資料470 白隠禅師坐禅和讃
         



      
白隱禪師坐禪和讚 
     

 

衆生(しゆじやう)本來佛なり
水と氷のごとくにて
水をはなれて氷なく
衆生の外に佛なし
衆生近きを不知
(しらず)して
遠く求
(もとむ)るはかなさよ
(たとへ)ば水の中に居て
(かつ)を叫(さけぶ)がごとくなり
長者の家の子となりて
貧里に迷ふに異ならず
六趣輪廻
(ろくしゆりんね)の因縁は
(おのれ)が愚痴の闇路なり
闇路にやみぢを踏
(ふみ)そへて
いつか生死
(しやうじ)をはなるべき
(そ)れ摩訶衍(まかえん)の禪定(ぜんじやう)
稱歎
(しようたん)するに餘(あま)りあり
布施や持戒の諸波羅蜜
(しよはらみつ)
念佛懺悔修行等
(とう)
(その)品多き諸善行(しよぜんぎやう)
皆この中
(うち)に歸するなり
一座の功をなす人も
(つみ)し無量の罪ほろぶ
惡趣いづくにありぬべき
淨土即ち遠からず
(かたじけな)くも此の法(のり)
一たび耳にふるる時
さんたん隨喜
(ずゐき)する人は
福を得
(う)る事限りなし
いはんや自
(みづか)ら回向して
(ぢき)に自性(じしやう)を證すれば
自性即ち無性
(むしやう)にて
すでに戯論
(けろん)を離れたり
因果一如
(いちによ)の門ひらけ
無二無三の道直
(なほ)
無相
(むさう)の相(さう)を相として
(ゆく)も歸るも餘所(よそ)ならず
無念の念を念として
(うた)ふも舞ふも法(のり)の聲
三昧
(ざんまい)無碍(むげ)の空ひろく
四智
(しち)圓明(ゑんみやう)の月さえん
此時何をか求むべき
寂滅
(じやくめつ)現前するゆへに
當所即ち蓮華國
(れんげこく)
此身(このみ)即ち佛なり
 


  (注) 1.  上記の「白隠禅師坐禅和讃」は、『白隠禅師法語録』(白隠著、森江英二・編輯兼発行、森書店・大正11年3月25日発行)に拠りました。
 ただし、引用者の判断で、本文の「水の氷のごとくにて」を「水と氷のごとくにて」に、「波羅密」を「波羅蜜」に、「皆この中
(なか)に歸するなり」の「中(なか)」を「中(うち)」に改めてあります。なお、「ゆへに」の仮名は原文のままにしてあります。     
   
    2.  上記の『白隠禅師法語録』は『国立国会図書館デジタルコレクション』に収められており、そこで画像の本文を見ることができます。
 
『国立国会図書館デジタルコレクション』 
    → 
『白隠禅師法語録』 10/107
   
    3.  フリー百科事典『ウィキペディア』に、「坐禅和讃」「白隠慧鶴」の項があります。            
    4.  白隠(はくいん)=江戸中期の臨済宗の僧。名は慧鶴(えかく)、号は鵠林。駿河の人。若くして各地で修行、京都妙心寺第一座となった後も諸国を遍歴教化、駿河の松蔭寺などを復興したほか多くの信者を集め、臨済宗中興の祖とされた。気魄ある禅画をよくした。諡号(しごう)は神機独妙禅師・正宗国師。著「荊叢毒蘂」「息耕録」「槐安国語」「遠羅天釜(おらでがま)」「夜船閑話」など。(1685-1768)(『広辞苑』第6版による。)    
    5.  「坐禅和讃」の意訳や現代語訳が出ていサイトがあります。一つだけ挙げておきます。
 『web智光院』の「白隠禅師坐禅和讃 概説」
   
    6.  『花園大学国際禅学研究所』というサイトに「白隠禅師坐禅和讃」の解説があり、そこに「現在、臨済宗では毎日唱えられるので、白隠著作の中でもっとも人口に膾炙したものとなっている。すでに口に親しく、耳に聞き慣れているので、白隠禅の真髄のように思われがちだが、そうではない。おそらくは白隠が40歳までに書かれたものと思われる。坐禅の効能を賛歎することは、必ずしも禅師の思想の核心ではない」とあります。
 詳しくは下記のサイトをご覧ください。
 『花園大学国際禅学研究所』 
       → 「坐禅和讃 [解説]」


 なお、ここで見られる白隠自筆の和讃とされる「深沢氏蔵自筆本」には、上に掲げてあるものと表記に「和賛」「六種」「愚癡」「暗路」「早晩カ」「遁ル」などの違いが見られます。

      
   
    7.  資料310に、「白隠禅師「夜船閑話」(やせんかんな)」があります。    
           



 
        

       
                
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