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2012年6月20~23日、ブラジルのリオデジャネイロで、「国連持続可能な開発会議」(リオ+20)が開かれました。
この会議は、次の世代が住みやすい世界を残すために、世界中から各国の代表や民間の人々が集まり、環境や貧困、災害など多くのテーマについて話し合ったものです。
この会議で、ウルグアイのムヒカ大統領が次のようなスピーチを行い、人々に大きな感動を与えました。このスピーチを日本語訳で紹介します。 |
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「国連持続可能な開発会議」における
ウルグアイ、ムヒカ大統領のスピーチ
ご列席の世界各国および各機関の代表の皆さま、ありがとうございます。ブラジルの国民の皆様およびディルマ・ルセフ大統領閣下に感謝申し上げます。そして私に先立って誠意をもって演説された方々に感謝いたします。
私たちは政府の代表として、私たちすべての人類が賛同できるすべての合意に従おうとする、衷心からの決意を表明しているのです。
しかしながら、ここに声を大にして質問することをお許し下さい。今日の午後からずっと、多くの人々をその貧困から救い出そうという、この「持続可能な発展」のことが話されてきました。
我々の頭の中にちらついているものは、何でしょうか。
現在の豊かな社会、すなわち発展と消費の形でしょうか。私はここに質問をしたい、もし今ドイツ人の各家庭が持っているのと同じ数の自動車をすべてのインド人の家庭が持つようになったら、この地球はどうなるでしょうか。私たちが呼吸できる酸素は、どれほど残るのでしょうか。
もっとはっきり言えば、今最も富裕な西洋社会が享受しているのと同程度の消費・浪費の生活を、世界の70億、80億の人々に可能ならしめるに十分な資源が、今日この世界にあるというのでしょうか。
そんなことが可能でしょうか。あるいは別の機会に、別の議論をしなければならないのでしょうか。この市場経済、競争社会から生まれたものが、現在の文明なのです。そして、それは我々自身がしたことなのです。その文明が驚異的、爆発的な物質的発展をもたらしたのです。この市場経済が市場社会を生み、さらに地球全体に常に目を配らなければならないというグローバリゼーションを作り上げたのです。
私たちは、このグローバリゼーションをコントロールできているのでしょうか。あるいは、このグローバリゼーションにコントロールされているのでしょうか。
連帯を口にすることは可能でしょうか。すなわち、この非情な競争に基礎をおく経済の中で「共生している」と言えるでしょうか。
私たちの共生は、どこまで進んでいるのでしょうか。
私は、このイベントの重要性を否定するつもりは少しもありません。それとは逆です。私たちが今取り組もうとしているこの挑戦は、とてつもなく大きな性質のものです。そして今のこの大きな危機は、環境問題ではなく、政治問題なのです。
今日私たち人類は、この解き放たれた勢力を支配しているのではなく、反対に私たち人類が支配されているのです。そして、私たちの生活までもが。
一般的に言って、私たちはこの地球にただ発展を求めて生まれてきたのではありません。私たちは、幸福になるために生まれてきたのです。人生は短いし、すぐに過ぎ去ってしまいます。そして、人生ほど貴重なものはなく、これこそ基本的なものです。しかし、少しばかり余分にお金を使うために働きつづけているうちに、人生は過ぎてしまうのです。そしてその原動力となっているのが、消費社会なのです。なぜなら間違いなく、消費が滞れば経済はストップし、そして経済が止まれば、私たちすべてに不況というお化けが現れてくるのです。
このスーパー消費こそが、今この地球を襲っているのです。そして人々は、このスーパー消費を生みだすことが避けられないのです。そこでは、物は短期間しかもちません。なぜなら、できるだけ多くを売らなければならないからです。たとえば、電球は1000時間以上もってはいけないのです。10万時間もつ電球はあるのです。しかし、そんなものを作ってはいけないのです。問題は市場です。私たちは働かなければなりません。そして、「使い捨て」の文明を維持して行かなければならないのです。このようにして、悪循環が始まるのです。
これは、私たちに突き付けられている政治的性質の問題なのです。そして今が、別の文明を求めて戦いを始める時なのです。
だからと言って、穴居生活時代に戻れとか、「後退という記念碑」を建てようとか言っているのではありません。この市場なるものに支配されつづけることは、絶対にしてはいけないのです。そうではなく、この市場を私たちが支配しなければならないのです。
そこで私は、私の乏しい考えですが、私たちの抱えている問題は政治的なものだと言いたいのです。昔の思想家たち──エピクロス、セネカ、そしてアイマラ族も、「貧しい人とは、少ししか持っていない人のことではなく、際限なく欲しがる人、いくらあっても満足しない人のことだ」と言っています。これこそ、文化を決めるキー(鍵)なのです。
そこで私は、ここでなされる合意およびその努力に敬意を表したいと思います。そして、国の代表としてそれに従うつもりです。私が今述べていることは、耳触りなこともあることを承知しています。しかし私たちは、水資源の危機、環境が脅かされている危機が、環境危機問題の原因ではないことに気づかなければならないのです。
原因は、私たちが造り出した文明の形なのです。そして、私たちが見直さなければならないのは、私たちの生活様式なのです。
私の国は、天然資源に恵まれた小さな国です。わが国の人口は300万少々です。しかし、世界でも最も優良な牛が、およそ1300万頭、そして約800万から1000万頭の素晴らしい羊がいます。わが国は食糧、乳製品、肉類の輸出国です。わが国は準平原で、その90%が利用可能です。
わが国の労働者仲間は、8時間労働を勝ち取りました、そして今や、6時間労働をも獲得しつつあります。しかし、6時間労働の人でも、もう一つの仕事をしていて、前よりも長時間働いているのです。なぜでしょうか。それは、多くのローンを払わなければならないからです。バイク、車のローンを払い続けているのです。そして気がついた時には、私のようにリューマチに罹った老いぼれになっているのです。彼の人生は終わりに近づいているのです。
そして、人は自問するのです、これが人生の運命なのか、と。
私の言っていることは、最も根本的なことです。発展は、幸福と対立するものであってはいけないのです。人間の幸福、地上の愛、人間関係、子孫の養護、友人を持つこと、基本的必需品を持つことに、寄与するものでなければならないのです。
まさに幸福こそが、私たちが持っている最も大切な宝なのです。私たちが環境のために戦う時には、最も大切な環境の要素は、人間の幸福と呼ぶものであることを忘れてはならないのです。
ありがとうございました。
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