資料335 与謝蕪村「春風馬堤曲」



 

        春風馬堤曲   
                
謝  蕪  邨



 

    余一日問耆老於故園。渡澱水
    過馬堤。偶逢女歸省郷者。先
    後行數里。相顧語。容姿嬋娟。
    癡情可憐。因製歌曲十八首。
    代女述意。題曰春風馬堤曲。


   
春 風 馬 堤 曲  十八首

○やぶ入や浪花を出て長柄川
○春風や堤長うして家遠し
○堤
ヨリ摘芳草  荊與蕀塞路
 荊蕀何妬情    裂裙且傷股
○溪流石點々   踏石撮香芹
 多謝水上石   敎儂不沾裙
○一軒の茶見世の柳老にけり
○茶店の老婆子儂を見て慇懃に
 無恙を賀し且儂が春衣を美ム
○店中有二客   能解江南語
 酒錢擲三緡   迎我讓榻去
○古驛三兩家猫兒妻を呼妻來らず
○呼雛籬外鷄   籬外草滿地
 雛飛欲越籬   籬高墮三四
○春艸路三叉中に捷徑あり我を迎ふ
○たんぽゝ花咲り三々五々五々は黄に
 三々は白し記得す去年此路よりす
○憐みとる蒲公莖短して乳を浥
○むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
 慈母の懷袍別に春あり
○春あり成長して浪花にあり
 梅は白し浪花橋邊財主の家
 春情まなび得たり浪花風流
○郷を辭し弟に負く身三春
 本をわすれ末を取接木の梅
○故郷春深し行々て又行々
 楊柳長堤道漸くくだれり
○嬌首はじめて見る故園の家黄昏
 戸に倚る白髮の人弟を抱き我を
 待春又春
○君不見古人太祇が句
  藪入の寢るやひとりの親の側


 

 

 



(書き下し文・読み仮名付き本文)

   春 風 馬 堤 曲 

  余、一日
(いちじつ)、耆老(きらう)を故園に問ふ。
  澱水
(でんすい)を渡り馬堤(ばてい)を過ぐ。偶(たま
   たま)
(ぢよ)の郷(きやう)に歸省する者に逢ふ。
  先後して行
(ゆ)くこと數里、相(あひ)顧みて語る。
  容姿嬋娟
(せんけん)として、癡情(ちじやう)(あはれ)
   
むべし。因(よ)りて歌曲十八首を製し、女(ぢよ)
  に代はりて意を述ぶ。題して春風馬堤曲と曰
(い)
   
ふ。
  


   春 風 馬 堤 曲  十八首

○やぶ入
(いり)や浪花(なには)を出(いで)て長柄川(ながらがは)
○春風や堤長うして家遠し
○堤より下りて芳草を摘めば 荊
(けい)と蕀(きよく)と路を塞(ふさ)
 荊蕀何ぞ妬情
(とじやう)なる 裙(くん)を裂き且(か)つ股(こ)を傷つく
○溪流石點々 石を踏んで香芹
(こうきん)を撮(と)
 多謝す水上の石 儂
(われ)をして裙(くん)を沾(ぬ)らさざらしむ
○一軒の茶見世の柳老
(おい)にけり
○茶店の老婆子
(らうばす)(われ)を見て慇懃に
 無恙
(ぶやう)を賀し且(かつ)(わ)が春衣を美(ほ)
○店中二客有り 能
(よく)解す江南の語
 酒錢三緡
(さんびん)(なげう)ち 我を迎へ榻(たふ)を讓つて去る
○古驛三兩家
(さんりやうけ)猫兒(びやうじ)妻を呼ぶ妻來(きた)らず
○雛
(ひな)を呼ぶ籬外(りぐわい)の鷄(とり) 籬外草(くさ)地に滿つ
 雛飛びて籬
(かき)を越えんと欲す 籬高うして墮(おつること)三四
○春艸
(しゅんさう)(みち)三叉(さんさ)中に捷徑(せふけい)あり我を迎ふ
○たんぽゝ花咲
(さけ)り三々五々五々は黄に
 三々は白し記得
(きとく)す去年此路(このみち)よりす
○憐
(あはれ)みとる蒲公(たんぽぽ)莖短(みじかう)して乳を浥(あませり)
○むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
 慈母の懷袍
(くわいはう)別に春あり
○春あり成長して浪花
(なには)にあり
 梅は白し浪花橋邊
(なにはきやうへん)財主の家
 春情まなび得たり浪花風流
(なにはぶり)
○郷
(きやう)を辭し弟(てい)に負(そむ)く身(み)三春(さんしゆん)
 本
(もと)をわすれ末を取(とる)接木(つぎき)の梅
○故郷春深し行々
(ゆきゆき)て又行々(ゆきゆく)
 楊柳
(やうりう)長堤道(みち)漸くくだれり
○嬌首
(けうしゆ)はじめて見る故園の家黄昏(くわうこん)
 戸に倚
(よ)る白髮(はくはつ)の人弟(おとうと)を抱(いだ)き我を
 待
(まつ)春又春
○君不見
(みずや)古人太祇(たいぎ)が句
  藪入の寢
(ぬ)るやひとりの親の側(そば)


 

 

 

 

 

 

 

 



    (注) 1. 上記の与謝蕪村「春風馬堤曲」の本文は、講談社版『蕪村全集 第四巻』(1994
          年8月25日第1刷発行)によりました。ただし、本文の振り仮名は省き、漢字は新字
          体を旧漢字に改めました。
         2.  本文の平仮名の「こ」を縦に潰した形の繰り返し符号は、「々」に置き換えてあり
          ます(點々、三々五々、行々)。また、平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符
          号は、普通の平仮名に置き換えてあります(むかしむかし)。
         3. 「荊蕀何妬情」については、全集の頭注に、「「妬情」はやきもち。寺村家本に蕪村
          自筆で「無情」(つれない)と朱で訂正する(頴原ノート)」とあります。従って、「荊蕀
          何無情」としてある本文もあります。
           全集の本文には、「妬」の右に「(無)」としてあります。 
         4. 「春風馬堤曲」の読み方は、「しゅんぷうばていきょく」「しゅんぷうばていのきょく」
          の両方の読みがあります。手元の書物では、
           「しゅんぷうばていきょく」と読んでいるもの
             揖斐 高 校注・訳『蕪村集 一茶集』
(日本の文学 古典編、ほるぷ出版、1986年) 
             尾形仂・校注『蕪村俳句集』
(岩波文庫、1989年) 
             尾形仂 山下一海・校注『蕪村全集 第四巻』
(講談社、1994年)
           「しゅんぷうばていのきょく」と読んでいるもの
             清水孝之・校注『与謝蕪村集』
(新潮日本古典集成、1979年)
         5. 与謝蕪村(よさ・ぶそん)=江戸中期の俳人・画家。摂津の人。本姓は谷口、のち
              に改姓。別号、宰鳥・夜半亭・謝寅・春星など。幼時から絵画に長じ、文人画
              で大成するかたわら、早野巴人
(はじん)に俳諧を学び、正風(しょうふう)の中興を
              唱え、感性的・浪漫的俳風を生み出し、芭蕉と並称される。著「新花つみ」「た
              まも集」など。(1716-1783)            
 (『広辞苑』第6版による。)
         6. 春風馬堤曲(しゅんぷうばていのきょく)=俳詩。与謝蕪村作。「夜半楽」(1777年
              (安永6)刊)所収。藪入りで帰郷する少女に仮託して、毛馬堤(現、大阪市)の
              春景色を叙した、抒情性豊かな郷愁の詩。      
(『広辞苑』第6版による。)
            
春風馬堤曲(夜半楽)=蕪村が安永6年の春興帖として出した俳諧撰集「夜半楽」
              (半紙本1冊)に、正月の夜半亭歌仙1巻、春興雑題43首、澱河歌などととも
              に収められている。小冊子でありながらこの書が知られているのは、実は「馬
              堤曲」と「澱河歌」のあるがためである。「馬堤曲」の制作は同年正月と推定さ
              れ、帰郷の藪入娘に仮託して、蕪村みずからがその郷愁をうたったものであ
              る。俳句と漢詩とが見事にとけあい、和詩として最高の地位を占めるものとい
              っても過言ではない。          
(日本古典文学大系の「出典解題」による。)

         7. 資料334に、与謝蕪村「北寿老仙をいたむ」があります。

   
 

  





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