資料575 白隠禅師「軟酥の法」(『夜船閑話』所収) 

  



 

 

    軟酥(なんそ)の法        白 隠 禅 師


予が曰く酥(そ)を用ゆるの法得て聞いつべしや。幽(いう)が曰く、行者(ぎやうじや)定中(じやうちゆう)四大(しだい)調和せず、身心ともに勞疲する事を覺(かく)せば、心を起して應(まさ)に此の想(さう)をなすべし。譬へば色香(しきかう)淸淨(しやうじやう)の輭酥(なんそ)鴨卵(あふらん)の大(おほいさの如くなる者、頂上に頓在(とんざい)せんに、其の氣味微妙(みめう)にして、遍(あまねく)く頭顱(づろ)の間(あひだ)をうるほし、浸々として潤下(じゆんか)し來つて、兩肩(りやうけん)及び双臂(さうひ)、兩乳(りやうにう)胸膈(きようかく)の間(あひだ)、肺肝(はいかん)腸胃(ちやうゐ)、脊梁(せきりやう)臀骨(どんこつ)、次第に沾注(てんちう)し將(も)ち去る。此時に當つて、胸中の五積(しやく)六聚(しゆ)、疝癪(せんべき)塊痛(くわいつう)、心に隨つて降下(かうげ)する事、水の下(しも)につくが如く歴々として聞(こゑ)あり。遍身(へんしん)を周流し、雙脚(さうきやく)を温潤し、足心(そくしん)に至つて即ち止む。行者再び應(まさ)に此の觀をなすべし。彼(か)の浸々として潤下(じゆんか)する所の餘流(よりう)、積り湛(たた)へて暖め蘸(ひた)す事、恰(あたか)も世の良醫の種々妙香(めうかう)の藥物(やくぶつ)を集め、是れを煎湯(せんたう)して浴盤(よくばん)の中に盛り湛へて、我が臍輪(さいりん)以下を漬(つ)け蘸(ひた)すが如し。此の觀をなす時唯心(ゆゐしん)の所現(しよけん)の故に、鼻根(びこん)(たちま)ち希有(けう)の香氣を聞き、身根(しんこん)俄かに妙好(めうかう)の輭觸(なんしよく)を受く。身心(しんしん)調適(てうてき)なる事、二三十歳の時には遙かに勝(まさ)れり。此の時に當つて、積聚(しやくじゆ)を消融(せうゆう)し腸胃(ちやうゐ)を調和し、覺えず肌膚(きふ)光澤を生ず。若(も)し夫(そ)れ勤めて怠らずんば、何(なに)の病(やまひ)か治(ぢ)せざらん、何(なに)の德か積まらざん、何の仙(せん)か成(じやう)ぜざる、何の道か成ぜざる。其の功驗(こうけん)の遲速は行人(ぎやうにん)の進修(しんしう)の精麤(せいそ)に依(よ)るらくのみ。 

 



 (注)1.上記の「軟酥の法」の本文は、国立国会図書館デジタルコレクション
      所収の
詳注夜船閑話(白隠禅師著、熊谷逸仙注。東京:宝永館書店、
     
治45年6月4日発)によりました。白隠禅師の、いわゆる「軟酥
    
(なんそ)の法」にあたる部分を引用しました。(30~31/58)
     2.上記本文は総ルビなっていますが、ここでは一部読み仮名を省略し
     てあります。
     3.白隠(はくいん)=江戸中期の臨済宗の僧。名は慧鶴
えかく、号は
        鵠林。駿河の人。若くして各地で修行、京都妙心寺第一座と
        なった後も諸国を遍歴教化、駿河の松蔭寺などを復興したほ
        か多くの信者を集め、臨済宗中興の祖と称された。気魄ある
        禅画をよくした。諡号
しごうは神機独妙禅師・正宗国師。著
                      「荊叢毒蘂」「息耕録」「槐安国語」「遠羅天釜
おらでがま
        「夜船閑話」など。(1685-1768)     
               夜船閑話(やせんかんな)=仮名法語。白隠
はくいんの著。1巻。
        1757年(宝暦7)刊。過度の禅修行による病いの治療法とし 
        て、身心を安楽にする観法を説いたもの。
             遠羅天釜(おらでがま)=仮名法語。白隠の著。3巻。1749年
        (寛延2)刊。武士参禅のこと、病中修行の用意および自ら
        の法華経観を述べる。おらてがま。  
                 
(以上、『広辞苑』第6版による。)
    4.
フリー百科事典『ウィキペディアに、白隠慧鶴の項があり
            ます。

 



 

 

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