資料67.1 大老井伊掃部頭直弼台霊供養塔由来(碑陰の文章)大老井伊掃部頭直弼台霊塔について 大老井伊掃部頭直弼台霊塔について 
 

 

      大老井伊掃部頭直弼台霊供養塔由来

 桜田烈士の一人贈正五位広木松之介は水戸藩評定所の吏員で 
高橋多一郎 金子孫二郎氏を首班とする井伊大老襲撃の挙あるを
聞くや これに加わりました 烈士の申し合わせにより 大老の
御首級を携えて水戸に持ち返り これを烈公の御覧に入れる事が
松之介の役目でありました 自宅に戻った松之介は御首級の危険
を察し 姉花がその役に代りました 烈公様は御一見の後 これ
は浪士のなしたること 御首級は其の方に預けおく 懇に御供養
申し上ぐべしとの仰せ 松之介には墨染の衣を用意して 今死ん
ではならん 命存えよとの仰せでありました 大役を果した松之
介は密かに大老の菩提を弔う為 加賀に赴いて僧と成りやがて越
後を経て 鎌倉の日蓮宗上行寺に身を寄せ ひたすらに大老の霊
に仕え供養すること三年 同志の徒が相次いで処刑されるのを聞
くに及び 従容として自ら刃に伏して果てました 時に松之介は
二十五歳 文久壬戌二年三月三日の事でありました 
 以来春風秋雨百有余年 この大老の御首級を彦根の井伊家に御
返し申し上げたいというのが長年に亘る私の念願であり 妙雲寺
住職綿引上人を通して広木家の御内諾を得ているのであります 
昭和三十七年以来再三に亘る交渉にも拘らず 井伊家の御返事は
水戸の浪士が苦労して持ち返ったのでありますから 水戸の地に
留めおく様との事でありました 
 時恰も明治百年の記念すべき年を迎え 私の念願が愈々切なる
を覚えるのであります 桜田門外の露と消えました大老の御首級
を密かに御守りしている事は 井伊家並びに烈士各霊に対して申
し訳ありませんので 松之介の菩提所妙雲寺墓地内に萬人が自由
に参拝出来る様な施設を講じて 大老の御台霊を慰め申し上げた
く存じます

     昭和四十三年三月三日

         発起人 桜田烈士奉讃会々長
                 勳五等 三木啓次郎

 

 

 

 

 

    (注) 1. 万延元(1860)年3月3日、桜田門外において、水戸浪士たちが、登城中
         の大老井伊直弼を襲って殺害しました。いわゆる「桜田門外の変」です。
           この時、井伊大老の首級が密かに水戸に運ばれたという、井伊大老首級
          水戸携行説があります。水戸市見川の妙雲寺境内にある 「大老井伊掃部頭
          直弼台霊塔」は、その首級水戸携行説に関連した、井伊大老の供養塔です。
           「大老井伊掃部頭直弼台霊塔」は、昭和43(1968)年に、三木啓次郎氏に
          よって建てられました。碑陰に建碑者・三木啓次郎氏による「大老井伊掃部頭
          直弼台霊供養塔由来」の文章があります。上記掲載の本文がそれです。

        2. 上の碑陰の文章は、題辞16字、本文673字、日付10字、署名20字の、
         合計719字です。
        3. 碑文の1行は58字になっていますので、上の本文の2行が碑文の1行になっ
         ています。また、碑文には句読点がつけてなく、句読点の部分は1字あけにして
         あります。
        4. 次に、実際の碑陰の文章の文字の配置を示しておきます。

 


    大 老 井 伊 掃 部 頭 直 弼 台 霊 供 養 塔 由 来   

 桜田烈士の一人贈正五位広木松之介は水戸藩評定所の吏員で 高橋多一郎 金子孫二郎氏を首班とする井伊大老襲撃の挙あるを
聞くや これに加わりました 烈士の申し合わせにより 大老の御首級を携えて水戸に持ち返り これを烈公の御覧に入れる事が
松之介の役目でありました 自宅に戻った松之介は御首級の危険を察し 姉花がその役に代りました 烈公様は御一見の後 これ
は浪士のなしたること 御首級は其の方に預けおく 懇に御供養申し上ぐべしとの仰せ 松之介には墨染の衣を用意して 今死ん
ではならん 命存えよとの仰せでありました 大役を果した松之介は密かに大老の菩提を弔う為 加賀に赴いて僧と成りやがて越
後を経て 鎌倉の日蓮宗上行寺に身を寄せ ひたすらに大老の霊に仕え供養すること三年 同志の徒が相次いで処刑されるのを聞
くに及び 従容として自ら刃に伏して果てました 時に松之介は二十五歳 文久壬戌二年三月三日の事でありました 
 以来春風秋雨百有余年 この大老の御首級を彦根の井伊家に御返し申し上げたいというのが長年に亘る私の念願であり 妙雲寺
住職綿引上人を通して広木家の御内諾を得ているのであります 昭和三十七年以来再三に亘る交渉にも拘らず 井伊家の御返事は
水戸の浪士が苦労して持ち返ったのでありますから 水戸の地に留めおく様との事でありました 
 時恰も明治百年の記念すべき年を迎え 私の念願が愈々切なるを覚えるのであります 桜田門外の露と消えました大老の御首級
を密かに御守りしている事は 井伊家並びに烈士各霊に対して申し訳ありませんので 松之介の菩提所妙雲寺墓地内に萬人が自由
に参拝出来る様な施設を講じて 大老の御台霊を慰め申し上げたく存じます
     昭 和 四 十 三 年 三 月 三 日            
        発  起  人  桜  田  烈  士  奉  讃  会  々  長   勳 五 等 三 木 啓 次 郎      

 

 

 

 

 

 

 

                   資料67へ戻る