資料550 「小野崎城址」碑


 

平安時代後期から南北朝にかけて、現在の常陸太田市瑞龍町にあった
小野崎城を記念する碑が、常陸太田市立瑞竜中学校の構内にあります。
その「小野崎城址」碑の碑文を紹介します。
 

 

 

 

       小 野 崎 城 址

 

 小野崎氏は中世の常陸国で佐竹氏の宿老や守護代の重職を勤めた名族で
ある 
はじめ鎮守府将軍藤原秀郷の六世の孫通延が常陸国太田郷に移住し
太田大夫と称した 
その子の通成は佐都郡に移り孫の通盛の時 小野崎の
地に土着して小野崎氏を名乗り城を築いた 
通盛の子通長の時に佐竹氏に
臣従し 代々主家を助け身命を投げ打って多くの合戦に活躍した 
南北朝
の動乱がはじまると小野崎一門は佐竹義篤に属して各地に転戦し 討死す
る者もあった 
佐竹氏はこの動乱に対処するため小野崎通胤を多珂庄に移
した 
通胤は父祖の地を去り友部に築城して移住した その子通春は隣接
の地山尾に築城して移り小野崎惣領家は代々山尾に居住して山城守を称す
ることになった 
小野崎城址は小野崎氏発祥の地であり通盛 通長 通政
 通経 通房 為通 高通 常通 行通 通胤に至る十代約二百年間の血
と汗の地である

 ここに小野崎氏の末裔が相はかり祖先の偉業をしのび 史跡を後世に伝
えるために記念碑を建立するものである
              題字 常  陸  太  田  市  長 武 藤  彬
              撰文 
茨城県文化財保護審議会委員 志 田 諄一
                 
久 慈 郡 大 子 町     野内精一郎 


 

 (注) 1. 上記の「小野崎城址」碑 は、碑面の上部に、左から右に「小野崎城址」と
     大きく題字が書いてあります。

     2. 「小野崎城址」碑の碑文の改行は、碑面の通りにしてあります。
     3.碑文中に「通胤は父祖の地を去り友部に築城して移住した」とある「友部」
     は、現在の日立市十王町友部
(旧・多賀郡十王町友部) のことです。
    4. 昭和60年(1985年)8月26日付の「いはらき」新聞によれば、この「小野
     崎城址」碑は、昭和60年8月25日に建立されたそうです。このことを碑の
     写真とともに報じた記事「小野崎城址
の碑建立 常陸太田 城主の子孫ら協力
     を引用させていただきます。
        常陸太田市瑞竜町の市立瑞竜中校門近くにこのほど、「小野崎城址(し)」の碑が
        建立され、25日関係者の手で除幕式が行われた。
         碑は
黒みかげ石で高さ2.2㍍、幅1㍍、厚さ25㌢。台座を含めると全高約2.7㍍。
        小野崎城主の傍系である愛知県名古屋市東区、椙山女学園大教授、小野崎博通さん
        
(57)が中心になり親族ら182人が費用を出し合い建立した。
         小野崎城は平安時代の久安年間 (1145-1150年)につくられたといわれている
        館
(やかた)で、約二百年間続いたといわれているが、現在は瑞竜中敷地となっており、
        形跡はない。

       なお、碑の裏面には、「昭和六十年八月吉日  小野崎城址碑期成会 建立」
     として、会員182名の名前が刻まれています。(碑の裏面のことは、常陸太田市教
      育委員会文化課の山口憲一様に教えていただきました。記して謝意を表します。)

    5. 『余湖くんのホームページ』に、「常陸太田市 小野崎城・今宮館・八百岐館・
     小野館・大堀(常陸太田市瑞龍町)」のページがあって、参考になります。
       → 
『余湖くんのホームページ』

        → 
「常陸太田市 小野崎城・今宮館・八百岐館・小野館・大堀(常陸太田市瑞龍町)」
      このホーム
ページから、「小野崎城址」碑の写真を転載させていただきます。
          

    6. 『北緯36度付近の中世城郭』というサイトに、「瑞竜城砦群」というページが
     あり、そこに小野崎城についての詳しい解説があります。
          このサイトのことは、上記の『余湖くんのホームページ』様に教えていただき
            ました。 記して謝意を表します。

        
 
『北緯36度付近の中世城郭』
      
  → (トップページの下方の)「関東地方の城」
         →「●常陸太田市の城」の
「瑞竜城砦群(小野崎城、今宮館、小野館、八百岐館)
             → 
「瑞竜城砦群(常陸太田市瑞竜町)
      7.   フリー百科事典『ウイキペディア』に、「小野崎氏」の項があります。
           
フリー百科事典『ウイキペディア』 → 「小野崎氏」 
 
 





               
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