資料601 野口雨情「二十六字詩」




        二十六字詩                                         
                     
野口 雨情

  漢詩よりも新体詩よりも和歌よりも俳句よりも其他総ての謡曲よりも最も広く民間に行はるるものは二十六字詩形の俗謡なり。
  その系統は平安時代の催馬楽より出て足利時代の小歌となり徳川時代に至り小歌と分離してこの二十六字詩形は成る。今、年代は詳
(つまびらか)ならずと雖(いへども)按ずるに貞享元禄年間なるべし。
  投節、臼引歌、田植歌、潮来節、其他都々一及童謡等の類は所謂平民詩として多くこの詩形に属す。
  二十六字詩形を詩としての詩的価値に至りては濃厚なるあり艶麗なるあり優雅なるあり純僕素野
(そや)なるあり詩趣津々として情緒纏綿として漢詩、新体詩、和歌、俳句、其他謡曲等の遠く及ばざるものあり。
  今ここには単に詩的価値として声調の美なるもの二三を摘記し以て説明に代ゆ。
○烏鳴きても知れそなものよ明けくれお前のことばかり。
○逢はれないから来るなと言ふに来ては泣いたり泣かせたり。
○染めて口惜しや藍紫にもとの白地がましぢやもの。 
○飛んで行きたいあの山越えてお前いまかと言はれたい。
○心細さに出て山見れば雲のかからぬ山はない。
○朝の出舟に東を見れば黄金まぢりの霧が降る。
○心残して常若の国へかへる燕をふたごころ。
○親は他国へ子は島原へ桜花かよちりぢりに。
○君と寝ようか五千石とろかなんの五千石君と寝る。 
○船底に枕はづして鳴く浜千鳥さむくはないかと目に涙。
○山で切る木はかづあるけれど思ひ切る気は更にない。 
○お名はささねどあの町に一人命ささげた人がある。
○鐘が鳴るかよ橦
木が鳴るか鐘と橦木のあひがなる。 
○しばし逢はねば姿も顔もかはるものだよ心まで。
○潮来出島の真菰の中にあやめ咲くとはしほらしい。 
○吉田通れば二階で招くしかも鹿の子の振り袖で。
○会津磐梯山は宝の山よ笹に黄金がなりさがる。 
○おととひ別れてまだ間もないに昼はまぼろし夜は夢。
○忘れ草とて植ゑたるものを思ひ出すよな花が咲く。 
○船頭可愛や穏戸の瀬戸で一丈五尺の櫓がしわる。
○木挽さんかよ懐かしござるわしの殿御も木挽さん。 
○君と別れて松原ゆけば松の露やら涙やら。
○坂はてるてる鈴鹿はくもるあひの土山雨が降る。
○嘸
(さぞ)や今頃さぞ今頃はさぞやひとりでさむしかろ。
○様よあれ見よあの雲行を様とわかれもあのごとく。 
○親が程へりや不具な子なりや人でなしなりや尚更に。
 その想や悲哀人を傷ましめ、その調や崇高襟を正さしむ。情趣花の如く純樸枯木の如し。熱するに似て熱するに非ず。酔ふるに似て酔ふるに非ず、自然を歌ひて遺憾なく恋を歌ひて俗に落ちず他の純文学に譲らざるのみならず却つてそれ以上の特点を有す二十六字詩形の詩としての価値何ぞ大なるにあらずや。

  (注) 1. 上記の野口雨情「二十六字詩」は、『定本 野口雨情』第六巻(未来社、1986年9月25日第1版第1刷発行)によりました。    
    2. 「○鐘が鳴るかよ橦木が鳴るか鐘と橦木のあひがなる」の「橦木」は、「撞木」とあるべきでしょうが、定本の通りにしてあります。発表時の文字の通りにしてあるものと思われます。    
    3. 「二十六字詩」の初出は、『志らぎく』第2巻第1号(白菊発行所、明治39年1月9日発行)です。
『志らぎく』第2巻第1号については、「資料238 雑誌『志らぎく』第2巻第1号について」をご覧ください。
 → 資料238  雑誌『志らぎく』第2巻第1号について


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