資料453 鴨長明『方丈記』




        方丈記   鴨 長 明 

  ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたる例(ためし)なし。世中(よのなか)にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
 たましきの都のうちに、棟(むね)を並べ、甍(いらか)を爭へる、高き、いやしき、人の住(すま)ひは、世々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或(あるい)は去年(こぞ)燒けて今年作れり。或は大家(おほいへ)亡びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変(かは)らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝(あした)に死に、夕(ゆふべ)に生(うま)るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。不知(しらず)、生(うま)れ死ぬる人、何方(いづかた)より來たりて、何方へか去る。また不知(しらず)、假(かり)の宿り、誰(た)が為にか心を惱まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、主(あるじ)と栖(すみか)と、無常を爭ふさま、いはゞあさがほの露に異ならず。或は露落ちて花殘れり。殘るといへども朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕(ゆふべ)を待つ事なし。
 予(われ)、ものの心を知れりしより、四十(よそぢ)あまりの春秋をおくれるあひだに、世の不思議を見る事、やゝたびたびになりぬ。
 去(いんし)安元三年四月(うづき)廿八日かとよ。風烈しく吹きて、靜かならざりし夜(よ)、戌(いぬ)の時許(ばかり)、都の東北(たつみ)より風出(い)で來て、西北(いぬゐ)に至る。はてには朱雀門(すざくもん)・大極殿(だいこくでん)・大學寮・民部省などまで移りて、一夜(ひとよ)のうちに塵灰(ちりはひ)となりにき。
 火(ほ)もとは、樋口(ひぐち)富(とみ)の小路とかや、舞人(まひびと)を宿せる假屋より出で來たりけるとなん。吹き迷ふ風に、とかく移りゆくほどに、扇(あふぎ)をひろげたるがごとく末廣になりぬ。遠き家は煙(けぶり)に咽(むせ)び、近きあたりはひたすら焰(ほの)ほを地に吹きつけたり。空には灰を吹き立てたれば、火の光に映じて、あまねく紅(くれなゐ)なる中に、風に堪へず、吹き切られたる焰、飛ぶが如くして一二町を越えつゝ移りゆく。その中の人、現(うつ)し心あらむや。或は煙に咽びて倒れ伏し、或は焰にまぐれてたちまちに死ぬ。或は身ひとつ、からうじて逃(のが)るゝも、資財を取り出づるに及ばず、七珍万寶(しつちんまんぽう)さながら灰燼(くわいじん)となりにき。その費(つひ)え、いくそばくぞ。そのたび、公卿(くぎやう)の家十六燒けたり。ましてその外、数へ知るに及ばず。惣(すべ)て都のうち、三分が一に及べリとぞ。男女(なんによ)死ぬるもの数十人、馬・牛のたぐひ邊際(へんさい)を不知(しらず)。
 人の營み、皆愚かなるなかに、さしも危ふき京中(きやうぢう)の家をつくるとて、寶を費(つひや)し、心を惱ます事は、すぐれてあぢきなくぞ侍(はべ)る。
 また、治承四年卯月のころ、中御門(なかのみかど)京極のほどより大きなる辻風おこりて、六条わたりまで吹ける事侍りき。
 三四町を吹きまくる間に、こもれる家ども、大(おほ)きなるも小さきも、一つとして破れざるはなし。さながら平(ひら)に倒れたるもあり、桁(けた)・柱ばかり殘れるもあり。門(かど)を吹きはなちて四五町がほかに置き、また、垣を吹きはらひて隣と一つになせり。いはむや、家(いへ)のうちの資財、數を盡(つく)して空にあり、檜皮(ひはだ)・葺板(ふきいた)のたぐひ、冬の木(こ)の葉の風に亂るるが如し。塵を煙の如く吹き立てたれば、すべて目も見えず、おびたゝしく鳴りどよむほどに、もの言ふ聲も聞えず。かの地獄の業(ごふ)の風なりとも、かばかりにこそはとぞおぼゆる。家の損亡(そんまう)せるのみにあらず、これを取り繕ふ間に、身を損ひ、かたはづける人、數も知らず。この風、未(ひつじ)の方に移りゆきて、多くの人の歎きなせり。
 辻風は常に吹くものなれど、かゝる事やある、たゞ事にあらず、さるべきもののさとしか、などぞ疑ひ侍りし。
 また、治承四年水無月の比(ころ)、にはかに都遷(みやこうつ)り侍りき。いと思ひの外なりし事なり。おほかた、この京(きやう)のはじめを聞ける事は、嵯峨の天皇の御時、都と定まりにけるより後、すでに四百余歳を經たり。ことなるゆゑなくて、たやすく改まるべくもあらねば、これを世の人安からず憂へあへる、實(げ)にことわりにも過ぎたり。
 されど、とかくいふかひなくて、帝(みかど)より始め奉りて、大臣・公卿みな悉く移ろひ給ひぬ。世に仕ふるほどの人、たれか一人ふるさとに殘りをらむ。官(つかさ)・位に思ひをかけ、主君のかげを賴むほどの人は、一日なりとも疾く移ろはむとはげみ、時を失ひ世に余されて期(ご)する所なきものは、愁へながら止(と)まり居(を)り。軒を爭ひし人のすまひ、日を經つゝ荒れゆく。家はこぼたれて淀河に浮び、地は目のまへに畠となる。人の心みな改まりて、たゞ馬・鞍をのみ重くす。牛・車を用する人なし。西南海の領所を願ひて、東北の庄薗を好まず。
 その時おのづから事の便りありて、津の國の今の京に至れり。所のありさまを見るに、その地、程狹(せば)くて條里を割るに足らず。北は山にそひて高く、南は海近くて下(くだ)れり。波の音、常にかまびすしく、鹽風殊にはげし。内裏は山の中なれば、かの木の丸殿(まろどの)もかくやと、なかなか樣(やう)かはりて優なるかたも侍り。日々にこぼち、川も狹(せ)に運び下(くだ)す家、いづくに作れるにかあるらむ。なほ空しき地は多く、作れる家(や)は少(すくな)し。古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず。ありとしある人は皆浮雲の思ひをなせり。もとよりこの所にをるものは、地を失ひて愁ふ。今移れる人は、土木のわづらひある事を嘆く。道のほとりを見れば、車に乘るべきは馬に乘り、衣冠・布衣(ほい)なるべきは、多く直垂(ひたゝれ)を着たり。都の手振りたちまちに改まりて、たゞひなびたる武士(ものゝふ)に異ならず。世の亂るゝ瑞相(ずいさう)とか聞けるもしるく、日を經つゝ世中(よのなか)浮き立ちて、人の心もをさまらず、民の愁へ、つひに空しからざりければ、同じき年の冬、なほこの京に歸り給ひにき。されど、こぼちわたせりし家どもは、いかになりにけるにか、悉くもとの樣にしも作らず。
 傳へ聞く、古(いにしへ)の賢き御世には、憐みを以て國を治め給ふ。すなはち、殿に茅(かや)ふきて、その軒をだにとゝのへず、煙の乏(とも)しきを見給ふ時は、限りある貢物(みつぎもの)をさへゆるされき。これ、民を惠み、世を助け給ふによりてなり。今の世のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。
 また、養和のころとか、久しくなりて覺えず、二年(ふたとせ)があひだ、世中(よのなか)飢渇(けかつ)して、あさましき事侍りき。或は春夏ひでり、或は秋、大風・洪水など、よからぬ事どもうち續きて、五穀ことごとくならず。むなしく春かへし、夏植うるいとなみありて、秋刈り冬收むるぞめきはなし。
 これによりて、國々の民、或は地を棄てて境を出で、或は家を忘れて山に住む。さまざまの御祈(おんいのり)はじまりて、なべてならぬ法ども行はるれど、更にそのしるしなし。京のならひ、何わざにつけても、みなもとは田舎をこそ賴めるに、絶えて上(のぼ)るものなければ、さのみやは操(みさを)もつくりあへん。念じわびつゝ、さまざまの財物(たからもの)、かたはしより捨つるがごとくすれども、更に、目見立(めみた)つる人なし。たまたま換ふるものは金(こがね)を輕(かろ)くし、粟(ぞく)を重くす。乞食(こつじき)、路のほとりに多く、愁へ悲しむ聲耳に滿てり。
 前の年、かくの如く辛うじて暮れぬ。明くる年は立ち直るべきかと思ふほどに、あまりさへ疫癘(えきれい)うちそひて、まさゝまに、あとかたなし。世人(よのひと)みなけいしぬれば、日を經つゝきはまりゆくさま、少水(せうすい)の魚(いを)のたとへにかなへり。はてには、笠打ち着、足引き包み、よろしき姿したるもの、ひたすらに家ごとに乞ひ歩(あり)く。かくわびしれたるものどもの、歩(あり)くかと見れば、すなはち倒れ伏しぬ。築地(ついひぢ)のつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬるもののたぐひ、數も不知(しらず)。取り捨つるわざも知らねば、くさき香(か)世界にみち滿ちて、変りゆくかたちありさま、目も當てられぬこと多かり。いはむや、河原(かはら)などには、馬・車の行き交ふ道だになし。あやしき賤(しづ)山がつも力盡きて、薪(たきゞ)さへ乏(とも)しくなりゆけば、賴むかたなき人は、自(みづか)らが家をこぼちて、市(いち)に出でて賣る。一人が持ちて出でたる價(あたひ)、一日が命にだに不及(およばず)とぞ。あやしき事は、薪(たきぎ)の中に、赤き丹(に)着き、箔(はく)など所々に見ゆる木、あひまじはりけるを尋ぬれば、すべきかたなきもの、古(ふる)寺に至りて仏を盗み、堂の物の具を破り取りて、割り碎けるなりけり。濁惡(ぢよくあく)の世にしも生れ合ひて、かゝる心憂きわざをなん見侍りし。
 また、いとあはれなる事も侍りき。さりがたき妻(め)・をとこ持ちたるものは、その思ひまさりて深きもの、必ず先立ちて死ぬ。その故は、わが身は次にして、人をいたはしく思ふあひだに、稀々(まれまれ)得たる食ひ物をも、かれに讓るによりてなり。されば、親子あるものは、定(さだ)まれる事にて、親ぞ先立ちける。また、母の命盡きたるを不知(しらず)して、いとけなき子の、なほ乳(ち)を吸ひつゝ臥せるなどもありけり。仁和寺に隆曉法印(りうげうほふいん)といふ人、かくしつゝ數も不知(しらず)死ぬる事を悲しみて、その首(かうべ)の見ゆるごとに、額(ひたひ)に阿字を書きて、縁を結ばしむるわざをなんせられける。人數(かず)を知らむとて、四・五兩月を數へたりければ、京のうち、一条よりは南、九条より北、京極よりは西、朱雀(すざく)よりは東の、路のほとりなる頭(かしら)、すべて四万二千三百余りなんありける。いはむや、その前後に死ぬるもの多く、また河原(かはら)・白河・西の京、もろもろの邊地(へんぢ)などを加へていはば、際限もあるべからず。いかにいはむや、七道諸國をや。
 崇徳院の御位の時、長承(ちやうじよう)のころとか、かゝる例(ためし)ありけりと聞けど、その世のありさまは知らず、まのあたりめづらかなりし事なり。
   また、おなじころかとよ、おびたゝしく大地震(おほなゐ)ふること侍りき。
  そのさま、よのつねならず。山はくづれて河を埋(うづ)み、海は傾(かたぶ)きて陸地(ろくじ)をひたせり。土裂けて水涌(わ)き出で、巖(いはほ)割れて谷にまろび入(い)る。なぎさ漕(こ)ぐ船は波にたゞよひ、道行(ゆ)く馬はあしの立ちどをまどはす。都のほとりには、在々所々(ざいざいしよしよ)、堂舍塔廟(だうしやたふめう)、一つとして全(また)からず。或はくづれ、或はたふれぬ。塵灰(ちりはひ)たちのぼりて、盛りなる煙の如し。地の動き、家のやぶるゝ音、雷(いかづち)にことならず。家の内にをれば、忽(たちまち)にひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも乘らむ。恐れのなかに恐るべかりけるは、只(ただ)地震(なゐ)なりけりとこそ覺え侍りしか。
 かく、おびたゝしくふる事は、しばしにて止みにしかども、その余波(なごり)、しばしは絶えず。よのつね、驚くほどの地震(なゐ)、二三十度ふらぬ日はなし。十日・廿日過ぎにしかば、やうやう間遠(まどほ)になりて、或は四五度、二三度、若(もし)は一日(ひとひ)まぜ、二三日に一度など、おほかたその余波(なごり)、三月ばかりや侍りけむ。
 四大種(しだいしゆ)のなかに、水(すい)・火(くわ)・風(ふう)はつねに害をなせど、大地にいたりては異なる変(へん)をなさず。昔、齊衡(さいかう)のころとか、大地震(おほなゐ)ふりて、東大寺の仏の御首(みぐし)落ちなど、いみじき事どもはべりけれど、なほこの度(たび)には如(し)かずとぞ。すなはちは、人みなあぢきなき事をのべて、いさゝか心の濁(にご)りもうすらぐと見えしかど、月日かさなり、年經(へ)にしのちは、ことばにかけて言ひ出づる人だになし。
 すべて世中(よのなか)のありにくゝ、我が身と栖(すみか)との、はかなく、あだなるさま、またかくのごとし。いはむや、所により、身の程にしたがひつゝ、心をなやます事は、あげて不可計(かぞふべからず)。
 若(もし)、おのれが身、数ならずして、權門(けんもん)のかたはらに居(を)るものは、深くよろこぶ事あれども、大きにたのしむに能はず。なげき切(せち)なるときも、聲をあげて泣くことなし。進退(しんだい)やすからず、起居(たちゐ)につけて、恐れをのゝくさま、たとへば、雀の鷹の巢に近づけるがごとし。若(もし)、貧しくして、富める家のとなりに居(を)るものは、朝夕すぼき姿を恥ぢて、へつらひつゝ出で入(い)る。妻子・僮僕の羨めるさまを見るにも、福家(ふくか)の人のないがしろなるけしきを聞くにも、心念々(ねんねん)に動きて、時として安からず。若(もし)、せばき地に居(を)れば、近く炎上(うぇんしやう)ある時、その災(さい)を逃(のが)るゝ事なし。若(もし)、邊地(へんぢ)にあれば、往反(わうへん)わづらひ多く、盗賊の難はなはだし。また、いきほひあるものは貪欲(とんよく)ふかく、獨身(ひとりみ)なるものは人にかろめらる。財(たから)あればおそれ多く、貧(まづし)ければうらみ切なり。人を賴めば、身、他の有(いう)なり。人をはぐくめば、心、恩愛につかはる。世にしたがへば、身くるし。したがはねば、狂(きやう)せるに似たり。いづれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身を宿(やど)し、たまゆらも心を休むべき。
 わが身、父方の祖母(おほば)の家につたへて、久しくかの所に住む。その後、縁缺けて身衰へ、しのぶかたがたしげかりしかど、つひにあととむる事を得ず、三十(みそぢ)あまりにして、更にわが心と、一の菴(いほり)をむすぶ。これをありしすまひにならぶるに、十分(じふぶ)が一なり。居屋(ゐや)ばかりをかまへて、はかばかしく屋(や)をつくるに及ばず。わづかに築地(ついひぢ)を築(つ)けりといへども、門(かど)を建つるたづきなし。竹を柱として車をやどせり。雪降り、風吹くごとに、あやふからずしもあらず。所、河原(かはら)近ければ、水の難も深く、白波のおそれもさわがし。
 すべて、あられぬ世を念じ過(すぐ)しつゝ、心をなやませる事、三十余年なり。その間、をりをりのたがひめ、おのづからみじかき運をさとりぬ。すなはち、五十(いそぢ)の春を迎へて、家を出で、世を背(そむ)けり。もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。身に官祿(くわんろく)あらず、何に付けてか執(しふ)を留(とゞ)めん。むなしく大原山の雲にふして、また五(いつ)かへりの春秋をなん經にける。
 こゝに六十(むそぢ)の露消えがたに及びて、更に末葉(すゑは)の宿りを結べる事あり。いはゞ、旅人の一夜(ひとよ)の宿をつくり、老いたる蠶(かひこ)の繭(まゆ)を營(いとな)むがごとし。これを中比(なかごろ)の栖(すみか)にならぶれば、また百分(ひやくぶ)が一に及ばず。とかくいふほどに、齡(よはひ)は歳々(としどし)にたかく、栖(すみか)は折々(をりをり)にせばし。その家のありさま、よのつねにも似ず。廣さはわづかに方丈(はうぢやう)、高さは七尺がうちなり。所を思ひ定めざるがゆゑに、地を占めてつくらず、土居(つちゐ)を組み、うちおほひを葺きて、繼目(つぎめ)ごとにかけがねを掛けたり。若(もし)、心にかなはぬ事あらば、やすく外(ほか)へ移さむがためなり。その、あらため作る事、いくばくのわづらひかある。積むところ、わづかに二兩、車の力を報(むく)ふほかには、さらに他の用途(ようとう)いらず。
 いま、日野山の奥に跡をかくしてのち、東に三尺余(あまり)の庇(ひさし)をさして、柴折りくぶるよすがとす。南、竹の簀子(すのこ)を敷き、その西に閼伽棚(あかだな)をつくり、北によせて障子をへだてて阿弥陀の繪像を安置(あんぢ)し、そばに普賢をかき、まへに法花經(ほけきやう)をおけり。東のきはに蕨(わらび)のほどろを敷きて、夜の床(ゆか)とす。西南(にしみなみ)に竹の吊棚(つりだな)を構へて、黑き皮籠(かはご)三合をおけり。すなはち、和歌・管絃(くわんげん)・往生要集(わうじやうえうしふ)ごときの抄物(せうもつ)を入れたり。かたはらに、琴・琵琶おのおの一張(ちやう)をたつ。いはゆる、をり琴・つぎ琵琶これなり。假りの菴(いほり)のありやう、かくのごとし。
 その所のさまをいはば、南に懸樋(かけひ)あり。岩を立てて、水を溜めたり。林の木ちかければ、爪木(つまぎ)をひろふに乏(とも)しからず。名をと山といふ。まさきのかづら、跡埋(うづ)めり。谷しげけれど、西晴れたり。觀念のたより、なきにしもあらず。春は藤波を見る。紫雲(しうん)のごとくして、西方に匂ふ。夏は郭公(ほととぎす)を聞く。語らふごとに、死出(しで)の山路(やまぢ)を契(ちぎ)る。秋はひぐらしの聲、耳に滿てり。うつせみの世をかなしむほど聞こゆ。冬は雪をあはれぶ。積り消ゆるさま、罪障(ざいしやう)にたとへつべし。若(もし)、念仏ものうく、讀經(とつきやう)まめならぬ時は、みづから休み、身づからおこたる。さまたぐる人もなく、また恥づべき人もなし。ことさらに無言をせざれども、獨り居れば、口業(くごふ)を修めつべし。必ず禁戒を守るとしもなくとも、境界(きやうがい)なければ何につけてか破らん。若(もし)、あとの白波に、この身を寄する朝(あした)には、岡の屋(や)にゆきかふ船をながめて、滿沙弥(まんしやみ)が風情を盗み、もし、桂の風、葉を鳴らす夕(ゆふべ)には、潯陽(じんやう)の江(え)を思ひやりて、源都督(げんととく)のおこなひをならふ。若(もし)、余興あれば、しばしば松のひゞきに秋風樂(しうふうらく)をたぐへ、水のおとに流泉(りうせん)の曲をあやつる。藝はこれつたなけれども、人の耳をよろこばしめむとにはあらず。ひとりしらべ、ひとり詠じて、みづから情(こゝろ)をやしなふばかりなり。
 また、ふもとに一(ひとつ)の柴の菴(いほり)あり。すなはち、この山守(やまもり)が居(を)る所なり。かしこに小童(こわらは)あり。ときどき來たりてあひとぶらふ。若(もし)、つれづれなる時は、これを友として遊行(ゆぎやう)す。かれは十歳、これは六十(むそぢ)。そのよはひ、ことのほかなれど、心をなぐさむること、これ同じ。或は茅花(つばな)を拔き、岩梨(いはなし)をとり、零余子(ぬかご)をもり、芹(せり)をつむ。或はすそわの田居(たゐ)にいたりて、落穗を拾ひて、穗組(ほくみ)をつくる。若(もし)、うらゝかなれば、峰によぢのぼりて、はるかにふるさとの空をのぞみ、木幡(こはた)山、伏見の里、鳥羽、羽束師(はつかし)を見る。勝地(しようち)は主(ぬし)なければ、心をなぐさむるにさはりなし。歩(あゆ)みわづらひなく、心遠くいたるときは、これより峰つゞき、炭山(すみやま)をこえ、笠取(かさとり)を過ぎて、或は石間(いはま)にまうで、或は石山ををがむ。若(もし)はまた、粟津(あはづ)の原を分けつゝ、蟬歌(せみうた)の翁(おきな)があとをとぶらひ、田上(たなかみ)河をわたりて、猿丸大夫(さるまろまうちぎみ)が墓をたづぬ。かへるさには、をりにつけつゝ、櫻を狩り、紅葉(もみぢ)をもとめ、わらびを折り、木(こ)の実をひろひて、かつは仏にたてまつり、かつは家づととす。若(もし)、夜しづかなれば、窓の月に故人をしのび、猿のこゑに袖をうるほす。くさむらの螢は遠くまきの島のかゞり火にまがひ、曉の雨はおのづから木(こ)の葉吹くあらしに似たり。山鳥のほろほろと鳴くを聞きても、父か母かとうたがひ、峰の鹿(かせぎ)の近く馴れたるにつけても、世に遠ざかるほどを知る。或はまた、埋(うづ)み火をかきおこして、老いの寢覺(ねざ)めの友とす。おそろしき山ならねば、梟(ふくろふ)の聲をあはれむにつけても、山中の景氣(けいき)、折につけて、盡くる事なし。いはむや、深く思ひ、深く知らむ人のためには、これにしも限るべからず。
 おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思ひしかども、今すでに、五年(いつとせ)を經たり。假りの菴(いほり)もやゝふるさととなりて、軒に朽ち葉(ば)ふかく、土居(つちゐ)に苔むせり。おのづから、ことの便りに都を聞けば、この山にこもり居てのち、やむごとなき人のかくれ給へるもあまた聞こゆ。まして、その数ならぬたぐひ、盡くしてこれを知るべからず。たびたびの炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ。たゞ假りの菴のみ、のどけくしておそれなし。ほどせばしといへども、夜(よる)臥(ふ)す床(ゆか)あり、晝居(ゐ)る座あり。一身をやどすに不足なし。かむなは小さき貝を好む。これ身知れるによりてなり。みさごは荒磯(あらいそ)に居(ゐ)る。すなはち、人をおそるゝがゆゑなり。われまたかくのごとし。身を知り、世を知れれば、願はず、走(わし)らず。たゞしづかなるを望みとし、憂へ無きをたのしみとす。惣(すべ)て世の人のすみかをつくるならひ、必ずしも、身のためにせず。或は妻子・眷屬(けんぞく)の為につくり、或は親昵(しんじつ)・朋友の為につくる。主君・師匠、および財寶・牛馬の為にさへこれをつくる。われ、今、身の為にむすべり。人の為につくらず。ゆゑいかんとなれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、たのむべき奴(やつこ)もなし。縱(たとひ)、ひろくつくれりとも、誰(たれ)を宿し、誰をか据ゑん。
 夫(それ)、人の友とあるものは、富めるをたふとみ、ねむごろなるを先(さき)とす。必ずしも、なさけあると、すなほなるとをば不愛(あいせず)。只、絲竹(しちく)・花月を友とせんにはしかじ。人の奴(やつこ)たるものは、賞罰はなはだしく、恩顧あつきをさきとす。更に、はぐくみあはれむと、安くしづかなるとをば願はず。只、わが身を奴婢(ぬひ)とするにはしかず。いかゞ奴婢とするとならば、若(もし)、なすべき事あれば、すなはちおのが身をつかふ。たゆからずしもあらねど、人をしたがへ、人をかへりみるよりやすし。若(もし)、ありくべき事あれば、みづからあゆむ。苦しといへども、馬・鞍・牛・車と、心をなやますにはしかず。今、一身をわかちて、二(ふたつ)の用をなす。手の奴、足の乘り物、よくわが心にかなへり。心、身の苦しみを知れれば、苦しむ時は休めつ、まめなれば使ふ。使ふとても、たびたび過ぐさず。もの憂しとても、心を動かす事なし。いかにいはむや、つねにありき、つねに働くは、養性(やうじやう)なるべし。なんぞいたづらに休み居(を)らん。人をなやます、罪業(ざいごふ)なり。いかゞ他(た)の力を借(か)るべき。衣食のたぐひ、またおなじ。藤の衣、麻のふすま、得(う)るにしたがひて、肌(はだへ)をかくし、野邊のおはぎ、峰の木(こ)の実、わづかに命をつぐばかりなり。人にまじはらざれば、すがたを恥づる悔いもなし。糧(かて)ともしければ、おろそかなる報(むくい)をあまくす。惣(すべ)て、かやうの樂しみ、富める人に對していふにはあらず。只、わが身ひとつにとりて、むかし今とをなぞらふるばかりなり。
 夫(それ)、三界(さんがい)は只心ひとつなり。心若(もし)やすからずは、象馬(ざうめ)・七珍(しつちん)もよしなく、宮殿・楼閣も望みなし。今、さびしきすまひ、一間(ひとま)の菴(いほり)、みづからこれを愛す。おのづから、都に出でて、身の乞匃(こつがい)となれる事を恥づといへども、歸りてこゝに居(を)る時は、他の俗塵に馳(は)する事をあはれむ。若(もし)、人このいへる事を疑はば、魚(いを)と鳥とのありさまを見よ。魚(いを)は水に飽かず。魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は林をねがふ。鳥にあらざれば、その心を知らず。閑居(かんきよ)の氣味(きび)もまたおなじ。住まずして誰(たれ)かさとらむ。
 抑(そもそも)、一期(いちご)の月影かたぶきて、余算、山の端(は)に近し。たちまちに三途(さんづ)の闇に向はんとす。何のわざをかかこたむとする。仏の敎へ給ふおもむきは、事にふれて執心(しふしん)なかれとなり。今、草菴(さうあん)を愛するもとがとす。閑寂(かんせき)に著(ぢやく)するもさはりなるべし。いかゞ要(えう)なき樂しみを述べて、あたら時を過ぐさむ。
 しづかなる曉、このことわりを思ひつゞけて、みづから心に問ひていはく、世を遁(のが)れて、山林にまじはるは、心を修めて道を行はむとなり。しかるを、汝、すがたは聖人(ひじり)にて、心は濁りに染(し)めり。栖(すみか)はすなはち、淨名居士(じやうみやうこじ)の跡をけがせりといへども、保つところは、わづかに周利槃特(しゆりはんどく)が行(おこなひ)にだに及ばず。若(もし)これ、貧賤の報(むくい)のみづからなやますか、はたまた、妄心(まうしん)のいたりて狂せるか。そのとき、心更に答ふる事なし。只、かたはらに舌根(ぜつこん)をやとひて、不請(ふしやう)の阿弥陀仏、兩三遍申してやみぬ。
 于時(ときに)、建暦のふたとせ、やよひのつごもりごろ、桑門(さうもん)の蓮胤(れんいん)、外山(とやま)の菴(いほり)にして、これをしるす。


 方丈記

  右一巻者鴨長明自筆也
  従西南院相傳之
   寛元二年二月 日
            親 快 證 之



  (注) 1.  上記の「方丈記」の本文は、日本古典文学大系30『方丈記 徒然草』(西尾實・校注、岩波書店・昭和32年6月5日第1刷発行、昭和39年2月15日第8刷発行)に拠りました。          
    2.   日本古典文学大系の凡例に、「古典保存会複製大福光寺本方丈記を底本とした」、「育徳財団複製前田家本方丈記および古典文庫複製一条兼良本方丈記によって校訂を加えた」、「底本は漢字と片仮名のつづけ書きで、段落を切らず、濁点・句読点もないが、本書では片仮名を平仮名に改め、校注者の見解によって、章を分け、段落を切り、濁点・句読点を施した」、「本文の仮名遣は歴史的仮名遣に統一した」、「底本の送り仮名が不足で読みにくいと思われる場合はそれを補い、( )に入れた」とあります。
 しかし、ここの本文では、章を分けることはせず、( )に入れた送り仮名も括弧をはずしてあります。               
   
    3.  本文中の、平仮名の「く」を縦に伸ばした形の繰り返し符号は、ここではこれを元の仮名を繰り返して表記してあります。(「たびたび」「なかなか」「ことごとく」「さまざま」「たまたま」など)。    
    4.  〇方丈記(ほうじょうき)=鎌倉初期の随筆。鴨長明著。1巻。1212年(建暦2)成る。仏教的無常観を基調に種々実例を挙げて人生の無常を述べ、ついに隠遁して日野山の方丈の庵に閑居するさまを記す。簡潔・清新な和漢混淆(こんこう)文の先駆。略本がある。   
 〇鴨長明(かも・の・ちょうめい)=鎌倉前期の歌人。菊大夫と称。下鴨神社の禰宜(ねぎ)の家に生まれ、管弦の道にも通じた。和歌を俊恵(しゅんえ)に学び、1201年(建仁1)和歌所寄人(よりうど)に補任、04年に出家、法名、蓮胤。大原山に隠れ、のち日野の外山(とやま)に方丈の庵を結び著作に従った。著「方丈記」「発心集」「無名抄」など。かものながあきら。(1155?-1216)(以上、『広辞苑』第6版による。)
   
    5.  本文中の地震については、資料365 「方丈記(大地震)」がありますので、そちらをご覧ください。    
    6.   岩波文庫『新訂 方丈記』(市古貞次・校注、1989年5月16日発行)の紹介文には、「長明自筆といわれる大福光寺本のすべての影印と翻字を付した」とあります。
 なお、ワイド版岩波文庫『新訂 方丈記』もあります。      
   
    7.   岩波書店からは、新日本古典文学大系『方丈記 徒然草』(佐竹明広・久保田淳 校注、1989年1月12日発行)も出ています。    
    8.  フリー百科事典『ウィキペディア』に、「方丈記」の項があります。    
    9.  青空文庫にも、『國文大観 日記草子部』(明文社・1906(明治39)1月30日初版発行、1909(明治42)年10月12日再版発行)を底本とした『方丈記』の本文があります。    
    10.   『新訂校註 日本文學大系 第二巻 』(監修:久松潜一・山岸徳平、風間書房・昭和30年4月15日発行)の中に、『土佐日記・和泉式部日記・更級日記・清少納言枕草子・方丈記・方丈記(彰考館本)・徒然草』があります。
 この本は『国立国会図書館デジタルコレクション』で見られますが、見るためには利用者登録をして、個人サービスを利用する必要があります。
   
    11.  『国書データベース』宮内庁書陵部所蔵の『方丈記』を見ることができます。    
    12.   駒澤大学総合教育研究部日本文化部門『情報言語学研究室』のホームページでも『方丈記』の本文が見られます。    
    13.  萩原義雄氏の「鴨長明自筆本『方丈記』について」という論文があります。    
14.  『方丈記DB』というホームページで、『方丈記』の本文と現代語訳・語釈等が見られます。
    15.  手元に、武田孝著『方丈記解釈法』(池田書店、昭和32年7月1日発行)というすぐれた注釈書がありますが、今ネットで調べてみると、笠間注釈叢刊の1冊に、『方丈記全釈』(武田孝著、笠間書院・1995年9月刊。笠間注釈叢刊 17)がありました。これはまだ見ていませんが、書名を挙げておきます。    
           







            トップページへ