資料600 鈴木江山「小松寺考」(『天然の声』より)



           
          小 松 寺 考   
                           
鈴 木  江 山



明治二十九のとし二月十八日、同窓の友と小松寺を訪ふ。此日天氣
ことに麗らかにして、こちふく風のいと心地よく、日影の高くなる
につけ、緑なす老松のかげ、谷氷のとけて流るゝ、汀(みぎは)まだ春の始めと
いへど休らひたげの涼しさなり。やがて安戸橋より西し、幾多の坂
路を上りつ下りつ、或は芝生の原に出で、或は小川の堤に沿ひ、小
松村に出つ。路を老媼に問ひ西に行くこと十數町、遂に小松寺の麓に
着きぬ。
小松寺は常陸の東茨城郡上入野村字小松に在りて、元仝村小松寺の
境内にして山の半腹に在り。
  小松寺舊記に云、平氏沒落の後、一族平貞能(筑後守)重盛の分
  骨及び守護佛觀音を負て本州に來り、遺骨を山上に葬り、一精
  舎を創め相應院と云ふ。即ち小松寺是なり。貞能薙髮して僧と
  なり、小松房といふ。後行方郡若梅村に萬福寺を建立し、閑居
  以て終る。同寺の觀音は即彼の守護佛なりと。或云建久中一尼
  あり、京師より來る。此地に小松内府の墓碣を設け、其の冥福
  を祈り、依て又一寺を創し相應院と號す。應永三丙子年僧宥尊
  更に堂宇を經營し、小松寺と號すと。若し此説にして眞ならし
  めば、碑は盖し當時建設する所ならむ。(志料國誌)按ずるに、貞
  能重盛の墓を發き、遺骨を收めて高野山に藏す。(源平盛衰記平
  家物語)玉海元暦元年甲辰二月十九日記に云、平資盛貞能等豊
  後土人の爲めに擒にせらると。未だ考ふる所なしと雖も、全く
  棄つべからざるに似たり。貞能枯骨を負ひて關東に來りたるこ
  と、山陽が外史にも見えたり。
今は寺房最も敗頽し、檐端の丹壁朱柱などは、半ば朽ちて、昔しの
名殘を忍ぶのみ。四面に風の吹き入るも、之を防ぐ杉の扁だになく、
蜘蛛は長なへに網を張れども法(のり)の燈だに照らす夜半は稀なるにや
と、坐ろに古、英雄の遠蹟を思ひやりて、今を弔らふものは先づ暗
涙なりけり。
傍への堂に重盛の像あり。又貞能の位牌あり。堂前に巨石の横はれ
るあり。長三間幅五尺許もありなん。有志者の醵金より成れる靈墳
保存の碑石なれど、資本の薄ければにや、今はその儘に横へられ
つと。
其の所謂重盛の墓なる者は、堂後の半腹にあり。古色蒼然たる一個
の卵塔にして、半ば苔に埋もれたるかたへに木碑の面には、『故正三
位小松内大臣重盛君鎭靈』と讀まれぬるぞかしこきや。嗚呼忠孝比
ひなき臣子の龜鑑ぞと、千載の後猶ほ青史を照らしつゝある小松内
府の枯骨は、此一片冷々たる苔石の下にあるかと、低思默想拜一拜
して遂に山を登る。峽路羊膓わづかに藤蔓にすがりて疲脚を移すの
み。漸く頂にのぼれば近遠の諸村落を一目に萃め、谷底の喬松古杉
は悉く脚下に踐む可し。衆おもはず快と喚ぶ。
時はや一時に近ければ焦れ々々し行厨を打披き、互に語らひつゝ、飽
まゝで美食しぬ。放吟すること少時、一時廿五分、復た山を下りて、
小松村を辭し、こたびは途を成澤にとり、飯富、渡里、袴塚を經て、
谷中墓所に入り、故寺門貞君の墓を弔らひ、有爲の才を抱いて獨り
君が此世を去りし不幸を悲しみ、低回去るに忍びず。墓林に還るの
晩鴉に送られて、黄昏の色は次第に迫り、影うすき下弦の月はひと
り澄みぬ。


     ※ お断り
      (1)文中、引用者がかなや漢字を改めた個所があります。
      按するに → 按ずるに  未た → 未だ      
      吊らふ(吊らひ) → 弔らふ(弔らひ)
    (2)
「焦れ々々」は、原文「焦れ」の次に平仮名の「く」を
      縦に長く伸ばした形の繰り返し符号が使われています。

    (3)「小松村に出つ」は、もしかしたら「小松村に出づ」ですか。
       「飽まゝで」は、あるいは「飽くまで」ですか。

  (注) 1.  これは、江山が明治29年2月に小松寺に平重盛の墓を訪ねた時のことを
書いた文章で、「小松寺考」は、鈴木江山の『天然の聲』(文学同志会、
明治33年6月15日発行)という本に収録されています。
 また、
『天然の聲』は、『国立国会図書館デジタルコレクション』にも
収録されているので、そこで
「小松寺考」の文章を画像で見ることができ
ます。
 
『国立国会図書館デジタルコレクション』 → 「天然の声」と入力して検索 
   → 「1.天然の声/鈴木江山著、文学同志会、明33.6」をクリック
         → 「天然の声」の  22~24/126  が「小松寺考」
     
   
    2. 本文の改行は、『天然の聲』の通りにしてあります。
なお、漢字の振り仮名は、ここでは括弧に入れて示しました。

   
    3. 早稲田大学図書館の『古典籍総合データベース』にも、鈴木江山の『天然の聲』(文学同志会、明治33年6月15日発行)が入っていて見ることができます。
 → 早稲田大学図書館『古典籍総合データベース』
  → 鈴木江山『天然の聲』
   
    4. 資料70に、「小松内府遺骨塚碑(内大臣平重盛の遺骨塚碑)」があります。    
           


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