資料610 若冲居士寿蔵碣銘(『小雲棲稿』による) 




         
若冲居士壽藏碣銘  大典禅師撰

居士名汝鈞字景和平安人本姓伊藤改為藤氏父
名源母近江武藤氏以享保元祀二月八日生居士
于城中之錦街居士為人斷斷無它技唯繪事是好
従為狩埜氏之技者遊既通其法一日自謂曰是法
也狩埜氏法也即吾能之不超狩埜氏圏繢不如舎
而之宋元也於是取宋元畫學之臨移累十百本又
自謂曰歩趨之技肩終不可比耶且彼描物者耶吾
又描其所描是隔一層矣不如親即物而舐筆也物
乎物乎吾何執當今之時無有麒麟凌烟及夫冒雪
唐鄭虔作常建冒雪入京圖吟詩王維作孟浩然吟詩圖者之態而露鬠月 鬠は原文「髟+介」
額褊袚之人弗堪也山水所目亦未遇上幅者無已
則動植之物乎孔翠鸚*曾不可恒覯唯司晨之禽 
義+鳥
閭閻所馴其毛羽之彩可五色施而吾自此始矣畜
鷄數十窓下極其形狀寫之有年矣然後周及草木
之英羽毛虫魚之品悉其貌會其神心得而手應其
下筆賦彩盡以意匠出之無一毫蹈襲雖於古人韻
致如有不合而骨力精錬之工可以卓然名家矣又
喜用白帋易滲者作墨畫乃用其所滲界濃淡而花
之瓣與羽鱗之次區分為態其運筆也曼漶似暗中
摸及乹劃然濃淡不紊盖筆之所至圓熟不殢也一
種風流世未嘗有觀者咸服其妙遂以此易斗米取
給於是乎有斗米菴之號然居士質直少飾不欲以
技衒當世嘗造丹青三十大幅實愜心合度之作又
模張士恭迦文文殊普賢三幅幅極大精絢無耻其
本慨然以為售之一時不如傳身後供之世俗不如
蔵之名山乃盡喜捨諸相國寺以充莊嚴云錦街鮭
菜之肆旦旦負擔者輻湊為市塞戸偪墻即居士家
日租其地亦足以為利乃居士則耽繪事不欲外物
攖之屬家其仲而異宅焉久鬄頭不食葷肉無妻子 鬄は原文「髟+易+刂」
欲以季某為後先死於是預圖百歳事也與里人約
輟宅為里有歳分其假貸之贏施諸相國以奉父母
及己祠請其子院松鷗掌香火事既又乞松鷗之地
三尺卜佳城所立碣表焉而碣之不可無銘也来請
于余余曰異哉可以銘乎昔者陶潜以文自祭司空
圖坐壙而賦詩王績白居易為窀穸誌皆老而自遣
也吾子歳僅半百其自果也如是夫雖然吾子所以
家于技者名遂矣事畢矣由斯以往將何所營乃腰
不折而斗米可得優遊以卒歳則所謂睪宰墳鬲之
望知所息於今日也且余與吾子交十有餘年自顧
羸弱恐不能後吾子夫吾子之知所息與余之恐不
能後是宜若可以銘然然吾佛有言心如工畫師無
法而不造則吾子苟擇於自造也寧徒描士恭所描
為得哉是真知所息矣是為銘銘曰
生邪死邪劫盡而土安者此邪逝將固濟子邪


 
1. 上記の本文は、国文学研究資料館所蔵の淡海竺顯常大典撰『小雲棲稿』巻之九(寛政8年丙辰九月求板、京都・菱屋孫兵衛、京都・林伊兵衛、大阪・播磨屋新兵衛、大阪・河内屋太助、江戸・須原屋伊八)所収の「若冲居士壽藏碣銘」によりました。
りました。
  → 国文学研究資料館
   →『小雲棲稿』巻之九 
204~207/291)
   
    2. 相国寺の碑の本文と『小雲棲稿』の本文とでは、数か所に文字の異同が見られます。(注6参照)
なお、相国寺の碑には、最後に「明和三年丙戌十一月 淡海竺常大典撰」と刻してあります。(明和三年は、西暦1766年)

   
3. 若冲居士寿藏碣銘」は、画家・伊藤若冲の寿碣(じゅけつ・生前に建てた墓碑。寿蔵碑とも)です。撰文は、相国寺の大典禅師(大典顕常)。
    4. 本文の改行は、『小雲棲稿』の通りにしてあります。ただし、1行に小文字で2行に分かち書きしてある部分は、ここでは文字だけ小さくして1行のままにしたため、行が長くなっています。
   
    5. 文中に「張士恭」「士恭」とあるのは、南宋の仏画家「張思恭」のことで、若冲が彼の「文殊・普賢菩薩像」などを模写したことで知られています。

   
    6. 相国寺の碑の本文と『小雲棲稿』の本文との異同。
(お断り:文字の読み取りが正確でないところがあるかもしれません。)

    『小雲棲稿』の本文      相国寺の碑の本文
   即吾能不超狩埜氏圏繢   即吾能出於藍亦不超狩埜氏圏繢           
 臨移累十百本又自謂曰(既なし)  臨移累十百本又自謂曰          
   當今之時無有麒麟凌烟及   當今之時無有襄公鄂公及            
   乃其所滲界濃淡      乃其所滲界濃淡
   區分爲態(歴歴なし)    歴歴區分爲態
 (「區分爲態」の次に)
   其運筆也曼漶似暗中摸及乹劃然濃淡不紊 (相国寺の碑になし)
   迦文文殊普賢三幅幅極大   迦文文殊普賢三幅(幅極大なし)
 售之一時不如傳身後(傳の後の之なし)  售之一時不如傳
身後
   喜捨諸相國寺(禅なし)    喜捨諸相國

   以充莊嚴云(具なし)     以充莊嚴

   欲以季某爲後先
       欲以季某爲後先
   於是預圖百歳事也(後なし)  於是預圖百歳事也
   来
于余           來于余
   陶潜以文祭(自なし)     陶潜以文

   然吾佛有言(曰なし)     然吾佛有言

   寧徒描
恭所描        寧徒描恭所描
   
    7. 伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)=江戸中期の画家。名は汝鈞(じょきん)、号は斗米庵とも。京都の人。初め狩野派を学び、のち宋・元・明の古画を模し、鶏などの動植物画に写生的かつ装飾的な独自の様式を築いた。ユーモラスな水墨画も多く制作。(1716~1800)
大典(だいてん)=江戸中期の臨済宗の僧。名は顕常。近江の人。相国寺に住し、儒学・詩文に長ずる。幕府の朝鮮修文職として国交文書をつかさどり、松平定信に優遇された。著「小雲棲稿」「皇朝事苑」など。(1719~1801)
          (以上、『広辞苑』第7版による。)
   
    8. 資料611 斗米菴若冲居士墓碑銘(若冲居士寿蔵碣銘)があります。    
    
   
    9. フリー百科事典『ウィキペディア』に、柴野栗山の項があります。
  フリー百科事典『ウィキペディア』
   → 伊藤若冲

   → 大典顯常
   





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