資料489 河野談話(河野内閣官房長官談話)



    まえおき

前大戦中における、いわゆる従軍慰安婦問題については、そこに軍の関与があったのかなかったのか、強制的なものであったのかそうでなかったのか、などについてさまざまな見解があり、そのことで我が国と近隣諸国、特に韓国との間にぎくしゃくとした関係を生み出しています。
この問題が取り上げられる際に必ず持ち出されるのが、平成5年(1993年)8月4日に、宮沢喜一内閣の官房長官だった河野洋平氏によって表明された「河野談話」です。そこで、「河野談話」の内容をしっかり把握するために、ここに談話の内容を掲げることにしました。
この談話については、それを認める立場がある一方で、談話には誤りがあり撤回すべきだという意見まであります。

なお、この河野官房長官談話は、
同じ日に内閣官房内閣外政審議室から発表された文書「いわゆる従軍慰安婦問題について」を受けて表明されたものです。
  → 
内閣官房内閣外政審議室「いわゆる従軍慰安婦問題について」
 
       
       

       

   慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話

                                      平成5年8月4日
   

 

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

 




 

  (注) 1.  上記の「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」の本文は、外務省のホームページに掲載されているものによりました。
 外務省
 → 「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」    
 
    2.  この河野内閣官房長官談話は、上にも記したように、同じ日(平成5年(1993年)8月4日に内閣官房内閣外政審議室から発表された文書「いわゆる従軍慰安婦問題について」を受けて表明されたものです。  
    3.  フリー百科事典『ウィキペディア』に、「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」の項があります。
 フリー百科事典『ウィキペディア』
 →
慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話

 ただし、『ウィキペディア』のこの項については、「この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため偏った観点から記事が構成されているおそれがあります。議論はノートを参照してください。(2007年2月)」という注記がありますので、注意してください。     
 
         






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