資料277 荀子の「性悪説」 



        荀子の性惡説  『荀子』より

   人之性惡其善者僞也
人之性惡其善者僞也今人之性生而有好利焉順是故爭奪生而辭讓亡焉生而有疾惡焉順是故殘賊生而忠信亡焉生而有耳目之欲有好聲色焉順是故淫亂生而禮義文理亡焉然則從人之性順人之情必出於爭奪合於犯分亂理而歸於暴故必將有師法之化禮義之道然後出於辭讓合於文理而歸於治用此觀之然則人之性惡明矣其善者僞也故枸木必將待檃括烝矯然後直鈍金必將待礱厲然後利今人之性惡必將待師法然後正得禮義然後治今人無師法則偏險而不正無禮義則悖亂而不治古者聖王以人之性惡以爲偏險而不正悖亂而不治是以爲之起禮義制法度以矯飾人之性情而正之以擾化人之性情而導之也使皆出於治合於道者也今之人化師法積文學道禮義者爲君子縱性情安恣睢而違禮義者爲小人用此觀之然則人之性惡明矣其善者僞也孟子曰人之學者其性善曰是不然是不及知人之性而不察人之性僞之分者也凡性者天之就也不可學不可事禮義者聖人之所生也人之所學而能所事而成者也不可學不可事而在人者謂之性可學而能可事而成之在人者謂之僞是性僞之分也今人之性目可以見耳可以聽夫可以見之明不離目可以聽之聰不離耳目明而耳聰不可學明矣孟子曰今人之性善將皆失喪其性故也曰若是則過矣今人之性生而離其朴離其資必失而喪之用此觀之然則人之性惡明矣所謂性善者不離其朴而美之不離其資而利之也使夫資朴之於美心意之於善若夫可以見之明不離目可以聽之聰不離耳故曰目明而耳聰也今人之性飢而欲飽寒而欲煖勞而欲休此人之性情也今人飢見長而不敢先食者將有所讓也勞而不敢求息者將有所代也夫子之讓乎父弟之讓乎兄子之代乎父弟之代乎兄此二行者皆反於性而悖於情也然而孝子之道禮義之文理也故順情性則不辭讓矣辭讓則悖於情性矣用此觀之然則人之性惡明矣其善者僞也
              (巻第十七 性惡篇第二十三)


  (注) 1.   上記の「人之性惡其善者僞也」(『荀子』巻第十七 性惡篇第二十三)の本文は、新釈漢文大系6『荀子 下』(藤井専英著、明治書院・昭和44年6月30日初版発行、昭和44年10月15日2版発行)に拠り、その冒頭部分を掲載しました。             
    2.   ただし、新釈漢文大系本の本文に施してある訓点・句読点・改行等は、これを省略しました。    
    3.  本文中「是不及知人之性而不察人之性僞之分者也」のところは、原文が「……不察人人之性僞之分者也」となっているのを、「「人」は一字衍」という語釈の注に従って省いてあります。(或いは上の「人」字を「乎」か「於」に変える、と語釈にあります。)             
    4.  新釈漢文大系本の藤井専英氏の語釈から、いくつかを引かせていただきます。
 〇僞……爲に通じ、音ヰ。人為の意。(引用者注:「僞」の読みは、そのまま「ギ」と読む本が多いようです。)
  〇檃括……括は「栝」に通ずる。ともに物の曲がりを正しく直す器具。ためぎ。
 〇文學……学問の意。
 〇孟子……孟子と荀子とでは性、善、悪など、ことばの定義、したがって概念内容が全然異なることに注意。下の孟子曰の一節、殊に「今人之性、生而離其朴云々」は甚だ難解である。
 なお、詳しくは同書の訓読・通釈・語釈・余説を参照してください(687~693頁)。
   
    5.   〇性悪説(せいあくせつ)=荀子じゅんしの性説。人間は欲望を持つためその本性は悪であるとして、礼法による秩序維持を重んじた。孟子の性善説に対立。(『広辞苑』第6版による。)
 〇性悪説(せいあくせつ)=人間の本性を利己的欲望とみて、善の行為は後天的習得によってのみ可能とする説。孟子の性善説に対立して荀子が首唱。(『大辞林』第2版による。)     
   
    6.  〇荀子(じゅんし)=(1)中国、戦国時代の思想家。名は況きょう。荀卿また孫卿と尊称。趙の人。50歳にして初めて斉に遊学し、襄王に仕え祭酒となる。讒ざんに遭って楚に移り春申君により蘭陵の令となったが、春申君の没後、任地に隠棲。(前298?~前238以後)  
 〇荀子(じゅんし)=(2)荀子(1)の編著書。20巻32編。性悪説を唱え、礼を以て秩序を正すべしと説く。 (以上は、『広辞苑』第6版による。)
 〇荀子(じゅんし)=(1)(前298-前238頃)中国、戦国時代、趙(ちょう)の思想家。名は況。荀卿(けい)・孫卿とも尊称される。斉の襄(じょう)王や楚(そ)の春申君に仕えた。孟子(もうし)の性善説に対して性悪説を唱え、またそれまでの諸子の学を大成し、儒学を倫理学から政治学へ発展させた。(2)中国、戦国時代の思想書。20巻。荀子著。成立時代未詳。礼・義を外在的な規定とし、それによる人間規制を重く見て性悪説を唱えた。のち、韓非(かんぴ)などに受け継がれ、法家思想を生む。(以上は、『大辞林』第2版による。)
   
    7.  ここで、小林信明著『漢文研究法』(洛陽社、昭和32年4月10日初版発行)から、荀子の性悪説についての解説の一部を引用させていただきます。 
 普通、儒家の教えの始祖といえば孔子、その後継者といえば孟子と言われるように、孟子は儒家の正統として古くから認められてきた人物で、唐宋の頃には、孔子─曾子─子思─孟子という学問上の系図まで考えられるようになった。世に、論語・大学・中庸・孟子を併せて四書と称するのも、その関連からするものである。(論語=孔子・大学=曾子・中庸=子思・孟子=孟子)
 このような孟子の地位とは打って変わって、荀子の儒家における扱われ方は、悪くすると、異端の徒にさえも数えられ兼ねない勢いを示している。けれども、荀子はやはり儒家に相違ないのであって、それも極めて重要な地位に立つものである。宋の程子は、荀子を評して、「大醇にして小疵」と言ったが、その通りである。 
 それでは、荀子が時に異端視され時に小疵と指摘されるのは何故であるかというに、先ず第一は、疑いもなくその性悪説の主張による。荀子によれば、多くの人は、打っちゃっておけば悪いことをする。この事実を見ながら、人の性は善であるなどと言っても通らないというのである。このような見方は極めて現実的なものであって、これを孟子の性善説に比べると確かに異色な主張である。けれども、荀子の性悪の理論には、もう一つ注意しなければならぬ点がある。というのは、孟子は人の性は善であるから善を行えというのであるが、荀子は、人の性は悪であるから悪を行えなどというのではない。 むしろ、人の性は悪であるから、 一層、 人は善につとめなければならないというのである。 荀子が立派な儒家だというのも、 このためである。          
 荀子の学説は、この性悪の理論に基づいて、悪なる性の人間に善を行わせる途を講ずるところに展開する。即ち、悪なる性の人間に善を行わせるには、社会秩序としての礼を立てるより外はない。礼の生命はその中庸性にある。故に、人はこの中庸を得た礼を守って、人間社会を安穏ならしめるために全力を挙げてつくさなければならない、というのが大要である。(以下略)(同書、221~222頁)     
   
    8.  資料495に「青取之於藍而青於藍」(『荀子』より)があります。    
           






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