室長室009 軍用犬ベルとジョンの思い出


          

 

 

       軍用犬ベルとジョンの思い出

 今日は、軍用犬ベルとジョンの思い出をお話ししましょう。
 父が校長をしていた台湾 ・新竹州坪林の小学校に、昭和20年1月、沖縄から陸軍野戦病院が移駐して来たことは、前にお話ししましたが、その部隊では、二頭の軍用犬を飼っていました。
 軍用犬ですから、犬種はもちろんシェパードです。一頭はベル、もう一頭はジョンという名前でした。
 そのとき、私は国民学校の5年生でしたが、ベルを懐けることになりました。8月の15日に日本が戦争に敗れて、部隊はやがて日本に引き揚げなければならないので、そのとき軍用犬をどうするかという話にでもなったのでしょうか。そのあたりははっきり覚えていませんが、僕らもやがては引き揚げなければならないのですから、軍用犬を貰い受けるというのも、妙な話です。ともかく、ベルを懐けることになったのです。
 飼育係の兵隊さんは、二頭の犬について、こう説明してくれました。
 ジョンは知らない人が近づくと、盛んに吠えたてる。それは警戒心が強いからというよりも、臆病なところがあるからだ。それに対してベルは、人が近づいても決して吠えない。そばまで近づくのを待って、急に噛み付く。ベルは豪胆な犬なのだ、と。飼育係の兵隊さんでも、うっかり声をかけずに近づくと噛み付かれることがあるということでした。
 僕が懐けることになったベルは、そういう犬でした。
 初めは飼育係の兵隊さんと一緒に、少し離れたところから「ベル、ベル」と声をかけながら、徐々に近づいていくのです。そして兵隊さんが頭を撫でたときに、僕もそっと近づいて好物の肉を与えるところから始めました。
 軍用犬は、知らない人からの餌は決して口にしないように躾けられています。最初は僕の与える肉を食べようとしませんでしたが、そばに飼育係の兵隊さんがいてその肉を与えることで、少しずつ馴れていって、ベルはぼくの与える餌を食べるようになりました。
 そのうちに、僕一人でベルを連れて散歩をするようになりました。校長官舎が小学校の裏手の、一段高くなった、小高い山の麓に建っていましたから、その周りの山地を、ベルを連れて歩きまわり、走りまわりました。
 犬といっても、成犬のシェパードは力があります。うっかりすると、引き綱を引っ張られて転倒しかねません。「止まれ!」と言って、言うことをきかせることが必要でした。
 軍用犬はきちんと躾ができていますから、「待て!」や「伏せ!」は勿論のこと、「這え!進め!」という号令で、匍匐前進をさせることもできました。
 ベルは僕のことをどう思っていたのでしょう。内心は、この小僧っ子が、と思っていたのかも知れませんが、それでも僕の命令には、忠実に従ってくれたのです。
 そうして親しくなったベルでしたが、やはり僕らもやがては引き揚げなければならないのですから、ベルを貰い受けることはできない相談です。結局は、ベルとも別れることになりました。
 部隊がいつ坪林の小学校を引き揚げたのか、そしてあの二頭の軍用犬がどうなったのか、まるで記憶がありません。兵隊さんも日本に連れて帰ることなどできなかったでしょうから、台湾の地元の人に貰い受けてもらったのかと思いますが、ベルもジョンも、日本が戦争に敗れたために、兵隊さんたちと悲しい別れをしなければならなかったのです。
 英語を敵国語として忌み嫌っていた日本の、その軍隊が、軍用犬にベルやジョンという英語の名前を付けていたというのも面白いことですが、その名前は、日本がまだアメリカやイギリスを敵国とする前に付けられた名前だったのでしょう。
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 今から60年も前の、私が国民学校5年生のときの軍用犬の思い出です。
(2005.04.22)

 

   

 
     文中の軍用犬に対する命令・指示の言葉は、正確ではありません。 軍隊での決められた用語があったでしょうが、はっきり覚えていませんので、一言お断りしておきます。
 また、ベルが、飼育係の兵隊さんでさえ声をかけずに近づくと噛みつくことがある、というのも、考えてみるとそんなことはないだろうという気もしますが、記憶のままに記しておきます。
 
       











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