしど)に入りて休らひけるが、子(ね)の一つばかりと思(おぼ)しき頃、一人の化僧(けそう)枕上(まくらもと)に立(たち)て、いかに左衛門爾(なんぢ)凡夫のあさましさ、前(さき)に汝が門(もん)に來迎ましませし御僧(おんそう)こそ、則(すなはち)西方(さいはう)の敎主覺王阿彌陀如來にてをはします、勿體なや百福莊嚴(しやうごん)の尊像を、衆生濟度の爲にあられぬ法師の姿とかへ、結縁(けちえん)のために塵(ちり)にまじはり給ふなるを、さもあらけなく云罵り、難有(ありがたき)悲願にもれぬる事の愚(おろか)さよ、されども爾(なんぢ)が宿善開發(かいほつ)の時至りぬれば、幸(さいはひ)に他所(たしよ)へうつり給はず、軒端をかりの宿として石に枕し臥(ふし)給へば、とくとく屈請(くつしやう)申參らせ、尊恭(そんきやう)怠るなかれ、我はこれ爾が多年頂禮(てうらい)せる所の、救世菩薩(くせぼさつ)也と宣ふと見て夢さめぬ。左衛門大(おほい)に驚き、即(すなはち)示現(じげん)に隨ひ、密(ひそか)に戸外を伺ふに、恰(あたか)も日光の再びてらせるがごとく、光明傍(あたり)をかゞやかし、其(その)(あかる)き事白晝のごとし。左衛門心中に彌(いよいよ)恐れ、聖人の御側(おそば)近く伺ひ奉るに、よく熟睡なし給ふ御息(おいき)の下より、其光赫然(くわくぜん)としてあらはれければ。左衛門は忽ち大地に身を抛(なげうち)、せんぴを悔(くひ)て泣(なき)わびつゝ、我家に請(しやう)じ參らせ、觀音大士(くわんおんだいし)の御靈夢を物語り、改悔(かいげ)の心しきりなりしかば。聖人大(おほい)に喜ばせ給ひ、一樹の蔭一河の流れ、皆これ他生(たしやう)の縁なれば、今更心おく事なかれと、即(すなはち)終夜(よもすがら)隨類隨機(ずゐるゐずゐき)の大悲(だいひ)をたれ、機見機應(きけんきおう)の善巧(ぜんぎやう)を以て、他力本願の奥旨(おうし)、凡夫直入(じきにふ)の敎法を、いと懇ろに示し給ひければ。左衛門立所(たちどころ)に信心發得(ほつとく)し、速(すみやか)に御弟子(おでし)の列に從はん事を願ひけるに。聖人これを許して、即(すなはち)釋道圓(しやくだうゑん)と法名を授け給ふ、かゝりしより道圓房彌(いよいよ)本願を信じ、聖人を尊重し奉る事他に超(こえ)たり。爰(こゝ)において一宇を造立(ぞうりふ)し、更に聖人を請じ奉りければ、心よく入御(にふぎよ)ならせ給ひ、聞法(もんはふ)更にこまやかなり。道圓房つくづく思ふやう、聖人御化益(ごけやく)御辛勞の恩德須彌(しゆみ)も高きをあらそはず蒼海も深きを讓(ゆづ)れり、是(これ)を末世の衆生に遺し置かんと、聖人に願ひ奉り、枕石(しんせき)を以て終に寺號とはなしにけるとなん。
 
枕石寺(しんせきじ)は中世廢退に及び、昔しの大門村(だいもんむら)より
  二里餘り水戸に近かよりたる川合村
(かあひむら)、即現今の所に轉寺再興
  す。舊大門村寺跡
(じせき)に淨土宗の寺院を造築すと、是亦(これまた)
  寺となれり、今は
靑蓮寺(しやうれんじ)の念佛堂、及左衛門事(こと)道圓
  房の墓あるのみなり。           
 (55~60頁)

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●枕石村御舊跡 
谷河原太田町より一里人力車あり
往昔(むかし)聖人石を枕とし、日野左衛門(ひのさゑもん)を化度(けど)し給ひし舊地なり。是(こゝ)に於て終に村の名とせりと云ふ(此村畑中に日野左衛門が宅地の跡基(あと)あり、遺跡の廢(す)たらんことを恐れ、靑蓮寺(しやうれんじ)の老僧私財を以て、墓の側(かたはら)に年佛堂を建てあり)
                               (60頁)



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  枕石寺画像(『親鸞聖人二十四輩巡拝記』より)  
     
(『親鸞聖人二十四輩巡拝記』後編、扉挿絵より)  
  
     ☆
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  (注) 1.  上記の「枕石寺」の本文及び画像は、大峰貫道編『親鸞聖人二十四輩順拝記』(京都:興教書院、明治44年4月8日発行)によりました。この順拝記は、明治41年5月から43年8月にかけて、著者が親鸞のお弟子二十四輩の遺蹟を巡拝した記録です。(書名を検索する際は、「巡拝」を使わずに「順拝」を使っているいる点に注意してください。)
 大峰貫道編『親鸞聖人二十四輩順拝記』は、『国立国会図書館デジタルコレクション』所収のものによりました。
 
『国立国会図書館デジタルコレクション』
  →『親鸞聖人二十四輩順拝記』後編 
  →「枕石寺」59~62/141
   
    2.  上記の『親鸞聖人二十四輩(にじゅうよはい)順拝記』の本文には、漢数字を除いてすべての漢字にルビが振ってありますが、ここでは引用者が必要と思うものだけに読み仮名をつけ、あとは省略しました。(読み仮名は、原文のままつけてあります。)
 
二十四輩(にじゅうよはい)=親鸞の関東時代の高弟で、その教えを伝えた24人。性信・真仏・順信・乗然・信楽など。また、これらの人の旧跡、あるいは旧跡を巡拝する者をいう。にじゅうしはい。廿余輩。(『広辞苑』第6版による。)
   
    3.  文中の、平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、普通の仮名に直してあります(「とくとく」「くどくど」「つくづく」)。    
    4.  冒頭の寺名の次に「同国久慈郡」とある「同国」とは「常陸国」のことです。
 また、本文末の「枕石」「枕石寺」に「しんせき」「しんせきじ」と振り仮名が施されていますが、これは原文のままです。著者の大峰貫道は、「ちんせきじ」と読まずに「しんせきじ」と読んでいたのでしょうか。
   
    5.  枕石寺の所在地は、次のとおりです。
  茨城県常陸太田市上河合町1102-1 
     電話:0294-72-2652
   
    6.  資料340 に「枕石寺について」がありますので、ご覧ください。          
    7.  また、資料343に、「大門村枕石寺・日野左衛門の事(佐竹智応編『御開山聖人御伝記絵鈔』より)」があります。    
    8.  枕石寺は、倉田百三の戲曲『出家とその弟子』でも知られているお寺です。
 
『出家とその弟子』は、岩波文庫で読むことができます。また、これはワイド版岩波文庫にも入っています。    
 参考: 岩波書店による岩波文庫『出家とその弟子』についての紹介文
苦境にあって『聖書』と『歎異抄』を熟読した倉田の代表作。 「今日のアジアにおいてこれほど純粋な宗教的芸術作品をわたしは知らない」 (ロマン・ロラン)

 
岩波文庫の『出家とその弟子』は、青空文庫に入っていますので、そこで読むこともできます。
  → 青空文庫の『出家とその弟子』

   

 
        
        
        
      

                
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