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(注) |
1. |
詩の本文は、新釈漢文大系
46 『日本漢詩 下』(猪口篤志著、明治書院 昭和47年9月25日初版発行)によりました。
ただし、第三句の「一家遺事」を「我家遺法」としました。 |
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2. |
第三句の「我家遺法」は、南洲の自筆には「一家遺事」となっている由です。 |
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3. |
題を「偶感」とするものもあります。また、第二句の「恥」を「愧」とする本文もあるようです。 |
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4. |
(注)の9と10に、大和書房版『西郷隆盛全集』掲載の詩の本文と書き下し文、及びこの詩を引用してある「南洲翁遺訓」を掲げておきました。 |
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5. |
第四句の「不爲兒孫買美田」(兒孫の爲に美田を買はず)は、西郷隆盛(南洲)の言葉としてよく知られています。 |
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6. |
西郷隆盛(さいごう・たかもり)=幕末・維新期の政治家。薩摩藩士。通称吉之助。号は南洲。薩摩藩の指導者となり幕府を倒す。戊辰戦争では江戸城の無血開城を実現。新政府の陸軍大将・参議をつとめるが、征韓論政変で下野。帰郷して私学校を設立。1877年(明治10)私学校党に推されて挙兵(西南戦争)、敗れて城山にて自刃。(1827〜1877)(『広辞苑』第6版による。)
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7. |
「西郷南洲顕彰会」のホームページがあって、詳しい「南洲年表」が見られます。 |
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8. |
詩の語釈をいくつか記しておきます。
〇辛酸=困難。
〇丈夫=読みは「じょうふ」。ますらお。真の男子のこと。
〇玉碎=玉となってくだける。立派な死にかたをいう。
〇甎全=読みは「せんぜん」。「甎」は敷き瓦(がわら)。志をまげて、瓦のように値打ちのないものとなって、いたずらに生きながらえること。瓦全」に同じ。
〇美田=よく肥えた田畑。立派な財産の意。 |
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9. |
大和書房版『西郷隆盛全集』第四巻(昭和53年7月31日初版発行)による詩の本文と書き下し文を、次に掲げておきます。
感 懐
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幾歴辛酸志始堅
丈夫玉砕愧甎全
我家遺事人知否
不為児孫買美田
幾たびか辛酸を経て志(こころざし)始めて堅し、
丈夫(じょうふ)玉砕し甎全(せんぜん)を愧(は)ず。
我が家の遺事人知るや否や、
児孫の為に美田を買わず。
なお、第3句の「遺事」は、大木俊九郎著『西郷南洲先生詩集』には「遺法」に作る、と上記全集の頭注にあります。また、同書のこの詩の解説に、「ある時、旧
庄内藩士にこの詩を示し、『若し此の言に違(たが)いなば、西郷は言行反したるとて見限られよ』といったことが遺訓五に見える」とあります。
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10. |
「南洲翁遺訓」の5番目に収められているその遺訓を、次に掲げておきます。
一
或る時、「幾歴辛酸志始堅、丈夫玉砕愧甎全。一家遺事人知否、不為児孫買美田。」(幾たびか辛酸を経て志始めて堅し、丈夫(じょうふ)玉砕して甎全(せんぜん)を愧(は)ず。一家の遺事人知るや否や、児孫の為に美田を買わず。)との七絶を示されて、若し此の言に違いなば、西郷は言行反したるとて見限られよと、申されける。(漢詩の返り点、及び、書き下し文の一部のルビを、省略しました。)
遺訓に引用された詩では、第3句の「我家」が「一家」となっている点が注目されます。 |
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11. |
資料469に、「西郷南洲遺訓」があります。 |
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