資料589 栗林義長伝(『常総軍記』巻十・『利根川図誌』による)



          栗 林 義 長 傳
                  
『常總軍記』巻十 (『利根川圖志』による)


常州岡見の長臣栗林下總守義長といふは、同國河内郡根本村の農夫忠七の三男、竹松の孫なるよし云傳ふ。常總軍記巻十云、(文略)、根本といふ里に一人の農夫(ひやくしやう)あり。名を忠七といふ。貧なる者といへども慈悲ふかく、正直にして一人の母に孝あり。或時母少し病める事有りけるに、是をあんじ、土浦に至り藥を求め、其かへるさ根本が原にかゝれり。人里遠き野原にして、道ゆく人も稀なりけるに、一ッの古狐松のかげに寢入りて居たりけるを、其あたりの獵人(かりうど)、しのびよりて射てとらんとねらひしを、かの忠七は是を見て、ふびんと思ひ助けやらんと、高らかに咳をしたりしかば、狐は大に驚きて目を覺まし、草むらの中へはしり入ける。獵人(かりうど)は大に腹立ち、獲ものをかへせとの
ゝしるゆゑ、忠七さまざまと詫言しけれども、獵人(れうし)はさらに聞入れず、忠七是非なく二百文有ける錢をかの者に遣はし、やうやうとわびして我家に歸りけり。然るに其日の暮つかた、五十有餘の男一人、はたちばかりの女を連れて忠七方に來り云ひけるやう、我らは奥州の者にて鎌倉へ行くものなるが、日暮れて難義に及ぶ。何卒一夜の宿をかしてたべと、泪ながらにいひける故、母も忠七もふびんと思ひ、道もしれぬ野原なるに、足弱(あしよわ)を連れたまへば定めてなんぎなるべし。一夜は明させつかはすべしと、其夜は二人をとめたりけり。偖(さて)翌朝になりければ、かの女泪(なみだ)をながし云けるやう、みづからは奥州岩城郡の者なるが、不仕合(ふしあはせ)の事ありて身上をしまひ、鎌倉の伯父の所を尋ねんと、譜代の家來を供につれ此所(このところ)まで來りしが、昨夜わらは寢入し時、かの男は路用を持ちて逃げしと見ゆ。かへすかへすもくやしけれ。最早後へも先へも行きがたし。何とぞ鎌倉ヘ參る迄、いかなる憂(うき)くげんも仕るべければ、御かくまひたべかしと、泪を流して頼みけるに、母も忠七も實心の者にてふびんに思ひ、然らば四五日足をやすめ給へ。何とぞして鎌倉へ送り屆け申すべしとてさし置ける。かくて此女容顔美麗、のみならず發明にして、農(ひやくしやう)の業も並より早く、絲機針仕事ひとつとしてたらざる事なく、何事もやさしく、母にもよく仕へしゆゑ、母も殊の外氣に入り、近所あたりの者迄も譽めざる人はなかりけり。かくて月日に關守なく、四五日と思ふ内にはや四五十日も過ぎけるが、近所の者心づき、母と忠七に相談し、隣家の彌兵衞を仲人となし、双方咄し調ひし故、忠七と夫婦にこそはしたりけれ。早くも八年(とせ)の星霜を經て、三人の子を設け、姉のお鶴は七歳になり、其次は龜松とて五歳なり、三男竹松は三歳にぞ成りにける。折しも秋の末つかた、女房は庭の方をうつうつとして詠(なが)め居けるが、泪をながし、われ思はずも人間に相馴れ、きのふけふとは思ひしが、もはや八とせを過すうち、三人の子迄設けし事なれど、淺ましきは根本が原に年經たる狐なり。ひとたび人にさとられては、人間界の住居はならず、畜生の行へこそかなしけれと、泪を流し一人ごとして泣きわめけども、悔(くや)みてかへらぬ身の上なり。さるにても不便なるは三人の子供、いとをしきは母上樣、忠七殿も名殘をし。此まゝ別れて行くなれば、さぞや後にてうらむらん、堪忍してたべ忠七どのと、くりかへしくりかへしせきくる泪と諸共に、一詩をしたゝめ竹松が帶へ結ひつけ、夕暮に根本が原の古塚に、なくなく別れて歸りける。
  昔日贖死野狐身、偶嫁人間入忠家、鴛鴦被暖八年夢、積夢一女二男生、花晨月下撫前後、
  夏日冬夜懇紡績、被知一朝吾生所、歸去古塚自別離、別離悲涙今難堪、月三更女化之原
  みどり子の母はと問はゞ女化(をなばけ)の原になくなく臥すと答へよ 
さて忠七は三人の子供を養育し、後に三男の竹松成長の後、京都に行きて身を立て、其孫十二歳にて、古郷(ふるさと)なつかしとて關東へ尋ね下りしに、信州の山奥にて道に迷ひ異人に逢ひ、其所(そのところ)に五年を送りし内、天文地理軍學文武の道に達し、十七歳にして常陸の國へ來りける。爰に岡見の臣に、柏田(かしはだ)の住栗林左京と云ふ者あり。一人娘有りける故、此を聟となして栗林次郎と名付け、後に下總守義長と號し、關東の孔明と稱しける。(是より後根本が原ををなばけの原といふ、今女化稻荷の社あり)。

   ※ 漢詩についている返り点は省略してあります。(注3参照)


  (注) 1. 上記の「栗林義長伝」は、岩波文庫『利根川圖志』(赤松宗旦著、柳田国男校訂。昭和13年11月15日発行)に引用されている『常総軍記』巻十の「栗林義長伝」です。
この岩波文庫は、『国立国会図書館デジタルコレクション』に収められています。
  → 国立国会図書館デジタルコレクション 
       → 岩波文庫『利根川圖志』141~143 / 214)
   
    2. 平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、ここでは同じ仮名を繰り返して表記してあります。(さまざま、やうやう、かへすかへす、うつうつ、くりかへしくりかへし、なくなく)    
    3. 文中の漢詩には、次のような返り点がついています。
昔日贖死野狐身、偶嫁2人間2忠家、鴛鴦被暖八年夢、積夢一女二男生、花晨月下撫2前後、夏日冬夜懇紡績、被2一朝吾生所、歸去古塚自別離、別離悲涙今難堪、月三更女化之原
   
    4. 『東国戦記実録』所収の「女化ノ原野狐物語ノ事」が資料588にあります。
  → 資料588「女化ノ原野狐物語ノ事」(『東国戦記実録』より)
   
    5. 『常総軍記』の物語と『東国戦記実録』の物語とでは、忠七と忠五郎の名前の違いや別れの理由などに相違が見られます。    
    6. 埼玉県立図書館の「デジタルライブラリー」で、和装本の『利根川圖志』(安政二年刊)を見ることができます。(「栗林義長伝」は、『利根川圖志』巻五の十丁~十三丁に出ています。)
  → 埼玉県立図書館 → デジタルライブラリー →  『利根川圖志』
   
    7. フリー百科事典『ウィキペディア』に、「利根川図誌」の項があります。
  → フリー百科事典『ウィキペディア』 → 「利根川図誌」
   
           


 
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