資料140 あゝ戦友の碑(茨城県東部ニューギニア戦友会・建碑)



 

       あゝ戦友の碑

     国を想い南溟の果てに散り行きし戦友の亡きがら抱き涙す

   とこしえの平和をねがって
 過ぐる大東亜戦争に際し、わが茨城県出身の將兵は、第四十一・五十一師団、第四十四兵站等の主力として、昭和十八年一月より昭和二十年八月の終戦に至る間、灼熱瘴癘の地ニューギニアの山野に優勢なる米・豪軍と激闘を続け、実に八千六百三十九名の若い生命を失うに至りました。
 これら戦友諸子は、その戦いの場において、命終わらんとするとき、何を願い、何を祈ったことでありましょうか。
 終戦後二十七年、わが国は奇跡的ともいうべき復興大発展を遂げ、本県また今日の隆昌を迎えましたが、これこそ、ただひとすじに日本民族の平和と繁栄を願い、無量の望郷の懐いを抱きつつ絶海の地に散華したこれら八千有余の同胞のご加護によるものと信ずるのであります。
 昭和四十四年秋県民各層の力強いご支援のもとに私どもニューギニアの生存帰還者は、慰靈收骨団としてニューギニアの戦跡に派遣され、念願久しかった現地慰靈を行なうとともにご遺骨を郷里にお迎えし、翌四十五年春、茨城県護国神社顯勲の塔に納骨し慰靈大祭を催すことを得ました。
 しかるに、この二十有星霜、今なお南海の孤島ニューギニアのジャングル奥深く苔むす屍をとどむる英靈の鬼気は陰々として膚に寒く、その慟哭は惻々として耳朶を打つことしきりであります。
 ひるがえって、日本の現状に想いを到すとき、世をあげて安逸豊饒の泥海に浸り、巧詐恥なく、若人またその理想を失い堕弱享楽の弊風吹きて止まざるものがあります。
 人間として耐えうる限界をはるかに越えた悪條件のもと三年有半にわたる悪戦敢闘の末に散った益荒男の遺志を偲び祖国の前途を思うとき、まことに寒心に堪えざるものを覚えます。
 よって、ここに、記念碑を建立し、亡き戦友諸子の冥福を祈るとともにそのいさおしを後世に伝え、もって祖国恒久の平和と繁栄を心からこいねがう次第であります。

      昭和四十七年三月吉日

                             茨城県東部ニューギニア戦友会

 



 


     (注)  1. 「あゝ戦友の碑」(「ああ戦友の碑」)は、水戸市の桜山にある茨城県護国神社の門前の、
         道路を隔てて南にある丸山という小丘の中ほどに、歩兵第二百十三聯隊(弓6822部隊)
         の鎮魂碑と並んで、その西側(向かって右)に建っています。
          この丸山は、もと光圀の建てた淵明堂があったところで、「丸山淵明堂跡」の石碑があり
         ます。

        2. 碑は北向きに建っていますが、正面に「あゝ戦友の碑」の文字と、その下に「国を想い南
         溟の果てに……」の短歌が、最下部に「東部ニューギニア要図」が刻まれています。そして
         碑の東面に「とこしえの平和をねがって」という題辞の後に碑の本文の1行目の「過ぐる大
         東亜戦争に際し」から12行目の「行なうととも」までが、南面に13行目の「にご遺骨を」か
         ら23行目(最終行)の「心からこいねがう次第であります。」までと、日付・建碑者名が記
         してあります。(実際の行数は、注3の「改行を碑文の通りにしたもの」をご参照ください。)
           碑の西面には、「東部ニューギニア作戦参加茨城県將兵所属部隊名」が記してあります。
        3. 参考までに、本文の改行を碑文の通りにしたものを、次に示しておきます。        

 

        あゝ戦友の碑
        
国を想い/南溟の/果てに/散り行きし/戦友の/亡きがら/抱き/涙す
  
とこしえの平和をねがって
 過ぐる大東亜戦争に際し、わが茨城県出身の將兵は、第四十一・五十一師団、第四十四兵
站等の主力として、昭和十八年一月より昭和二十年八月の終戦に至る間、灼熱瘴癘の地
ニューギニアの山野に優勢なる米・豪軍と激闘を続け、実に八千六百三十九名の若い生命を
失うに至りました。
 これら戦友諸子は、その戦いの場において、命終わらんとするとき、何を願い、何を祈っ
たことでありましょうか。
 終戦後二十七年、わが国は奇跡的ともいうべき復興大発展を遂げ、本県また今日の隆昌を
迎えましたが、これこそ、ただひとすじに日本民族の平和と繁栄を願い、無量の望郷の懐い
を抱きつつ絶海の地に散華したこれら八千有余の同胞のご加護によるものと信ずるのであり
ます。
 昭和四十四年秋県民各層の力強いご支援のもとに私どもニューギニアの生存帰還者は、
慰靈收骨団としてニューギニアの戦跡に派遣され、念願久しかった現地慰靈を行なうととも
にご遺骨を郷里にお迎えし、翌四十五年春、茨城県護国神社顯勲の塔に納骨し慰靈大祭を催
すことを得ました。
 しかるに、この二十有星霜、今なお南海の孤島ニューギニアのジャングル奥深く苔むす屍
をとどむる英靈の鬼気は陰々として膚に寒く、その慟哭は惻々として耳朶を打つことしきり
であります。
 ひるがえって、日本の現状に想いを到すとき、世をあげて安逸豊饒の泥海に浸り、巧詐恥
なく、若人またその理想を失い堕弱享楽の弊風吹きて止まざるものがあります。
 人間として耐えうる限界をはるかに越えた悪條件のもと三年有半にわたる悪戦敢闘の末に
散った益荒男の遺志を偲び祖国の前途を思うとき、まことに寒心に堪えざるものを覚えます。
 よって、ここに、記念碑を建立し、亡き戦友諸子の冥福を祈るとともにそのいさおしを
後世に伝え、もって祖国恒久の平和と繁栄を心からこいねがう次第であります。
     昭 和 四 十 七 年 三 月 吉 日
                      茨 城 県 東 部 ニ ュ ー ギ ニ ア 戦 友 会

 

 


4. 茨城県東部ニューギニア戦友会の連絡先又は関係者をご存知の方は、お知らせいただ
   ければ幸いです。

 

 

5. 「茨城県東部ニューギニヤ戦友会」の編集・発行による『わがたたかいの跡 大東亜戦争
  東部ニューギニヤ戦
』(1970年4月発行)があります。

 

 

6. 「あゝ戦友の碑」の左隣(向かって右)に建っている歩兵第213連隊(弓6822部隊)の鎮
  魂碑について、連隊についての解説と碑の本文が、『ぶらり重兵衛の歴史探訪供という
   ホームページの「我、かく戦えり!」(旧陸海軍部隊と慰霊碑など)のページに載っていま
   す。  → 歩兵第213連隊(通称号:弓6822部隊)の解説と、鎮魂碑の碑文

 

 

 

 




                                        
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