(注) | 1. | 上記の「悼亡賦」は『維基文庫』にある『藝文類聚』巻三十四から、「哀永逝文」は『文選』巻五十七から引用しました。「哀永逝文」の本文は、新釈漢文大系93『文選(文章篇)下』(竹田晃著、明治書院・平成13年1月25日初版発行)によりました。 | |||
2. | 「哀永逝文」については、新釈漢文大系『文選(文章篇)下』に、句読点・返り点のついた本文と、書き下し文、通釈、語釈がついていますが、ここでは読点・返り点、書き下し文、その他は省略しました。 | ||||
3. | 「悼亡」という言葉について、『旺文社漢和辞典』(赤塚忠・阿部吉雄編。改訂新版、1986年10月20日発行)には、「【悼亡】 妻の死をいたみ悲しむ。晋の潘岳(はんがく)が亡妻のために「悼亡詩」を作ったことによる。」と出ています。 | ||||
4. |
潘岳(はんがく)=晋の詩人。字は安仁。栄陽中牟(河南中牟)の人。給事黄門侍郎などの官を歴任。陸機とともに潘陸と並称される。「悼亡詩」のほか、
「秋興賦」「西征賦」などを「文選」に収める。(247-300)
(『広辞苑』第7版による。) 妻の楊氏は、東武戴侯・楊肇の娘。潘岳の「懐旧賦」に、「余十二而獲見于父友東武戴侯楊君、始見知名、遂申之以婚姻」とあります。(「懐旧賦」は、新釈漢文大系81『文選(賦篇)下』に入っています。) |
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5. |
資料565に、潘岳の「悼亡詩」と潘岳についての記事がありますので、参照してください。 → 資料565 潘岳の「悼亡詩」 |
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6. |
晋の詩人・潘岳(はんがく)は、悼亡詩や秋興賦などで知られ、また美男としても有名で、潘岳が弾き弓を持って洛陽の道を歩くと、彼に出会った女性はみな手を取り合って彼を取り囲み、彼が車に乗って出かけると、女性達が果物を投げ入れ、帰る頃には車いっぱいになっていたといいます。
→ フリー百科事典『ウィキペディア』の「潘岳」の項を参照。 |