資料602  水失魚猶水也(『諸子彙函』所収の「尸子」より)



         水失魚猶水也    
                   『諸子彙函』所収の「尸子」より

    
孔子曰、商、汝知君之爲君乎。子貢曰、魚失水則死。水失魚猶水也。孔子曰、商知之矣。


 
※「水失魚猶水也」は、「水失魚猶爲水也」となっている本文もあります。注2を参照してください。


  (注) 1.  本文は、『国立国会図書館デジタルコレクション』所収の『諸子彙函』の巻之九に、「尸子」からとして収めてあるものによりました。
 『国立国会図書館デジタルコレクション』
 →『諸子彙函26巻[4]』 をクリック
   →[4]66~69/225 ここの「君治」に出ています。
   
2.  『維基文庫』に出ている「尸子」の「君治」には、
 孔子曰:「商、汝知君之爲君乎?」子貢曰:「魚失水則死、水失魚猶爲水也。」孔子曰:「商知之矣。」
とあって、「水失魚猶爲水也」のところに「爲」が入っています。
 『維基文庫』
  →「尸子」
  →「君治」
    3.  書としての『尸子』については、フリー百科事典『ウィキペディア』に、
 『尸子』は上記の尸佼の著作で、『漢書』芸文志では雑家に含める。もと20篇あったというが、南宋にいたって失われた。日本から逆輸入した『群書治要』巻36に載せる『尸子』13篇をもとに、その他の書の引用を加えて清代に章宗源が輯佚書を作った。これを後に孫星衍が補訂した『尸子集本』2巻や、さらに汪継培が補った『尸子校正』2巻が現在行われている。
とあります。詳しい説明は『ウィキペディア』の「尸子」を参照してください。
 フリー百科事典『ウィキペディア』
  →「尸子」
   
    4.  〇尸子(しし)=春秋時代の晋の人。商鞅(しょうおう)の師とされる。別称、尸佼(しこう)。また、尸子が義の一字を要旨として修身・斉家・治国・平天下の道を説いた書。もと20編。清の章宗源が逸文を集め、2巻とした。内容的には儒家に近いが、漢書芸文志では雑家に編入。(『広辞苑』第7版による。)    
    5.  2020年(令和2年)7月26日(日)の朝日新聞「日曜に想う」に、編集委員の福島申二氏が、「「すばらしい空腹」は続くのか」という題の文章を書いておられ、その冒頭に、
「君は舟なり、庶人は水なり。水は舟を載せ、水は舟を覆す」と中国の古典にある。君主の座も民衆しだいという意味だが、ある中国文学者から、もっときつい格言があると教えてもらった。
 それは君主を魚に、民衆を水にたとえる。「魚、水を失わば死す。水、魚を失うも猶(なお)水たり」。たしかに、中国の王朝興亡史にはこちらの凄(すご)みがぴったりくる。民衆とは支配されつつ支配者の死命を握る、恐ろしい存在なのだと思う。
とあります。
 それを読んで、上の『尸子』の文を調べてみたというわけです。そのことをお断りしておきます。
   
    6.  資料603に「君者舟也庶人者水也」(『荀子』より)があります。    





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