馬駭輿則君子不安輿庶人駭政則君子不安位馬駭輿則莫若静之庶人駭政則莫若惠之選賢良擧篤敬興孝弟收孤寡補貧窮如是則庶人安政矣庶人安政然后君子安位傳曰君者舟也庶人者水也水則載舟水則覆舟此之謂也故君人者欲安則莫若平政愛民矣欲榮則莫若隆禮敬士矣欲立功名則莫若尚賢使能矣是君人者之大節也三節者當則其餘莫不當矣三節者不當則其餘雖曲當猶將無益也孔子曰大節是也小節是也上君也大節是也小節非也一出焉一入焉中君也大節非也小節雖是也吾無觀其餘矣
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(注) |
1. |
1.本文は、新釈漢文大系5『荀子 上』(藤井専英著、明治書院・昭和41年10月5日初版発行、昭和46年8月30日8版発行)によりました。
本文についている返り点と句読点は省略してあります。なお、新釈漢文大系には、書き下し文・通釈・語釈・余説がついています。 |
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2. |
2020年(令和2年)7月26日(日)の朝日新聞「日曜に想う」に、編集委員の福島申二氏が、「「すばらしい空腹」は続くのか」という題の文章を書いておられ、その冒頭に、
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「君は舟なり、庶人は水なり。水は舟を載せ、水は舟を覆す」と中国の古典にある。君主の座も民衆しだいという意味だが、ある中国文学者から、もっときつい格言があると教えてもらった。
それは君主を魚に、民衆を水にたとえる。「魚、水を失わば死す。水、魚を失うも猶(なお)水たり」。たしかに、中国の王朝興亡史にはこちらの凄(すご)みがぴったりくる。民衆とは支配されつつ支配者の死命を握る、恐ろしい存在なのだと思う。 |
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とあります。
それを読んで、上の『君者舟也庶人者水也』の文を調べてみたというわけです。そのことをお断りしておきます。 |
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3. |
資料602に「水失魚猶水也」(『諸子彙函』所収の「尸子」より)があります。
→ 資料602「水失魚猶水也」(『諸子彙函』所収の「尸子」より) |
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