資料644 井上巽軒「孝女白菊詩」


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        孝女白菊詩  井上巽軒(哲次郎)


       第 一 齣
 阿蘇山下荒村晩 夕陽欲沈鳥爭返 無邊落木如雨繁 隔水何處鐘聲遠
 此時少女待阿爺 出門小立空悲嗟 鬒髮如雲風中亂 嬌顔春淺美於花
 阿爺一朝衝寒起 蘆花風外渡野水 曉月影昏野廟西 遙遙去入深山裏
 不知猶爲遊獵不 數日不歸何處留 凄烟飛迷殘照外 望斷楓錦柿緋秋
 向夜階前拾落葉 纖手煮茶搖湘箑 毎聞戸響疑阿爺 迨至深更未交睫
 闔村人定氣寂寥 哀雁曳聲度雲霄 須臾天黑秋風急 芭蕉葉戰雨瀟瀟
 至此益思阿爺苦 靜坐不堪聽夜雨 緑簑紅笠爲輕裝 村外歴遍幾林塢
 脚尖仰來山漸高 蔓草枯盡蟲不號 谷口夜黑行人絶 風度松杉鳴怒濤
 山雨時歇天宇闢 亂雲解駁露月魄 清影一痕印石潭 細波磨鏡寒愈白
 直度蘚矼望前程 蘆花蓼花一溪明 阿爺之蹤何處訪 雙袖紅濕涙盈盈
 登頓下上取狹路 取次穿盡雲外樹 讀經聲幽山寺西 枯骨狼藉認墳墓
 白楊幾株帶風腥 堂宇半頽燈似星 欲排籬門上荒砌 老杉洩月人面靑
 山僧秉燭方奓戸 彷彿認影顔如土 呼曰咄汝野狐耶 人豈侵此霜月苦
 少女聞之直奔趨 曰妾人也非野狐 勿怪深更來于此 遍尋阿爺獨迷途
 淡粧看來自妖冶 分明不是卑賤者 眉如半月鬢如雲 嬌容何在西施下
 山僧於是心愈疑 怪問汝是誰家誰 欲問此女一身事 先延佛前使坐茲
 山風吹牕亂燈燄 空堂夜暗佛暈閃 澗水淙淙隔牆鳴 鼯鼠有時撲人臉
 少女頻抆涕泗流 向僧一一語來由 妾也元是武夫女 熊本城南棲畫樓
 出有輿馬食有胾 擧家平安無甚事 畫欄日煖牡丹天 錦鏽簾裏貪春睡
 一朝兵起暗戰塵 保全生命有幾人 鮮血滾滾染沙赤 斷肢片骨縱横陳
 人家大半歸烏有 亂鴉來噪破巷柳 垂髫戴白棄寶奔 城外求路競先後
 妾與阿母不暫休 到處相伴家之求 落木蕭蕭古寺晩 霽月淡淡荒村秋
 暫結茅廬避風露 阿蘇山下權相住 手執薪水支飢寒 幾旬如夢等閑度
 忽聞阿爺投賊軍 脅從倒戈抗我君 又聞賊軍勢俄挫 城山一戰勝敗分
 妾與阿母揮涕涙 日俟阿爺不能睡 阿爺不還又入秋 露洗空明斜雁字
 阿母因思阿爺深 久在病蓐空呻吟 湯藥無効溘焉逝 悲風吹斷暮鐘沈
 回想音容宛在目 鞠我育我愉而肅 唯爲生前不盡孝 至今尚不堪慙恧
 去年阿爺忽然還 聞阿母死涙潸潸 妾在膝下慰其意 朝暮唯盡菽水歡
 阿爺一朝渡野水 欲爲遊獵入山裏 底事數日不歸來 妾也煢煢無所恃
 以故冐此秋宵寒 遍尋阿爺極艱難 偶然來此被君認 勿爲野狐一樣看
 妾姓本多名白菊 父呼昭利母阿竹 雖有戚畹不相逢 亂後離散奈單獨
 別有阿兄曰昭英 虚傲放逸有汙名 阿爺憤恚曾逐之 今也不知其死生
 山僧聞之變顔色 胸中有感強自抑 暫時相對無一語 俱掩落涙太悽惻
 既而山僧勸女云 今夜何復踏山雲 請待明朝鷄鳴候 東嶺浮白一路分
 少女不辭佛前寐 獨擁片衾成冷睡 豈圖阿爺推戸來 悄立枕邊濺雙涙
 云我誤墜邃谷中 荊棘塞路進退窮 數日如此飢渇甚 可知吾命漸將終
 挽裾欲問忽無迹 夜色沈沈靜園宅 琅玕相磨寒碧鳴 殘月欲落西牕白
       第 二 齣
 東嶺初白鳴晨雞 殘蟾寒沈古溪西 霜鐘暗度不知處 空林之外曉烟迷
 少女離寺踏草石 孤影蕭蕭過破驛 丹暾此時閃雲際 金線亂射世界赤
 峻岑登來寒加威 夾路古木皆十圍 皷沓衝耳天風急 松釵紛紛撲衣飛
 深山寂寂無人處 且拾花菓旦猶豫 浮雲有時起袖邊 蓬勃直欲載人去
 樹杪看來鳥無名 異境自覺絶世情 斑鹿况復飲寒澗 殘楓擁岸水中明
 過此高下亂山翠 迢迢路入豐州地 阿爺何在杳不知 到處徒見好風致
 時有山賊自後來 飄忽攫女度崔嵬 少女呼救無答者 殺氣滿林積翠摧
 峯廻路轉入幽谷 斷崕之下有破屋 幾株銀杏掩茅簷 滿目黄雲秋肅肅
 白水冷冷浸荒階 牕欞半被蔦蘿埋 落日不照何凄絶 怪禽暗叫處處皆
 山賊揚揚排戸入 暴悍何顧少女泣 嘍囉數人見之歡 嘻嘻揚手呼酒急
 有酒不知幾十壺 猪肉如山滿盤盂 圍之蝟集指換箸 狼饞豺饕極歡娯
 山賊時傍少女倚 笑對芙蓉一樣美 我是山中梁上公 盗得淑姫自汝始
 我家久藏一古琴 汝先彈之慰我心 若逆我命有長劒 寸斷汝肉投水潯
 少女不堪受詬辱 掩面紛紛涙相續 其奈賊命遂難拒 強執古琴彈一曲
 忽訝悲風吹太清 仙鶴一聲度空明 又疑夜雨過湘水 秋波無端月下生
 靈音錚鏦滿室内 寶珠亂墜玉盤碎 不怪馮夷空自舞 潜蛟聽之又何耐
 曲歇夜山寂無聲 破窓洩月秋氣清 餘音度林猶嫋嫋 滿座聽者不堪情
 此時何人擁矛戟 吶喊破戸襲其席 賊徒周章不能抗 淋漓血流盃盤赤
 頭顱幾箇落燈前 伏屍縱横滿四筵 健者誰歟難認得 緇衣紗帽何魁然
 斬盡山賊呼少女 來立窓下月明處 吾非包藏禍心者 聽哉一一欲告汝
 昨夜共談山寺中 有故未語我窮通 我非他人汝哥哥 幾歳出家獨轉蓬
 一朝立志負書笈 欲尋名師出邊邑 長亭短亭春欲盡 
落花如雪撲蒻笠
 東武城裏避塵喧 講學敬宇先生門 修身之書僅得見 忽思阿爺養育恩
 細雨吹鎖書窓暮 感何可堪風在樹 追想往事頻歔欷 傍人之笑不暇顧
 將欲悛心事阿爺 遂歸郷里訪故家 戰後草荒無可跡 白骨埋路夕陽斜
 從是獨入山中寺 抛棄紛紛人間事 晝夜只對幾古經 毎讀一字零一涙
 忽逢汝來述來由 欲告我名猶慙羞 途上恐汝逢山賊 竊逐蹤來斬賊頭
 不是愴悽悲歎事 幸救汝身安我意 何面目復見阿爺 慨然屠腹死此地
 少女聽之豈不驚 夜深問語慰阿兄 霜氣逼人秋如水 天心月高雁打更
       第 三 齣
 雲横西嶺斜月沈 哀猿長嘯隔幽林 荊榛沒人人難認 千山鼓沓一逕深
 僧拉少女過巖隙 天黒東方雲未白 忽有殘賊追蹤來 與僧相戰失踪跡
 少女錯愕廻林奔 曉來逃竄山下村 野橋踏破霜如雪 前林霧披吐丹暾
 遙思阿兄情何已 遠山幾度回首視 掩袖呑聲嘆浮沈 路傍暫禱叢祠裏
 時有野翁荷鍤過 怪他紅粧頻嗟嘆 細問事情憐薄命 慇懃慰謝携到家
 柴門對山晝亦靜 棕櫚掩窓搖暗影 階前風勁秋狼藉 殘菊委地蟲聲冷
 少女胸中雖有愁 感其厚意乃淹留 何圖幾度更裘葛 歳月匆匆如水流
 偶爲春天風光可 去踏芳草紅袖 淡淡村粧却堪憐 滿野緑雲花一朶 

 皓齒粲與寒玉同 十指柔輭欺春葱 窈窕其姿誰能匹 千金有價一笑中
 姣美或稱未曾有 芳聲藉藉喧畦畝 里正殷富欲婚婣 試遣氷人問可否
 野翁敦樸畏威儀 只對氷人曰唯唯 氷人披暦卜吉日 坐談直約合歡時
 野翁懇懇諭少女 渠戸求婚眞天與 好機如斯豈可失 氷人問我我先許
 汝雖尋父來此村 難知汝父亡與存 與其飄零寧留此 幸與里正爲結婚
 佳人聞之色忽變 潸潸洒涙如急霰 向翁欲言還掩袖 可憐紅煞芙蓉面
 憶昔阿母告妾云 我曾秋曉謁古墳 寒菊如雪埋村落 何處呱々花底聞
 手排深叢跡聲歩 點點撲衣飛冷露 行到籬落壞殘邊 認得白衣疑是鷺
 何幸此間得佳兒 絳唇丹臉玉無疵 應由居常能信佛 歸告所天共笑嬉
 爾來養育爲我子 名曰白菊良有以 汝呼昭英爲阿兄 宜待與彼相配耳
 至今尚記阿母言 歴歴在耳不可諼 縱令此身死爲土 背阿母敎何俄婚
 翁之養妾已有歳 竊欲抵死酬恩惠 雖然此命可奈何 泣伏座隅揮流涕
 此時氷人來扣扉 滿篋
先遺幾繡衣 文彩奪目合歡被 天香浮動翡翠幃
 輕羅如霞色自淺 含風細葛何輭
輭 加之疊雪狐白裘 其他維何有重襺
 野翁在座喜溢眉 隣家之媼亦賀之 唯因佳人泣不已 村童往往隔籬窺
 夜深佳人出門去 悄悄衣寒村盡處 一道碧溪嚙岩流 岸柳漫天飜敗絮
 心中决死恐人看 草間潜影涙不乾 仰天合掌唱竺語 飜身忽欲投奔湍
 有人自後來攫帔 云汝爲我述其意 尋汝幾歳徒浪游 何幸與汝逢此地
 佳人一顧狂如驚 往事相話深傷情 野笛吹上遠嶂月 照到愁邊分外明
 立談移時天欲曙 尋父復向故山去 芳草靑靑春盡時 落花寂寂村深處
 歸家黄梅滿一庭 緑苔漠漠侵竹扃 老屋經歳未全破 茅簷猶掩故幃屏
 開門阿爺儼然在 倚柱計日如有待 見子歡喜殆欲狂 最驚二人容貌改
 詳聞來由許昭英 亦賞白菊孝且貞 擧杯一笑賀奇遇 備告往事盡眞情
 誤入深山墜谷底 菓實爲食水爲醴 百方欲登登不得 起臥洞中纔護體
 一朝仰見山千層 群猿在巓倚枯藤 底事喚我如有意 攀之巉巖殆得登
 登來群猿散無跡 蟬聲如雨滿山脊 誰知義氣亡人間 却存獸中寔可惜
 客歳六月侵炎陽 歸家始修四壁荒 言畢屋後暮禽噪 十里菜花夕陽黄
 


  (注) 1.  井上哲次郎の漢詩「孝女白菊詩」は、明治17年1月、18,19, 21日の3回にわたり『郵便報知新聞』に掲載され、同年2月発行の『巽軒詩鈔』に収録されたそうです。詩は1句7字、全404句で、字数は全部で2828字になります。
 明治17年に発行された『巽軒詩鈔』は、国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができます。
 国立国会図書館デジタルコレクション
 →『巽軒詩鈔』(明治17年2月8日出版) 
   
    2.  上記に掲げた「孝女白菊詩」は、国立国会図書館デジタルコレクションに入っている井上哲次郎著『日本学生宝鑑』(大倉書店・明治37年9月5日発行、明治43年6月14日増訂第12版発行)によりました。(この本では、1行4句の表示になっています。)
 国立国会図書館デジタルコレクション
 → 井上哲次郎著『日本学生宝鑑』
 → 「孝女白菊詩」431~436/517)
   
    3.  『家庭読本 孝女志ら菊』(佐村八郎著、六盟館・明治39年6月27日発行、同年10月25日再版発行)の巻末の附録としてついている「孝女白菊詩」は、活字が鮮明なので見やすいと思います。(この本では、1行3句の表示になっています。)
 国立国会図書館デジタルコレクション
 →『家庭読本 孝女志ら菊』
 →「孝女白菊詩」44~51/55)

 1行3句の表示の本文が、資料645にあります。
 → 資料645 井上巽軒「孝女白菊詩」(1行3句の表示)
   
    4.  第一齣の後半に出て来る「聞阿母死涙潸潸」の「潸潸」と第三齣の中程に出て来る「潸潸」は、原文には異体字が使われていますが、ここではそれがうまく表記できないので、本字の「潸」で表記してあります。    
    5.  この井上哲次郎の漢詩「孝女白菊詩」を読んで書いたの落合直文の「孝女白菊の歌」が特に有名です。
 また、当時帝国大学でドイツ語を教えていたカール・フローレンツが井上哲次郎の原詩をドイツ語に訳して出版し、更に慶應大学で英語を教えていたアーサー・ロイドがフローレンツのドイツ語訳から英語に訳して出版したそうです。
   
    6.  落合直文の「孝女白菊の歌」は次の資料にあります。
 → 資料142 落合直文「孝女白菊の歌」
   
    7.  『二木紘三のうた物語』に落合直文の「孝女白菊の歌」が取り上げられていて参考になります。
 『二木紘三のうた物語』
 →「孝女白菊の歌」
   
           





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