資料490 『北越雪譜』(初編巻之上)  



      
鈴木牧之の『北越雪譜』から、初編巻之上だけを収録しました。
      江戸時代に出された版本は、ネット上で画像で見ることができ
      ますので、ご覧ください(注の10~15参照。ただし、中には明
      治期に発行された版本もあります。)
      

 

          北 越 雪 譜 
 

       

北越雪譜叙

世之農商而嗜文雅者、或不知所以文雅為文雅、徒企羨韻士墨客之風標、沈酣文酒、流連花月、而置生計於不問、以傾産業者、間亦有之、是豈嗜文雅罪哉、其人特自取之耳矣、鈴木牧之翁者北越塩沢之老農也、性嗜文雅、而能尚節倹抑驕惰、不絶誦読於経営之中、而務鉛槧於会計之余、以交遠近之墨客、嘗以堪忍之二字銘自守、以故其名久布遠邑、而生業亦因以致豊饒矣、嗚呼若翁者不徇文雅之名而能務其実者、非耶、余於翁得一面識於江戸、而後特以書訂交者有年于此、今茲乙未、遠寄示其所著北越雪譜者六巻、併嘱以校訂、時方盛夏炎威如燬、乃就北囱下試繙而閲之、則越雪恍如耳聞騒屑之声、目見紛霏之影、使人頓忘甑中之苦、読到積畳埋屋行旅不通人以窮乏柴米或不給、則澶然寒顫肌膚為之粟生矣、余因以謂、紈袴軽薄子弟、当微雪俄下紛々舞空之際、彫鞍宝勒飛玉塵於郊坰或氈帽棕鞋蹈瓊瑤於街衢或画舸載妓或高楼呼酒直以為勝遊楽事、曾不知飢寒為何物、若令其人読此書、依以想其種々凍餒之苦状乎、然則安知不有能省悟非宴安之公共、而戚々焉生戒懼之心者哉、寧梓而行之其有裨益世教盖非鮮小也、間者稍得秋涼、聊削其駁雑、校訂方畢者三巻、書賈文渓堂見而喜之謀梓行之、余寄簡以告翁、々曰
中閉戸漫筆、豈敢欲梓耶、於是乎、不復俟請之於翁挙以付之、翁之嗜文雅而能務其実、此必笑頷之而已、翁之稿本国字之間漢字者、嘗不添音訓之仮名、余今尽添之以便童蒙、云爾天保六年乙未秋園菊開日        
    
                      江戸   
京山人百樹 ㊞ ㊞

 

此書の稿本図は別冊とし、或は其説に大図を描して添たるもあり、皆牧之翁が自筆の草画也。此挙梓行の為にせざれば図に洪繊重復あり、今梓に臨て其図の過半を省き、目を新にするものを存して巻中に夾刺するは単冊に尽し難を以て也。剘は是刪定の意に係る所也。余嘗て原図を閲するに、雪中の諸状混錯を走墨に失して通暁し難きもの靴中の瘡痒これを何如せん、唯翁が草図に傚ひて真に描せる而已。或原図の梓に入るものは則これを加ふ、或は説有て図無きもの其説に拠て其図を作りしもあり。盖余未だ越地を踏ず、越雪の真景に於て茫然たり、故に雪図に於て違漏あるも知るべからず、其誤を編者に駆ること勿れ。

 

                               京山男少年

                    乙未秋      京水百鶴 ㊞


越雪譜(挿絵1-2)北越雪譜(挿絵1-1)


    北越雪譜初編 全上中下 巻之上目録
       並べる順序は、版本では上から下へ、次の行に移って上から下へ、……と並べてありますが、
                ここでは次のように、左側の列から右の列へと移る形にしてあります。
                                    

           (例) 

 

 

 8

 

 9

 

10

 

11

 

 

 

 

 

 

地気(ちき)雪と成る弁 

雪蟄(ゆきこもり)

 

雪の形状(かたち) 

胎内潜(たいないくゞり)  

 

雪の深浅 

雪中の洪水

 

雪意(ゆきもよひ)

熊捕(くまとり) 白熊

 

雪の用意

熊人を助(たすく)

 

初雪

雪中の虫

 

雪の堆量(たかさ)

雪吹(ふゞき)

 

雪竿

雪中の火

 

雪を払ふ 

破目山(われめきやま)

 

沫雪(あわゆき)

雪頽(なだれ)

 

雪道

 

 

      ○通計二十一条

 


*注: 巻頭にある目録は、本文中の題とは表現の異なる個所があります。



北越雪譜初編
 巻之上
                   越後塩沢   
鈴 木 牧 之 編撰
                   江  戸   
京山人 百樹 
刪定  

    ○ 
地気(ちき)雪と成る弁(べん)
 凡
(およそ)天より形を為(な)して下(くだ)す物○雨○雪○霰(あられ)○霙(みぞれ)○雹(ひよう)なり。露は地気の粒珠(りふしゆ)する所、霜は地気の凝結する所、冷気(れいき)の強弱(つよきよわき)によりて其(その)形を異(こと)にするのみ。地気天に上騰(のぼり)形を為(なし)て雨○雪○霰○霙○雹となれども、温気(あたゝかなるき)をうくれば水となる。水は地の全体なれば元の地に皈(かへる)なり。地中深ければかならず温気(あたゝかなるき)あり、地温(あたゝか)なるを得て気を吐(はき)、天に向(むかひ)て上騰(のぼる)事人の気息(いき)のごとく、昼夜(ちうや)片時(かたとき)も絶(たゆ)る事なし。天も又気を吐(はき)て地に下(くだ)す、是(これ)天地の呼吸(こきふ)なり。人の呼(でるいき)と吸(ひくいき)とのごとし。天地呼吸(こきふ)して万物(ばんぶつ)を生育(そだつる)也。天地の呼吸常(つね)を失ふ時は暑寒(あつささむさ)時に応ぜず、大風大雨其余(そのよ)さまざまの天変あるは天地の病(やめ)る也。天に九ツの段あり、これを九天(きうてん)といふ。九段(くだん)の内最(もつとも)地に近き所を太陰天(たいいんてん)といふ。地を去る事高さ四十八万二千五百里といふ 太陰天と地との間に三ツの際(へだて)あり、天に近(ちかき)を熱際(ねつさい)といひ、中を冷際(れいさい)といひ、地に近(ちかき)を温際(をんさい)といふ。地気は冷際(れいさい)を限りとして熱際(ねつさい)に至らず、冷温(れいをん)の二段は地を去る事甚だ遠からず。富士山は温際を越(こえ)て冷際にちかきゆゑ、絶頂(ぜつてう)は温気(あたゝかなるき)通ぜざるゆゑ艸木(くさき)を生ぜず。夏も寒く雷鳴(かみなり)暴雨(ゆふだち)を温際(をんさい)の下に見る。雷と夕立はをんさいのからくり也 雲は地中の温気(をんき)より生ずる物ゆゑに其起(おこ)る形は湯気(ゆげ)のごとし、水を沸(わかし)て湯気の起(たつ)と同じ事也。雲温(あたゝか)なる気を以て天に升(のぼ)り、かの冷際(れいさい)にいたれば温(あたゝか)なる気消(きえ)て雨となる、湯気の冷(ひえ)て露となるが如し。冷際にいたらざれば雲散じて雨をなさず さて雨露(あめつゆ)の粒珠(つぶだつ)は天地の気中に在(あ)るを以て也。艸木の実の円(まろき)をうしなはざるも気中に生(しやう)ずるゆゑ也。雲冷際(れいさい)にいたりて雨とならんとする時、天寒(てんかん)甚しき時は雨氷(あめこほり)の粒となりて降(ふ)り下(くだ)る。天寒の強(つよき)と弱(よわき)とによりて粒珠(つぶ)の大小を為(な)す、是(これ)を霰(あられ)とし霙(みぞれ)とす。雹は夏ありその弁(べん)こゝにりやくす 地の寒(かん)強き時は地気(ちき)形をなさずして天に升(のぼ)る微温湯気(ぬるきゆげ)のごとし。天の曇(くもる)は是也。地気上騰(のぼる)こと多ければ天灰色(ねずみいろ)をなして雪ならんとす。曇(くもり)たる雲(くも)冷際(れいさい)に到り先(まづ)雨となる。此時冷際の寒気雨を氷(こほら)すべき力(ちから)たらざるゆゑ花粉を為(な)して下(くだ)す、是(これ)雪也。地寒(ちかん)のよわきとつよきとによりて氷の厚(あつき)と薄(うすき)との如し。天に温冷熱(をんれいねつ)の三際(さい)あるは、人の肌(はだへ)は温(あたゝか)に肉は冷(ひやゝ)か臓腑(ざうふ)は熱すると同じ道理也。気中(きちゆう)万物の生育(せいいく)(ことごと)く天地の気格(きかく)に髄(したが)ふゆゑ也。是(これ)余が発明にあらず諸書に散見したる古人の説(せつ)也。
    ○ 
雪 の 形
 凡
(およそ)物を視(み)るに眼力(がんりき)の限りありて其外(そのほか)を視るべからず。されば人の肉眼を以雪をみれば一片(ひとひら)の鵞毛のごとくなれども、数(す)十百片の雪花(ゆき)を併合(よせあはせ)て一片(へん)の鵞毛を為(なす)也。是を験微鏡(むしめがね)に照(てら)し視れば、天造(てんざう)の細工したる雪の形状(かたち)奇々妙々なる事下に図するが如し。其(その)形の斉(ひとし)からざるは、かの冷際(れいさい)に於て雪となる時冷際の気運ひとしからざるゆゑ、雪の形(かたち)気に応じて同じからざる也。しかれども肉眼のおよばざる至微物(こまかきもの)ゆゑ、昨日の雪も今日の雪も一望の白模糊(はくもこ)を為(なす)のみ。下の図は天保三年許鹿君(きよろくくん)の高撰雪花図説(かうせんせつくわづせつ)に在る所、雪花(せつくわ)五十五品(ひん)の内を謄写(すきうつし)にす。雪六出(りくしゆつ)を為(なす)。 御説(せつ)に曰(いはく)「凡(およそ)物方体(はうたい)四角なるをいふ (かならず)八を以て一を囲(かこ)み円体(ゑんたい)丸をいふ 六を以て一を囲(かこ)む定理(ぢやうり)中の定数(ぢやうすう)(しふ)べからず」云々。雪を六(むつ)の花といふ事 御説を以しるべし。(ぐ)(あんずる)に円(まろき)は天の正象(しやう)、方(かく)は地の実位(じつゐ)也。天地の気中に活動(はたらき)する万物悉(ことごと)く方円(はうゑん)の形を失はず、その一を以いふべし、人の体(からだ)(かく)にして方(かく)ならず、円(まろ)くして円からず。是天地方円(はうゑん)の間(あひだ)に生育(そだつ)ゆゑに、天地の象(かたち)をはなれざる事子の親に似るに相同じ。雪の六出(りくしゆつ)する所以(ゆゑん)は、物の員(かず)長数(ちやうすう)は陰(いん)半数(はんすう)は陽(やう)也。人の体(からだ)男は陽(やう)なるゆゑ九出(きうしゆつ)●頭●両耳●鼻●両手●両足●男根 女は十出(しゆつ)す。 男根なく両乳あり 九は半の陽(やう)十は長の陰(いん)也。しかれども陰陽和合して人を為(なす)ゆゑ、男に無用の両乳ありて女の陰にかたどり、女に不用の陰舌(いんぜつ)ありて男にかたどる。気中に活動(はたらく)万物此理(り)に漏(もる)る事なし。雪は活物(いきたるもの)にあらざれども変ずる所に活動(はたらき)の気あるゆゑに、六出(りくしゆつ)したる形の陰中(いんちゆう)或は陽(やう)に象(かたど)る円形(まろきかたち)を具したるもあり。水は極陰(ごくいん)の物なれども一滴(ひとしづく)おとす時はかならず円形(ゑんけい)をなす。落(おつ)るところに活(はたら)く萌(きざし)あるゆゑに陰にして陽の円(まろき)をうしなはざる也。天地気中の機関(からくり)定理(ぢやうり)定格(ぢやうかく)ある事奇々妙々(きゝめうめう)愚筆(ぐひつ)に尽(つく)しがたし。

北越雪譜(挿絵2-2)北越雪譜(挿絵2-1)


    ○ 
雪 の 深 浅
左伝に
隱公八年 平地尺(しやく)に盈(みつる)を大雪と為(す)と見えたるは其国(そのくに)暖地なれば也。唐の韓愈が雪を豊年の嘉瑞(かずゐ)といひしも暖国の論也。されど唐土(もろこし)にも寒国は八月雪降(ふる)事五雑組(ござつそ)に見えたり。暖国の雪一尺以下ならば山川(さんせん)村里(そんり)立地(たちどころ)に銀世界をなし、雪の飄々(へうへう
翩々(へんへん)たるを観て花に諭(たと)へ玉に比べ、勝望(しやうばう)美景(びけい)を愛し、酒食(しゆしよく)音律(おんりつ)の楽(たのしみ)を添へ、画に写し詞(ことば)につらねて称翫(しようくわん)するは和漢(わかん)古今の通例なれども、是(これ)雪の浅き国の楽(たのし)み也。我(わが)越後のごとく年毎に幾丈(いくぢやう)の雪を視(み)ば何の楽(たのし)き事かあらん。雪の為に力(ちから)を尽(つく)し財(ざい)を費(つひや)し千辛(しん)万苦(く)する事、下(しも)に説く所を視ておもひはかるべし。
    ○ 
雪  意(ゆきもよひ)
 
我国の雪意(ゆきもよひ)は暖国に均しからず。およそ九月の半(なかば)より霜を置(おき)て寒気次第に烈(はげし)く、九月の末に至(いたれ)ば殺風(さつふう)(はだへ)を侵(おかし)て冬枯の諸木(しよぼく)葉を落し、天色(てんしよく)霎(せふせふ)として日の光を看ざる事連日(れんじつ)是雪の意(もよほし)也。天気朦朧(もうろう)たる事数日(すじつ)にして遠近(ゑんきん)の高山に白(はく)を点じて雪を観(み)せしむ。これを里言(さとことば)嶽廻(たけまはり)といふ。又海ある所は海鳴り、山ふかき処は山なる、遠雷の如し。これを里言に胴鳴(どうな)りといふ。これを見これを聞(きゝ)て、雪の遠からざるをしる。年の寒暖(かんだん)につれて時日(じじつ)はさだかならねど、たけまはりどうなりは秋の彼岸前後にあり、毎年(まいねん)かくのごとし。
    ○ 
雪 の 用 意
 前にいへるがごとく、雪降
(ふら)んとするを量(はか)り、雪に損ぜられぬ為(ため)に屋上(やね)に修造(しゆざう)を加へ、梁(うつばり)(はしら)(ひさし) 家の前の屋翼(ひさし)を里言(りげん)らうかといふ、すなはち廊架(らうか)なり 其外すべて居室(きよしつ)に係(かゝ)る所力弱(よわき)はこれを補ふ。雪に潰(つぶさ)れざる為(ため)也。庭樹(にはき)は大小に随ひ枝の曲(まぐ)べきはまげて縛束(しばりつけ)、椙丸太(すぎまるた)又は竹を添へ杖(つゑ)となして枝を強からしむ。雪折(をれ)をいとへば也。冬草の類(るゐ)は菰(こも)(むしろ)を以覆(おほ)ひ包む。井戸は小屋を懸(かけ)、厠(かはや)は雪中其物を荷(になは)しむべき備(そなへ)をなす。雪中には一点の野菜もなければ家内(かない)の人数(にんず)にしたがひて、雪中の食料を貯(たくは)ふ。あたゝかなるやうに土中にうづめ又はわらにつゝみ桶に入れてこほらざらしむ 其外雪の用意に種々の造作(ざうさ)をなす事筆(ふで)に尽(つく)しがたし。
     ○ 
初 雪
 暖国の人の雪を賞翫
(しやうくわん)するは前にいへるがごとし。江戸には雪の降(ふら)ざる年もあれば、初雪はことさらに美賞(びしやう)し、雪見の船に哥妓(かぎ)を携(たづさ)へ、雪の茶の湯に賓客(ひんかく)を招き、青楼(せいろう)は雪を居続(ゐつゞけ)の媒(なかだち)となし、酒亭(しゆてい)は雪を来客(らいかく)の嘉瑞(かずゐ)となす。雪の為に種々の遊楽をなす事枚挙(あげてかぞへ)がたし。雪を賞するの甚しきは繁花(はんくわ)のしからしむる所也。雪国の人これを見、これを聞(きゝ)て羨(うらやま)ざるはなし。我国の初雪を以てこれに比(くらぶ)れば、楽(たのしむ)と苦(くるしむ)と雲泥のちがひ也。そもそも越後国は北方の陰地なれども一国(いつこく)の内陰陽(いんやう)を前後す。いかんとなれば天は西北にたらず、ゆゑに西北を陰(いん)とし、地は東南に足(たら)ず、ゆゑに東南を陽(やう)とす。越後の地勢は、西北は大海に対して陽気也。東南は高山連(つらな)りて陰気也。ゆゑに西北の郡村(ぐんそん)は雪浅く、東南の諸邑(しよいふ)は雪深し。是阴阳(いんやう)の前後したるに似たり。我住(わがすむ)魚沼郡(うをぬまこほり)は東南の阴(いん)地にして○巻機山(まきはたやま)○苗場山○八海山(はつかいさん)○牛が嶽○金城山(きんじやうさん)○駒が嶽○兎が嶽○浅艸山(あさくさやま)(とう)の高山(かうざん)其余(そのよ)他国に聞(きこ)えざる山々波濤(はたう)のごとく東南に連(つらな)り、大小の河々(かはがは)も縦横(たてよこ)をなし、陰気充満して雲深き山間(やまあひ)の村落なれば雪の深(ふかき)をしるべし。冬は日南の方を周(めぐる)ゆゑ北国はますます寒し、家の内といへども北は寒く南はあたゝかなると同じ道理也 我国初雪を視る事遅(おそき)と速(はやき)とは、其年の気運寒暖につれて均(ひとし)からずといへども、およそ初雪は九月の末十月の首(はじめ)にあり。我国の雪は鵞毛(がまう)をなさず、降時(ふるとき)はかならず粉砕(こまかき)をなす、風又これを助く。故に一昼夜(ちうや)に積所(つもるところ)六七尺より一丈に至る時もあり、往古(むかし)より今年にいたるまで此雪此国に降(ふら)ざる事なし。されば暖国の人のごとく初雪を観て吟詠遊興のたのしみは夢にもしらず、今年も又此雪中(ゆきのなか)に在る事かと雪を悲(かなしむ)は辺郷(へんきやう)の寒国に生(うまれ)たる不幸といふべし。雪を観て楽(たのし)む人の繁花(はんくわ)の暖地に生(うまれ)たる天幸を羨(うらやま)ざらんや。
     ○ 
雪 の 堆 量(たかさ)
 
余が隣宿(りんしゆく)六日町の俳友天吉老人の話に、妻有庄(つまありのしやう)にあそびし頃聞(きゝ)しに、千隈(ちくま)川の辺(ほとり)の雅(が)人、初雪(しよせつ)より 天保五年をいふ 十二月廿五日までの間、雪の下(くだ)る毎に用意したる所の雪を尺(しやく)をもつて量(はか)りしに、雪の高さ十八丈ありしといへりとぞ。此話(このはなし)雪国の人すら信じがたくおもへども、つらつら思量(おもひはかる)に、十月の初雪より十二月廿五日までおよその日数(ひかず)八十日の間に五尺づゝの雪ならば、廿四丈にいたるべし。随(したがつ)て下(ふれ)ば随(したがつ)て掃(はら)ふ処は積(つん)で見る事なし。又地にあれば減(へり)もする也。かれをもつて是をおもへば、我国の深山幽谷(しんざんいうこく)雪の深(ふかき)事はかりしるべからず。天保五年は我国近年の大雪なりしゆゑ、右の話誣(し)ふべからず。
     ○ 
雪 竿(さを)
 
高田御城(しろ)大手先の広場に、木を方(かく)に削り尺を記して建(たて)給ふ、是を雪竿(さを)といふ。長一丈なり。雪の深浅公税(こうぜい)に係(かゝ)るを以てなるべし。高田の俳友楓石子(ふうせきし)よりの書翰に 天保五年の仲冬 雪竿を見れば当地の雪此節(このせつ)一丈に余れりといひ来(きた)れり。雪竿といへば越後の事として俳句にも見えたれど、此国に於て高田の外无用(むよう)の雪竿を建(たつ)る処昔はしらず今はなし。風雅をもつて我国に遊ぶ人、雪中を避(さけ)て三夏(か)の頃此地を踏(ふむ)ゆゑ、越路(こしぢ)の雪をしらず。然(しか)るに越路(こしぢ)の雪を言(こと)の葉に作意(つくる)ゆゑたがふ事ありて、我国の心には笑ふべきが多し。
     ○ 
雪 を 掃(はら)
 雪を掃
(はら)ふは落花(らくくわ)をはらふに対(つゐ)して風雅の一ツとし、和漢の吟咏(ぎんえい)あまた見えたれども、かゝる大雪をはらふは風雅の状(すがた)にあらず。初雪(はつゆき)の積(つも)りたるをそのまゝにおけば、再び下(ふ)る雪を添へて一丈にあまる事もあれば、一度降(ふれ)ば一度掃(はら)雪浅ければのちふるをまつ (これ)を里言(さとことば)に雪掘(ゆきほり)といふ。土を掘(ほる)がごとくするゆゑに斯(かく)いふ也。掘(ほら)ざれば家の用路を塞(ふさ)ぎ人家を埋(うづめ)て人の出(いづ)べき処もなく、力強(つよき)家も幾万斤の雪の重量(おもさ)に推砕(おしくだかれ)んをおそるゝゆゑ、家として雪を掘(ほら)ざるはなし。掘るには木にて作りたる鋤(すき)を用ふ、里言(りげん)こすきといふ、則(すなはち)木鋤(こすき)也。椈(ぶな)といふ木をもつて作る、木質(きのしやう)軽強(ねばく)して折(をる)る事なく且(かつ)(かろ)し、形は鋤に似て刃(は)広し。雪中第一の用具なれば、山中の人これを作りて里に売(うる)、家毎に貯(たくはへ)ざるはなし。雪を掘る状態(ありさま)は図にあらはしたるが如し。掘たる雪は空地(あきち)の、人に妨(さまたげ)なき処へ山のごとく積(つみ)上る、これを里言(りげん)掘揚(ほりあげ)といふ。大家は家夫(わかいもの)を尽(つく)して力たらざれば掘夫(ほりて)を傭(やと)ひ、幾十人の力を併(あはせ)て一時に掘尽(ほりつく)す。事を急に為すは掘る内にも大雪下(くだ)れば立地(たちどころ)に堆(うづたか)く人力におよばざるゆゑ也。 掘る處処図には人数を略してゑがけり 右は大家(たいか)の事をいふ、小家の貧しきは掘夫(ほりて)をやとふべきも費(つひえ)あれば男女をいはず一家雪をほる。吾里にかぎらず雪ふかき処は皆然(しか)なり。此雪いくばくの力をつひやし、いくばくの銭を費(つひや)し、終日ほりたる跡へその夜大雪降り夜明(よあけ)て見れば元のごとし。かゝる時は主人(あるじ)はさら也、下人(しもべ)も頭(かしら)を低(たれ)て歎息(ためいき)をつくのみ也。大抵(たいてい)雪ふるごとに掘(ほる)ゆゑに、里言(りげん)に一番掘(いちばんぼり)二番掘といふ。
     ○ 
沫 雪(あわゆき) 
 春の雪は消
(きえ)やすきをもつて沫雪(あわゆき)といふ。和漢の春雪消(きえ)やすきを詩哥(しいか)の作意とす、是(これ)暖国の事也、寒国の雪は冬を沫雪(あわゆき)ともいふべし。いかんとなれば冬の雪はいかほどつもりても凝凍(こほりかたまる)ことなく、脆弱(やはらか)なる事淤泥(どろ)のごとし。故(かるがゆゑ)に冬の雪中は(かんじき)(すがり)を穿(はき)て途(みち)を行(ゆく)。里言(りげん)には雪を(こぐ)といふ。水を渉(わた)る状(すがた)に似たるゆゑにや、又深田を行(ゆく)すがたあり。初春(しよしゆん)にいたれば雪悉(ことごと)く凍りて雪途(ゆきみち)は石を布(しき)たるごとくなれば往来冬よりは易(やす)し。すべらざるために下駄の歯にくぎをうちて用ふ 暖国の沫雪(あわゆき)とは気運(きうん)の前後かくのごとし。
 北越雪譜(挿絵3-2)北越雪譜(挿絵3-1)

     ○ 
雪 道
 冬の雪は脆(やはらか)なるゆゑ人の蹈固(ふみかため)たる跡をゆくはやすけれど、往来(ゆきゝ)の旅人一宿(しゆく)の夜大雪降ばふみかためたる一条(すぢ)の雪道雪に埋(うづま)り途(みち)をうしなふゆゑ、郊原(のはら)にいたりては方位(はうがく)をわかちがたし。此時は里人(さとひと)幾十人を傭(やと)ひ、橇(かんじき)(すかり)にて道を蹈開(ふみひらか)せ跡に随(したがつ)て行(ゆく)也。此費(ものいり)幾緡(いくさし)の銭を費(つひや)すゆゑ貧(とぼ)しき旅人は人の道をひらかすを待(まち)て空(むなし)く時を移(うつす)もあり。健足(けんそく)の飛脚といへども雪途(みち)を行(ゆく)は一日二三里に過(すぎ)ず。橇(かんじき)にて足自在(じざい)ならず、雪膝(ひざ)を越すゆゑ也。これ冬の雪中一ツの艱難なり。春は雪凍(こほり)て銕石(てつせき)のごとくなれば、雪車(そり) 又雪舟(そり)の字をも用ふ を以て重(おもき)を乗(の)す。里人(りじん)は雪車に物をのせ、おのれものりて雪上を行(ゆく)事舟のごとくす。雪中は牛馬の足立ざるゆゑすべて雪車(そり)を用ふ。春の雪中重(おもき)を負(おは)しむる事牛馬(うしうま)に勝(まさ)る。 雪車の制作別に記す、形大小種々あり大なるを修羅(しゆら)といふ 雪国の便利第一の用具也。しかれども雪凍りたる時にあらざれば用ひがたし、ゆゑに里人雪舟途(そりみち)と唱ふ。
     ○ 
雪 蟄(こもり)
 
(およそ)雪九月末より降(ふり)はじめて雪中に春を迎(むかへ)、正二の月は雪尚(なほ)深し。三四の月に至りて次第に解(とけ)、五月にいたりて雪全く消(きえ)て夏道となる。年の寒暖によりて遅速あり 四五月にいたれば春の花ども一時にひらく。されば雪中に在る事凡(およそ)八ヶ月、一年の間雪を看ざる事僅(わづか)に四ヶ月なれども、全く雪中に蟄(こも)るは半年也。こゝを以て家居(いへゐ)の造りはさら也、万事(よろづのこと)雪を禦(ふせ)ぐを専(もつはら)とし、財(ざい)を費(つひやし)力を尽す事紙筆(しひつ)に記しがたし。農家はことさら夏の初より秋の末までに五穀をも収(をさむ)るゆゑ、雪中に稲を刈(かる)事あり。其(その)(せはし)き事の千辛万苦(せんしんばんく)、暖国の農業に比すれば百倍也。さればとて雪国に生(うまる)る者は幼稚(をさなき)より雪中に成長するゆゑ、蓼中(たでのなか)の虫辛(からき)をしらざるがごとく雪を雪ともおもはざるは、暖地の安居(あんきよ)を味(あぢはへ)ざるゆゑ也。女はさら也、男も十人に七人は是(これ)也。しかれども住(すめ)ば都とて、繁花(はんくわ)の江戸に奉公する事年(とし)ありて後(のち)雪国の故郷(ふるさと)に皈(かへ)る者、これも又十人にして七人也。胡馬(こば)北風(ほくふう)に嘶(いなゝ)き、越鳥(えつてう)南枝(なんし)に巢くふ、故郷(こきやう)の忘(わすれ)がたきは世界の人情也。さて雪中は廊下に 江戸にいふ店(たな)雪垂(ゆきだれ)かやにてあみたるすだれをいふ (くだ)雪吹(ふゞき)をふせぐため也 (まど)も又これを用ふ。雪ふらざる時は巻(まい)て明(あかり)をとる。雪下(ふる)事盛(さかん)なる時は、積(つも)る雪家を埋(うづめ)て雪と屋上(やね)と均(ひとし)く平(たひら)になり、明(あかり)のとるべき処なく、昼も暗夜(あんや)のごとく燈火(ともしび)を照(てら)して家の内は夜昼をわかたず。漸(やうやく)雪の止(やみ)たる時、雪を掘(ほり)て僅(わづか)に小窗(まど)をひらき明(あかり)をひく時は、光明(くわうみやう)赫奕(かくやく)たる仏の国に生たるこゝち也。此外雪籠(こも)りの艱難(かんなん)さまざまあれど、くだくだしければしるさず。鳥獣(とりけだもの)は雪中(せつちゆう)食无(なき)をしりて雪浅き国へ去るもあれど一定(いちぢやう)ならず。雪中に籠(こも)り居て朝夕をなすものは人と熊と也。
     ○ 
胎 内 潜(たいないくゞり) 
 宿場
(しゆくば)と唱(となふ)る所は家の前に庇(ひさし)を長くのばして架(かく)る、大小の人家(じんか)すべてかくのごとし。雪中はさら也、平日も往来(ゆきゝ)とす。これによりて雪中の街(ちまた)は用なきが如くなれば、人家の雪をこゝに積(つむ)。次第に重(かさなり)て両側の家の間に雪の堤(つゝみ)を築(きづき)たるが如し。こゝに於て所々(ところところ)に雪の洞(ほら)をひらき、庇(ひさし)より庇に通ふ、これを里言(さとことば)に胎内潜(たいないくゞり) といふ、又間夫(まぶ)ともいふ。間夫(まぶ)とは金掘(かねほり)の方言(ことば)なるを借(かり)て用ふる也。間夫の本義は妻妾(さいせふ)の奸淫するをいふ 宿外の家の続(つゞか)ざる処は庇(ひさし)なければ、高低(たかひく)をなしたるかの雪の堤(つゝみ)を往来(ゆきゝ)とす。人の足立(たて)がたき処あれば一条の道を開き、春にいたり雪堆(うづだか)き所は壇層(だんだん)を作りて通路の便(べん)とす。形(かたち)匣階(はこばしご)のごとし。所の者はこれを登下(のぼりくだり)するに脚に慣(なれ)て一歩(ひとあし)もあやまつ事なし。他国の旅人などは怖(おそ)る怖る移歩(あしをはこび)かへつて落(おつ)る者あり、おつれば雪中に身を埋(うづ)む。視る人はこれを笑ひ、落(おち)たるものはこれを怒(いか)る。かゝる難所(なんじよ)を作りて他国の旅客(りよかく)を労(わづら)はしむる事求(もとめ)たる所為(しわざ)にあらず。此雪を取除(とりのけん)とするには人力(じんりき)と銭財(せんざい)とを費(つひや)すゆゑ、寸導(せめて)は壇を作りて途(みち)を開く也。そもそも初雪より歳を越て雪消(きゆ)るまでの事を繁細(はんさい)に記(しる)さば小冊には尽(つく)しがたし、ゆゑに省(はぶき)てしるさゞる事甚(はなはだ)多し。
     ○ 
雪 中 の 洪 水(こうずゐ) 
 
大小の川に近き村里、初雪の後(のち)洪水の災(わざはひ)に苦(くるし)む事あり。洪水を此国の俚言(りげん)水揚(みづあがり)といふ。余一年(ひとゝせ)(せき)といふ隣駅(りんえき)の親族(しんぞく)油屋が家に止宿(ししゆく)せし時、頃は十月のはじめにて雪八九尺つもりたるをりなりしが、夜半(やはん)にいたりて近隣の諸人(しよにん)叫び呼(よば)はりつゝ立騒ぐ声に睡(ねふり)を驚(おどろか)し、こは何事やらんとimg1.gif(むね)もをどりて臥(ふし)たる一間(ひとま)をはせいでければ、家(いへ)の主(あるじ)両手に物を提(さげ)、水あがり也とくとく裏の掘揚(ほりあげ)へ立退(たちのき)給へ、といひすてゝ持たる物を二階へ運びゆく。勝手の方へ立いで見れば家内(かない)の男女狂気のごとく駈(かけ)まはりて、家財(かざい)を水に流さじと手当(てあたり)しだいに取退(とりのく)る。水は低(ひくき)に随て潮(うしほ)のごとくおしきたり、已(すで)に席(たゝみ)を浸(ひた)し庭に漲(みなぎ)る。次第に積(つもり)たる雪所(ところ)として雪ならざるはなく、雪光(せつくわう)暗夜(あんや)を照(てら)して水の流(ながる)るありさま、おそろしさいはんかたなし。余は人に助けられて高所(たかきところ)に逃登(にげのぼ)り遙(はるか)に駅中(えきちゆう)を眺(のぞめ)ば、提灯(ちやうちん)(たいまつ)を燈(とも)しつれ大勢の男ども手(てに)々に木鋤(こすき)をかたげ、雪を越(こえ)水を渉(わたり)て声をあげてこゝに来(きた)る。これは水揚(みづあがり)せざる所の者どもこゝに馳(はせ)あつまりて、川筋を開き水を落(おと)さんとする也。闇夜(あんや)にてすがたは見えねど、女童(をんなわらべ)の泣叫ぶ声或(あるひ)は遠く或は近く、聞(きく)もあはれのありさま也。燃残(もえのこ)りたる炬(たいまつ)一ツをたよりに人も馬も首たけ水に浸(ひた)り、漲(みなぎ)るながれをわたりゆくは馬を助(たすけ)んとする也。帯もせざる女片手に小児(せうに)を脊負(せおひ)、提灯(ちやうちん)を提(さげ)て高処(たかきところ)へ逃(にげ)のぼるは、近ければそこらあらはに見ゆ、命とつりがへなればなにをも恥(はづか)しとはおもふべからず。可笑(をかしき)事可憐(あはれ)なる事可怖(おそろし)き事種々さまざま筆に尽しがたし。やうやう東雲(しのゝめ)の頃に至りて、水を落(おち)たりとて諸人(しよにん)安堵(あんど)のおもひをなしぬ。
○そもそも我郷
(わがさと)雪中の洪水、大かたは初冬と仲春とにあり。此(この)(せき)といふ駅(しゆく)は左右人家の前に一道(ひとすぢ)づゝの流(ながれ)あり、末は魚野川(うをのかは)へ落る、三伏(さんふく)の旱(ひでり)にも乾(かわ)く事なき清流水(せいりうすゐ)也。ゆゑに家毎に此流(このながれ)を以て井水(ゐすゐ)の代りとし、しかも桶にても汲(くむ)べき流(ながれ)なれば、平日の便利井戸よりもはるかに勝(まされ)り。しかるに初雪(しよせつ)の後(のち)十月のころまでにこの二条(ふたすぢ)の小流(こながれ)雪の為に降埋(ふりうめ)られ、流水は雪の下にあり、故に家毎に汲(くむ)べき程に雪を穿(うがち)て水用(すゐよう)を弁ず。この穿(うがち)たる所も一夜の雪に埋(うづめ)らるゝことあれば再(ふたゝび)うがつ事屢(しばしば)なり。人家にちかき流(ながれ)さへかくのごとくなれば、この二条(ふたすぢ)の流(ながれ)の水源(みなかみ)も雪に埋(うづも)れ、水用を失ふのみならず水あがりの懼(おそれ)あるゆゑ、所の人力(ちから)を併(あはせ)て流のかゝり口の雪を穿(うがつ)事なり。されども人毎に業用(げふよう)にさゝへて時を失ふか、又は一夜の大雪にかの水源(すゐげん)を塞(ふさ)ぐ時は、水溢(あぶれ)て低(ひくき)所を尋(たづね)て流る。駅中(えきちゆう)は人の往来(ゆきゝ)の為に雪を蹈(ふみ)へして低(ひくき)ゆゑ、流水漲(みなぎ)り来(きた)り猶も溢(あぶれ)て人家に入り、水難に逢ふ事前(まへ)にいへるがごとし。幾百人の力を尽(つく)して水道をひらかざれば、家財を流し或は溺死におよぶもあり。
○又仲春の頃の洪水は大かたは春の彼岸
(ひがん)前後也。雪いまだ消(きえ)ず、山々はさら也田圃(たはた)も渺々(べうべう)たる曠平(くわうへい)の雪面(せつめん)なれば、枝川(えだかは)は雪に埋(うづも)れ水は雪の下を流れ、大河といへども冬の初より岸の水まづ氷(こほ)りて氷の上に雪をつもらせ、つもる雪もおなじく氷りて岩のごとく、岸の氷りたる端(はし)次第に雪ふりつもり、のちには両岸(りやうがん)の雪相合(あひがつ)して陸地とおなじ雪の地となる。さて春を迎へて寒気次第に和(やは)らぎ、その年の暖気につれて雪も降止(ふりやみ)たる二月の頃、水気は地気よりも寒暖を知る事はやきものゆゑ、かの水面に積りたる雪下より解(とけ)て凍りたる雪の力も水にちかきは弱くなり、流(ながれ)は雪に塞(ふさが)れて狹くなりたるゆゑ水勢ますます烈しく、陽気を得て雪の軟(やはらか)なる下を潜(くぐ)り、堤のきるゝがごとく、譬(たとへ)にいふ寝耳に水の災難にあふ事、雪中の洪水寒国の艱難、暖地の人憐(あはれみ)給へかし。右は其一をいふのみ。雪中の洪水地勢によりて種々各々(しゆじゆさまざま)なり。詳(つまびらか)には弁じがたし。

北越雪譜(挿絵4-2)北越雪譜(挿絵4-1)

     ○ 
熊 捕(くまとり)
 
越後の西北は大洋(おほうみ)に対して高山なし。東南は連山巍々(ぎゝ)として越中上信奥羽の五か国に跨(またが)り、重岳(ちようがく)高嶺(かうれい)肩を並べて数(す)十里をなすゆゑ大小の獣(けもの)(はなはだ)多し、此獣(けもの)雪を避(さけ)て他国へ去るもありさらざるもあり、動(うごか)ずして雪中に穴居(けつきよ)するは熊のみ也。熊胆(くまのい)は越後を上品(ひん)とす、雪中の熊胆はことさらに価(あたひ)(たつと)し。其重価(ちようくわ)を得んと欲して春暖(しゆんだん)を得て雪の降止(ふりやみ)たるころ、出羽(では)あたりの猟師(れふし)ども五七人心を合せ、三四疋の猛犬を牽(ひ)き米と塩と鍋を貯へ、水と薪(たきゞ)は山中在(あ)るに随(したがつ)て用をなし、山より山を越(こえ)、昼(ひる)は猟(かり)して獣(けもの)を食(しよく)とし、夜は樹根(きのね)岩窟(がんくつ)を寝所(ねどころ)となし、生木(なまき)を焼(たい)て寒(さむさ)を凌(しのぎ)(かつ)(あかし)となし、着たまゝにて寝臥(ねふし)をなす。頭(かしら)より足にいたるまで身に着る物悉(ことごと)く獣(けもの)の皮をもつてこれを作る。遠く視れば猿にして顔は人也。金革(きんかく)を衽(しきね)にすとはかゝる人をやいふべき。此者らが志(こゝろざす)所は我国の熊にあり。さて我山中に入り場所よきを見立(みたて)、木の枝藤蔓(ふぢつる)を以て仮に小屋を作りこれを居所(ゐどころ)となし、おのおの犬を牽(ひき)四方に別(わかれ)て熊を窺(うかゞ)ふ。熊の穴居(こもり)たる所を認(みつくれ)ば目幟(めじるし)をのこして小屋にかへり、一連の力を併(あはせ)てこれを捕る。その道具は柄(え)の長さ四尺斗りの手鎗(てやり)、或(あるひ)は山刀(やまがたな)を薙刀(なぎなた)のごとくに作りたるもの、銕炮(てつはう)山刀斧(をの)の類(るゐ)也。刃(は)(にぶ)る時は貯へたる砥(と)をもつて自(みづから)(と)ぐ。此道具も獣の皮を以て鞘(さや)となす。此者ら春にもかぎらず冬より山に入るをりもあり。
 そもそも熊は和獣
(わじう)の王、猛(たけ)くして義を知る。菓木(このみ)の皮虫のるゐを食(しよく)として同類の獣を喰(くらは)ず、田圃(たはた)を荒(あらさ)ず、稀に荒(あら)すは食(しよく)の尽(つき)たる時也。詩経には男子の祥(しやう)とし、或は六雄(りくゆう)将軍の名を得たるも義獣(ぎじう)なればなるべし。夏は食をもとむるの外(ほか)山蟻を掌中(てのひら)に擦着(すりつけ)、冬の蔵蟄(あなごもり)にはこれを
(なめ)て飢を凌(しの)ぐ。牝牡(めすをす)(おなじ)く穴に蟄(こも)らず、牝の子あるは子とおなじくこもる。其蔵蟄(あなごもり)する所は大木の雪頽(なだれ)に倒れて朽(くち)たる洞(うろ) なだれの事下にしるす 又は岩間(いはのあひ)土穴(つちあな)、かれが心に随(したがつ)て居(を)る処さだめがたし。雪中の熊は右のごとく他食を求(もとめ)ざるゆゑ、その胆(きも)の良功(りやうこう)ある事夏の胆に比(くらぶ)れば百倍也。我国にては、●飴胆(あめい)●琥珀胆(こはくい)●黑胆(くろい)と唱へ色をもつてこれをいふ。琥珀を上品(ひん)とし、黒胆を下品とす。偽物(ぎぶつ)は黒胆に多し。
●さて熊を捕
(とる)に種々の術あり。かれが居(をる)所の地理にしたがつて捕得(とりえ)やすき術をほどこす。熊は秋の土用より穴に入り、春の土用に穴より出(いづ)るといふ。又一説に、穴に入りてより穴を出(いづ)るまで一睡(ひとねむり)にねむるといふ、人の視ざるところなれば信じがたし。
 沫雪(あわゆき)の条(くだり)にいへるごとく、冬の雪は軟(やはら)にして足場あしきゆゑ、熊を捕(とる)は雪の凍(こほり)たる春の土用まへ、かれが穴よりいでんとする頃を程よき時節とする也。岸壁の裾(すそ)又は大樹(たいじゆ)の根などに蔵蟄(あなごもり)たるを捕(とる)には圧(おし)といふ術を用ふ、天井釣(てんじやうづり)ともいふ。その制作(しかた)は木の枝藤の蔓(つる)にて穴に倚掛(よせかけ)て棚を作り、たなの端(はし)は地に付て杭(くひ)を以てこれを縛り、たなの横木に柱ありて棚の上に大石を積(つみ)ならべ、横木より縄を下し縄に輪を結びて穴に臨(のぞま)す、これを蹴綱(けづな)といふ。此蹴綱に転機(しかけ)あり、全く作りをはりてのち、穴にのぞんで玉蜀(たうがらし)烟艸(たばこ)の茎(くき)のるゐ熊の悪(にく)む物を焚(たき)、しきりに扇(あふぎ)て烟(けふり)を穴に入るれば熊烟りに噎(むせ)て大に怒(いか)り、穴を飛出る時かならずかの蹴綱(けづな)に触(ふる)れば転機(しかけ)にて棚落(おち)て熊大石の下に死す。手を下(くだ)さずして熊を捕(とる)の上術(じゆつ)也、是は熊の居所(ゐどころ)による也。これらは樵夫(せうふ)も折(をり)によりてはする事也。
 又熊捕
(くまとり)の場数を蹈(ふみ)たる剛勇(がうゆう)の者は一連の猟師(れふし)を熊の居(を)る穴の前に待(また)せ、己(おのれ)一人ひろゝ(みの)を頭(かしら)より被(かぶ)ひろゝは山にある艸の名也、みのに作れば稿よりかろし、猟師常にこれを用ふ 穴にそろそろと這(はひ)入り、熊に蓑の毛を触(ふる)れば熊はみのゝ毛を嫌ふものゆゑ除(よけ)て前にすゝむ。又後(しりへ)よりみの毛を障(さはら)す、熊又まへにすゝむ。又さはり又すゝんで熊終(つひ)には穴の口にいたる。これを視て待(まち)かまへたる猟師ども手練(しゆれん)の鎗尖(やりさき)にかけて突留(つきとむ)る。一鎗(ひとやり)(あやまつ)ときは熊の一搔(ひとかき)に一命を失ふ。その危(あやうき)を蹈(ふん)で熊を捕は僅(わづか)の黄金(かね)の為(ため)也。金慾の人を過(あやまつ)事色慾(しきよく)よりも甚し。されば黄金(わうごん)は道を以て得(う)べし、不道をもつて得(う)べからず。
 又上に覆ふ所ありてその下には雪のつもらざるを知り土穴を掘
(ほり)て蟄(こも)るもあり。然(しか)れどもこゝにも雪三五尺は吹積(ふきつもる)也。熊の穴ある所の雪にはかならず細孔(ほそきあな)ありて管(くだ)のごとし。これ熊の気息(いき)にて雪の解(とけ)たる孔(あな)也。猟師これを見れば雪を掘て穴をあらはし、木の枝柴(しば)のるゐを穴に挿(さし)入れば熊これを搔(かき)とりて穴に入るゝ、かくする事しばしばなれば穴逼(つま)りて熊穴の口にいづる時鎗にかくる。突(つき)たりと見れば数疋(すひき)の猛犬(つよいぬ)いちどに飛かゝりて囓(かみ)つく。犬は人を力とし、人は犬を力として殺(ころす)もあり。この術は椌(うつほ)木にこもりたるにもする事也。

    ○ 白 熊(しろくま)
 熊の黒(くろき)は雪の白がごとく天然の常なれども、天公(てんこう)(き)を転じて白熊(はくいう)を出せり。
○天保三年辰の春、我
(わ)が住(すむ)魚沼郡(うをぬまこほり)の内浦佐(うちうらさ)宿の在(ざい)大倉村の樵夫(きこり)八海山に入りし時、いかにしてか白き児熊(こくま)を虜(いけど)り、世に珍(めづらし)とて飼(かひ)おきしに香具師(かうぐし)江戸にいふ見世もの師の古風なるもの これを買もとめ、市場又は祭礼すべて人の群(あつま)る所へいでゝ看物(みせもの)にせしが、ある所にて余も見つるに大さ狗(いぬ)のごとく状(かたち)は全く熊にして、白毛雪を欺(あざむ)きしかも光沢(つや)ありて天鵞織(びらうど)のごとく眼と爪は紅(くれなゐ)也。よく人に馴(なれ)てはなはだ愛(あいす)べきもの也。こゝかしこに持あるきしがその終(をはり)をしらず。白亀の改元、白鳥(しらとり)の神瑞(しんずゐ)、八幡の鳩、源家の旗、すべて白きは 皇国(みくに)の祥象(しやうせう)なれば、天機(てんき)白熊(はくいう)をいだししも 昇平万歳(しようへいばんぜい)の吉瑞(ずゐ)成べし。
 山家の人の話に熊を殺
(ころす)こと二三疋、或ひは年歴(としへ)たる熊一疋を殺も、其
 山かならず荒
(ある)る事あり、山家(さんか)の人これを熊荒(あれ)といふ。このゆゑに
 山村の農夫
(のうふ)は需(もとめ)て熊を捕(とる)事なしといへり。熊に灵(れい)ありし
 事古書にも見えたり。
    ○ 熊 人 を 助(たすく)
 
人熊の穴に墜(おちいり)て熊に助られしといふ話(はなし)諸書に散見すれども、其実地(じつち)をふみたる人の語りしは珍(めづらし)ければ、こゝに記す。
○余(よ)若かりし時、妻有(つまあり)の庄(しやう)魚沼郡の内に在 用ありて両三日逗留せし事ありき。頃は夏なりしゆゑ客舎(やどりしいへ)の庭の木(こ)かげに筵(むしろ)をしきて納涼(すゞみ)居しに、主人(あるじ)は酒を好む人にて酒肴(しゆかう)をこゝに開き、余は酒をば嗜(すか)ざるゆゑ茶を喫(のみ)て居たりしに、一老夫(いちらうふ)こゝに来り主人を視て拱手(てをさげ)て礼をなし後園(うらのかた)へ行んとせしを、主(あるじ)(よび)とめ老夫(らうふ)を指(ゆびさし)ていふやう、此叟父(おやぢ)は壮年時(わかきとき)熊に助られたる人也、危(あやふ)き命をたすかり今年八十二まで健(すこやか)に長生(ながいき)するは可賀(めでたき)老人也、識面(ちかづき)になり給へといふ。老夫莞爾(にこり)として再(ふたゝび)(さら)んとす。余よびとゞめ、熊に助られしとは珍説(ちんせつ)也語りて聞せ給へといひしに、主人(あるじ)余が前に在し茶盌(ちやわん)をとりてまづ一盃喫(のめ)とて酒を満盌(なみなみ)とつぎければ、老夫(らうふ)(むしろ)の端(はし)に坐し酒を視て笑(ゑみ)をふくみ続(つゞけ)て三盌(ばい)を喫(きつ)し舌鼓(したうち)して大に喜び、さらば話説(はなし)申さん、我廿歳(はたちのとし)二月のはじめ薪(たきゞ)をとらんとて雪車(そり)を引(ひき)て山に入りしに、村にちかき所は皆伐(きり)つくしてたまたまあるも足場あしきゆゑ、山一重(ひとへ)(こえ)て見るに、薪とすべき柴あまたありしゆゑ自在に伐(きり)とり、雪車哥(そりうた)うたひながら徐々(しづかに)(たばね)、雪車に積(つみ)て縛つけ山刀(やまかたな)をさしいれ、低(ひくき)に随(したがつ)て今来りたる方へ乗下(のりくだ)りたるに、一束(いつそく)の柴雪車より転(まろ)び落(おち)、谷を埋(うづめ)たる雪の裂隙(われめ)にはさまり 凍りし雪陽気を得て裂る事常也 たるゆゑ、捨て皈(かへら)んも惜(をし)ければその所にいたり柴の枝に手をかけ引上んとするにすこしも動(うごか)ず、落たる勢(いきほひ)に撞(つき)いれたるならん、さらば重(おもき)かたより引上んと匍匐(はらばひ)して双手(もろて)を延(のば)し一声かけて上んとしたる時、足に蹈(ふむ)力なきゆゑおのれがちからに己(おのれ)が躰(からだ)を転倒(ひきくらかへし)、雪の裂隙(われめ)より遙(はるか)の谷底へ墜(おちいり)けるが、雪の上を濘(すべり)落たるゆゑ幸(さいはひ)に疵(きず)はうけず、しばしは夢のやう也しがやうやうに心付、上を見れば雪の屏風を建(たて)たるがごとく今にも雪頽(なだれ)やせんと なだれのおそろしき事下にしるす (いき)たる心地はなく、暗(くらさ)はくらし、せめては明方(あかるきかた)にいでんと雪に埋(うまり)たる狹(せまき)谷間(たにあひ)をつたひ、やうやうにして空を見る所にいたりしに、谷底の雪中寒(さむさ)烈しく手足も亀手(かゞまり)一歩(ひとあし)もはこびがたく、かくては凍死(こゞえしぬ)べしと心を励(はげま)し猶途(みち)もあるかと百歩(はんちやう)ばかり行たりけん、滝ある所にいたり四方を見るに、谷間の途極(ゆきとまり)にて甕(かめ)に落たる鼠のごとくいかんともせんすべなく惘然(ばうぜん)としてimg1.gif(むね)せまり、いかゞせんといふ思案さへ出ざりき。さて是より熊の話也、今一盃たまはるべしとて自酌(みづからつぎ)てしきりに喫(のみ)、腰より烟艸帒(たばこいれ)をいだして烟(たばこ)を吹(のみ)などするゆゑ、其次はいかにとたづねければ、老夫曰(いはく)、さて傍(かたはら)を見れば潜(くゞる)べきほどの岩窟(いはあな)あり、中には雪もなきゆゑはひりて見るにすこし温(あたゝか)也。此時こゝろづきて腰をさぐりみるに握飯の弁当もいつかおとしたり、かくては飢死すべし、さりながら雪を喰(くらひ)ても五日や十日は命あるべし、その内には雪車哥(そりうた)の声さへ聞(きこゆ)れば村の者也、大声あげて叫(よば)らば助(たすけ)くれべし、それにつけてもお伊勢さまと善光寺さまをおたのみ申よりほかなしと、しきりに念仏唱へ、大神宮をいのり日もくれかゝりしゆゑ、こゝを寝所(ねどころ)にせばやと闇地(くらがり)を探り探り這(は)入りて見るに次第に温(あたゝか)也。猶も探りし手先に障(さはり)しは正(まさ)しく熊也。愕然(びつくり)してimg1.gif(むね)も裂(さけ)るやう也しが逃(にげる)に道なく、とても命の期(きは)なり死(しぬ)も生(いきる)も神仏にまかすべしと覚悟をきはめ、いかに熊どの我(わし)は薪(たきゞ)とりに来り谷へ落(おち)たるもの也、皈(かへる)には道がなく生(いき)て居(をる)には喰物(くひもの)がなし、とても死(しぬ)べき命也、擘(ひきさき)て殺(ころさ)ばころし給へ、もし情(なさけ)あらば助たまへと怖々(こはこは)熊を撫(なで)ければ、熊は起(おき)なほりたるやうにてありしが、しばしありてすゝみいで我(わし)を尻にて押しやるゆゑ、熊の居たる跡へ坐(すはり)しにそのあたゝかなる事炬燵(こたつ)にあたるがごとく全身(みうち)あたゝまりて寒(さむさ)をわすれしゆゑ、熊にさまざま礼をのべ猶もたすけ玉へと種々(いろいろ)悲しき事をいひしに、熊手をあげて我(わし)が口へ柔(やはらか)におしあてる事たびたび也しゆゑ、蟻(あり)の事をおもひだし舐(なめ)てみれば甘くてすこし苦し。しきりになめたれば心爽(さはやか)になり咽(のど)も潤ひしに、熊は鼻息を鳴(なら)して寝(ねいる)やう也。さては我を助(たすく)るならんと心大におちつき、のちは熊と脊(せなか)をならべて臥(ふし)しが宿の事をのみおもひて眠気(ねむけ)もつかず、おもひおもひてのちはいつか寝入(ねいり)たり。かくて熊の身動(みうごき)をしたるに目さめてみれば、穴の口見ゆるゆゑ夜の明(あけ)たるをしり、穴をはひいで、もしやかへるべき道もあるか、山にのぼるべき藤づるにてもあるかとあちこち見れどもなし、熊も穴をいでゝ滝壺にいたり水をのみし時はじめて熊をみれば、犬を七ツもよせたるほどの大熊也。又もとの窟(あな)へはいりしゆゑ我(わし)は窟(あな)の口に居て雪車哥(そりうた)のこゑやすらんと耳を澄(すま)して聞居(きゝゐ)たりしが、滝の音のみにて鳥の音(ね)もきかず、その日もむなしく暮(くれ)て又穴に一夜をあかし、熊の掌(て)に飢(うゑ)をしのぎ、幾日(いくか)たちても哥はきかず、その心細き事いはんかたなし。されど熊は次第に馴(なれ)可愛(かあいく)なりしと語るうち、主人は微酔(ほろゑひ)にて老夫(らうふ)にむかひ、其熊は牝(め)熊ではなかりしかと三人大ひに笑ひ、又酒をのませ盃の献酬(やりとり)にしばらく話消(きえ)けるゆゑ強(しひ)て下回(そのつぎ)をたづねければ、老夫曰(いはく)、人の心は物にふれてかはるもの也、はじめ熊に逢(あひ)し時はもはや死地(こゝでしす)事と覚悟をばきはめ命も惜(をし)くなかりしが、熊に助(たすけ)られてのちは次第に命がをしくなり、助(たすく)る人はなくとも雪さへ消(きえ)なば木根(きのね)岩角(いはかど)に縋(とりつき)てなりと宿へかへらんと、雪のきゆるをのみまちわび幾日といふ日さへ忘(わすれ)て虚々(うかうか)くらししが、熊は飼犬のやうになりてはじめて人間の貴(たふとき)事を知り、谷間(たにあひ)ゆゑ雪のきゆるも里よりは遅くたゞ日のたつをのみうれしくありしに、一日(あるひ)(あな)の口の日のあたる所に虱(しらみ)を捫(とり)て居たりし時、熊窟よりいで袖を咥(くはへ)て引しゆゑ、いかにするかと引れゆきしにはじめ濘落(すべりおち)たるほとりにいたり、熊前(さき)にすゝみて自在に雪を搔掘(かきほり)一道(ひとすぢ)の途(みち)をひらく、何方(いづく)までもとしたがひゆけば又途(みち)をひらきひらきて人の足跡ある所にいたり、熊四方(しはう)を顧(かへりみ)て走り去(さり)て行方しれず。さては我を導(みちびき)たる也と熊の去(さり)し方を遙拜(ふしをがみ)かずかず礼をのべ、これまつたく神仏の御蔭(おかげ)ぞとお伊勢さま善光寺さまを遙拝(ふしをがみうれしくて足を蹈所(ふみど)もしらず、火点頃(ひとぼしころ)宿へかへりしに、此時近所の人々あつまり念仏申てゐたり。両親はじめ愕然(びつくり)せられ幽灵(いうれい)ならんとて立さわぐ。そのはづ也、月代(さかやき)は蓑(みの)のやうにのび面(つら)は狐のやうに瘠(やせ)たり、幽灵とて立さわぎしものちは笑となりて、両親はさら也人々もよろこび、薪とりにいでし四十九日目の待夜(たいや)也とていとなみたる仏叓(ぶつじ)も俄(にはか)にめでたき酒宴(さかもり)となりしと仔細(こまか)に語りしは、九右エ門といひし小間居(こまゐ)の農夫(ひやくしやう)也き。其夜燈下(ともしびのもと)に筆をとりて語りしまゝを記しおきしが、今はむかしとなりけり。

北越雪譜(挿絵5-2)北越雪譜(挿絵5-1)



       ○ 
雪 中 の 虫
 唐土(もろこし)(しよく)の峨眉山(がびさん)には夏も積雪(つもりたるゆき)あり。其雪の中に雪蛆(せつじよ)といふ虫ある事山海経(さんがいきやう)に見えたり。唐土(もろこし)の書 此説空(むなし)からず、越後の雪中にも雪蛆(せつじよ)あり、此虫早春の頃より雪中に生じ雪消終(きえをはれ)ば虫も消終(きえをは)る、始終(ししゆう)の死生を雪と同(おなじ)うす。字書を按(あんずる)に、蛆(じよ)は腐中(ふちゆう)の蠅(はへ)とあれば所謂(いはゆる)蛆蠅(うじばへ)也。
(だつ)は蠆(たい)の類(るゐ)、人を螫(さす)とあれば蜂の類(るゐ)也、雪中の虫は蛆(じよ)の字に从(したが)ふべし、しかれば雪蛆(せつじよ)は雪中の蛆蠅(うじばへ)也。木火土金水(もく・くわ・ど・ごん・すゐ)の五行中皆虫を生(しやう)ず、木の虫土の虫水の虫は常に見る所めづらしからず。蠅は灰より生ず、灰は火の燼末(もえたこな)也、しかれば蠅は火の虫也。蠅を殺して形あるもの灰中(はひのなか)におけば蘇(よみがへる)也。又虱(しらみ)は人の熱より生ず、熱は火也、火より生(しやうじ)たる虫ゆゑに蠅も虱も共に暖(あたゝか)なるをこのむ。金中(かねのなか)の虫は肉眼(ひとのめ)におよばざる冥塵(ほこり)のごとき虫ゆゑに人これをしらず。およそ銅銕(どうてつ)の腐(くさる)はじめは虫を生ず、虫の生じたる所色を変(へん)ず。しばしばこれを拭(ぬぐへ)ば虫をころすゆゑ其所(そのところ)(くさら)ず。錆(さびる)は腐(くさる)の始(はじめ)、錆(さび)の中かならず虫あり、肉眼(にくがん)におよばざるゆゑ人しらざる也。蘭人の説也 金中猶(なほ)虫あり、雪中虫無(なから)んや。しかれども常をなさゞれば奇(き)とし妙(めう)として唐土(もろこし)の書にも記せり。我越後の雪蛆(せつじよ)はちひさき事蚊(か)の如し。此虫は二種あり、一は翼(はね)ありて飛行(とびあるき)、一ははねあれども蔵(おさめ)て蚑行(はひありく)。共に足六ツあり、色は蠅に似て淡(うす)一は黒し 其居(を)る所は市中原野(しちゆうげんや)蚊におなじ。しかれども人を螫(さす)むしにはあらず、験微鏡(むしめがね)にて視たる所をこゝに図(づ)して物産家(ぶつさんか)の説を俟(ま)つ。          

          北越雪譜(挿絵6)


     ○ 雪 吹(ふゞき) 
 
雪吹(ふゞき)は樹(き)などに積(つも)りたる雪の風に散乱するをいふ。其状(そのすがた)優美(やさしき)ものゆゑ花のちるを是に比して花雪吹(はなふゞき)といひて古哥(こか)にもあまた見えたり。是(これ)東南寸雪(すんせつ)の国の事也、北方丈雪(じやうせつ)の国我が越後の雪深(ふかき)ところの雪吹は雪中の暴風(はやて)雪を巻騰(まきあぐる)(つぢかぜ)也。雪中第一の難義(なんぎ)これがために死する人年々也。その一ツを挙(あげ)てこゝに記し、寸雪(すんせつ)の雪吹(ふゞき)のやさしきを観(みる)人の為(ため)に丈雪(じやうせつ)の雪吹の愕眙(おそろしき)を示す。
 余が住
(すむ)塩沢に遠からざる村の農夫(のうふ)(せがれ)一人あり、篤実にして善(よく)親に仕ふ。廿二歳の冬、二里あまり隔(へだて)たる村より十九歳の娵(よめ)をむかへしに、容姿(すがた)憎からず生質(うまれつき)柔従(やはらか)にて、糸織(いとはた)の伎(わざ)にも怜利(かしこ)ければ舅姑(しうと・しうとめ)も可愛(かあい)がり、夫婦の中も睦(むつまじ)く家内可祝(めでたく)春をむかへ、其年九月のはじめ安産してしかも男子なりければ、掌中(てのうち)に珠(たま)を得たる心地にて家内悦(よろこ)びいさみ、産婦も健(すこやか)に肥立(ひだち)乳汁(ちゝ)も一子に余るほどなれば小児(せうに)も肥太(こえふと)り可賀名(めでたきな)をつけて千歳(ちとせ)を寿(ことぶき)けり。此(この)一家の者すべて篤実なれば耕織(かうしよく)を勤行(よくつとめ)、小農夫(こびやくしやう)なれども貧(まづし)からず、善男(よきせがれ)をもち良娵(よきよめ)をむかへ好孫(よきまご)をまうけたりとて一村(そん)の人々常に羨(うらやみ)けり。かゝる善人(ぜんにん)の家に天災(わざはひ)を下ししは如何(いかん)ぞや。
○かくて産後日を歴
(へ)てのち、連日の雪も降止(ふりやみ)天氣穏(おだやか)なる日、娵(よめ)(をつと)にむかひ、今日は親里(おやざと)へ行(ゆか)んとおもふ、いかにやせんといふ。舅(しうと)(かたはら)にありて、そはよき事也男(せがれ)も行べし、実母(ばゞどの)へも孫を見せてよろこばせ夫婦して自慢せよといふ。娵(よめ)はうちゑみつゝ姑(しうとめ)にかくといへば、姑は俄(にはか)に土産(みやげ)など取そろへる間(うち)に嫁(よめ)髪をゆひなどして嗜(たしなみ)の衣類を着(ちやく)し、綿入の木綿帽子も寒国(かんこく)の習(ならひ)とて見にくからず、児(こ)を懐(ふところ)にいだき入んとするに姑(しうとめ)(かたはら)よりよく乳(ち)を呑(のま)せていだきいれよ、途(みち)にてはねんねがのみにくからんと一言(ひとこと)の詞(ことば)にも孫を愛する情(こゝろ)ぞしられける。夫は蓑笠(みの・かさ)稿脚衣(わらはゞき)すんべを穿(はき) 晴天にも蓑を着(きる)は雪中農夫の常也 土産物を軽荷(かるきに)に担(にな)ひ、両親(ふたおや)に暇乞(いとまごひ)をなし夫婦袂(たもと)をつらね喜躍(よろこびいさみ)て立出(たちいで)けり。正是(これぞ)親子が一世(いつせ)の別れ、後の悲歎(なげき)とはなりけり。
○さるほどに夫は先に立妻
(つま)は後(あと)にしたがひゆく。をつとつまにいふ、今日は頃日(このごろ)の日和(ひより)也、よくこそおもひたちたれ。今日夫婦孫をつれて来(きた)るべしとは親たちはしられ玉ふまじ。孫の顔を見玉はゞさぞかしよろこび給ふらん。さればに候、父翁(とつさま)はいつぞや来(きた)られしが母人(かさま)はいまだ赤子(ねんね)を見給はざるゆゑことさらの喜悦(よろこび)ならん。遅(おそく)ならば一宿(とまり)てもよからんか、郎(おまへ)も宿(とまり)給へ。不可也(いやいや)二人とまりなば両親(おやたち)案じ給はん、われは皈(かへる)べしなど、はなしの間(うち)(こ)の啼(なく)に乳房くゝませつゝうちつれて道をいそぎ美佐嶋(みさしま)といふ原中に到(いたり)し時、天色(てんしよく)倏急(にはか)に変り黒雲空に覆ひければ 是雪中の常也 (をつと)空を見て大に驚怖(おどろき)、こは雪吹(ふゝき)ならんいかゞはせんと踉蹡(ためらふ)うち、暴風(はやて)雪を吹散(ふきちらす)事巨濤(おほなみ)の岩を越(こゆ)るがごとく、(つぢかぜ)雪を巻騰(まきあげ)て白竜(はくりやう)峯に登(のぼる)がごとし。朗々(のどか)なりしも掌(てのひら)をかへすがごとく天怒(てんいかり)地狂(ちくるひ)、寒風は肌(はだへ)を貫(つらぬく)の鎗(やり)、凍雪(とうせつ)は身を射(いる)の箭(や)也。夫は蓑笠を吹(ふき)とられ、妻は帽子を吹(ふき)ちぎられ、髪も吹みだされ、咄嗟(あはや)といふ間(ま)に眼(め)(くち)(ゑり)(そで)はさら也、裾(すそ)へも雪を吹いれ、全身凍(こゞえ)呼吸(こきう)(せま)り半身(はんしん)は已(すで)に雪に埋(う)められしが、命のかぎりなれば夫婦声をあげほういほういと哭叫(なきさけべ)ども、往来(ゆきゝ)の人もなく人家にも遠ければ助(たすく)る人なく、手足凍(こゞへ)て枯木のごとく暴風(ばうふう)に吹僵(ふきたふさ)れ、夫婦頭(かしら)を並(ならべ)て雪中に倒れ死(しゝ)けり。此雪吹(ふゞき)其日の暮(くれ)に止(やみ)、次日(つぎのひ)は晴天なりければ近村の者四五人此所を通りかゝりしに、かの死骸は雪吹(ふゞき)に埋(うづめ)られて見えざれども赤子(あかご)の啼声(なくこゑ)を雪の中にきゝければ、人々大に怪(あやし)みおそれて逃(にげ)んとするも在(あり)しが、剛気(がうき)の者雪を掘(ほり)てみるに、まづ女の髪の毛雪中に顕(あらはれ)たり。扨(さて)は昨日の雪吹倒(ふゞきたふ)れならん 里言にいふ所 とて皆あつまりて雪を掘(ほり)、死骸を見るに夫婦手を引(ひき)あひて死居(しゝゐ)たり。児(こ)は母の懐(ふところ)にあり、母の袖児(こ)の頭(かしら)を覆ひたれば児は身に雪をば触(ふれ)ざるゆゑにや凍死(こゞえしな)ず、両親(ふたおや)の死骸の中にて又声をあげてなきけり。雪中の死骸なれば生(いけ)るがごとく、見知(みしり)たる者ありて夫婦なることをしり、我児(わがこ)をいたはりて袖をおほひ夫婦手をはなさずして死(しゝ)たる心のうちおもひやられて、さすがの若者らも泪(なみだ)をおとし、児(こ)は懐(ふところ)にいれ死骸は蓑(みの)につゝみ夫の家(いへ)に荷(にな)ひゆきけり。かの両親(ふたおや)は夫婦娵(よめ)の家に一宿(とまりし)とのみおもひをりしに、死骸を見て一言(ひとこと)の詞(ことば)もなく、二人が死骸にとりつき顔にかほをおしあて大声をあげて哭(なき)けるは、見るも憐(あはれ)のありさま也。一人の男懐(ふところ)より児(こ)をいだして姑(しうと)にわたしければ、悲(かなしみ)と喜(よろこび)と両行(りやうかう)の涙をおとしけるとぞ。
 雪吹
(ふぶき)の人を殺す事大方右に類(るゐ)す。暖地の人花の散(ちる)に比(くらべ)て美賞する雪吹(ふぶき)と其異(ことなる)こと、潮干(しほひ)に遊びて楽(たのしむ)と洪濤(つなみ)に溺(おぼれ)て苦(くるしむ)との如し。雪国の難義(なんぎ)暖地の人おもひはかるべし。連日の晴天も一時に変じて雪吹となるは雪中の常也。其力(ちから)樹を抜(ぬき)(いへ)を折(くじく)。人家これが為に苦(くるし)む事枚挙(あげてかぞへ)がたし。雪吹に逢(あひ)たる時は雪を掘(ほり)身を其内に埋(うづむ)れば雪暫時(ざんじ)につもり、雪中はかへつて温(あたゝか)なる気味ありて且(かつ)気息(いき)を漏(もら)し死をまぬがるゝ事あり。雪中を歩(ほ)する人陰囊(いんのう)を綿にてつゝむ事をす、しかせざれば陰囊(いんのう)まづ凍(こほり)て精気尽(つく)る也。又凍死(こゞえしゝ)たるを湯火(たうくわ)をもつて温(あたゝむ)れば助(たすか)る事あれども武火(つよきひ)熱湯(あつきゆ)を用(もち)ふべからず。命たすかりたるのち春暖(しゆんだん)にいたれば腫病(はれやまひ)となり良医(りやうい)も治(ぢ)しがたし。凍死(こゞえしゝ)たるはまづ塩を熬(いり)て布に包(つゝみ)しばしば臍(へそ)をあたゝめ稿火(わらび)の弱(よわき)をもつて次第に温(あたゝむ)べし、助(たすか)りたるのち病(やまひ)を発せず。人肌(ひとはだ)にて温(あたゝ)むはもつともよし 手足の凍(こゞえ)たるも強き湯火(たうくわ)にてあたゝむれば、陽気いたれば灼傷(やけど)のごとく腫(はれ)、つひに腐(くさり)て指をおとす、百薬功(こう)なし。これ我(わ)が見たる所を記して人に示す。人の凍死(こゞえし)するも手足の亀手(かゞまる)も陰毒(いんどく)の血脉(けちみやく)を塞(ふさ)ぐの也。俄(にはか)に湯火(たうくわ)の熱を以て温(あたゝむ)れば人精(じんせい)の気血(きけつ)をたすけ、陰毒(いんどく)一旦(いつたん)に解(とく)るといへども全く去(さら)ず、陰は陽に勝(かた)ざるを以て陽気至(いたれ)ば陰毒肉に暈(しみ)て腐(くさる)也。寒中雨雪(うせつ)に歩行(ありき)て冷(ひえ)たる人急に湯火を用ふべからず。己(おのれ)が人熱(じんねつ)の温(あたゝか)ならしむるをまつて用ふべし、長生(ちやうせい)の一術なり。 

北越雪譜(挿絵7-2)北越雪譜(挿絵7-1)


     ○ 雪 中 の 火 
 世に越後の七不思議(なゝふしぎ)と称する其一蒲原郡(かんばらこほり)妙法寺村の農家炉中(ろちゆう)の隅(すみ)石臼の孔(あな)より出(いづ)る火、人皆奇(き)也として口碑(かうひ)につたへ諸書に散見(さんけん)す。此火寛文年中始(はじめ)て出(いで)しと旧記(きうき)に見えたれば、三百余年の今において絶(たゆ)る事なきは奇中の奇也。天奇(き)を出(いだ)す事一ならず、おなじ国の魚沼郡(うをぬまこほり)に又一の奇火(きくわ)を出(いだ)せり。天公(てんたうさま)の機状(からくりのしかけ)かの妙法寺村の火とおなじ事也。彼は人の知る所、是は他国の人のしらざる所なればこゝに記(しるし)て話柄(はなしのたね)とす。
 越後の国魚沼郡
(うをぬまこほり)五日町といふ駅(えき)に近き西の方に低き山あり、山の裾に小溝(こみぞ)(あり)、天明年中二月の頃、そのほとりに童(わらべ)どもあつまりてさまざまの戯(たはむれ)をなして遊倦(あそびうみ)、木の枝をあつめ火を焚(たき)てあたりをりしに、其所よりすこしはなれて別に火燄々(えんえん)と燃(もえ)あがりければ、児曹(こどもら)大におそれ皆々四方に逃散(にげちり)けり。その中に一人の童(わらべ)(いへ)にかへり事の仔細(しさい)を親に語(かたり)けるに、此親(このおや)心ある者にてその所にいたり火の形状(かたち)を見るに、いまだ消(きえ)ざる雪中に手を入るべきほどの孔(あな)をなし孔より三四寸の上に火燃(もゆ)る。熟(よくよく)(みて)おもへらく、これ正(まさ)しく妙法寺村の火のるゐなるべしと火口(ほぐち)に石を入れてこれを消し家にかへりて人に語(かたら)ず、雪きえてのち再(ふたゝび)その所にいたりて見るに火のもえたるはかの小溝(こみぞ)の岸也。火燧(ひうち)をもて発燭(つけぎ)に火を点(てん)じ試(こゝろみ)に池中(ちちゆう)に投(なげ)いれしに、池中火を出(いだ)せし事庭燎(にはび)のごとし。水上に火燃(もゆ)るは妙法寺村の火よりも奇也として駅中(えきちゆう)の人々来(きた)りてこれを視る。そのゝち銭に才(かしこき)人かの池のほとりに混屋(ふろや)をつくり、筧(かけひ)を以て水をとるがごとくして地中の火を引き湯槽(ゆぶね)の竈(かまど)に燃(もや)し、又燈火(ともしび)にも代(かゆ)る。池中の水を湯にimg3.gif(わか)し価(あたひ)を以て浴せしむ。此湯硫黄(ゆわう)の気ありて能(よく)疥癬(しつ)の類(るゐ)を治(ぢ)し、一時流行して人群をなせり。
○按
(あんずる)に、地中に水脉(すゐみやく)と火脉(くわみやく)とあり、地は大陰(いん)なるゆゑ水脉は九分火脉は一分なり。かるがゆゑに火脉は甚(はなはだ)(まれ)也。地中の火脉凝結(こりむすぶ)ところかならず気息(いき)を出(いだ)す事人の気息のごとく、肉眼には見えず。火脉の気息に人間日用の陽火(ほんのひ)を加(くはふ)ればもえて焰(ほのほ)をなす、これを陰火(いんくわ)といひ寒火(かんくわ)といふ。寒火を引(ひく)に筧(かけひ)の筒の焦(こげ)ざるは、火脉の気いまだ陽火をうけて火とならざる気息ばかりなるゆゑ也。陽火をうくれば筒の口より一二寸の上に火をなす、こゝを以て火脉の気息の燃(もゆ)るを知るべし。妙法寺村の火も是也。是余(よ)が発明にあらず、古書に拠(より)て考(かんがへ)得たる所也。
     ○ 破 目 山(われめきやま)
  
魚沼郡(うをぬまこほり)清水村の奥に山あり、高さ一里あまり、周囲(めぐり)も一里あまり也。山中すべて大小の破隙(われめ)あるを以て山の名とす。山半(やまのなかば)は老樹(らうじゆ)(えだ)をつらね半(なかば)より上は岩石畳々(でふでふ)として其形(そのかたち)竜躍(りようをどり)虎怒(とらいかる)がごとく奇々怪々言(いふ)べからず。麓の左右に渓川(たにがは)あり合(がつ)して滝をなす、絶景又言(いふ)べからず。旱(ひでり)の時此滝壺(たきつぼ)に雩(あまこひ)すればかならず験(しるし)あり。一年(ひとゝせ)四月の半(なかば)雪の消(きえ)たる頃清水村の農夫ら二十人あまり集り、熊を狩(から)んとて此山にのぼり、かの破隙(われめ)の窟(うろ)をなしたる所かならず熊の住処(すみか)ならんと、例の番椒(たうがらし)烟草(たばこ)の茎(くき)を薪(たきゞ)に交(まぜ)、窟(うろ)にのぞんで焚(たき)たてしに熊はさらに出(いで)ず、窟(うろ)の深(ふかき)ゆゑに烟(けふり)の奥に至らざるならんと次日(つぎのひ)は薪(たきゞ)を増(ま)し山も焼(やけ)よと焚(たき)けるに、熊はいでずして一山の破隙(われめ)こゝかしこより烟(けふり)をいだして雲の起(おこる)が如くなりければ、奇異(きい)のおもひをなし熊を狩(から)ずして空(むな)しく立かへりしと清水村の農夫(のうふ)が語りぬ。おもふに此山半(なかば)より上は岩を骨として肉の土薄(うす)く地脉(ちみやく)気を通じて破隙(われめ)をなすにや、天地妙々の奇工(きこう)思量(はかりしる)べからず。

北越雪譜(挿絵8-2)北越雪譜(挿絵8-1)


     ○ 雪 頽(なだれ)
 
山より雪の崩頽(くづれおつる)を里言(さとことば)なだれといふ、又なでともいふ。按(あんずる)になだれは撫下(なでおり)る也、といふは活用(はたらかする)ことばなり、山にもいふ也。こゝには雪頽(ゆきくづる)の字を借(かり)て用ふ。字書に頽(たい)は暴風(ばうふう)ともあればよく叶へるにや。さて雪頽(なだれ)は雪吹(ふゞき)に双(ならべ)て雪国の難義とす。高山(たかやま)の雪は里よりも深く、凍るも又里よりは甚(はなはだ)し。我国東南の山々里(さと)にちかきも雪一丈四五尺なるは浅しとす。此雪こほりて岩のごとくなるもの、二月のころにいたれば陽気(やうき)地中より蒸(むし)て解(とけ)んとする時地気と天気との為(ため)に破(われ)て響(ひゞき)をなす。一片(へん)(われ)て片々(へんへん)破る、其ひゞき大木を折(をる)がごとし。これ雪頽(なだれ)んとするの萌(きざし)也。山の地勢と日の照(てら)すとによりてなだるゝ処(ところ)となだれざる処あり、なだるゝはかならず二月にあり。里人(さとひと)はその時をしり、処をしり、萌(きざし)を知るゆゑに、なだれのために撃死(うたれし)するもの稀(まれ)也。しかれども天の気候不意(ふい)にして一定(ぢやう)ならざれば、雪頽(なだれ)の下に身を粉(こ)に砕(くだく)もあり。雪頽(なだれ)の形勢(ありさま)いかんとなれば、なだれんとする雪の凍(こほり)、その大なるは十間以上小なるも九尺五尺にあまる、大小数百千悉(ことごと)く方(しかく)をなして削りたてたるごとく かならず方(かく)をなす事下に弁ず なるもの幾千丈の山の上より一度に崩頽(くづれおつ)る、その響(ひゞき)百千の雷(いかづち)をなし大木を折(をり)大石を倒す。此時はかならず暴風(はやて)力をそへて粉に砕(くだき)たる沙礫(こじやり)のごとき雪を飛(とば)せ、白日も暗夜(あんや)の如くその慄(おそろ)しき事筆帋(ひつし)に尽(つく)しがたし。此雪頽(なだれ)に命を捨(おと)しし人、命を拾(ひろひ)し人、我が見聞(みきゝ)したるを次の巻に記して暖国(だんこく)の人の話柄(はなしのたね)とす。 

 

或人(あるひと)問曰(とふていはく)、雪の形(かたち)六出(むつかど)なるは前に弁ありて詳(つまびらか)也。雪頽(なだれ)は雪の塊(かたまり)ならん、砕(くだけ)たる形(かたち)雪の六出(むつかど)なる本形(ほんけい)をうしなひて方形(かどだつ)はいかん。答(こたへ)て曰(いはく)、地気天に変格して雪となるゆゑ天の円(まるき)と地の方(かく)なるとを併合(あはせ)て六出(むつかど)をなす。六出(りくしゆつ)は円形(まろきかたち)の裏也。雪天陽(てんやう)を離(はなれ)て降下(ふりくだ)り地に皈(かへれ)ば天陽の円(まろ)き象(かたどり)うせて地陰の方(かく)なる本形(ほんけい)に象(かたど)る、ゆゑに雪頽(なだれ)は千も万も圭角(かどだつ)也。このなだれ解(とけ)るはじめは角々(かどかど)(まる)くなる、これ陽火(やうくわ)の日にてらさるゝゆゑ天の円(まろき)による也。陰中(いんちゆう)に陽(やう)を包み、陽中(やうちゆう)に陰(いん)を抱(いだく)は天地定理中(ぢやうりちゆう)の定格(ぢやうかく)也。老子経(らうしきやう)第四十二章に曰(いはく)、万物(ばんぶつ)陰而抱陽冲気以為(ばんぶついんをおびてやうをいだく、ちゆうきもつてくわをなす)といへり。此理(り)を以てする時はお内義(ないぎ)さまいつもお内義さまでは陰中(いんちゆう)に陽を抱(いだか)ずして天理に叶(かなは)ず、をりをりは夫(をつと)に代(かは)りて理屈をいはざれば家内(かない)(おさまら)ず、さればとて理屈に過(すぎ)牝鳥(めんどり)(とき)をつくれば、これも又家内の陰陽(いんやう)前後して天理に違(たが)ふゆゑ家の亡(ほろぶ)るもと也。万物の天理誣(しふ)べからざる事かくのごとしといひければ、問客(とひしひと)唯々(いゝ)として去りぬ。雪頽(なだれ)(ことごと)く方形(かどだつ)のみにもあらざれども十にして七八は方形をうしなはず、故に此説を下(くだ)せり。雪頽の図多く方形に从(したが)ふものは、其七八をとりて模様を為(な)すのみ。

 

 


北越雪譜初編巻之上 終 

 

 

 


                            
 
  (注)  1. 上記の『北越雪譜』(初編巻之上)の本文は、ワイド版岩波文庫『北越雪譜』(鈴
         木牧之編撰・京山人百樹刪定・岡田武松校訂、岩波書店・1991年12月6日第1
         刷発行)によりました。『北越雪譜』には、初編が3巻(上・中・下)、二編が4巻(巻
         一~巻四)あります。
          京山人百樹の叙は、岩波文庫の本文には訓点(返り点・送り仮名)が付いていま
         すが、ここではこれを省略してあります。
          なお、ここに掲げた挿絵は上記文庫掲載のものです。
        2. 次の漢字は、島根県立大学の“e漢字”を利用させていただきました。
         (1) 京山人百樹の敍に「々曰
中閉戸漫筆」とある、「」(雨+慧-心)の文字
         (2) 「雪中の洪水」の中の「こは何事やらんと
img1.gif(むね)もをどりて」の「img1.gif」の文字
         (3) 「熊捕」の中の「冬の藏蟄
(あなごもり)にはこれを(なめ)て飢を凌ぐ」の「」(舌
           +枼)の文字
         (4) 「熊人を助
(たすく)」の中の「惘然(ばうぜん)としてimg1.gif(むね)せまり」「愕然(びつくり)して
           
img1.gif(むね)も裂(さけ)るやう也しが」の「img1.gif」の文字
         (5) 「雪中の虫」の中の「
(だつ)(たい)の類」の「」(虫+旦)の文字
         (6) 「雪中の火」の中の「池中の水を湯に
(わか)し」の「」(火+覃)の文字
        3. 平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、仮名を繰り返して表記してあり
         ます(「さまざま」「へうへう」「へんへん」「そもそも」「ますます」など)。
        4. 原文は勿論縦書きですが、ここでは横書きにしてあります。また、原文の縦二重傍
         線は、ここでは一重の下線にしてあります。
          本文中のルビは、括弧に入れて読み仮名として示しました。ただし、本文中のルビ
         をすべて示したわけではなく、引用者が不要と判断したルビは省略してあります。ま
         た、原文にない読み仮名を引用者が補った個所が数か所あります。
        5. 岩波文庫巻末の「註解」に、次のようにあります。
         (1)「雪の堆量
(たかさ)」の条。
             「用意したる所の雪を尺をもつて量りしに」の雪と尺との間の『を』字は誤まつて
           挿入したものと思ふ。即ち「用意したる所の雪尺をもつて量りしに」とあるべきかと
           思はれる。
         (2)「雪中の火」の条。
             「妙法寺の火」妙法寺村は如法寺
(ニヨホフジ)村のことである。本書259頁(二編
           巻之三)に「蒲原郡如法寺村」とある。(以下、略)
         (3)「破目山」の条。
             「破目(ワレメキ)山」は「ワリメキ」と云ふのが正しい。
        6. 文庫巻末の「校訂の方針について」に、次のようにあります。
          
○初刷版本を底本とし、明らかな誤字・重複・脱字等を正した。
          ○仮名の清濁については、訂正のほどこされた後刷版本などを参照して最少限の補正をした。
          ○版本における割注は、小字による1行組みとした。
               (略)
          ○本文と初刷版本との校異、また初刷版本と後刷版本との異同のうち、主なものを次に掲げた。
                           校    異
               頁  行                          本文        初刷版本
               23  4   (「○雪意」の条の最後、       たけまはり     だけまはり
                      「たけまはりどうなりは秋の
                      彼岸前後にあり」のところ)
               40  4   (「○熊捕」の条の終わり近く、     不道         道
                      「されば黄金は道を以て得べし、
                     不道をもつて得べからず」のところ)  
               50 13    (「○雪吹」の条の初めのほう、     すんべ       ずんべ
                      「夫は蓑笠稿脚衣
(わらはゞき)
                            
すんべを穿き」のところ)  
                           (以下、略)
                           異    同
               頁  行                          本文        初刷版本
               32  3   (「○雪蟄」の条の最後、「雪中     熊と也       熊犬猫也
                      に籠り居て朝夕をなすものは人と
                      熊と也」のところ)
               54  8   (「○雪吹」の条の後半、「悲と喜            △里言には雪吹をふき
                      と両行の涙をおとしけるとぞ」の次)          いふこゝには里言によらず
                            (以下、略)
        7. 『北越雪譜』の刊行年について。
          文庫の校訂者・岡田武松氏の「第三刷の序文」及び「解説」(日付は昭和10年)に       
         よると、『北越雪譜』は初編上中下3冊、二編春夏秋冬4冊の合計7冊からなってい
         て、初編の上巻は天保6年の刊行、下巻の奥付は7年9月になっている。発行の書
         肆は江戸文溪堂。また、二編の春の巻は天保11年、冬の巻は天保13年に発行さ
         れた。版元は同じく文溪堂。明治の初年に多少の刪補を加えたものが、東京の山口
         屋書店から出版されている。
          文庫巻末の益田勝実氏の「『北越雪譜』のこと」には、活字本は昭和11年(1936
         年)の岩波文庫本が初めてで、戦後になって、野島出版の宮栄二監修『校註北越雪
         譜』や、日本庶民生活史料集成本、名著刊行会の写真版が出ている、また、野島出
         版は、牧之愛蔵の初刷本を複製し世に送った、とあります。
        8. 北越雪譜(ほくえつせっぷ)=随筆。越後の商人・文人鈴木牧之
(ぼくし)(1770-18
                  42)著。7巻。1837~42年(天保8~13)刊。越後の雪の観察記録
                  を主題に雪国の風俗・習慣・言語を伝える。
          鈴木牧之(すずき・ぼくし)=江戸後期の文人。越後の人。本名、儀三治。牧之は
                  俳号。著「北越雪譜」など。(1770-1842)
    
                                         
(以上、『広辞苑』第6版による。)
        9. フリー百科事典『ウィキペディア』に、「北越雪譜
」・「鈴木牧之」の項があります。
                 フリー百科事典『ウィキペディア』 → 
北越雪譜
                                       → 
鈴木牧之」
       10. 『国立国会図書館デジタルコレクション』に、「北越雪譜」(萬笈閣、刊年不明)
         が入っています。
             『国立国会図書館デジタルコレクション』
                 
 「北越雪譜」初編巻之上  :   → 「北越雪譜」二編巻一
     
            → 「北越雪譜」初編巻之中  :   → 「北越雪譜」二編巻二  
                    → 
「北越雪譜」初編巻之下    :    → 「北越雪譜」二編巻三
                                     :   → 「北越雪譜」二編巻四
       11. 早稲田大学図書館の『古典籍総合データベース』に、文溪堂、天保7~13年発行
         の『北越雪譜』が入っています。
           
→  『古典籍総合データベース』 →  『北越雪譜』(文溪堂、天保7~13年刊)
       12. 信州大学附属図書館の『近世日本山岳関係データベース』で、『北越雪譜』(擁萬閣、
         東都書肆、山口屋 森江佐七)を画像で見ることができます。
               
『近世日本山岳関係データベース』 『北越雪譜』(初編天)
       13. 新潟県立図書館/
新潟県立文書館の『越後佐渡デジタルライブラリー』で、新潟県立
         文書館所蔵の
『北越雪譜』(明治期に出版された江戸期の版本・雁金屋本)を画像で
         見ることができます。 
 
             『越後佐渡デジタルライブラリー』 →
『北越雪譜 初編天』(雁金屋本)            
       14. 富山大学の『To Repo 富山大学学術情報リポジトリ』で、『北越雪譜』(江戸:丁字屋
         平兵衛蔵版、小泉八雲旧蔵書)を画像で見ることができます。
  
           『富山大学学術情報リポジトリ』 → 北越雪譜」と入力して検索。                

       15. 『Digitalisierte Sammlungen』(『ベルリン州立図書館(ベルリン国立図書館)』)という
         サイトで、『北越雪譜』(文溪堂梓行)を画像で見ることができます。
 
                
『Digitalisierte Sammlungen』 → 『北越雪譜』
                                     
→ 『北越雪譜』初編巻之上(文溪堂梓行)

       16. 新潟県南魚沼市塩沢に、『鈴木牧之記念館』があります。
       17. 資料491に「『北越雪譜』総目録」があります。
 
             → 
資料491『北越雪譜』総目録                           
       




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