室長室002  新埔国民学校の思い出

      前のページで、新竹州にあった新埔国民学校(新埔小学校)のことを
      書きましたので、ここに、その時の思い出を一つ載せておきましょう。
      これは、ふた昔ほど前に書いた文章です。 
(2005.02.25)
                                            

 
                           
                             
新 埔 国 民 学 校 の 思 い 出

 

  台湾・新竹州新竹郡新埔庄という小さな町の日本人小学校は、 一学年が十人前後の、だから全校生が百人にも満たない小さな小学校だった。当時は戦時中で、僕らが入学したときから国民学校と名前が変わっていた。 
 僕は初めのうち兄と二人で、田舎の村から旧式のバスに30分ほど揺られてそこに通っていた。そのバスは、やがてガソリン不足から木炭を焚いて走るようになった。
 戦況が次第に日本にとって不利になってくると、中国大陸から金持ちの親日家の家族が、難を避けて台湾に渡ってくるようになった。現地人の親日家の子弟が何人かは国民学校に入ってはいたが、純粋の中国人が転校してきたのはその時が初めてであったから、僕ら5年生は、背がすらりとしてちょっと魅力的な、そしていかにも身だしなみのいいその少女を、好奇の目を見張って眺めたものだった。
 少女は、日本名を宮川淑子といった。少女についての最初のニュースは、彼女がピアノを弾くということだった。学校のオルガンしか見たことのない僕らは、ピアノと聞いただけで彼女が自分たちとはまるで違う生活をしていることを感じていた。
 「だから彼女の指は、指先が固くて、まるまっているんだ」
 そんなことを得意げに言う者もいた。僕らは、見せなよ、見せなよとねだって、そう言われるとことさら隠そうとする彼女の指をとらえて、指先に触れてみた。ピアノを弾くせいかどうかは分からなかったが、きれいに爪の切りそろえられている彼女の指先は、確かに固く、そしてまるまっていた。 そんな指は、僕らの仲間の誰もが、女の子さえも持ってはいなかった。
 学校の帰りに、彼女の家に寄ってみたことがあった。僕らは、その時初めてピアノという楽器を身近に見、ちょっとてれくさそうに弾いてみせる彼女の姿を、驚異と羨望の目で見つめた。
 ピアノを弾くだけでなく、彼女は勉強でも誰にも負けなかった。書き取りの試験で一番をとるのは、いつも彼女だった。
 やがて戦争が激しくなって、僕らの田舎の町や村へも敵機のP38やグラマンが姿を見せはじめるようになると、バスで通うことが危険だということで、僕は近くに疎開して来ていた新竹市の国民学校の生徒の仲間入りをして勉強することになった。
 そしてそのまま敗戦となり、再び新埔国民学校には戻らなかったから、彼女がその後どういう生活をするようになったかは分からない。


 

宮川さんのその後の消息について:
 実は去年(2015年)の7月に、台湾におられる宮川さんのお姉さんに当たる方からメールがあって、
彼女のその後の消息が分かったのです。そのことをお知らせしなければと思いながら、つい筆が進まず、とうとう1年が経ってしまいました。

 お姉さんからのメールによれば、幼い時からピアノを学んでいた宮川さんは、戦後、台湾全土でのコンクールで入賞したりして力を認められ、上野の東京藝術大学に4年間留学して勉強を続けていたのだそうです。帰国後、大学で教鞭をとっていましたが、縁あって医師の方と結婚、3人のお子さんにも恵まれ、やがてご主人のお仕事の関係でアメリカに渡り、その地で主婦として幸せな生活を送っておられたそうです。

 ところが、不幸にも48歳のときに病に冒され、間もなく亡くなってしまったというのです。齢からいえば、現在もまだ元気でおられてもおかしくはないのに、あまりにも早く世を去られてしまったことは誠に悔しく、残念でなりません。人はいつまでも生きてはいられないとはいうものの、こんなにも早く愛する人達を残してこの世に別れを告げるとは、本人もどんなにか無念な思いだったことでしょう。お姉さんのメールにも、親思い兄姉思いのやさしい妹だった、と書いてありました。
 私が知っているのは、ほんの1年とちょっとの触れ合いでしかなかった少女時代の彼女でしたが、少年時代の懐かしい思い出としていつまでも心の中に残っています。

 心からご冥福をお祈りしたいと思います。 合掌           

  付記:私は、宮川さんは戦時中に中国から移って来たと理解していましたが、
   お姉さんからのメールによればそうではなく、彼女たちは既に戦前に台湾に
   来ていた家族だということでした。
    なお、プライバシーの点から彼女の本名はここには書きませんでした。
   ご了承ください。              (2016817日記)

             

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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