資料566 潘岳「悼亡賦」「哀永逝文」



        悼 亡 賦    潘 岳
                   
伊良嬪之初降 幾二紀以迄茲 遭兩門之不造 備荼毒而嘗之 嬰生艱之至極 又薄命而早終 含芬華之芳列 翩零落而從風 神飄忽而不反 形焉得而久安 襲時服於遺質 表鉛華於餘顔 問筮嬪之何期 宵過分而參闌 詎幾時而見之 目眷戀以相屬 聽諏人之唱籌 來聲叫以連續 聞冬夜之恆長 何此夕之一促 且伉儷之片合 垂明哲乎嘉禮 苟此義之不謬 乃全身之半體 吾聞喪禮之在妻 謂制重而哀輕 既履冰而知寒 吾今信其縁情 夕既昏兮朝既清 延爾族兮臨後庭 入空室兮望靈座 帷飄飄兮燈熒熒 燈熒熒兮如故 帷飄飄兮若存 物未改兮人已化 饋生塵兮酒停樽 春風兮泮冰 初陽兮戒温 逝搖搖兮浸遠 嗟煢煢兮孤魂



     哀 永 逝 文    潘 岳

啓夕兮宵興 悲絶緒兮莫承 俄龍轜兮門側 嗟俟時兮將升 嫂姪兮慞惶 慈姑兮垂衿 聞鳴鷄兮戒朝 咸驚號兮撫膺 逝日長兮生年淺 憂患衆兮歡樂尠 彼遙思兮離居 歎河廣兮宋遠 今奈何兮一擧 邈終天兮不反 盡余哀兮祖之晨 揚明燎兮援靈輴 徹房帷兮席庭莚 擧酹觴兮告永遷 悽切兮増欷 俯仰兮揮涙 想孤魂兮眷舊宇 視倏忽兮若髣髴 徒髣髴兮在慮 靡耳目兮一遇 停駕兮淹留 徘徊兮故處 周求兮何獲 引身兮當去 去華輦兮初邁 馬迴首兮旋旆 風泠泠兮入帷 雲霏霏兮承蓋 鳥俛翼兮忘林 魚仰沫兮失瀬 悵悵兮遲遲 遵吉路兮凶歸 思其人兮已滅 覽餘跡兮未夷 昔同塗兮今異世 憶舊歡兮増新悲 謂原隰兮無畔 謂川流兮無岸 望山兮寥廓 臨水兮浩汗 視天日兮蒼茫 面邑里兮蕭散 匪外物兮或改 固歡哀兮情換 嗟濳隧兮既敞 將送形兮長往 委蘭房兮繁華 襲窮泉兮朽壤 中慕叫兮擗摽 之子降兮宅兆 撫靈櫬兮訣幽房 棺冥冥兮埏窈窈 戸闔兮燈滅 夜何時兮復曉 歸反哭兮殯宮 聲有止兮哀無終 是乎非乎何皇 趣一遇兮目中 既遇目兮無兆 曾寤寐兮弗夢 既顧瞻兮家道 長寄心兮爾躬 重曰已矣 此蓋新哀之情然耳 渠懷之其幾何 庶無愧兮莊子



  (注) 1.  上記の「悼亡賦」は『維基文庫』にある『藝文類聚』巻三十四から、「哀永逝文」は『文選』巻五十七から引用しました。「哀永逝文」の本文は、新釈漢文大系93『文選(文章篇)下』(竹田晃著、明治書院・平成13年1月25日初版発行)によりました。    
    2.   「哀永逝文」については、新釈漢文大系『文選(文章篇)下』に、句読点・返り点のついた本文と、書き下し文、通釈、語釈がついていますが、ここでは読点・返り点、書き下し文、その他は省略しました。            
    3.  「悼亡」という言葉について、『旺文社漢和辞典』(赤塚忠・阿部吉雄編。改訂新版、1986年10月20日発行)には、「【悼亡】 妻の死をいたみ悲しむ。晋の潘岳(はんがく)が亡妻のために「悼亡詩」を作ったことによる。」と出ています。    
    4.  潘岳(はんがく)=晋の詩人。字は安仁。栄陽中牟(河南中牟)の人。給事黄門侍郎などの官を歴任。陸機とともに潘陸と並称される。「悼亡詩」のほか、 「秋興賦」「西征賦」などを「文選」に収める。(247-300) (『広辞苑』第7版による。)

 妻の楊氏は、東武戴侯・楊肇の娘。潘岳の「懐旧賦」に、「余十二而獲見于父友東武戴侯楊君、始見知名、遂申之以婚姻」とあります。(「懐旧賦」は、新釈漢文大系81『文選(賦篇)下』に入っています。)
   
    5.  資料565に、潘岳の「悼亡詩」と潘岳についての記事がありますので、参照してください。  
  → 資料565 潘岳の「悼亡詩」
   
    6.  晋の詩人・潘岳(はんがく)は、悼亡詩や秋興賦などで知られ、また美男としても有名で、潘岳が弾き弓を持って洛陽の道を歩くと、彼に出会った女性はみな手を取り合って彼を取り囲み、彼が車に乗って出かけると、女性達が果物を投げ入れ、帰る頃には車いっぱいになっていたといいます。 
 → フリー百科事典『ウィキペディア』「潘岳」の項を参照。        
   





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