(注) | 1. |
上記の李密「陳情表」(陳情の表)の本文は、新釈漢文大系82『文選(文章篇)上』(原田種成著。明治書院、平成6年7月15日初版発行)によりました。
「陳情表」は、『文選』巻三十七 表類にあります。 |
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2. |
新釈漢文大系の「陳情表」の作者の解説に、 「李密(223~289?)一名を虔(けん)といい、字は令伯、晉の犍為(けんい)郡武陽(四川)の人。魏の文帝の黄初4年に生まれ、晉の武帝の末年頃に77歳前後で没した。父を早く喪い、母の何氏が再嫁したために祖母劉氏に撫養された。密もまたよく祖母に事え、孝を以て聞こえた。劉氏が病気の時には、密は涕泣側息して衣を解かずに看病し、飲膳湯薬は必ず先に嘗めてから祖母に供えすすめたという。譙周(しょうしゅう)に師事し高足を以て称せられ、蜀に仕えて郎となった。蜀が亡んだのち、晉の武帝は詔して密を太子洗馬に徴したが、老病の祖母を奉養する者がいないことから固く辞退した。有名な「陳情表」はこの時に奉ったものである。帝はこの疏を覧て感動し、密を召すことを中止するとともに奴婢二人を賞賜し、郡県の吏に命じて劉氏に衣食を供せしめた。祖母が寿を以て終わり、その喪の後、密は徴に応じて太子洗馬となり、温州の令、漢中の太守と累遷したが、懐怨の詩を賦したということで官を免ぜられ、家に卒した。『晉書』巻八十八「孝友伝」に伝がある。」 とあります。(同書、289~290頁) また、同書の「題意」には、 「諸葛亮の「前出師表」、韓愈の「祭十二郎文」とともに、この表は世に「三絶文」と称されたもので、「(李)令伯の陳情表を読んで涙を墜(おと)さざる者は、其の人必ず不孝な らん」とさえ言われた孝慈の書である。」 とあります。(同書、290頁) 資料117に諸葛孔明「出師表」(前出師表)があります。 資料113に韓愈「祭十二郎文」があります。 |
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3. | 新釈漢文大系本には、題意・返り点及び句読点つきの本文・書き下し文・通釈・語釈がありますが、ここでは、返り点・句読点を省いた本文(白文)だけを載せました。なお、改行は新釈漢文大系本に拠っています。 | ||||||||||||
4. |
国立国会図書館デジタルコレクションの『漢籍国字解全書』第27巻に、『続文章軌範』の「陳情表」が出ています。 国立国会図書館デジタルコレクション →『先哲遺著追補 漢籍国字解全書』第27巻 『続文章軌範』の「陳情表」(231~234/264) |
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5. |
フリー百科事典『ウィキペディア』に、「李密(蜀)」の項があります。 フリー百科事典『ウィキペディア』 → 李密(蜀) |
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6. | 上記の『文選』の本文と他の『続文章軌範』『古文真宝』の本文との異同を次に示しておきます。(本文はいずれも新釈漢文大系本の『文選(文章篇)上』『古文真宝(後集)』『続文章軌範 下』に拠りました。) | ||||||||||||
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