資料310 白隠禅師「夜船閑話」(やせんかんな)
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夜 船 閑 話
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(注)1.上記の本文は、国立国会図書館デジタルコレクション所収の『詳注
夜船閑話』(白隠禅師著、熊谷逸仙注。東京:宝永館書店、明治45年
6月4日発行)によりました。
2.上記本文は総ルビなっていますが、ここでは一部読み仮名を省略し
てあります。
3.上記本文の句読点を、引用者の判断で改めた箇所があります。
4.『白隠和尚全集 第五巻』所収の「夜船閑話」によれば、ここに引
用した本文は、「巻之上」となっていて、「何某之國何城之大主何姓
何某侯の閣下近侍の需めに應ぜし草稿」として「巻之下」があります。
(『白隠和尚全集 第五巻』は、白隠和尚全集編纂会・編纂、龍吟社・
昭和9年5月25日発行。)
これについては、伊豆山格堂氏著『白隠禅師 夜船閑話』(春秋社、
1983年2月25日初版第1刷発行、2002年2月25日新装版第1刷発行)の「解説」
に、「『夜船閑話』には一巻本と、「巻第一」と「巻第二」より成る二
巻本とがある。一巻本と二巻本の「巻第一」は同一の内容で、世に聞こ
えた『夜船閑話』はこれに外ならない。二巻本の「巻第二」は「小島城
之大守松平房州殿下近侍の需(もと)めに応ぜし草稿」と題されており、
禅仏教の精神に基づいて、驕奢を慎しみ、仁政を行うべき事を懇ろに説
いたもので、「巻第一」と内容的に全く関係が無い。一巻本や二巻本
「巻第一」の『夜船閑話』は、白隠自らの闘病の体験記録である。(中略)
異質の物がどうして一冊にされたのか、その理由はわからない。おそら
く出版上の便宜的事情に依ることと思われる」とあります。
5.「夜船閑話序」の初めに出てくる「鵠林」に、ここでは「こふりん」と
読み仮名がついていますが、上記の伊豆山格堂氏著『白隠禅師 夜船閑話』
では「こくりん」と読ませており、「松蔭寺の山号を鶴林山(かくりんざん)
と言う。鵠(こく)は白鳥(はくちょう)の事であるが、鶴と同種であるところ
から、白隠和尚は「鵠林」(こくりん)を別称として用いた」と注しておら
れます(同書、5頁)。
また、「營衛」(えいゑ)の読みについても、現代仮名遣いで「えいえ
い」と読み仮名を付けて、「本来は昔の軍隊用語。営は将軍の本陣、衛は
士卒の陣。古代医書『黄帝内経』によれば、「営」は血が脉(みゃく)中に
行き、「衛」は気がそれを引いて脉外を運行すること。本文の場合、血と
気が不足なく充満する意」と注しておられます。
「輭酥(なんそ)」の「輭」は、手元の漢和辞典に「軟」の異体字とありま
す。「酥」は、「牛・羊・馬などの乳を煮つめた乳製品。クリーム」とあり
ます。この「輭酥」を「輭蘇」とする本もあるようで、「蘇」は「酥」と通
じて用いられたようです。
6.白隠禅師の「軟酥の法(なんそのほう)」としてよく知られているの
は、主として本文の次の部分だと思われます。
「予が曰く、酥を用ゆるの法得て聞いつべしや。幽が曰く、行者定中四大調和せず、
身心ともに勞疲する事を覺せば、心を起して應に此の想をなすべし、譬へば色香淸
淨の輭酥鴨卵の大さの如くなる者、頂上に頓在せんに、其の氣味微妙にして、遍く
頭顱の間をうるほし、浸々として潤下し來つて、兩肩及び双臂、兩乳胸膈の間、肺
肝腸胃、脊梁臀骨、次第に沾注し將ち去る。此時に當つて、胸中の五積六聚、疝癪
塊痛、心に隨つて降下する事、水の下につくが如く歴々として聞あり、遍身を周流
し、雙脚を温潤し、足心に至つて即ち止む。行者再び應に此の觀をなすべし、彼の
浸々として潤下する所の餘流、積り湛へて暖め蘸す事、恰も世の良醫の種々妙香の
藥物を集め、是れを煎湯して浴盤の中に盛り湛へて、我が臍輪以下を漬け蘸すが如
し、此の觀をなす時唯心の所現の故に、鼻根乍ち希有の香氣を聞き、身根俄かに妙
好の輭觸を受く。身心調適なる事、二三十歳の時には遙かに勝れり。此の時に當つ
て、積聚を消融し腸胃を調和し、覺えず肌膚光澤を生ず。若し夫れ勤めて怠らずん
ば、何の病か治せざらん、何の德か積まらざん、何の仙か成ぜざる、何の道か成ぜ
ざる。其の功驗の遲速は行人の進修の精麤に依るらくのみ。」
7.白隠(はくいん)=江戸中期の臨済宗の僧。名は慧鶴えかく、号は鵠
林。駿河の人。若くして各地で修行、京都妙心寺第一座となっ
た後も諸国を遍歴教化、駿河の松蔭寺などを復興したほか多く
の信者を集め、臨済宗中興の祖と称された。気魄ある禅画をよ
くした。諡号しごうは神機独妙禅師・正宗国師。著「荊叢毒蘂」
「息耕録」「槐安国語」「遠羅天釜おらでがま」「夜船閑話」な
ど。(1685-1768)
夜船閑話(やせんかんな)=仮名法語。白隠はくいんの著。1巻。17
57年(宝暦7)刊。過度の禅修行による病いの治療法として、
身心を安楽にする観法を説いたもの。
遠羅天釜(おらでがま)=仮名法語。白隠の著。3巻。
1749年(寛延2)刊。武士参禅のこと、病中修行の
用意および自らの法華経観を述べる。おらてがま。
(以上、『広辞苑』第6版による。)
8.フリー百科事典『ウィキペディア』に、「白隠慧鶴」の項があり
ます。
9.『vivid 静寂庵』というサイトに、「白隠禅師《夜船閑話》」の
ページがあり、ここで「夜船閑話」の口語訳が見られます。
『vivid静寂庵』→ 左側にある「■禅」の中の「夜船閑話」をクリック
→ 「白隠禅師《夜船閑話》」のページ
10. 参考書
参考書として、
『白隠禅師 夜船閑話』(伊豆山格堂著。春秋社、1983年2月25日初版
第1刷発行、2002年2月25日新装版第1刷発行)
を挙げておきます。この本は、原文の他に、詳しい語釈、現代語訳があって、
読みやすく、また、巻末の「解説」も大変参考になります。
なお、伊豆山格堂氏が解説の中で挙げておられる参考書を、次にい
くつか紹介しておきます。
『評釈夜船閑話』(陸川堆雲著。昭和37年、山喜房仏書林)
『禅的腹式呼吸夜船閑話氷釈』(虚白道人釈。明治44年、東京弘学館)
(昭和3年大阪文友堂版は『白隠夜船閑話氷釈』と改題)
『白隠禅師夜船閑話』(高山俊著。大法輪閣、昭和18年初版、
同50年改訂版)
『日本の禅語録19 白隠』(鎌田茂雄著。昭和52年、講談社)
『夜船閑話─白隠禅による健康法』(荒井荒雄著。大蔵新書11、昭和54年)
『夜船閑話講話』(大西良慶著。大法輪閣、昭和57年)
なお、白隠和尚の自筆刻本に準拠した刊本に、
大日本文庫本『白隠禅師集』(昭和13年。大日本文庫刊行会)
があるそうです。
11. 白幽について
伊豆山格堂氏の本文の注には、「白幽先生 白河の幽人(隠者)の
意で名づけられたものであろう」(41頁)とありますが、巻末の「解
説」に、「『白隠年譜』によれば、白隠の白幽訪問は宝永7年(1710)
26歳の時であり、「年譜草稿」によれば正徳5年(1715)31歳の時で
ある。然るに白幽は宝永6年64歳の時、山から落ち、病を得て歿した。
明らかに辻褄が合わない」以下、白幽についての詳しい紹介がありま
す(同書、114-119頁)。白隠禅師が自分の説を述べるために仮に設
けた人物ではないかと、一時、白幽の実在を疑う人もいたようですが、
実在の人物であることは確かなようです。
しかし、白隠禅師が白幽に内観法や輭蘇の法を教えられたとするこ
とについては、伊豆山格堂氏は、「興味深く広く世間に訴えるために、
当時かなり有名であった白幽から親しく授けられたものの如く物語風
にして書いたのである。白隠は創作家としての才能にも恵まれていた」
としておられます(同書、114頁)。詳しくは『白隠禅師 夜船閑話』の
巻末にある「解説」を参照してください。
因みに、 『定本 良寛全集』には、「「白幽」は雄渾な筆致で知られ
る書家で、京都の山中に住み、『老子』と『金剛経』を愛読し、詩人石
川丈山の師友であった。宝暦6年(1709)己丑8月9日に死去。200余
歳ともいう」とあります(同書、201頁)。
12. 書名『夜船閑話』について
白隠の『夜船閑話』という本の名前についても、伊豆山格堂氏は次の
ように言っておられます。
「書名は、夜船(よぶね)の乗り合い衆のむだ話という意味であるが、
「夜船(やせん)は、或いは「白川夜船(しらかわよぶね)」の語に掛けたもの
かも知れない。人に京の白川の事を問われた、知ったかぶりの男が、白
川を川の事と思い、夜船(よぶね)で通ったから知らぬと答えたという話
がある。もしその含みがあるとすれば、白川の仙人白幽子には会った事
はないが、会ったことにして書いた咄(はなし)という意味が、『夜船閑
話』という書名にあるわけであろう。」(『白隠禅師 夜船閑話』114頁)
13. 上記の伊豆山格堂著『白隠禅師 夜船閑話』の序に、<良寛和尚も山田
七彦(良寛の甥馬之助の妻の実家主人)宛ての手紙で「白幽子伝弥(いよいよ)御
つとめ被遊候哉(あそばされそうろうや)。野衲(やのう・野僧。私)は彼(か)の
法を修(しゅ)し候故か、当冬は寒気も凌ぎやすく覚(おぼえ)候」と言っ
ている。白幽に著書はない。良寛は『夜船閑話』を読んで内観・軟蘇を
実践し、人にも勧めたと思われる>とあります。
今、『定本 良寛全集』第3巻(中央公論新社、2007年)によって、
その手紙(書簡番号121)を引いておきます。(同書、200-201頁)
歳寒之時節、御清和に御凌被遊候や。白幽子伝、弥御つとめ被遊
候哉。野衲は彼の法を修し候故か、当冬は寒気も凌ぎやすく覚候。
有詩云。
紛紛莫逐物 黙黙宜守口
飯喫腸飢始 歯叩夢覚後
令気常盈内 外邪何謾受
我読白幽伝 聊得養生趣
七彦老 良寛
漢詩の読みを引いておきます。
紛紛(ふんぷん) 物(ぶつ)を逐(お)ふこと莫(なか)れ
黙黙(もくもく) 宜(よろ)しく口(こう)を守るべし
飯(いひ)は腸(はら)飢ゑて始めて喫(きつ)し
歯は夢覚(さ)めて後(のち)に叩(たた)く
気をして常に内に盈(み)た令(し)めば
外邪(ぐわいじや) 何ぞ謾(みだ)りに受けんと
我 白幽伝(はくいうでん)を読み
聊(いささ)か養生(やうじやう)の趣(おもむき)を得たり
(注記)『定本 良寛全集』(内山知也・谷川敏朗・松本市壽 編集)には、
「七彦は、白幽の伝記を書き記していたようである。良寛も七彦
に刺激されたか、あるいは「輭酥の法」をすすめられたかして、
実行してみた。そこで七彦に対し、謝礼を含めた詩簡を送ったの
である」とあります。(201-202頁)