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(注) |
1. |
手紙の本文は、岩波書店刊
『吉田松陰』(日本思想大系54 ・1978年11月22日第1刷発行)
によりました。
ただし、引用にあたって、本文中に施してある返り点は省略しました。 |
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2. |
吉田松陰は、安政6年(1859)10月27日朝、死罪の判決を言い渡され、即日刑が執行されました。 松陰は、文政13年(1830)8月4日の生まれですから、29歳でした(数え年では30歳)。 |
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3. |
「両北堂様」とあるのは、実母・杉滝と養母・吉田久満を指しています。 |
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4. |
手紙の中の「親思ふ……」の和歌は、『留魂録』の冒頭に置かれた「身ハたとひ武蔵の野辺に朽ぬとも留置まし大和魂」(身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂)の辞世とともに、よく知られています。 |
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5. |
吉田松陰については、松風会のホームページ「吉田松陰の顕彰 松陰教学に学ぶ」が参考になりますので、ご覧下さい。 |
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6. |
京都大学附属図書館 のホームページにある『京都大学貴重資料デジタルアーカイブ』で、松陰の書簡その他の画像が見られます。(ただし、残念ながらここに掲げた手紙の画像はありませ ん。) 例えば、「[吉田]松陰先生肖像」・「留魂録」・「松下村塾記」・「吉田松陰木造」「松陰(吉田)ヨリ思父(品川)ニ與フル書3月13日」などが見られます。 |
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7. |
『吉田松陰遺墨帖』が、大和書房から出ています。(山口県教育会編纂・1978年2月刊) |
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8. |
『留魂録』は、資料36 にあります。 |
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9. |
手紙の最後に出てくる「二十一回猛士」については、資料36『留魂録』の注をご参照ください。 |
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10. |
国立国会図書館のホームページの中に「近代日本人の肖像」というページがあり、そこで吉田松陰の肖像写真を見ることができます。 |
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11. |
『かたつむり行進曲』というサイトに、「吉田松陰」があって、大変参考になります。松陰と『宝島』の作者・スチーブンソンとのつながりなどにも触れてあります。
残念ながら現在は見られないようです。(2017年10月30日) |
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12. |
松陰とスチーブンソンとのつながりについて書いた本には、よしだみどり著『烈々たる日本人 日本より先に書かれた謎の吉田松陰伝 イギリスの文豪スティーヴンスンがなぜ』(祥伝社ノン・ブック、2000年10月10日発行)があります。 |
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13. |
スチーブンソンの『YOSHIDA=TORAJIRO』が、Google ブックスに出ています。 → Google ブックス『YOSHIDA=TORAJIRO』 |
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14. |
資料71に吉田松陰『東北遊日記』(抄)があります。 |
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15. |
『国立国会図書館デジタルコレクション』に、松下村塾蔵板『留魂録』(松下村塾、明治2年刊)が入っています。この巻末に、ここに掲げた父・叔父・兄に宛てた手紙が掲載されています。(2010年8月12日付記) |
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16. |
『吉田松陰.com』というサイトがあって、たいへん参考になります。(2012年10月8日付記)
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