資料704  欧陽脩「酔翁亭記」の現代語訳





       欧陽脩「酔翁亭記」の現代語訳

滁州は周囲がことごとく山である。その滁州の西南の諸峰は、林や谷が最も美しい。これを遠くから眺めると、こんもり茂ってひときわすぐれて高いのが、琅琊(山の名)である。
 山を6,7里(日本の約1里)も行くと、水の流れる音が聞こえてくる。さらさらと二つの峰の間から流れ出るのは、清らかな泉という名の醸泉である。峰をめぐり路をまわると、あずまや(亭)がある。翼を広げるように泉の上に臨んでいるのが、酔翁亭である。この亭を作った者は誰か。それは山の僧智僊である。これに名前をつけたのは誰か。太守(郡の長官)がみずから名づけのである。太守は客と来てここで酒を飲む。少し飲んだだけですぐに酔ってしまう。そして一座の中で齢は最も高齢である。それ故、みずから号して酔翁というのである。酔翁と号した心もちは、酒にあるのではなく、酒を飲みながら山水の美を楽しむところにあるのである。山水の楽しみは、これを心にとめて、これを酒にことよせて言ったのである。
 もし朝、日が出て林に立ちこめたもやが晴れて開け、暮れに雲が山に帰って岩穴に収まって暗くなるというように、暗くなったり明るくなったり変化するのは、山間の朝・暮れである。野の花が開いてかすかな香りがする春、見事な木が高く伸び立ち、枝葉が茂り木かげができる夏、風が空高く吹き、霜が清らかに白くおりる秋、谷川の水が涸れて水位が低くなり、石が水面に現れ出る冬など、これらがこの山間の春夏秋冬、四季の様子である。朝になれば出かけ、夕方になれば帰る。四季の景色はそれぞれに違っていて、楽しみもまた極まることがないのである。
 荷を背負っている者が路に歌い、歩いて行く者が樹の下に休み、前を行く者は呼び、後の者がそれに応える。身をかがめて荷を負い、手を引きあって互いに助けあって往来して絶えないという情景は、滁州の人々がこの山で遊んでいるのである。
 谷川に臨んで漁をすると、谷川は深くて魚は肥えている。泉の水を酒にすると、泉の水はよい香りがして、酒は冷たく澄んでいる。山菜や野菜の料理が雑然と前に並んでいるのは、太守が宴会をする様子である。宴たけなわの楽しみは、管絃の楽器の音楽ではなく、弓を射る者は的に当て、囲碁をする者は勝ったりする楽しみである。勝負に負けた者に飲ませる罰杯やその数を調べる竹のふだが入り交じり、起ったり座ったりして勝った負けたで、かまびすしく騒ぎたてているのは、多くの客たちが喜んでいるのである。青黒い顔をした白髪の老人が人々の間に酔いくずれているのは、太守が酔った姿である。
 既にして夕陽が山に傾き、人かげが散りぢりに乱れるのは、太守が帰るので客がそれに従って行くからである。日没になって樹林が暗くなり、鳴き声が上や下に聞こえるのは、遊びに来ていた人たちが去って小鳥たちが楽しんでいるのである。しかし、小鳥たちは山林の楽しみを知ってはいるが、人間の楽しみを知らない。人々は太守の遊びに従って楽しむのを知っているけれども、太守が人々の楽しみを楽しんでいるのを知らない。酒に酔っては人々の楽しみと楽しみを同じくし、酒が醒めてはその楽しみを述べるのに文を以てすることができるのは、この太守である。太守とは誰かというと、江西省吉州の廬陵出身の欧陽脩である。

    (2025年10月15日現在)


  (注) 1.   欧陽脩「酔翁亭記」の原文は、資料703  「酔翁亭記」欧陽永叔 にあります。
 → 資料703  「酔翁亭記」欧陽永叔
   
    2.  上記の現代語訳は、次の書物などを参考に行いました。
 〇新釈漢文大系16『古文真宝(後集)』(星川清孝著。明治書院、昭和38年7月20日初版発行、昭和46年5月10日14版発行) の通釈。
 〇『高等学校 漢文の学習 巻三』(漢文教育談話会編。東京・杉山書店、昭和26年7月18日初版発行)の「第二編 各課解説 上篇」にある解釈。
 この本は国立国会図書館デジタルコレクションに入っています。「酔翁亭記」は、デジタルコレクションのコマ番号「104~105」にあります。(本の181~184頁。)ただし、この本は個人送信で閲覧可能の本なので、読むためには利用者登録をする必要があります。

 → 国立国会図書館デジタルコレクション
  →『高等学校 漢文の学習 巻三』104~105/247) 
    
   
    3.  「弓を射る者は的に当て」という訳について
 本文の後半に出ている「射者中弈者勝」の「射者中」を、「弓を射る者は的に当て」と訳しましたが、これを「壺に矢をうまく投げ入れ」と取る人もいます。
 つまりこの「射」を「弓を射る」ととるか、「矢を投げ入れる」ととるかです。どちらがいいでしょうか。
 新釈漢文大系16『古文真宝(後集)』の語釈には、「射者 弓を射る者。一説に投壺の弓を射る者という」とあります。投壺の場合も「弓を射る」ことがあるのでしょうか。
 壺に矢を投げ入れるのは「投壺(とうこ)」と言われ、中国では宴会の余興のゲームとして非常に古い伝統のあるゲームだそうです。壺(通常は金属製)に向かって矢(実際は木の棒)を投げ入れるゲームで、本来は負けた側が罰杯を飲まなければならないものであった、ということです。

(参考)
 →『ウィキペディア』
  → 投壺
 
   
    4.  〇 蘇東坡の書いた「酔翁亭記」の碑の写真が『眉山三蘇祠博物館』というホームページに出ています。碑は酔翁亭に建っているそうです。碑文は楷書体のきちんとした文字で書かれています。(写真は拡大して見ることができます。)
 →『眉山三蘇祠博物館』
  → 蘇軾書「酔翁亭記碑」の写真

 『眉山三蘇祠博物館』は、中国四川省眉山市にある博物館。北宋の有名な文学者、蘇洵(父)・蘇軾(兄)・蘇轍(弟)の親子三人の旧居を三人の記念博物館として公開しているものだそうです。 

 〇諸橋轍次氏の酔翁亭等訪問記
 『漢文教室』16号(1955年1月発行)の中に、諸橋轍次氏が酔翁亭などを訪れた訪問記(「中国の名蹟巡り」)が掲載されていて、その中に、「酔翁亭には「酔翁亭の記」、豊楽亭には「豊楽亭の記」を、何れも蘇東坡が大きな文字で立派な楷書を以て書いた碑が立っておったのがうれしかった」と出ています。
 → 漢字文化資料館『漢文教室』クラシックス

   
    5.  〇 蘇東坡書の「酔翁亭記」が国立国会図書館デジタルコレクションにあります。これは上記の碑にある楷書体とは違う書体のものです。(明治12年4月8日刊)

 → 国立国会図書館デジタルコレクション
  → 「蘇東坡書酔翁亭記」
   
           
 







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