室長室008 思い出の「台湾軍の歌」
滝川正(旧姓大山)さんという、終戦時私と同じ国民学校5年生だった人が、
旧台湾 ・台北市旭小学校(旭国民学校)の同窓会「正榕会」のホームペー
ジに、「日本時代の台湾の歌」として、「台湾軍の歌」の歌詞を掲載しておら
れました。(今は削除されてしまわれたのか、残念ながら出ていないようで
す。2007年2月13日付記)
台 湾 軍 の 歌
作詞 本間 雅晴
作曲 大沼 哲
1.
太平洋の 空遠く
輝く 南十字星
黒潮しぶく 椰子の島
荒波吼ゆる 赤道を
睨みて立てる 南(みんなみ) の
護りは我等 台湾軍
ああ厳として 台湾軍
2.
歴史は薫る 五十年
島の鎮めと 畏くも
神去りましし 大宮の
流れを受けて 蓬莱に
勲を立てし 南の
護りは我等 台湾軍
ああ 厳として 台湾軍
3.
滬寧(こねい)の戦(いくさ) 武漢戦
海南島に 南寧に
弾雨の中を 幾山河
無双の勇と うたわれて
精鋭名ある 南の
護りは我等 台湾軍
ああ 厳として 台湾軍
4.
今極東の 黎明に
興亜の鐘は 鳴りわたる
五億の民が 共栄を
目指して築く 新秩序
前衛として 南の
護りは我等 台湾軍
ああ 厳として 台湾軍
滝川さんは、その歌のメロディーはもとより、歌詞も大部分覚えておられたそうですが、私は歌詞もメロディーもすっかり忘れておりました。 しかし、この歌詞を見ているうちに、忘れていたその歌のメロディーとおぼしきものが、次第に思い浮かんできました。そこで、そのメロディーを再現してみました。 下のリンクをクリックすると、メロディーが流れます。 →「台湾軍の歌」 |
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60年も前に覚えて、60年もの間一度も思い出したことのないメロディーです。もしかしたら、全く別の歌のメロディーを思い浮かべているのかも知れないと思いましたが、別のサイトを検索してみましたら、この曲を音声化しているものが見つかって、間違いないことが分かりました。(Google で「台湾軍の歌」と検索すると、MIDIでメロディーを聞くことのできるサイトが出て来ます。) ただ、細かいところで音程に違いがありますが、ここには自分が覚えていたメロディーをそのままの形で残すことにしました。 なお、この歌の作詞者 ・本間さんは、昭和15年に台湾軍司令官として着任された本間雅晴陸軍中将だそうです。 作曲者名は、滝川さんは不詳としておられますが、別のサイトに示されていた大沼哲さんとしておきました。陸軍戸山学校軍楽隊作曲としてあるサイトもあります。 また、歌の題は「台湾派遣軍の歌」としてあるものもあるようです。(2005.4.19) * * * * * 平成17年10月11日と12日の早朝、NHK「ラジオ深夜便・こころの時代」で、高座日台交流の会事務局長の石川公弘氏が、「台湾少年工との60年」という題でお話をされました。(聞き手は、「ラジオ深夜便・こころの時代」の鈴木健次ディレクター。) 石川氏は、太平洋戦争中の国民学校時代を、父親が台湾出身の少年工たちの寮の舎監を務めておられた高座海軍工厰の官舎で過ごされたということです。 台湾少年工の人たちは8400人もいて、海軍工厰で「雷電」などの戦闘機の製造に従事していたそうですが、彼らが寮から職場に向かう時や、職場から帰ってくる時には、隊列を組んで歌を歌いながら行進していたそうです。その時彼らが歌っていた歌の一つに「台湾軍の歌」があったといって、石川氏は「台湾軍の歌」の1番を歌って聞かせてくださいました。 「よく覚えていますね」という、聞き手の鈴木健次ディレクターの言葉に、石川氏は、「毎朝聞いていましたから」と答えておられました。 石川氏が歌われたそのメロディーは、他のホームページに出ているMIDIのメロディーと違って、私が覚えていたメロディーと細かいところまで同じだったので、私は安心すると同時に、思いがけないところでこの歌に再会して懐かしさでいっぱいになりました。(2005年10月13日) 平成20年(2008)10月11日(土)付け朝日新聞の文化欄に、「記録大賞は『緑の海平線』文化庁映画賞」という題で、「第6回文化庁映画賞がこのほど発表され、文化記録映画大賞に、台湾の郭亮吟監督の「緑の海平線〜台湾少年工の物語〜」が選ばれた。第2次大戦中、神奈川県の海軍工廠で軍用機の製造に従事した約8千人の台湾人少年の歴史を、関係者へのインタビューや、文献、映像資料などで丹念に掘り起こした。(中略)贈呈式は18日午後7時半、東京・六本木のグランドハイアット東京で」という記事が掲載されました。 文化庁のホームページの「第5回文化庁映画週間─Here & There」について(プレス発表)によれば、贈賞理由は次の通りです。 『緑の海平線〜台湾少年工の物語〜』 監督:郭 亮吟 2007年/60分 第2次世界大戦中、神奈川県大和の海軍工廠に派遣され、軍用機の製造に従事した約 8千人の台湾人少年達の 「忘れられた歴史」 を、日本人プロデューサーと台湾人監督の共同制作で丹念に掘り起こした労作。 4年の歳月をかけて数十人の関係者の証言を集め、現存する文献や映像資料とともに丁寧に編集構成することで、日本・台湾・そして中国大陸を往還する歴史の多面性を見つめ直す 「青春群像記」 にまとめ上げた手腕を高く評価したい。<清水 浩之> なお、この作品の製作者は、藤田修平氏とのことです。(2008年10月11日) |