資料107 還暦について(還暦とは + 干支について) 



       還暦について


〇 還暦(かんれき)
(60年で再び生まれた年の干支に還(かえ)るからいう)数え年61歳の称。華甲(かこう)。本卦還(ほんけがえり)。「─の宴」  (『広辞苑』第6版による)

 「華甲」=(「華」の字を分解すれば、六つの十と一とになる。「甲」は甲子きのえねの意)数え年61歳の称。還暦。ほんけがえり。  (同じく『広辞苑』第6版による)
                      

還暦という言葉の意味(還暦とは) 
 それぞれの年には、干支(えと)が当てられています。例えば、平成19年(西暦2007年)の干支(えと)は丁亥(ひのと・い)ですが、ふつうは前の「丁」を略して、「今年は亥年(いどし・いのししどし)だ」などと言ったりしています。
 この干支(えと)は「甲子~癸亥」の60種類あるので、61年目にもとの干支に還ることになります。つまり、数え年61歳の年に自分の生まれた年の干支に還ることになるので、数え年61歳を「還暦」と言うわけです。満年齢でいえば、満60歳の誕生日を迎える年が、還暦の年ということになります。

 ※ 「還暦」というのは、もともと数えで年齢を数えた時の言葉なので、満年齢で考えると、話が少しややこしくなります。
 数え年だと1月1日に年をとりますから、正月になって、「私は、今年61歳になりました。還暦を迎えました」と言えるのですが、満年齢だとそうはいきません。
 満年齢では誕生日に年をとるので(注)、例えば12月1日に生まれた人の場合、満で60歳を迎える年の正月は、まだ60歳になっていません。しかし、干支は既に生まれた年の干支に戻っていますから、その年(満60歳になる年)の元日は、明らかに還暦の年になっているわけです。もし、満年齢で還暦を言うとすれば、正月に、「私は、今年の誕生日に満60歳になります。ですから、今年が還暦の年なので、この元日に還暦を迎えたことになります」とでもなるでしょうか。
 それで辞書などでは、還暦のことを「数え年61歳の称」と書いてあるのでしょう。  

    ※  ※  ※  ※  ※  

 (注)満年齢の数え方については、日常生活におけるものと、法律上におけるものとで、1歳を加える加え方に違いがあります。
 日常生活においては、誕生日を迎えて1歳を加えていますが、法律上は、誕生日を迎える前日に1歳を加えることになります。
 例えば、12月1日に生まれた人は、普通、翌年の12月1日に満1歳になる、と考えますが、法律上は、生まれた翌年の誕生日前日、つまり11月30日に満1歳になるわけです。
小学校入学の学齢について
  学校教育法によれば、「満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから」「小学部に就学させる」ということになっていますので、4月1日生まれの子どもは、その年の4月から小学校に入学することになりますが、4月2日に生まれた子どもは、4月1日の時点で満6歳になるので、翌年の4月に小学校に入学することになります。

(参考1)学校教育法 第2章 義務教育
第16条 保護者(子に対して親権を行う者(親権を行う者のないときは、未成年後見人)をいう。以下同じ。)は、次条に定めるところにより、子に9年の普通教育を受けさせる義務を負う。
第17条 保護者は、子の満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満12歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校又は特別支援学校の小学部に就学させる義務を負う。   
(参考2)学校教育法施行規則(昭和22年文部省令第11号)
  第4章 小学校 第3節 学年及び授業日
第59条 小学校の学年は、4月1日に始まり、翌年3月31日に終わる。  

日常生活における数え方
 
(例1)甲子の年の12月1日に生まれた人の満年齢
 
1年目 甲子の年の12月1日……0歳(誕生)
2年目 乙丑の年の 1月1日……0歳  12月1日……1歳
3年目 丙寅の年の 1月1日……1歳    12月1日……2歳
    ……
7年目 庚午の年の 1月1日……5歳    12月1日……6歳
8年目 辛未の年の 1月1日……6歳  
         4月1日(小学校入学) 12月1日……7歳
    …… 
60年目 癸亥の年の1月1日……58歳   12月1日……59歳 
61年目(還暦の年)
    甲子の年の 1月1日……59歳   12月1日……60歳
 
(例2)甲子の年の12月1日に生まれた人の数え年
 
1年目 甲子の年の12月1日……1歳(誕生)
2年目 乙丑の年の 1月1日……2歳  
3年目 丙寅の年の 1月1日……3歳  
    ……
7年目 庚午の年の 1月1日……7歳  
8年目 辛未の年の 1月1日……8歳  
          4月1日(小学校入学)
     …… 
60年目 癸亥の年の1月1日……60歳    
61年目(還暦の年)
     甲子の年の1月1日……61歳 
 
法律上における数え方
 
(例1)甲子の年の12月1日に生まれた人の満年齢
 
1年目 甲子の年の12月1日……0歳(誕生)
2年目 乙丑の年の 1月1日……0歳    11月30日……1歳
3年目 丙寅の年の 1月1日……1歳    11月30日……2歳
    ……  
7年目 庚午の年の 1月1日……5歳    11月30日……6歳
8年目 辛未の年の 1月1日……6歳  
        4月1日(小学校入学) 11月30日……7歳
    …… 
60年目 癸亥の年の1月1日……58歳    11月30日……59歳 
61年目(還暦の年)
     甲子の年の1月1日……59歳    11月30日……60歳

 なお、『網際情報館』というサイトに「4月1日生まれの子どもの学齢」というページがあって参考になります。

(お断り:満年齢の数え方については、2009年3月14日に書き加えました。
  この項の記述に誤りがあるといけませんので、お気づきの点を教えていただければ幸いです。
       資料300に「年齢の数え方に関する法律」があります。)

     ※  ※  ※  ※  ※  


〇 還暦の祝い 
 昔は、還暦には、赤ちゃんに還るという意味(干支が生まれた年に戻るので)と、赤は魔よけの色ということから、赤い袖なし羽織(ちゃんちゃんこ)や赤い頭巾・赤い座布団などを贈って、お祝いをしたものだそうです。
 (尤も、昔といっても、還暦の祝いは近世になってから一般化したお祝いだそうです。また、本来は男性だけが対象となるお祝いだったそうです。)


  以下、参考までに、干支(えと)(十干十二支)について、少し触れておきます。

〇 干支(えと)について
 「干支」は、普通「えと」と読みますが、音(おん)で読めば「かんし」となります。「えと」の「え」は兄(え)、「と」は弟(おと)のことです。
 「干支(えと)」とは、十干十二支(じっかん・じゅうにし)のことで、「甲子」「乙丑」「丙寅」「丁卯」……など、全部で60あります。

 十干とは、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸のこと、十二支とは、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥のことです。
 十干(じっかん)の甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸を音(おん)で読んでみると、次のようになります。
  こう・おつ・へい・てい・ぼ・き・こう・しん・じん・き 
 十二支の子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥を音(おん)で読んでみると、次のようになります。
  し・ちゅう・いん・ぼう・しん・し・ご・び・しん・ゆう・じゅつ・がい
  十二支の訓での読み方は、挙げるまでもないでしょうが、
  ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い
と読んでいます。

 ただし、「亥」は、日本では訓で「い・いのしし」と読んで「いのしし年(どし)・い年(どし)」といいますが、中国では「亥」は「ぶた」のことで、中国をはじめ韓国や香港などでは「ぶた年(どし)」となるそうです。
 中国ではぶたは金運の象徴で、ぶた年生まれの人は金運に恵まれるとされるそうです。
 なぜ日本だけが「ぶた年(どし)」でなく「いのしし年(どし)」なのかというと、干支(えと)が入って来た当時、日本ではぶたを飼っていなかったからで、そこで、ぶたの先祖の「いのしし」を「亥」にあてたのだそうです。
 日本では弥生時代に北九州を中心にぶたを飼ったことがあるそうですが、ぶたを飼うより野生のいのししを狩ったほうが手っ取り早いのですぐにすたれたそうです。やがて仏教の伝来によって肉食が嫌われ、沖縄以外ではぶたは飼われず、慶長年間(1596~1615)に長崎にぶたが伝わって、これが日本での養豚の始まりとなったそうです。ただ、産業としての養豚が盛んになったのは明治以後のことだそうです。
 (この「ぶた年」についての項は、前半は朝日新聞2007年1月6日・土曜be版掲載の「昔も今も」〔干支 国際基準では「ブタ年」〕…筆者は茨城大学助教授・磯田道史氏…に、後半は平凡社版『国民百科事典12』(1978年7月27日初版発行)よって記述しました。)

 この十干に五行(ごぎょう)の「木・火・土・金・水」(もく・か・ど・ごん・すい)を当てはめて、
 木 …… 甲・乙
 火 …… 丙・丁
 土 …… 戊・己
 金 …… 庚・辛
 水 …… 壬・癸
としました。

 日本では、これに陽をあらわす兄(え)、陰をあらわす弟(と)をつけて、
   甲(きのえ) ・乙(きのと) ……(木の兄)・(木の弟)の意
   丙(ひのえ) ・丁(ひのと) ……(火の兄)・(火の弟)の意
   戊(つちのえ)・己(つちのと)……(土の兄)・(土の弟)の意
   庚(かのえ) ・辛(かのと) ……(金の兄)・(金の弟)の意
   壬(みずのえ)・癸(みずのと)……(水の兄)・(水の弟)の意
としたのです。

 十干と十二支を順に組み合わせたものが、「甲子」「乙丑」「丙寅」「丁卯」……「癸亥」で、音で読めば「かっし・こうし」「いつちゅう(いっちゅう)」「へいいん」「ていぼう」……「きがい」、日本的に訓で読めば「甲子(きのえね)」「乙丑(きのとうし)」「丙寅(ひのえとら)」「丁卯(ひのとう)」……「癸亥(みずのとい)」となります。
 組み合わせは全部で60種類になります。この60種類の組み合わせを、昔は年や月・日に当てて用いたわけです。

 ここで、あらためて10種類の甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸と、12種類の子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥を順に組み合わせていくと(「甲子」から始めて、順に「乙丑」「丙寅」……とやっていくと)、何種類の組み合わせができるかを、考えてみましょう。

 答えは、既に何度も書いたように60種類になります。(10と12の最小公倍数=60です。)

 煩をいとわず、その60種類の組み合わせを全部挙げてみましょう。

干支(十干十二支)

1 甲子 ( かっし・こうし : きのえね )
2 乙丑 ( いつちゅう   : きのとうし )
3 丙寅 ( へいいん    : ひのえとら )
4 丁卯 ( ていぼう    : ひのとう )
5 戊辰 ( ぼしん     : つちのえたつ )
6 己巳 ( きし      : つちのとみ )
7 庚午 ( こうご     : かのえうま )
8 辛未 ( しんび     : かのとひつじ )
9 壬申 ( じんしん    : みずのえさる )
10 癸酉 ( きゆう     : みずのととり )
11 甲戌 ( こうじゅつ   : きのえいぬ )
12 乙亥 ( いつがい    : きのとい )
13 丙子 ( へいし     : ひのえね )
14 丁丑 ( ていちゅう   : ひのとうし )
15 戊寅 ( ぼいん     : つちのえとら )
16 己卯 ( きぼう     : つちのとう )
17 庚辰 ( こうしん    : かのえたつ )
18 辛巳 ( しんし     : かのとみ )
19 壬午 ( じんご     : みずのえうま )
20 癸未 ( きび      : みずのとひつじ )
21 甲申 ( こうしん    : きのえさる )
22 乙酉 ( いつゆう    : きのととり )
23 丙戌 ( へいじゅつ   : ひのえいぬ )
24 丁亥 ( ていがい    : ひのとい )
25 戊子 ( ぼし      : つちのえね )
26 己丑 ( きちゅう    : つちのとうし )
27 庚寅 ( こういん    : かのえとら )
28 辛卯 ( しんぼう    : かのとう )
29 壬辰 ( じんしん    : みずのえたつ )
30 癸巳 ( きし      : みずのとみ )
31 甲午 ( こうご     : きのえうま )
32 乙未 ( いつび     : きのとひつじ )
33 丙申 ( へいしん    : ひのえさる )
34 丁酉 ( ていゆう    : ひのととり )
35 戊戌 ( ぼじゅつ    : つちのえいぬ )
36 己亥 ( きがい     : つちのとい )
37 庚子 ( こうし     : かのえね )
38 辛丑 ( しんちゅう   : かのとうし )
39 壬寅 ( じんいん    : みずのえとら )
40 癸卯 ( きぼう     : みずのとう )
41 甲辰 ( こうしん    : きのえたつ )
42 乙巳 ( いつし     : きのとみ )
43 丙午 ( へいご     : ひのえうま )
44 丁未 ( ていび     : ひのとひつじ )
45 戊申 ( ぼしん     : つちのえさる )
46 己酉 ( きゆう     : つちのととり )
47 庚戌 ( こうじゅつ   : かのえいぬ )
48 辛亥 ( しんがい    : かのとい )
49 壬子 ( じんし     : みずのえね )
50 癸丑 ( きちゅう    : みずのとうし )
51 甲寅 ( こういん    : きのえとら )
52 乙卯 ( いつぼう    : きのとう )
53 丙辰 ( へいしん    : ひのえたつ )
54 丁巳 ( ていし     : ひのとみ )
55 戊午 ( ぼご      : つちのえうま )
56 己未 ( きび      : つちのとひつじ )
57 庚申 ( こうしん    : かのえさる )
58 辛酉 ( しんゆう    : かのととり )
59 壬戌 ( じんじゅつ   : みずのえいぬ )
60 癸亥 ( きがい     : みずのとい )

(注) 漢和辞典によれば、「乙」の音は、「イツ」が漢音、「オチ」が呉音、「オツ」が慣用音、ということだそうです。
 甲乙丙というときは「こう・おつ・へい」と乙を慣用音で読みますが、 乙丑や乙亥というときは「いつちゅう」「いつがい」と、乙を漢音で読んでいるようです。(尤も、『広辞苑』には「いっちゅう」「おっちゅ う」・「いつがい」「おつがい」・ ……と、両方の読みが示してありますが。干支えとの表参照)
 なお、ここでは「乙丑」・「乙巳」を「いつちゅう」・「いつし」と読みましたが、『広辞苑』ではそれぞれ「いっちゅう」(「おっちゅう」)・「いっし」と促音で読んでいます。

 ちょっと考えると、10×12=120で120種類の組み合わせができそうに思いますが、そうではありません。
 10種類のものと12種類のものを順に組み合わせていくので、2つずつずれていくために、上の奇数番目のもの(甲・丙・戊・庚・壬)と下の偶数番目のもの(丑・卯・巳・未・酉・亥)とは組み合わせができないのです。
 同じように、上の偶数番目のもの(乙・丁・己・辛・癸)と下の奇数番目のもの(子・寅・辰・午・申・戌)とは組み合わされません。
 ということで、甲・乙・丙・丁・……の十干はそれぞれ6種類のものとは組み合わせができないので、すべての組み合わせから組み合わせのできない数を引いて、
 (10×12)-(10×6)= 120 - 60 = 60
で、干支は120の半分、60種類ということになるわけです。
 つまり、甲丑・甲卯・甲巳・甲未……や乙子・乙寅・乙辰・乙午……などは、干支としては出てこないのです。
 (やはり、干支の数は、10と12の最小公倍数が60だから、60種類になる、と考えるのが、最もすっきりしているでしょうか。)
 
 
☆ 平凡社の『国民百科事典』(1977年7月20日初版第1刷発行)によって、干支(十干十二支)についての説明をしておきましょう。

十干十二支の起源
  十干十二支は、古代中国で発生したもので、起源は非常に古く、殷(いん)時代末期(前15~前11世紀)に作られた甲骨文字の中に既に現れているそうです。

十干十二支と紀日法・紀年法
 初めは十干と十二支を順に組み合わせて60の順位名を得、それらによって日付けを表す紀日法であったといいます。
 それが後年、漢の武帝が太初暦を作ったころ(前104年)、年を表す紀年法にも転用されるようになりました。
 同時に、月にも十二支が用いられるようになったそうです。
  (紀日法=ある特定の日を基準にして、日付けを表す方法。
   紀年法=ある特定の年を基準にして、年を表す方法。)

十二支と動物・方位・時刻
 十二支に動物を配当するようになったのは漢代のころで、王充の『論衡』に初めて見られるそうです。
 また、十二支を方位に配当するのも、漢代に起こったといわれます。
 漢代以後、十二支は時刻を数えるのにも用いられ、一日を12分して、それぞれ十二支を配当しました。

〇 これらの、干支によって時刻や日・月・年を表す方法は、日本や朝鮮などの漢字圏に伝えられ、古くから用いられてきました。中国で定められた甲子の日・年は、そのまま旧来の暦に受け継がれ、今日に至っているそうです。

十干十二支と五行
 五行(ごぎょう)とは、万物の根元となる五つの元素、木・火・土・金・水(もく・か・ど・ごん・すい)のことで、戦国時代の騶衍(すうえん)が、この五行によって歴代王朝の変遷の順序を理論づけました。
 十干十二支が五行と結びついたのは、戦国時代末期から漢代にかけてのころだそうです。
      (十干)  (十二支)
   木   甲乙            寅卯
   火   丙丁            巳午
   土   戊己     丑辰  未戌
   金   庚辛     申酉
   水   壬癸     亥子

 日本では、十干を五行に配したものを二つのグループに分け、前のグループを兄(え)、後のグループを弟(と)と名づけたことは、前にも触れました。

         兄(え)    弟(と)
  木(き)  甲(きのえ)  乙(きのと)
  火(ひ)  丙(ひのえ)  丁(ひのと)
  土(つち) 戊(つちのえ) 己(つちのと)
  金(か)  庚(かのえ)  辛(かのと)
  水(みず) 壬(みずのえ) 癸(みずのと)

〇  ある年の干支の求め方
 フリー百科事典『ウィキペディア』「干支」の項に干支の求め方が出ていましたので紹介します。

 まず初めに、十干は、求めようとする年の西暦を10で割った余りを求め、その数を下の表にあてはめて求めます。
十干を求める表 (西暦を10で割った余りで求める)
余り 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9
十干

 次に、十二支は、西暦を12で割った余りを求め、その数を次の表にあてはめて求めます。
十干を求める表 (西暦を12で割った余りで求める)
余り 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
十二支

 例えば、西暦2007年で考えてみると、

(1)まず、2007を10で割って、その余り7から、十干は「丁」。
(2)次に、2007を12で割って、その余り3から、十二支は「亥」。
 
 従って、西暦2007年の干支は「丁亥」だとわかります。 

  もう一つ、壬申の乱が起こった弘文元年(天武元年)・西暦672年で、確かめてみましょう。

(1)まず、672年を10で割って、その余り2から、十干は「壬」。
(2)次に、672を12で割って、その余り0から、十二支は「申」。

 確かに、672年の干支は「壬申」になりました。 
 
  次に、中国の例を見てみましょう。清朝を倒した中国の民主主義革命が起こったのは、1911年。この年の干支を調べてみると、

(1)まず、1911年を10で割って、その余り1から、十干は「辛」。
(2)次に、1911を12で割って、その余り3から、十二支は「亥」。

 従って、この年の干支は辛亥。それで、この革命を「辛亥革命」と名づけたわけです。

 もう一つ、高校野球の全国大会で知られる甲子園球場について調べてみましょう。甲子園球場ができたのは、大正13年(1924年)です。この年の干支は、

(1)まず、1924年を10で割って、その余り4から、十干は「甲」。
(2)次に、1924を12で割って、その余り4から、十二支は「子」。

 この年の干支は甲子になります。それで、この球場を「甲子園球場」と名づけたわけです。

     * * * * *  

西暦の十干の求め方 
 西暦の干支のうち、十干は、上の「十干を求める表」(西暦を10で割った余りで求める)から、西暦の末尾によって次のように判別することができるわけです。
西暦の末尾 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9
十干

「己」・「已」・「巳」の違いの覚え方
 十干の「己」と十二支の「巳」、それに「已然形」の「已」は、それぞれ形が似ていて間違えやすいので、この違いの覚え方が歌の形(5・7・5・7・7)でいろいろ作られているようです。
 一例を挙げますと、

◇ キ・コの声・おのれ・つちのと 下につき(己)、イ・すでに なかば(已)、シ・み は皆つく(巳)。

 つまり、キ・コ・おのれ・つちのと と読む「己」は下につき、イ・すでに と読む「已」は半ばにつき、シ・み と読む「巳」は皆つく、というわけです。(音はカタカナで、訓はひらがなで示してあります。)

◇ み・シは上(巳)、やむ・イはすでに半ばなり(已)、おのれ・つちのと・コは下につく(己)。
 
 「やむ・イはすでに半ばなり」とは、半ばまでの「已」は「やむ」「イ」「すでに」と読まれる、ということです。

◇ み は上に(巳)、おのれ・つちのと 下につき(己)、すでに・やむ・のみ 中ほどにつく(已)。

◇ み は上に(巳)、おのれ・つちのと 下につき(己)、半ば過ぎれば、すでに・やむ・のみ(已)。

 上の二つは、訓だけの読みかたを覚える歌になっています。

 私が高校時代に覚えたのは、
◇ み は上に(巳)、すでに 半ばになりぬとも(已)、おのれ は下にありとこそ知れ(己)。
という形でした。これは歌としてはまとまっているようですが、読みの数が少ない(み・すでに・おのれ の三つ)のが短所でしょうか。
 しかし、「己」・「已」・「巳」の違いに注意をはらうという意味では、この歌を覚えるだけで充分だったようにも思っています。

(この項は、手元にあった『改訂新版漢字源』(学習研究社、1988年初版・1994年二色刷新版・2002年改訂新版発行)・『旺文社漢和辞典』(旺文社、1964年初版・1986年改訂新版・1989年重版発行)を参照しました。)

補遺 
『古文書入門 ─判読から解読へ─』(藤本篤著、柏書房・1994年9月15日第1刷発行)に次のような覚え方が出ていましたので、引かせていただきます(同書、107頁)。

◇ 已(すで)半ば 己(おのれ)は下に付きにけり 巳(み)は皆付きて 已(い)・己(き)・巳(し)とぞ読む

なお、同書に、「戍・戌・戊」の違いを覚える歌が出ていましたので、これもついでに紹介させていただきます。

◇チョン(、)戍(まもる) 一の字引けば戌(いぬ)となり 何も書かぬは戊(ぼ)の字つちのえ
                            (2012年1月10日付記)



  (注) 1.  『語源由来辞典』というホームページがあり、そこで 「還暦」 「華甲」 などの語についての解説が見られます。    
    2. 上の「ある年の干支の求め方」のところに引いた、フリー百科事典『ウィキペディア』の「干支」の項に、干支についての詳しい説明がありますので、ご覧ください。    
    3. 資料14に「杜甫の詩『曲江』(「古稀」の語の出典)」があります。    
    4. 『古文書なび』というサイトに、「十干・十二支の異名」が出ています。「干支(十干・十二支)」の項もあります。
 →『古文書なび』 →「十干・十二支の異名」
          →「干支(十干・十二支)」
   
           
           






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