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(注) |
1. |
本文は、国立国会図書館デジタルコレクション所収の『大正七年茨城県贈位者事蹟』(茨城県、大正9年3月30日発行)によりました。
国立国会図書館デジタルコレクション
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『大正七年茨城県贈位者事蹟』
→ 「贈正五位小野友五郎事蹟」 (123~128/162) |
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原本中の平仮名の「こ」を縦につぶした形の繰り返し符号(二の字点・〻)は、フリー百科事典『ウィキペディア』の「踊り字」の頁から利用させていただきましたので、ここにお断りしておきます。 |
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3. |
上記本文中の語句について
(1)「澤鍈太郎」は、「澤鉠太郎」となっていたのを、澤太郎左衛門のことなので、「鍈太郎」に改めてあります。
(2)「死一等を宥せれ」とあるのは、「死一等を宥され」ではないかと思われますが、そのままにしてあります。
(3)終わり近くに「記臆」とありますが、『日本国語大辞典』に、「きおく=記憶・記臆」となっているので、「記臆」と書いた時期もあったとみてそのままにしてあります。
(4)最後の表彰文に「明治十四年十二月七月」とあったのを、この七月は七日の誤植と見て、「七日」としてあります。 |
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4. |
濁点をつけた本文:
「贈正五位小野友五郎事蹟」の本文には、濁点が施されていません。
濁点をつけた本文を資料558に用意しましたので、どうぞご利用ください。
→ 資料558 贈正五位小野友五郎事蹟(『大正七年茨城県贈位者事蹟』 より。濁点を加えた本文)
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5. |
笠間市のホームページに、「笠間が生んだ科学技術者
小野友五郎」というページがあり、小野友五郎(文化14年・1817~明治31年・1898)についての詳しい紹介があります。
笠間市ホームページ
→
「笠間が生んだ科学技術者 小野友五郎」
なお、下の 注7 にも、小野友五郎の経歴についての紹介がありますので、ご覧ください。 |
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6. |
本文の注。
〇笠間藩……常陸茨城郡におかれた藩。鎌倉時代から戦国末期まで笠間氏の所領。1590年(天正18)同氏滅亡。以後、宇都宮・浅野・蒲生の諸氏がこの地を領有。1601年(慶長6)松平康重入封、3万石。以後、小笠原・永井・浅野・井上氏らに交替。1747年(延享4)牧野貞通入封、8万石。以後、廃藩置県に至る。(『角川日本史辞典』第二版による。)
〇天文方……江戸幕府の職名。若年寄に属し、天文・暦術・測量・地誌・洋書の翻訳などに関することをつかさどった。(『広辞苑』第6版による。)
〇渡海新編……嘉永5年(1852年)、江戸幕府天文方出仕となった友五郎は、勤務の傍ら江川英龍に砲術や軍学・オランダ語を学び、安政元年(1854年)、オランダの航海術書を翻訳して幕府に提出した。その『渡海新編』4巻のこと。 (フリー百科事典『ウィキペディア』による。引用者が「安政元年(1854年)」を補いました。)
〇揚屋(あがりや)……江戸小伝馬町の牢屋の一部。御家人、大名や旗本の臣、僧侶・医師・山伏などの未決囚を入れた所。「─者」 (『広辞苑』第6版による。) 「永揚屋入り(ながあがりやいり)」とは、終身刑をいう。 |
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7. |
次に、『茨城県大百科事典』 (茨城新聞社、1981年10月8日発行)から、小野友五郎の項を引用させていただきます。
小野友五郎(おのともごろう)=1817~1898 幕末・明治期の数学者・技術者。笠間藩士小守庫七(こもりくらしち)の五男として生まれ、笠間藩小野家の養子となる。本名広胖(こうはん)
、通称友五郎、東山(とうざん)と号す。若くして笠間藩甲斐駒蔵(かいこまぞう)の門に入り、和算・測量を学ぶ。江戸に出て長谷川弘(はせがわひろし)にも和算を学んだ。この間に甲斐とともに『量地図説』を出版。1855年(安政2)、長崎海軍伝習所の開設と同時に派遣され、オランダ人より洋算・航海術を学ぶ。江戸築地(つきじ)の軍艦教授所教官となり、1860年(万延1)、咸臨丸(かんりんまる)アメリカ派遣のときには、航海測量士として乗船し、日本人による初めての太平洋横断航海に成功した。帰国後、幕臣となり、小笠原(おがさわら)諸島の測量、江戸湾砲台の建設、千代田型艦の建造、横須賀造船所の設置建議など、幕府実務派官僚として活躍した。1867年(慶応3)、幕府軍艦購入のため再び渡米し、帰国後、勘定奉行並となる。明治維新後、工部省に出仕し、新橋─横浜間の鉄道測量をはじめ、鉄道建設事業に従事する。1877年(明治10)、工部省辞任後は製塩改良事業に従事し、改良事業実験中に82歳で病死した。著書に『算盤独稽古(そろばんひとりげいこ)』『江都海防真論』『尋常小学児童洋算初歩』や、第1回渡米の際の『航海日記』、第2回渡米の際の『小野友五郎日記』などがある。1898年(明治31)、緑綬褒章(りょくじゅほうしょう)を授与される。〈久野勝弥〉 |
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8. |
参考書
〇『笠間市史 上巻』「小野友五郎の活躍」(同書、731~745頁)笠間市史編纂委員会・編集、1993年12月発行
〇藤井哲博著『咸臨丸航海長 小野友五郎の生涯 ─ 幕末明治のテクノクラート』(中公新書、1985年10月初版) 〇『怒涛逆巻くも─幕末の数学者小野友五郎』(上・下) 鳴海 風著、新人物往来社・2003年5月刊
〇『江戸の天才数学者─世界を驚かせた和算家たち』新潮選書 鳴海 風著、2012年7月1日発行 〇『常陽藝文』第269号(2005年10月号) 藝文風土記「咸臨丸筆頭測量方・小野友五郎 ─ 笠間出身の異才の足跡」 |
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9. |
京都大学学術情報リポジトリ『KURENAI 紅』に、作家・鳴海 風氏の「幕末の数学者 小野友五郎─日本の近代化を促した幕臣と和算家─」(『静脩』2004年、Vol.41 №1 所収)があり、大変参考になります。
京都大学学術情報リポジトリ『KURENAI 紅』
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「幕末の数学者 小野友五郎─日本の近代化を促した幕臣と和算家─」 |
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10. |
フリー百科事典『ウィキペディア』に、小野友五郎の項があります。
フリー百科事典『ウィキペディア』
→ 小野友五郎 |
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