宮川さんのその後の消息について: 実は去年(2015年)の7月に、台湾におられる宮川さんのお姉さんに当たる方からメールがあって、彼女のその後の消息が分かったのです。そのことをお知らせしなければと思いながら、つい筆が進まず、とうとう1年が経ってしまいました。
お姉さんからのメールによれば、幼い時からピアノを学んでいた宮川さんは、戦後、台湾全土でのコンクールで入賞したりして力を認められ、上野の東京藝術大学に4年間留学して勉強を続けていたのだそうです。帰国後、大学で教鞭をとっていましたが、縁あって医師の方と結婚、3人のお子さんにも恵まれ、やがてご主人のお仕事の関係でアメリカに渡り、その地で主婦として幸せな生活を送っておられたそうです。
ところが、不幸にも48歳のときに病に冒され、間もなく亡くなってしまったというのです。齢からいえば、現在もまだ元気でおられてもおかしくはないのに、あまりにも早く世を去られてしまったことは誠に悔しく、残念でなりません。人はいつまでも生きてはいられないとはいうものの、こんなにも早く愛する人達を残してこの世に別れを告げるとは、本人もどんなにか無念な思いだったことでしょう。お姉さんのメールにも、親思い兄姉思いのやさしい妹だった、と書いてありました。 私が知っているのは、ほんの1年とちょっとの触れ合いでしかなかった少女時代の彼女でしたが、少年時代の懐かしい思い出としていつまでも心の中に残っています。
心からご冥福をお祈りしたいと思います。 合掌
付記:私は、宮川さんは戦時中に中国から移って来たと理解していましたが、 お姉さんからのメールによればそうではなく、彼女たちは既に戦前に台湾に 来ていた家族だということでした。 なお、プライバシーの点から彼女の本名はここには書きませんでした。 ご了承ください。 (2016年8月17日記)
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