(注) | 1. |
上記の『荀子』巻第一 勸學篇第一の本文は、新釈漢文大系5『荀子 上』(藤井専英著、明治書院・昭和41年10月5日初版発行、昭和46年8月30日8版発行)に拠り、その冒頭部分を掲載しました。 ただし、新釈漢文大系本の本文に施してある返り点は、これを省略しました。 また、書き下し文は、引用者が漢字を常用漢字の字体に改め、一部の漢字を仮名にし、引用符を付け加えるなど、手を加えてあることをお断りしておきます。 |
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2. |
本文の「靑取之於藍」については、藤井氏の語釈に、「宋蜀本・元刻本に「取」字を「出」字に作っている。古く異本があったらしい。久保愛の増注は後人が私かに改めたものであろうという」とあります。 ただ、「取」を「出」にしただけでは、「靑出之於藍」となって、意味が取れなくなってしまうのではないかと思われますが、どうなのでしょうか。(「靑出於藍」となっているのなら、話は分かりますが。) 『荀子増注』の注は、 [増] 已。止也、取舊作レ出。今據二宋本韓本羣書治要大戴禮困學紀聞所一レ引改レ之。蓋後人私改レ之無レ所レ據者也。 となっています。 (この注は、早稲田大学の『古典籍総合データベース』に収められている『荀子増注』によりました。) 久保愛は、号、筑水。宝暦9年(1759)~天保6年(1835)。『荀子増注』(文政3年(1820)序、同8年刊)を著しました。 |
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3. |
書き下し文の「君子曰く」の君子の言葉がどこまでであるかについては、幾つかの解釈があるそうです。ここでは、藤井専英氏の本に従ってあります。 また、「參省」について、藤井氏は、「「参」を「三」と同意に見れば「参省」は、しばしばかえりみる意となる。諸子平議は、参は参験の意で、荀子の原文は「君子博学而日参己」となっていたのではなかろうかという。今ここの「参省」は、参験省察の意味にとる」と言っておられます。(「参験」=参検。あれこれ比べ合わせて、調べ考える。) |
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4. | なお、新釈漢文大系の『荀子 上』には、本文・書き下し文の他、通釈・語釈・余説がありますので、詳しくは本書を参照してください(15~19頁)。 | ||||
5. | 『荀子』の本文と「出藍」「出藍の誉れ」という言葉との関係について 「出藍」「出藍の誉れ」という言葉は、『荀子』の冒頭の「青取之於藍而青於藍」から出たと言われていますが、本来の『荀子』の本文は「青取之於藍」であって、「青出於藍」とはなっていません。ただ、「青出之藍」となっている元刻本があった、という王念孫の説があって(王念孫『読書雑志』。なお、王念孫は唐代の『芸文類聚』や宋代の『太平御覧』等の類書に採録される引用文も「青出於藍」となっていることから、『荀子』の原文は本来「青出於藍」となっていたのだと主張している由です)、「出藍」「出藍の誉れ」という言葉の典拠をこの元刻本とする本が多く見られます。しかし、元刻本よりも前に「出藍」という言葉は使われていたようで、元刻本から出たとすることは必ずしも正確ではないようです。 この『荀子』の冒頭の言葉と「出藍」という言葉との関係については、湯浅邦弘氏に「類書と成語(三)─類書の変容と「出藍」の成立─」(「島根大学教育学部紀要(人文・社会科学)」28巻、1994年12月25日発行)という論文があって、詳しい考察が見られますので、ぜひご覧ください。上に引いた王念孫の説も、湯浅氏の論文に拠りました。 島根大学学術情報リポジトリ― → 湯浅邦弘「類書と成語(三)─類書の変容と「出藍」の成立─」(内容記述) (この本文を読むには、「公開日:2001-10-08 3.59MB」の上にある画像をクリックして、「保存」してから読むことになります。) 「青取之於藍而青於藍」の意味 『荀子』冒頭の勧学篇に出ている「青取之於藍而青於藍」は、人間の本性は学問・教育によってはじめて優れたものとなる、という意味の譬えとして用いられているものであって、水と冰の例と同じく、「学は以て已むべからず」(学問は途中でやめてはならない)を言うための比喩というわけです。したがって、ここには、弟子が師よりも優れること、という意味(「出藍」「出藍の誉れ」という意味)は全くないわけです。 |
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6. | 次に、注9に挙げた注釈書を参考に、
『荀子』冒頭部分の現代語訳をしておきます。(お気づきの点を教えていただければ幸いです。) 『荀子』冒頭部分の現代語訳 君子は言う、「学問は途中でやめてはならない。青い色は藍という草から取り出すのであるが、しかも原料の藍よりも青い色をしており、氷は水からできるのであるが、水よりも冷たい」と。墨縄に当てて引いた直線のようなまっすぐな木でも、外部から力を加えて曲げて輪にすると、その丸い曲線は、コンパスで描いた曲線とも一致するようになる。その木が乾ききってしまってからは、決してもとのまっすぐな形に戻らないのは、曲げるという外部からの力が木をそのように変化させたのである。だから、木は墨縄を使って引いた直線に合わせられればまっすぐな木材に作り上げられ、金物は砥石で磨きあげれば鋭利な刃物になり、同じように、優れた人になろうと努力する人士(君子を目標に努力する人)は、博く学んで該博な知識を身につけ、日に何度も自分を反省するなら、物事をはっきり見極める智慧もついてくるし、行為にも過ちがなくなるであろう。 だから、高い山に登らなければ、天は高いものだということが分からないし、深い谷の中に下りて行ってみなければ、大地は厚みのあるものだということが分からない。同じように、人間も、上代のすぐれた先王の残した言葉を聞かなければ、学問が偉大なものであることが分からないのである。 干・越・夷・貉という全く異なった異民族国家の人々の赤ん坊が、生まれた時には(我々の子どもたちと)同じ産声を上げて泣くのであるが、成長すると風俗習慣が違ったものになるのは、教育というものが彼等をそのように変えるのである。 『詩経』に、「ああ、汝ら大志を抱く人たち(君子を目標に努力する人)よ、目先の安逸に常に耽っていてはならない。心静かに汝の現在の地位・状態を慎み、正しくまっすぐな道を愛好し、それによって汝の大いなる福を享ける助けとせよ」とある。心を精微にすることは、道に同化することが最も究極の姿であり、人生の幸福は、禍のないことが最も優れたことである。 (※注: ここでは「参省」を「三省」とみて訳してあります。) |
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7. |
〇荀子(じゅんし)=(1)中国、戦国時代の思想家。名は況(きょう)。荀卿また孫卿と尊称。趙の人。50歳にして初めて斉に遊学し、襄王に仕え祭酒となる。讒(ざん)に遭って楚に移り春申君により蘭陵の令となったが、春申君の没後、任地に隠棲。(前298?~前238以後) 〇荀子(じゅんし)=(2)荀子(1)の編著書。20巻32編。性悪説を唱え、礼を以て秩序を正すべしと説く。 〇青は藍より出でて藍より青し=[荀子 勧学](青色の染料は藍の葉から取るが、もとの色よりも美しくなることから。荀子では、学問・努力によって天性以上の人になるというたとえに使う)弟子が先生よりすぐれることにいう。出藍(しゅつらん)の誉(ほま)れ。対句に「氷は水より出でて水よりも青し」がある。 (以上は、『広辞苑』第6版による。) 〇荀子(じゅんし)=(1)(前298-前238頃)中国、戦国時代、趙(ちょう)の思想家。名は況。荀卿(けい)・孫卿とも尊称される。斉の襄(じょう)王や楚(そ)の春申君に仕えた。孟子(もうし)の性善説に対して性悪説を唱え、またそれまでの諸子の学を大成し、儒学を倫理学から政治学へ発展させた。 (2)中国、戦国時代の思想書。20巻。荀子著。成立時代未詳。礼・義を外在的な規定とし、それによる人間規制を重く見て性悪説を唱えた。のち、韓非(かんぴ)などに受け継がれ、法家思想を生む。(以上は、『大辞林』第2版による。) |
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8. |
参考にした『荀子』の参考書を挙げておきます。 〇新釈漢文大系5『荀子 上』(藤井専英著、明治書院・昭和41年10月5日初版発行、昭和46年8月30日8版発行) 〇鑑賞中国の古典 第5巻『荀子・韓非子』(片倉望・西川靖二著、角川書店・昭和63年6月30日初版発行) |
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9. | 荀子の性悪説については、資料277
荀子の「性悪説」をご覧ください。 → 資料277 荀子の「性悪説」 |