資料611 斗米菴若冲居士墓碑銘(若冲居士寿蔵碣銘) 



    次に掲げるのは、伊藤若冲の生前墓(寿蔵碣・寿蔵碑)に書かれている碑文です。この碑文は、大典禅師の『小雲棲稿』に出ている「若冲居士寿蔵碣銘」とは、一部文字に異同が見られるので注意が必要です。(文字の異同については、資料610 若冲居士寿蔵碣銘(『小雲棲稿』による)の注6をご覧ください。)
碑の文字の鮮明な写真が見当たらないので、文字に正確ではない部分が含まれているであろうことをお断りしておきます。(2021年1月12日現在)
なお、改行は碑文の通りにしてあります。
 



         
若冲居士壽藏碣銘  

居士名汝鈞字景和平安人本伊藤改爲藤氏父名源母近江武藤氏以享
保元祀二月八日生居士于城之錦街居士爲人斷斷無它技唯繪事是好
從爲狩埜氏之技者遊既通其一日自謂曰是法也狩埜氏法也即吾能出
於藍亦不超狩埜氏圏繢不如舎而之宋元也於是取宋元画學之臨移累十
百本既又自謂曰歩趨之技肩不可比邪且彼描物者邪吾又描其所描是
隔一層矣不如親即物而舐筆物乎物乎吾何執當今之時無有襄公鄂公
及夫冒雪吟詩者之態而露鬠額褊袚之人弗堪也山水所目亦未遇上幅 
鬠=髟+介
者無已則動植之物乎孔翠鸚
曾不可恒覯唯司晨之禽閭閻所馴其毛羽 *義+鳥
之彩可五色施則吾自此始矣鷄數十窓下極其形狀寫之有年矣然後周
及草木之英羽毛虫魚之品悉貌會其神心得而手應其下筆賦彩盡以意
匠出之無一毫蹈襲雖於古人致如有不合而骨力精錬之工可以卓然名
家矣又喜用白帋易滲者作墨画乃就其所滲界濃淡而花之瓣與羽鱗之次
歴壢區分爲態蓋筆之所至圓熟不殢也一種風流世未嘗有觀者咸服其妙
遂以此易斗米取給於是乎有斗米菴之號然居士質直少飾不欲以技衒當
世嘗造丹青三十大幅實愜心合度之作又模張士恭迦文文殊普賢三幅精
絢無恥其本慨然以爲售之一時不如傳之身後供之世俗不如蔵之名山乃
盡喜捨諸相國禅寺以充莊嚴具云錦街鮭菜之肆旦旦負擔者輻湊爲市塞
戸偪墻即居士家日租其地亦足以爲利乃居士則耽繪事不欲外物攖之屬
家其仲而異宅焉久鬄頭不食葷肉無妻子欲以季某爲後先亡於是預圖百
歳後事也與里人約輟宅爲里有歳分其假貸之贏施諸相國以奉父母及己
祠請其子院松鷗掌香火事既又乞松鷗之地三尺卜佳城所立碣表焉而碣
之不可無銘也來謁于余余曰異哉可以銘乎昔者陶潜以文祭司空圖坐壙
而賦詩王績白居易爲窀穸誌皆老而自遣也吾子歳僅半百其自果也如是
夫雖然吾子所以家于技者名遂矣事畢矣由斯以往將何所營乃腰不折而
斗米可得優遊以卒歳則所謂睪宰墳鬲之望知所息於今日也且余與吾子
交十有餘年自顧羸弱恐不能後吾子夫吾子之知所息與余之恐不能後是
宜若可以銘然然吾佛有言曰心如工画師無法而不造則吾子苟擇於自造
也寧徒描子恭所描爲得哉是真知所息矣是爲銘銘曰
生邪死邪劫盡而土安者此邪逝將固濟子邪
明和三年丙戌十一月         淡海常大典撰


  (注) 1.  上記の本文は明和3年(1766)、若冲が51歳の時に相国寺に建てられた若冲の寿碣(じゅけつ・生前に建てた墓碑。寿蔵碑とも)の本文です。撰文は、相国寺の大典禅師(大典顕常)。
 寿碣(寿蔵碑)には、正面に「斗米菴若冲居士墓」とあり、時計回りに碑の三面に上記の本文が彫られています。(1面:居士…~匠出…、2面:家矣…~之不…、3面:而賦…~明和…)
 改行は、寿碣(寿蔵碑)の通りにしてあります。(1行の文字数は30字です。)

 前書きに書いたように、『小雲棲稿』に出ている「若冲居士寿蔵碣銘」とは、一部文字に異同が見られます。文字の異同については、資料610 若冲居士寿蔵碣銘(『小雲棲稿』による)の注6をご覧ください。
   
    2.  文中に「張士恭」「子恭」とあるのは、南宋の仏画家「張思恭」のことで、若冲が彼の「文殊・普賢菩薩像」などを模写したことで知られています。「子恭」は「士恭」の誤刻だと思われます。    
    3.  〇伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)=江戸中期の画家。名は汝鈞(じょきん)、号は斗米庵とも。京都の人。初め狩野派を学び、のち宋・元・明の古画を模し、鶏などの動植物画に写生的かつ装飾的な独自の様式を築いた。ユーモラスな水墨画も多く制作。(1716~1800)
 〇大典(だいてん)=江戸中期の臨済宗の僧。名は顕常。近江の人。相国寺に住し、儒学・詩文に長ずる。幕府の朝鮮修文職として国交文書をつかさどり、松平定信に優遇された。著「小雲棲稿」「皇朝事苑」など。(1719~1801)
           (以上、『広辞苑』第7版による。)
   
    4.  〇『一味違う京都旅行を楽しむ!京都観光案内(動画有り)』というサイトに伊藤若冲に関する資料がいろいろ出ていて参考になります。相国寺にある伊藤若冲の生前墓の紹介も出ています。
 →『一味違う京都旅行を楽しむ!京都観光案内(動画有り)─伊藤若冲』

〇『ふろむ京都山麓』というブログに、「伊藤若冲と石峰寺<若冲連載1>」があり、そこに「相国寺の墓は「寿蔵」といって若冲生前に建てたもの。(中略)没後葬られたのは石峰寺の墓地です」とあります。石峰寺は京都市伏見区深草にあるお寺です。 
 →『ふろむ京都山麓』
 →「伊藤若冲と石峰寺<若冲連載1>」

 〇『水間徹雄・建築巡礼の旅』というブログに「若冲ゆかりの寺・相国寺」があり、ここにも墓碑(生前墓)の写真が出ていて参考になります。
  現在は見られないようです。(2023年11月4日)
   
    5. 資料610 若冲居士寿蔵碣銘(『小雲棲稿』による)があります。    
    6.  フリー百科事典『ウィキペディア』に、柴野栗山の項があります。
 フリー百科事典『ウィキペディア』
  → 伊藤若冲

  → 大典顕常
   







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