近頃、月を眺める機会はめっきり減ってしまいましたが、昔の人々の生活に月は深い関わりをもっていました。 月の中の黒い影を兎と見て、月には兎がいるとした伝承は、仏教説話『ジャータカ』に始まり、わが国では『今昔物語集』を通して広く知られたということです。 その『今昔物語集』に出ている月の兎の話を読んでみましょう。 (注の12に、普通の表記に書き改めた本文があります。) |
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(注) | 1. | 上記の「三獣行菩薩道兎焼身語第十三(『今昔物語集』より)」の本文は、日本古典文学大系22『今昔物語集一』(山田孝雄・山田忠雄・山田英雄・山田俊雄 校注。岩波書店・昭和34年3月5日第1刷発行、昭和38年6月30日第2刷発行)によりました。(巻第五、第十三) | |||
2. | 漢字の振り仮名は括弧に入れて示し、地の文と区別しました。 | ||||
3. | 古典大系本の凡例に、「鈴鹿本の存する巻については鈴鹿本を底本に用い、その存しない巻については東大本甲を用いた」とあり、この「三獣行菩薩道兎焼身語第十三」のある巻第五は鈴鹿本を底本に用いた、と巻第五の中扉にあります。 漢字については、当用漢字の新字体と一致するもの、及びそれに近い漢字は、新字体を採用した、とあります。また、新旧二体を併用してある漢字は、底本に従って使い分けた、とあります(號・号、國・国、釋・釈、など)。 句読点・よみがな等については、「一般読者の理解に資するために、底本にはないが、段落を切り、句読点を附し、カナに濁点を施し、漢字によみがなをつけた」とあります。 これらについて、詳しくは古典大系本の凡例を参照してください。 |
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4. | 本文中に、「種々(クサグサ)ノ魚類等ノ取(トリ)テ持来(モテキタリ)テ」とある、「魚類等ノ」の「ノ」は、普通は「ヲ」となるところですが、当時こういう言い方があったと考えられているようです。 | ||||
5. | この話の出典は、『大唐西域記』巻第七、婆羅痆斯国、烈士池の条だと、古典大系の頭注にあります(365頁)。この話の大元は本生譚『ジャータカ』だそうです。 | ||||
6. | 『
e國寶』というサイトで、重要文化財『紺紙金銀字大唐西域記(中尊寺経)12巻』(東京国立博物館蔵本)の画像を見ることができます。 『 e國寶』 → 重要文化財『紺紙金銀字大唐西域記(中尊寺経)12巻』 (巻第七の本文162行~181行。「又謂烈士池西有三獸窣堵波~後人於此建窣堵波」) |
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7. | フリー百科事典『ウィキペディア』に「月の兎」・「ジャータカ」の項があります。 | ||||
8. | 『月兎』というホームページがあり、月と兎の伝承について調べてあって参考になります。 | ||||
9. |
『赤い惑星』というサイトに『暦と星のお話』があり、そこに「月のウサギ伝説」というページがあって参考になります。 『赤い惑星』 → 『暦と星のお話』 → 「月のウサギ伝説」 残念ながら今は見られないようです。(2023年8月24日) |
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10. |
〇今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)=日本最大の古代説話集。12世紀前半の成立と考えられるが、編者は未詳。全31巻(うち28巻現存)を、天竺(インド)5巻、震旦(中国)5巻、本朝21巻に分け、各種の資料から1000余の説話を集めている。その各説話が「今は昔」で始まるので「今昔物語集」と呼ばれ、「今昔物語」と略称する。中心は仏教説話であるが、世俗説話も全体の3分の1以上を占め、古代社会の各層の生活を生き生きと描く。文章は漢字と片仮名による宣命書きで、訓読文体と和文体とを巧みに混用している。 〇ジャータカ(Jātaka梵)=古代インドの仏教説話の一つ。釈尊が前世に菩薩であった時の善行を集めたもの。パーリ語のジャータカ(約550話を含む)のほか、梵語のジャータカ‐マーラーや漢訳の六度集経などがある。絵画・彫刻などの題材となり、広く親しまれた。闍陀伽。本生ほんしょう。本生譚。本生経。(以上、『広辞苑』第6版による。) |
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11. | 新釈漢文大系54『淮南子
上』(楠山春樹著、明治書院・昭和54年8月10日初版発行)の巻六「覧冥訓」の〔口絵解説〕(引用者注:「口絵とは、唐時代の「月桂鑑」のこと)に、次のようにあります。 口絵には、姮娥と蟾蜍のほか、中央に桂樹があり、その下で兎が仙薬を擣いている姿が見える。月中に兎が住むという所伝は、早く『楚辞』天問にあるが、その兎が仙薬を擣いているとすることは、晋の傅玄の作という「擬天問」あたりが初出らしい。おそらく頭初は、月の陰影を空想して、或は蟾蜍といい、或は兎と称したのであるが、その後姮娥奔月の物語が流行するようになって、その兎に薬擣きをさせるようになったのではなかろうか。一方、月の桂の物語は、同じく晋の虞喜の「安天論」に見える。「擬天問」と「安天論」と、ともに『太平御覧』巻四所引の資料であって、その信憑性には問題もあるが、いずれにせよその所伝の、おそくとも六朝初期に遡ることは確かなようである。なお、わが国で行われている兎の餅擣き伝説が、薬擣きの物語の訛伝であることはいうまでもなかろう。(同書、319頁) 引用者注: 〇姮娥(こうが)=〔淮南子 覧冥訓〕(仙薬を盗んで月の中に逃げたという女の名に基づく)月の異称。 嫦娥(じょうが)。 〇嫦娥(じょうが)=(1)〔淮南子 覧冥訓〕中国古代の伝説で、羿(げい)の妻。羿が西王母から得た不死の薬を盗み、昇仙して月宮に入ったと伝える。 (2)転じて、月の異称。(以上、『広辞苑』) 〇蟾蜍(せんよ)=(1)ひきがえる。(2)月の別名。(3)水入れ。文房具の一つ。(『旺文社漢和辞典』) 〇『楚辞』=戦国時代の楚の歌謡集。主要な作品は屈原のものと伝えられる。漢の劉向(りゅうきょう)が編纂し、後漢の王逸が自作を加えて注釈した「楚辞章句」に収録される。詩経と並ぶ中国古代の歌謡集。(『広辞苑』) 〇『楚辞』天問に、「夜光何德 死則又育 厥利維何 而顧菟在腹」とある。(新釈漢文大系『楚辞』星川清孝著。111~112頁) 〇擬天問(ぎてんもん)=晋の傅玄の作。『太平御覧』巻四に引かれている「擬天問」に、「月中何有白兎搗藥」の句がある由。 〇晋の虞喜の「安天論」=同じく『太平御覧』巻四に引かれている晋の虞喜の「安天論」に、「俗傳月中仙人桂樹 今視其初生 見仙人之足 漸已成形 桂樹後生焉」とある由。 |
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12. |
次に、本文を普通の表記に書き改めてみます。(お気づきの点をお教えいただければ幸いです。) 三つの獣、菩薩(ぼさつ)の道(だう)を行(ぎやう)じ、兎(うさぎ)身を焼ける語(こと)第十三 今は昔、天竺に菟(うさぎ)・狐・猿、三つの獸有りて、共に誠の心を起こして菩薩の道を行ひけり。各々思はく、「我等前世(ぜんぜ)に罪障深重(じんぢう)にして賤しき獸と生まれたり。此れ、前世(ぜんぜ)に、生(しやう)有る者を哀れまず、財物(ざいもつ)を惜しみて人に与へず。此(かく)の如くの罪深くして地獄に堕ちて苦を久しく受けて残りの報にかく生まれたるなり。然(さ)れば此の度(たび)、此の身を捨てむ」。年(とし)、我より老いたるをば祖(おや)の如くに敬ひ、年、我より少し進みたるをば兄の如くにし、年、我より少し劣りたるをば弟の如く哀れび、自(みづか)らの事をば捨てて、他(ほか)の事を前(さき)とす。天帝尺(てんたいしやく)、此れを見給ひて、「此れ等(ら)、獸の身なりと云へども、難有(ありがた)き心なり。人の身を受けたりと云へども、或(あるい)は生きたる者を殺し、或は人の財(たから)を奪(ば)ひ、或は父母(ぶも)を殺し、或は兄弟を讎敵(あたかたき)の如く思ひ、或は咲(えみ)の内にも悪しき思ひ有り、或は戀ひたる形にも嗔(いか)れる心深し。いかに况(いは)むや、此(かく)の如きの獸は、實(まこと)の心深く思ひ難(がた)し。然れば試みむ」と思(おぼ)して忽ちに老いたる翁(おきな)の無力(むりき)にして羸(つか)れ術(ずつ)なげなる形に變じて、此の三つの獸のある所に至り給ひて宣(のたま)はく、「我、年老ひ羸(つか)れて為(せ)む方(かた)なし。汝達、三つの獸、我を養ひ給へ。我、子なく家貧しくして食物(じきもつ)なし。聞けば、汝達、三つの獸、哀れみの心深く有り」と。三つの獸、此の事を聞きて云はく、「此れ、我等が本の心なり。速やかに養ふべし」と云ひて、猿は木に登りて、栗・柿・梨子(なし)・棗(なつめ)・柑子(かむじ)・橘・草冠+佰(こくは)・椿・木+栗・郁子(むべ)・山女(あけび)等を取りて持て来たり、里に出でては苽(うり)・茄子(なすび)・大豆(まめ)・小豆(あづき)・大角豆(ささげ)・粟・薭(ひえ)・黍(きび)等を取りて持て来たりて好みに随ひて食(じき)せしむ。狐は墓屋(つかや)の邊(ほとり)に行きて人の祭り置きたる粢(しとぎ)・炊交(かしきがて)・鮑(あはび)・鰹(かつを)、種々(くさぐさ)の魚類等の取りて持て来たりて思ひに随ひて食(じき)せしむるに、翁(おきな)既に飽満(ばうまん)しぬ。此(かく)の如くして日来(ひごろ)を経たるに、翁の云はく、「此の二つの獸は實(まこと)に深き心有りけり。此れ、既に菩薩なりけり」と云ふに、菟(うさぎ)は勵(はげ)みの心を發(おこ)して燈(ともしび)を取り、香(かう)を取りて、耳は高く(くぐ)せにして、目は大きに、前に足短く、尻の穴は大きに開きて、東西南北求め行(ある)けども、更に求め得たる物なし。然れば猿・狐と翁と、且(かつ)は耻ぢしめ、且は蔑(あなづ)り咲(わら)ひて勵ませども力及ばずして、菟の思はく、「我、翁を養はむが為に野山に行くといへども、野山怖(おそろ)しく破(わり)なし。人に殺され、獸に噉(くら)はるべし。徒(いたづら)に、心に非(あら)ず、身を失ふ事量(はかり)なし。只如(し)かじ、我今、此の身を捨てて、此の翁に食(くら)はれて永く此の生(しやう)を離れむ」と思ひて、翁の許(もと)に行(ゆ)きて云はく、「今、我、出でて甘美の物を求めて来(きた)らむとす。木を拾ひて火を焼(た)きて待ち給へ」と。然らば猿は木を拾ひて来(きた)りぬ。狐は火を取りて来(きた)りて焼(た)き付けて、若(も)しやと待つ程に、菟、持つ物なくして来(きた)れり。其の時に猿・狐、此れを見て云はく、「汝、何物をか持て来(きた)るらむ。此れ思ひつる事なり。虚言(そらこと)を以て人を謀(たばか)りて木を拾はせ火を焼(た)かせて、汝、火を温(あたた)まむとて、あな憎(にく)」と云へば、菟、「我、食物(じきもつ)を求めて持て来(きた)るに力なし。然(さ)れば只我が身を焼(や)きて食(くら)ひ給ふべし」と云ひて、火の中に踊り入りて焼け死にぬ。其の時に天帝釋、本の形に復(ぶく)して、此の菟の火に入りたる形を月の中に移して、普(あまね)く一切の衆生(しゆじやう)に見しめむが為に月の中に籠(こ)め給ひつ。然れば月の面(おもて)に雲のやうなる物の有るは、此の菟の火に焼けたる煙(けぶり)なり。亦、月の中に菟の有ると云ふは此の菟の形なり。万(よろづ)の人、月を見む毎(ごと)に此の菟の事思ひ出(い)づべし。 |
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13. |
『SAT大正新脩大藏經テキストデータベース』によって、『大唐西域記』巻第七から、該当部分を引用しておきます。 『大唐西域記』巻第七、婆羅痆斯国、烈士池の条 烈士池西有三獸窣堵波。是如來修菩薩行時燒身之處。劫初時於此林野有狐兎猨異類相悦。時天帝釋欲驗修菩薩行者。降靈應化爲一老夫。謂三獸曰。二三子善安隱乎。無驚懼耶。曰渉豐草遊茂林。異類同歡既安且樂。老夫曰。聞二三子情厚意密。忘其老弊故此遠尋。今正飢乏何以饋食。曰幸少留此我躬馳訪。於是同心虚己分路營求。狐沿水濱銜一鮮鯉。猨於林樹採異華菓。倶來至止同進老夫。唯兎空還遊躍左右。老夫謂曰。以吾觀之爾曹未和。猨狐同志各能役心。唯兎空返獨無相饋。以此言之誠可知也。兎聞譏議謂狐猨曰。多聚樵蘇方有所作。狐猨競馳銜草。曳木。既已蘊崇猛焰將熾。兎曰。仁者。我身卑劣所求難遂。敢以微躬充此餐。辭畢入火尋即致死。是時老夫復帝釋身。除燼收骸傷歎良久。謂狐猨曰。一何至此。吾感其心不泯其迹。寄之月輪傳乎後世。故彼咸言。月中之兎自斯而有。後人於此建窣堵波。從此順伽河流。東行三百餘里至戰主國。 |
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14. | NHKラジオ第2放送の「こころをよむ」で、2013年1月から3月まで、金岡秀郎氏による『文学・美術に見る仏教の生死観』が放送されています。その第6回「供養について」(2月10日放送)のお話の中に「捨身供養」が出て来て、そこで『ジャータカ』に述べられた兎の説話が紹介されました。今、放送のテキストからその部分を引用させていただきます。(2013年2月17日) 捨身供養のなかでも広く知られているのは、『ジャータカ』に述べられた兎の説話であろう。『ジャータカ』はブッダの前世の善行を説いた経典で、前生話(ぜんしょうわ)とも本生譚(ほんじょうたん)とも言われる。さまざまな言語で五百を超える物語が伝えられているが、兎を主人公にした「兎ジャータカ」は『今昔物語』などを通じて膾炙した。 それによれば、空腹の乞食に食を供するため、猿は果物、狐は農民の食べ残し、獺(かわうそ)は魚を布施したが、兎だけは非力で何もできない。そこで身体についたノミを払った上で自らを火中に投じて自らの身体を食べるようにと乞食に捧げた。しかし火は兎の毛の一本も焼くことなく、火は涼しかった。実は乞食は来世のブッダを探していたインドラ神で、兎がそうであると確信すると眼前の山を絞って絵の具を出し、それで月に兎の絵を描いた。伝承によっては乞食をバラモンとするなどの異同があるものの、兎が前世の尊い布施行によってブッダとして生まれ変わったことは一致している。 (同書、71~72頁) |
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15. | 月の兎を詩の中にうたった李白の詩「把酒問月」が、資料451にあります。 → 資料451 李白「把酒問月」 |
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16. |
国立国会図書館の『レファレンス協同データベース』に、「月の兎の原話」についての質問に対する北九州市立中央図書館の回答があって、参考になります。 『レファレンス協同データベース』 → 「月の兎の原話」についての質問に対する回答 |